■ Novels


セリシス・ユークラット
昔、どうしてもサンタさんが書きたくて書いただけの小説。エロ中心の即売会用にしたため、内容は少々凄惨なのでご注意ください。
※主人公のセリシスは、この後、『リアス、雨中の争乱』、『再び巡るその日に向かって』を経て、『ウィサン、悪夢の日』でシティアとユウィルの物語にリンクします。

 どれくらいの時が経ったのか。セリシスにはそれを考えることすらできなかった。
 彼女は何も見えないような闇の中、路地裏の冷たい土の上に、うつ伏せになって倒れていた。
 もう随分長いことそうして横たわっている。
 冷たい地面と直接触れ合っている腹や太股、それに、同じくらい冷たい風にさらされている背中から、どんどん体温が奪われていくのがわかった。
 けれど今の彼女には、指一本動かすのさえ億劫に感じられ、このまま寝ていては身体に良くないとわかっていながらも体勢を変えることができなかった。
 せめて服だけでもあれば体温の流出を防ぐことができたが、しかし今の彼女は全裸に近い状態だった。
 先程までそこに存在し、今はもうどこかへ行ってしまった男たちに、服を引き剥がされてしまったのだ。
 その服は、セリシスが必死に抵抗したおかげで何とか持っていかれずに済み、彼女が倒れている場所からほんの数メートル先に捨てられていた。
 もっとも、それはすでに服として役目を果たすかさえ怪しいほどボロボロに破かれており、それゆえ彼らに持って行かれずに済んだのである。
 彼女はぼんやりとした頭で、せめてその服だけでも着たいと思った。少なくともそう考えられるほど、ようやく心が回復してきた。
 彼女がスラムに入ってから、すでに2時間以上経っている。クリスマス・イブの賑わいもとうになくなり、静寂が辺りを包み込んでいた。
(みんな、もう……帰っちゃったよね……)
 ものが考えられるようになり、子供たちの元気な顔が心に浮かんだ瞬間、彼女の目から涙があふれ、土の上に染みを作った。
 それから本当にゆっくりと、長い時間をかけて半身を起こした。
 特別どこか痛いということはなかったが、全身が異常なほどだるかった。ひょっとしたら、痛くないのも身体が麻痺しているだけで、どこかに捻挫や打撲、骨折があるかも知れない。
 ゆっくりと肘を回して、それから肩や首を回してみた。
 左肩に痛みが走ったが、それは後から付いたものではなく、先に踏まれたときに付いた傷のせいだった。
 上半身の無事を確認してから、彼女は両手で身体を支えながら腰を上げた。
「うっ……」
 その瞬間、腰の下の辺りに激痛が走り、彼女は思わず呻き声をあげた。脚も重たくて上がらない。
 この人気のない暗いスラムの一角で、自分だけが惨めに傷付いて苦しんでいる状況。それが無性に悲しくて、彼女は半ば自棄になって立ち上がった。
「はぁ……はぁ……」
 鋭い痛みが走り、額に汗が滲んだけれど、どうにか立ち上がることができた。
 一度自分の身体を見てみると、全身に擦り傷や小さな切り傷があった。そして、太股の内側に赤黒い血が付着していた。
 彼女はボロボロになった服を取り、それを拭いてみたが、すでに乾いてしまっているらしく、血は太股から取れなかった。
 彼女はあきらめて服を着た。
 服は首のところから真っ二つに裂け、ところどころが破れてはいたが、まだ辛うじて服としての機能を果たしていた。
 彼女は少しだけ落ち着いて、ほっと息を洩らした。
 けれど、それもほんの一瞬のことだった。
 地面に転がっているもう一つの汚れた布切れ。価値もわからずにビリビリに破かれた袋を見て、セリシスは悲しみに顔を歪めた。
 その袋に入っていた服も靴も、すべてあの男たちに持って行かれてしまった。
 子供たちへのプレゼントは何一つ残されていない。
「……っ……うぅ……」
 嗚咽が洩れた。涙が止め処なくあふれてくる。
 自分は何か悪いことをしたのだろうか。
 だからこんな目に遭わされたのだろうか。
 やはり母親の言ったように、スラムには近付いてはいけなかったのだろうか……。
 地面にうずくまり、汚れた袋を抱きしめたまま、セリシスは大きな声を上げて泣いた。大人びてはいても、まだ16歳の少女にはあまりにも惨たらしい仕打ちだった。
 やがて、ひとしきり泣いてから、彼女は袋を手にして立ち上がった。
 その目に涙はなかったが、感情も欠落し、青ざめた死人のような面持ちでぽつりと呟いた。
「帰ろう……」
 一歩踏み出すと足腰が痛み、そのまま地面に吸い込まれそうになった。
 身体の感覚が戻ってきたのか、じわじわと腕や肩なども痛み始めた。何度も何度も無理な体勢を取らされ、その度に痛みに歯を食いしばっていたのだ。無事なはずがない。
 それでも彼女は一歩ずつ、リアスの街の方へ歩いた。
 心の中に、子供たちの顔が浮かんでは消えていく。
 サルゼ、ヒューミス、ウェルス、メル、イェラト、クリス、フォリム……。
 彼女は大きく頭を振った。
「だって、行ってももう……あの子たちが待ってても、もう……わたしには、あげるものがないから……」
 そう、自分に言い聞かせた。
 行ってもしょうがない。
 きっと待ってはいないだろうし、もし待っていても何もあげるものがない。
 がっかりさせるどころか、今のこの姿を見せたら、無駄に心配させるだけだ。
 行かない方がいい。
(今度、謝ろう……。家を出られなかったって……。そうすれば、丸く収まるよね……?)
