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夕焼けが赤い。 遠くに、ちょっぴり都会の2つ並んだ大きなビルが見える。そこから延びてくる高架の線路。電車の音。 ここからでは見えないけれど、向かいのアパートの反対側の公園から、子供たちの声が聞こえてくる。 そこから帰ってくる親子。自転車に乗った男の子が3人。ベビーカーとお母さん。 田舎でも都会でもない町並み。頭の中にメロディーが溢れてくる。歌になりそうな時間。 顔だけで振り返ると、ノヒラさんは一段とだらけた様子でテレビを見ている。いや、テレビはかかっているだけで、心ここにあらずという感じ。 もう2時間以上、一言も喋っていない。この人がわたしに求めているものもわからないまま。 こんなぼんやりした時間を、この人が望んでいるなら別にいい。でも、たくさんお金をもらっているのに、何事もなく過ごしては申し訳ないと思う。 ノヒラさんが何も喋らない原因は、ひょっとしたらわたしにあるかもしれない。わたしが思ったような子と違って、ショックを受けているのかもしれない。 もしそうなら、わたしはノヒラさんの望みに合わせなくてはいけない。それがボーカロイドの責務であり、願望であり、喜びなのだから。 「ウクレレ……」 「ん……?」 「掃除の時に押し入れから出てきたんですけど、弾いてもいいですか?」 ハードケースに入ったウクレレが1つ。埃をかぶって置かれているのを、さっき見つけた。 「別にいいよ。日が沈む前なら音を出してもいい不文律。でも、長いこと誰も触ってないから、弦が錆びてるかも」 ノヒラさんがテレビから目を離さずに答える。わたしは首を傾げた。 「ウクレレ、ノヒラさんのじゃないんですか?」 「……どうして? あたしのだからって、長いこと弾いてなくてもおかしくないでしょ?」 「そうですね、ごめんなさい」 それ以上追求せずに切り上げた。でも、「そう」とも「違う」とも言わなかったことで、ウクレレがノヒラさんのじゃないことを確信した。 押し入れからケースを取り出して中を開ける。弦は黒のナイロン弦。錆びるわけがない。切れていなければ音は出る。 親指でポロロロンと弾く。チューニングはぐちゃぐちゃ。絶対音感で4弦をGに合わせる。 「あんた、ウクレレ弾けるの?」 ノヒラさんがちらっとこっちを見た。内心してやったりと思ったけれど、それは表に出さずに小さく頷いた。 「まあ、ちょっとは」 もちろん謙遜。弦楽器なら大抵のものは人並み以上に弾ける。 G、C、E、A。ウクレレは正確なチューニングが難しい楽器だけれど、わたしたちには造作もない。ルカさんならきっと10秒で完璧にやってのける。 「即興と、知ってる曲と、どっちがいいですか?」 「どっちでも。別にあたしが頼んだわけじゃないし」 退屈そうにノヒラさん。見てろよ、と闘志が湧いてきた。 はっきり言う。わたしは歌が上手い。これだけは自慢させてほしい。だって、そのためにわたしたちはいるんだから。 プロの歌手と素人と、聴いただけで明らかに声質の違いがわかるように、わたしの歌もはっきりと素人のそれじゃない。 数少ない、わたしが優越感に浸れる瞬間。今まで多くの依頼主が、わたしが歌が上手いと知っていてなお驚きを隠せなかった歌唱力で、絶対にノヒラさんを振り向かせる。 GからG6、そしてGmaj7。ただ明るくて派手な曲とか、いかにもウクレレの曲なんて弾いてあげない。スローテンポのしっとりしたバラード。この一曲で絶対にこの人を虜にしてやる。 ブランコの影の消える頃 蝉も家に帰ったように 静まり返る公園 ベンチの二人もいつの間に ただ独りの四角い世界 残照 私だけの空 思い出には戻れない わかってる なつかしむ 振り返る 一歩も動けない 進めない なずむ夢 消えた声 手を引かれて嬉しそうに 背けるように振り仰いだ 優しい星の夜 さっき見た風景に色を加えて、即興で一曲歌ってみた。自信満々、どうだと得意気に見ると、ノヒラさんはさっきと同じ体勢のまま、退屈そうにテレビを見ていた。 ……あれ? ノヒラさんが呆然とするわたしを見て、けだるそうに言った。 「終わり? 満足した?」 「う、ううん、まだ!」 内心の動揺を押し隠して、次はアップテンポの曲を一曲、それからよく耳にする童謡を歌った。けれど、ノヒラさんはまったく感動することなく、興味もなさそうに、かと言って迷惑そうでもなく、ただ淡々と聴いてから言った。 「上手だね。最初の曲、歌詞も中学生の考える詩じゃないね。さすが設定14歳」 取って付けたような賛辞。全然嬉しくなかった。むしろ悲しくなった。 「ノヒラさんは、上手な歌、聴き慣れてるんですか?」 しょんぼりと、負け惜しみのように聞いてみる。ノヒラさんが少し驚いたようにわたしを見て、それからバカにするように笑った。 「なにそれ。自分の歌すごく上手なのに、全然感動してくれなくてむかつくってこと? すごい自惚れね」 カァっと顔が熱くなった。恥ずかしくて、口を開けても言葉が出なくて、涙が溢れてきた。 「そ、そんな言い方しなくても、いいじゃないですか……っ……」 元気で明るいリンちゃんは、こんなことで泣いちゃダメ。そう思っても涙が止まらなくて、いよいよ顔を覆って泣いていると、ノヒラさんが困ったように言った。 「泣くなよ。今のはあたしが悪かった」 咽びながら、無言で頷いた。 ノヒラさんを怒ってはいない。依頼主のことを憎んだりとか、そういうことはしない。 ただ、たった一つの自尊心が簡単に壊されて、自分を見失いそうだった。 歌だけは誉めてほしかった。 困惑するノヒラさんの前で、卑怯だと思いながらも、わたしはずっと泣き続けていた。 |