鏡音リン小説 − 『 リンのうた 』 − ボーカロイド二次創作


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 ヒールとサンダルに占拠された狭い玄関に、脱いだスニーカーを揃えて並べる。傘立ての傘は水玉模様。いまいち趣味が掴めない。
 燃えないゴミのゴミ袋を避けて奥に進む。左手がお風呂とトイレと洗面台。右は台所だけど、料理をした形跡はあまりない。
 散乱した雑誌や郵便物を押し退けて横開きのドアを開けると、スゥっと涼しい冷気が零れてきた。
「冷房、弱めだけど、外から来たなら涼しいでしょ? 今年は節電ブームだから、流行に敏感なあたしも目下節電中。我慢しなさいね」
 内心の読めない声でそう言って、ノヒラさんは掛け布団の畳まれていないベッドに腰掛けた。枕元には髪の毛が数本。それに、仰向けに倒れた目覚まし時計。
 部屋には小さなテーブルがあって、使い方のよくわからないメイク用品がその上に散らばっている。他にもCDやらクッションやら服やらが、テーブルや床に散乱していた。
 どこに座ったらいいかも困る状況に呆れて、思わず溜め息をついた。
「流行に敏感な人が、その真っ青なTシャツはないと思います」
 ノヒラさんの眉がピクリと動く。
「今、ケンカ売った? 売ったでしょう」
「ごめんなさい。コミュニケーションのつもりでした」
 咄嗟に謝ったけれど、自分でも余計な一言を付け加えたと思ったから、案の定ノヒラさんも気を悪くした。
「案外いい性格なのね。まあいいわ。とにかく座りなさい」
 あたしは大人だからお子様相手に怒りませんと、皮肉めいた微笑みを浮かべて、ノヒラさんは座れというふうに手を振った。
「わたしも座りたいですけど、どこに座ればいいですか?」
「どこでもいいじゃない、そんなの。適当にどかせばいいでしょ」
 早口にノヒラさん。眉間に皺を寄せて睨まれて、わたしは思わず身をすくめた。
 今のはさすがに自分が悪い。怒られてもしょうがない。
「ごめんなさい」
 雑誌を数冊横にどけて、膝を抱えて座る。怒られたショックで涙が出そうだったから、それを隠すように膝に顔をつけて項垂れた。
 ケンカをするつもりなんてない。できれば仲良くしたい。ただ、初めての女性の依頼主を相手にどうしたらいいのかわからない上、好意的じゃない出迎えに頭が混乱していた。
 ボーカロイドは、ルカさんとミク姉さん、それに自分とレンの4人いる。依頼主はそれぞれの個性を吟味した上で、自分の目的に合ったボーカロイドを一人選んで、具体的な額は知らないけれど、とってもたくさんのお金を払って、ひと月の間わたしたちを雇う。
 一人につききっかりひと月。一生に一度だけ。
 だから、どの人も必ずわたしたちにしてほしい何か、つまり「目的」があって、期間も短いからみっちりプランを練ってくる人が多い。目的は様々だけれど、自分に対して好意的であるという点においては、全員が一致していた。
 ところがこの人は違う。たくさんお金を払ったはずなのに、まったくわたしに興味がなさそうだ。
「部屋、掃除しましょうか?」
 沈黙に堪えられず、顔を合わせないようにそう聞いた。
 友達を呼ぶ時だって普通は掃除くらいするのに、この散らかり様は、ひとまず掃除をさせたいんじゃないか。そう思って言ったのに、ノヒラさんはそっけなかった。
「来た早々、掃除したくなるくらい、部屋が汚いって?」
「どう見ても散らかってるじゃないですか」
 思わず感情的になる。またケンカになりそうなところを、ノヒラさんが溜め息一つで食い止めた。
「はぁ……。まあいいわ。じゃあ、掃除して」
 明らかに助けられたのに、妙に悔しい。そして、そんな子供じみた感情に自分で驚きながら、のらりと立ち上がって掃除を始めた。
 小物は棚へ。衣類は畳む。ゴミはゴミ箱へ。埃にはブラシ。そして掃除機とコロコロ。
 無言でてきぱき片付けていると、ずっとベッドに座っていたノヒラさんがやにわに口を開いた。
「あんたさあ、プロフィールだと14とかになってたじゃん。住み込みで働いて大丈夫なの? その、児童なんとか法とか、青少年のなんとかとか」
 手を止めて見ると、ノヒラさんは幾分和らいだ表情でわたしを見ていた。
 ただの世間話なのか、社交辞令なのか、それとも仲良くなりたいのか、不信感か、見当もつかない。そういう時はきっと、自分の都合のいいように解釈するのが一番いい。
「心配してくれてるんですか? 大丈夫です、ありがとう。わたしはボーカロイドだから」
「残念だけど、あんたの心配をしてるんじゃなくて、あんたを働かせて、あたしが捕まらないか心配してるの。ボーカロイドって、グループ名みたいなもんで、結局は人間でしょ?」
 本心か照れ隠しなのかもわからない。女性はおおむね何を考えてるのかわかりにくいと思う。ミク姉さんは超単純だけど。
「ボーカロイドはボーカロイドです。14歳っていうのも『設定』でしかないから、不安なら18歳ってことにしてもいいですよ?」
 真面目にそう言ったのに、ノヒラさんはつまらなそうに笑い飛ばした。
「じゃああんたは、去年も一昨年も5年前も10年前も14歳だったの? そのままの姿で?」
 バカにされてまたムッとなる。
「生まれたのが3年前の7月だから、それより前はともかく、この3年間、『設定』はずっと14歳です」
 強めの口調でそう言うと、ノヒラさんは困ったような、怒ったような、可哀想なものを見るような目でわたしを見た。きっと、「少し頭の弱い子なのかもしれない」とか思ってるに違いない。
 別に構わない。過去にもそういう人はいた。でも、最終的にはわたしが人間とかボーカロイドとか、そんなことはどうでもいいっていう結論に至る。だって、一緒にいる時間、いられる時間はたったのひと月しかないのだから。
 再び沈黙が下りる。レースのカーテンの向こうにはまだ綺麗な青空が広がっていたけれど、心は雨雲に覆われ始めていた。