 ……本当に?
 彼女は足を止めて教会の方角を振り仰いだ。
 本当にこのまま帰ってもいいのだろうか。
 本当に子供たちは、自分にプレゼントしか求めていないのだろうか。
 本当にこの姿を見せるより、帰ってしまった方が心配させないだろうか。
 自分が子供たちなら、本当に帰ってしまうことを望むだろうか。
 元々子供たちは、プレゼント目当てで自分に近付いてきた。
 だから初めの内は、何も持っていかずに行って、まったく相手にされなかったこともあった。
 でも今はどうだろうか。
 たとえクリスマス・イブだとしても、プレゼントを持っていかなくても、ただ自分が会いに行くだけで喜んではくれまいか。
 自惚れかも知れない。
 けれど、今ここにいる傷だらけの惨めな自分を、せめて自分だけは信じてあげたかった。
 こんな自分を待っている人が欲しかった。誰かに必要とされたかった。
 子供たちを信じたのか、それとも単に自己満足なのか。もはやセリシスにはわからなかった。
 ただ彼女はスラムの入り口に背中を向けて、再び教会へと歩き始めた。
 悪いことの後には、きっと良いことがある。
 そう信じたかった。

 約束の時間をゆうに3時間は回り、もうじき日が変わろうとしていた。
 街は聖夜の宴を終え、翌日のクリスマスを前にして眠りに包まれている。
 そんな中でスラムの子供たちは、リーダーであるサルゼの言葉と、そして自分たちの願いに従って、ずっとセリシスを待ち続けていた。
 冷たい風がひっきりなしに吹き付ける。
 何度も教会の中に入ろうという案が出たが、彼らはそれをよしとしなかった。この寒い中を歩いてくるセリシスを、どうしても外で迎えたかったのだ。
 それでも、ずっとそこに立ちつくしているのも落ち着かなかったから、交互に教会の中で休んだり、あるいはセリシスを探しにスラムの街へ出たりした。
 結局それによってセリシスが見つかることはなかったけれど、彼らの想いは決して無駄にはならなかった。
 サルゼですらあきらめかけていたその時、教会の裏からやってくる人影に気が付いた少年が大きな声で叫んだ。
「セリシスっ!?」
 その声が届いたのだろう。ようやく姿を確認できる距離まで歩いてきた桃色の髪の少女が、ふと足を止めて顔を上げた。
「どうした、イェラト? セリシスが来たのか?」
 イェラトと呼ばれた少年の声に、子供たちが集まってくる。
 そして彼らは、待ち続けていた少女を見た。
「セリシス!」
 初めにヒューミスが駆け出した。そしてすぐに、皆が顔を綻ばせて少女の許に駆け寄る。
 少女はボロボロになった服を身に着け、肩や胸元をはだけさせ、暗い瞳で立っていた。生気の宿らない表情。
 彼らはかつて、これほどまで落ち込んだ彼女を見たことがなかった。
「セリシス、遅かったね。大丈夫?」
 一人の少女が心配そうにセリシスの顔を覗き込んだ。
 同じように、子供たちが彼女を心配して声をかける。その中に、誰一人として彼女が遅れた理由を問う者はなかった。
 彼らは子供とはいえ、スラムの住人だった。セリシスに何があったのか、一目見た瞬間、すべてを理解していた。
 一番状況を理解できていなかったのは、温室育ちの貴族の少女だったのかも知れない。
「みんな……」
 今にも泣き出しそうな顔をして、それから済まなさそうに視線を落とした。何か言おうと、口を開けたり閉じたりしているが、言葉は出てこない。
 子供たちに囲まれて、セリシスはここに来るまでの間に考えた言葉も、勇気も、すべて吹き飛んでしまった。
 まずプレゼントがなくなってしまったことを伝えなければならない。それを話したら、遅くなってしまった理由も話さなければならないだろう。
「あ、あのね……」
 どうにか言葉を振り絞ると、子供たちが一斉に話すのをやめて息をひそめた。
 幾つもの視線が突き刺さる。
 セリシスはその視線から逃れるように顔を下げて、独り言でも言うように淡々と呟いた。
「今年は、その……プレゼント……ないの……」
 がっかりするだろうか。
 悲しまれないだろうか。
 あるいは怒られるだろうか。
 心の動揺を必死に押し隠し、子供たちの顔色をうかがうように顔を上げた。
 子供たちはぽかんと口を開けて、呆けたようにセリシスを見つめていた。彼女の言った言葉をしばらく理解できなかったのだ。
 それは、彼女の言葉が意外だったからではなく、あまりにも見ればわかる、当然のことだったから。
