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再び巡るその日に向かって

 今度はイェラトの方が対応が早かった。「曲者め!」と叫びながら突進してくる兵士に真っ直ぐ向かっていき、彼はその足を薙ぎ払った。背が低い子供だったことが幸いしたと言えよう。兵士はいきなり足元をすくわれて哀れにも転倒した。
 イェラトは彼の剣を取ると、胸の前に掲げて両手で握り、刃を下に向けた。とにかく、この兵士は殺して口を封じなければいけない。すでに人を殺したことのあるイェラトは、目的のために容赦するつもりはなかった。
 けれど、セリシスはそうではなかった。
「こ、殺しちゃダメよ!」
 イェラトが本気で人を殺そうとしていることを悟って、悲鳴じみた声を上げた。セリシスは、もちろん人を殺めたことなどない。イェラトは立ち上がりかけた兵士に、体重を乗せた蹴りをかますと、剣を持ったままセリシスの手を取った。
「逃げよう!」
 セリシスは大きく頷いて立ち上がったが、すぐによろめいてつんのめった。イェラトはどうしたのだろうと思ったが、すぐに思い出した。よく考えてみれば、セリシスはずっと寝込んでいたはずだ。今まで元気に動いていられたのがむしろおかしいのだ。
「セリシス、お前、体調が……」
「いいの、イェラト。大丈夫」
 セリシスは額の汗を拭ってしっかりと大地を踏みしめた。シィスからもらった薬は素晴らしい効き目を発揮したが、それでも完全回復には至らなかった。病気に大切なのは栄養と睡眠であって、薬は所詮、それを助ける働きしかない。
「泣き言を言ってもしょうがないでしょ? 捕まったらおしまいよ?」
 セリシスはイェラトの手を振り解くと、頭の痛みを堪えて走り出した。イェラトもそれに続いた。
 二人は城壁に向かっていたが、壁の方から兵士たちがやって来るのを見て進路を変えた。さすがに鍛えられた兵士たちだけあって、足も速い。セリシスはこのままでは追いつかれると思い、足を止めて振り返った。
「セリシス!?」
 イェラトは訝しんで振り返ったが、すぐに彼女が魔法を使おうとしているのを悟って口を閉じた。セリシスは目を閉じてしきりに風をイメージした。魔法は、単に魔力があるというだけであまり得意でもなかったし、魔力も弱い部類に入ったが、それでも魔法に慣れていないこの国の兵士たちの足止めをするくらいならできる。
 セリシスが目を開けると、すでに兵士たちはギリギリまで迫っていた。けれど、彼女の魔法も完成していた。
「行けっ!」
 叫びながら風を叩きつける。兵士たちは突然の突風に弾き飛ばされ、全員地面の上をゴロゴロと転がった。思わず歓喜の声を上げたイェラトを向き直ると、セリシスは再び駆け出した。けれど、心の中では強い焦りを感じていた。果たして自分は逃げ切れるのだろうか。
 どんどん増えていく兵士たちの中から、「敵は魔法使いだ」とか、「王を狙っている」などと言った声が聞こえてきた。どうやら刺客と間違われたらしいが、そう思われても仕方ない。今となってはもはや弁明の余地はなかったし、この国は魔法を敵視している。足を止めたが最後、言葉を発する前に斬り殺されるだろう。
「イェラト、外では不利よ! 建物の中へ!」
 セリシスは振り向かずに叫んだ。このままではやがて取り囲まれてしまうだろう。それならばいっそ、通路や柱の多い城内に飛び込んだ方がいい。挟まれる可能性は否定できないが、外にいるよりは逃げ切れる可能性が高い。
「で、でも、そんなことしたら、どうやって外に出るんだよ!」
 イェラトが悲鳴を上げた。セリシスは城の勝手口を見つけ、そこに向かって走りながら答えた。
「とにかく上に行く。地上から矢の届かないところまで行けば、後は飛んで逃げられる。ここからだと、矢で狙い撃ちされるわ!」
 言い終わるや否や、セリシスの隣を矢が風を切って貫いた。もしも精神が昂揚してなければそれですっかり萎縮してしまっただろう。しかし、今のセリシスは我を忘れていたので、とりあえずその矢に当たらなかった幸運に感謝しながら、勝手口の取っ手を握った。けれど、大方の予想通りドアは内側から鍵がかかっていた。
「イェラト、時間を稼いで!」
 無理難題なのはわかっていたが、とにかくやってもらうしかない。セリシスは言うが早いか、目を閉じて魔法を集め始めた。別に魔法を使うのに目を閉じる必要はないのだが、その方が集中できる。魔法は集中とイメージがすべてなのだ。
 イェラトは再び飛んできた矢を剣で叩き折った。もっとも、それは神が彼に与えた奇跡のようなもので、次に飛んできた矢を、彼は自分が楯になることでしか防げなかった。ずぶりと太股に突き刺さり、イェラトは苦痛の呻き声を上げて倒れた。
 セリシスは魔法を完成させようとしていたので、それに気付かなかった。集中を途切れさせてしまったら魔法は消えてしまう。いや、上手く消せればいいが、下手をすると溜まった魔法が行き場を失くして爆発する。セリシスはカッと目を見開き、真っ直ぐ戸を見据えた。そして、魔法を放とうとした瞬間、突然左肩に激痛が走った。
 矢がかすめたのだ。刺さりはしなかったが、それでもそれは、セリシスの集中を途切れさせるには十分だった。
「い、いけない……」