 自分たちがそんなことはとうに理解しているということを、目の前の少女がまったく気付いておらず、罪悪感まで抱いていることが妙に滑稽であり、そしてそれがこの少女の良さだと思った。
「そんなことはどうでもいいんだよ!」
 ウェルスが声をあげると、次々と皆がセリシスを元気付けるように言葉を投げた。
「そうだよ、セリシス。僕たちはセリシスが来てくれただけで、すごく嬉しいんだから」
「来てくれてありがとう、お姉ちゃん。待っててよかったよ」
 セリシスは胸の奥が温まる思いがして、思わず目頭を押さえた。
「みんな……」
 せめて自分だけでも、自分を信じてあげようと思っていた。
 けれど、そんな彼女以上に、子供たちはセリシスを信じていた。
 むしろ自分の方こそ、子供たちを信じ切れていなかったということに気が付いたとき、セリシスはどうにもならない愚かさと、それと反する嬉しさが込み上げてきて涙をこぼした。
「あ、ありがとう……みんな……」
 次から次へとあふれてくる涙を止めようもなく、セリシスはその場に泣き崩れた。
 子供たちは、そんな彼女を見て照れ臭そうに微笑んでいた。
 彼女が嬉しくて泣いているのを知っていたから。だから、泣きたいだけ泣かせてやろうと思ってたのだ。
 その時、ふとメルが声を出した。
「雨……?」
 皆の視線がメルに集まる。メルはぼんやりとした表情で空を見上げていた。
 凍て付くような空気の中、どんよりと曇った星のない夜空から、白いものがふわふわと舞い降りてきた。
「雨……か?」
 顔や手に当たる冷たい感触に、子供たちが不思議そうに空を見上げる。
 そんな彼らの反応に、セリシスは涙を拭って顔を上げた。
 ここに来る前1時間も2時間も泣き続け、荒れ果てた頬に、ひんやりとした感触がした。
「雪……」
 ぽつりとそう呟くと、子供たちはセリシスの言葉を反芻し、それから驚いたように近くの仲間たちと顔を見合わせた。
「雪……だって……」
「これが……雪?」
 子供たちにとっては初めての、そしてセリシスにしてもセイラスの街で見て以来の雪だった。
 先程までの無理に背伸びした姿はどこへやら、子供たちはこの凍えるような聖夜に静かに降る雪を見て舞い上がった。
「雪だ、雪だ!」
「セリシスが俺たちに雪をプレゼントしてくれたんだ!」
 誰かがそう言って、セリシスは唖然となった。
 彼らは「セリシスが雪をくれた」とはしゃぎ、彼女に礼を言っている。
 物事を前向きに捉える習慣があるのか、それとも単に、傷付いたセリシスを励まそうとしているのか。
 セリシスはきっと後者だろうと思い、申し訳ないような顔をして頭を下げた。
「ありがとう、みんな。本当にそうなら、すごく素敵だったのにね……」
 プレゼントを持ってこられなかった自分の不甲斐なさを思い、自虐的に微笑んだ彼女の背中を、サルゼがそっと叩いて笑った。
「本当にセリシスのおかげなんだよ」
「えっ?」
 驚き、意外そうに振り返ったセリシスに、サルゼが優しい瞳で続けた。
「セリシスが遅れてこなかったら、俺たちはとっくに家に戻って、きっとこの雪も見られなかった。これはセリシスが俺たちにくれた、最高のプレゼントだ」
 サルゼの言葉が消えると同時に、子供たちがいつもより輝いた顔で彼女の周りに集まって、口々に礼を言った。
「そうだよ。ありがとう、セリシス」
「ありがとう」
 気が付くと、セリシスはボロボロと大粒の涙を流していた。
 あの男たちが去ったとき、もう一生分は泣いたと思ったけれど、人は一体どれくらい泣くことができるのか。
 きっと、涙の種類が違うからかも知れない。
 嬉しくて流す涙に、限りなどあるものか。
「ありがとう……ありがと……」
 すでに止みかけている一瞬の奇跡の結晶の中で、セリシスは鼻をすすりながら、それでも子供たちに負けない笑顔を見せた。
 街の方から甲高い鐘の音がして、ヒューミスが元気良く言った。
「メリークリスマス、セリシス」
「メリークリスマス」
 辛いことの後には、きっと幸せが待っている。
 その幸せの後に、また苦しい現実があるかも知れないけれど、それも次の喜びのため。
 その喜びのために、きっと人は生きているのだ。
「メリークリスマス! みんな!」
 いつの間にか雪はやみ、雲間から白い星の光が降り注いでいた。
 依然として冷たい風が教会の木々を揺らしていたけれど、そんな風をも跳ね返すような温かい笑顔に包まれながら、セリシスは確かな幸せを噛みしめていた。
Fin
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