 すぐに魔法を消さなければいけないと思ったときは遅かった。セリシスが地面に倒れると同時に魔法が凄まじい音を立てて炸裂した。もしも地面に倒れていなければ、恐らくその爆発で二人とも大怪我を負っていただろう。けれど、幸か不幸か二人とも地に伏していた。
 爆発は勝手口の戸を吹っ飛ばして消えた。あるいは、セリシスの魔法が普通に放たれていたら戸は壊せなかったかもしれない。一般に、術者の魔力と使用する魔法の強さは比例するが、膨れた魔法の暴発に関しては例外だと言われてる。
「イェラト! 死にたくなかったら走りなさい!」
 言われるまでもなく、少年はすでに立ち上がっていた。そして呻き声を上げながら矢を抜くと、傷口を縛ることもせずにさっさと中に飛び込んだ。
「大丈夫?」
 隣を駆けながら、セリシスは不安げな眼差しを向けた。イェラトは城の通路へと続くドアを蹴り開けながら叫んだ。
「泣き言言ってもしょうがないって言ったのはセリシスだろ? まだ死にたくないから我慢するよ」
「そうね。私も頭は痛いし、肩は痛いし、ボロボロよ」
 そう言ってにっこり笑ったセリシスの笑顔が、どれだけイェラトを勇気付けたか。
 城内は静かだった。いや、もちろん平常時と比べたら随分慌しくあったが、まだ刺客だとか魔法使いと言った話は伝わってないようだ。勝手口からはどんどん兵士たちがなだれ込んで来ているが、まだ挟み撃ちに遭う心配はないらしい。
 セリシスは城内を駆け、見かけた階段を駆け上った。その階段は三階まで続いており、そこから天井の高い立派な通路に出た。壁際には鎧を着た兵士の像が立ち並び、床には絨毯が敷いてある。
「な、なんだか立派な場所だな。王様のところにでも続いてるんじゃないのか?」
「そうね。そうかも知れないわ」
「ますます刺客っぽくなってきたな」
 イェラトがそう軽口を叩いた。どうやら精神状態がある一線を越えてしまったらしい。トランス状態とでも言うのだろうか。もちろん、セリシスもとっくにその域に達していたから、イェラトの発言に笑って答えた。
「そうね。いっそ王様を人質に取って逃げようか?」
「バカだな、お前。この国の王様はきっと剣の達人だよ。俺たちなんて、あっと言う間にお陀仏さ」
「まったく」
 背後から階段を駆け上がってくる音が聞こえてきた。けれど、まだ距離がある。彼らは勝手口を出たところでセリシスたちの姿を見失ったのだ。逃げ切れる。セリシスは確信した。
 けれど次の瞬間、そんなセリシスの希望は呆気なく打ち砕かれた。前方に人が現れたのだ。二人。一人はまだ青年で、立派な服を着けていた。短い緑の髪で、黒い瞳には知的な輝きがあった。
 そしてもう一人は中年の剣士で、彼は二人を見ると剣を抜いて構えた。後ろから来る兵士たちとあからさまに違う。彼の放つ殺気に、二人は思わずひるんだ。
「何者だ! その場で止まれ!」
 青年が怒鳴りつけた。低くはなかったが、よく通る声だ。イェラトは辺りを見回した。後ろからは足音、そして今いる場所から二人のいる場所までに他の通路や部屋はない。つまり逃げ道は一切なかった。イェラトは剣を握り直して突進した。もはやそれしかない。そう思ったのだ。
 少年が足を速めたのを見て、セリシスは我に返って叫んだ。
「やめなさい、イェラト!」
 もはや自分たちは逃げられない。ならば、あの剣士に向かっていくよりも、大人しく平伏した方が良さそうだ。それに前方の二人は、後ろから来る兵士たちのように、すぐに自分たちを殺したりはしないだろう。
 イェラトは急ブレーキで足を止めると、背後を振り返って悲しそうな顔をした。
「セリシス! でも……」
「いいから、剣を捨てなさい!」
 毅然としてそう言うと、セリシスはゆっくり二人の方へ歩き始めた。やがて後ろから兵士たちが追いついてきて、ドタドタという足音とともに前方の二人を呼ぶ声がした。
「フィアン様! ケール様!」
「フィアン……様?」
 やはり気が動転していたのだろう。セリシスはようやく前方にいる人物を思い出した。
 そう、彼こそこの国の第二王子にして、セリシスが城に入る時に名前を使ったフィアン王子その人だった。そしてその傍らに立つのは、マグダレイナの剣術大会で、過去三度の優勝を収めた剣士ケールである。セリシスは彼とも面識があった。
 フィアンもまた、イェラトの声で過去を思い出したように、「セリシス?」と小声で呟いてから、顔を上げて少女を見た。
「まさか君は、リアスのセリシス・ユークラットか?」
 その声はわずかに震え、そして表情には動揺と歓喜があった。セリシスは明るく笑って見せて、大きな声で答えた。
「ええ。お久しぶりです、フィアン様。4年ぶりかしら」
 兵士たちは足を止めて、呆然と二人の方を見つめていた。イェラトも、何がなんだかわからないようにぽかんと口を開けて、少女を横顔を見上げていた。
 フィアンはセリシスの前まで歩くと、困惑したような、呆れたような表情で言った。
「いつかまた会えるとは思っていたが、まさかこういう形で再会するとは思わなかったぞ」
 苦笑混じりに差し出された手を握って、セリシスは汗と埃だらけの顔で微笑んだ。
「私もです、フィアン様」

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