鏡音リン小説 − 『 リンのうた 』 − ボーカロイド二次創作


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 歌はわたしたちにとって、好きとか、仕事とか、そういう次元のものではなくて、食事のような、生きるのに不可欠なもので、魂を形にしたもので、もちろん生き甲斐でもあり、安らぎでもあり、喜びでもある、そんな存在。
 ちょっぴり都会の、駅ビルの建ち並ぶアーケード。会社帰りの人、大学生くらいの若い人、部活か遊んだ帰りの制服の人たちが無秩序に流れていく。
「えっと、リン。悪いがだいぶ震えている」
 後ろからケイイチさんの情けない声がして、わたしは睨むように振り返った。
 背はわたしより随分高いけれど、ひょろっとして頼りない。風貌は地味。髪は中途半端に長い。手にしたエレアコはそれなりのもので、腕も悪くないと思うけれど、ハートは弱い。
 その割には頑固なところがあって、子供みたいに純真なところがあって、まったく憎めないのだけれど。
「いいじゃん。恥をかいたって二人なんだし。最初っから上手くやろうなんて虫が良すぎるって」
「そうだけど……ギターもリンが弾いた方がいいんじゃないか? 俺は、プロデューサーってことで」
「はぁ? こんな時に愉快な冗談だね。歌もギターも上手なわたしが、一人でギター弾いて歌って人集めたって、まったく意味がないじゃん。ほら、最初の音出して。音出せばやるしかないって」
 わざとイライラしたように急かすと、ようやく覚悟を決めたのか、ケイイチさんがギターをかき鳴らす。
 アルペジオもない、ただジャカジャカリズミカルに弾くだけなんだから、間違えないでね。

  光 流れるヘッドライトに 喧噪 すべてを呑み込んで
  Heart くだらない毎日から Jump 飛び出せ 今 Ah!

  闇に怯えた小さな過去 箱から抜け出した 俺たちの
  熱い 熱い 熱い 熱い 夜に 想い 爆ぜて 生きろ Yeah!

  俺たちは辿り着けるだろう 手を伸ばせば届くだろう
  悲しいんじゃない 涙 終わらない夜の ──見えた!

  想いをぶちかませ 貫け 解き放て 叫べ 飛ばせ
  I sing, I do sing a ... スターライト・パラダイス

 なんだろう、この歌詞。歌っている本人が言っちゃダメかもしれないけれど、あんたは一体何が見えたんだと聞きたい。
 でもまあ、こういうノリノリの曲は、歌詞なんてどうでもいいのかもしれない。いい曲は不思議と歌詞まで良く聞こえたりする。
 わたしの歌声に足を止める人たち。どうかこの歌詞をわたしが書いたんだと思わないでほしい。これは後ろでギターを弾いてる、うだつの上がらない男の人が書きました。
 わたしとケイイチさんのファースト路上ライブは、竜頭蛇尾に、初めは良かったけれど、人が増えてくるにつれてケイイチさんが上がってしまって、最後はグダグダになって終わった。
 失笑と苦笑。去っていく人たち。ケイイチさんは泣きそうな顔をしていたけれど、わたしは手応えがあったと思う。
「ほら、帰るよケイイチさん。あと3週間しかないんだから。落ち込んでる暇があったら、帰って次のこと考えよ?」
 持ち前の明るさでそう言うと、ようやくケイイチさんも笑ってくれた。


 わたしたちの活動拠点は楽器OKのウィークリーマンション。楽器OKと言っても、夜中にドラムを叩いていいわけじゃない。ただ、ある程度の音は壁が吸収してくれる。
 交代でシャワーを浴びた後、ほとんど敷きっぱなしの2つ並べた布団に向かい合って座る。
「感想は?」
 わたしが覗き込むように見上げて聞くと、ケイイチさんは今日使った譜面を並べながら言った。
「緊張した。人が集まって来るのは嬉しかったし、聴いてくれるのも嬉しかった。失敗もしたけど、またやりたい」
「そう。じゃあ、明日も行こう。ケイイチさん、テクニックはあるんだから、後は場数をこなすしかないよ。今日はやらなかった『DIVING DRIVING』も明日は挑戦しよう」
 左手の動きの激しい曲をチョイスする。ケイイチさんは怯んだ様子だったけれど、作曲した本人の拒否権なんて無視。
「いいからやるの。あと3週間で、ケイイチさんが作った曲、全部弾くの。来週はわたしがギター弾いてあげるから、ケイイチさんが歌って」
「俺も歌うの? 歌はリンでいいよ」
「わたしがいなくなった後はどうするの? 一人で歌もギターもやりたいんでしょ?」
 ずばずば言う。きつい性格だって思われるのは心外だけど、そういう依頼だからしょうがない。
 ──ひと月の間、夢を見たい。
「今日、リンの背中を見てて思ったんだけど、ボーカルは他の人で、俺はギター弾いてる方が性に合うかも」
 ケイイチさんが柔らかく微笑む。
 消極的な話なら却下しようと思ったけれど、そうでもなさそうだったから憮然として頷いた。
「まあ、それでもいいよ。これからどうする? 曲作り? 明日のプランを考える? それとももう寝る?」
 とうに日付が変わっている。わたしは眠かった。子供の起きている時間じゃない。
 でも、ケイイチさんはたったひと月しかない短い時間で、わたしから少しでも多くのことを学ぼうとしている。だから、わたしもそれに応えたい。
 案の定、ケイイチさんは首を振った。
「眠そうなところ悪いけど、曲の作り方を教えてほしい。こないだ言ってた代理コードについて、もう少し詳しく聞きたい」
 そんなふうに、ケイイチさんは地味で頼りなく見えて、実に情熱的で、熱くて、真っ直ぐで、そして音楽のためならわたしのことなんてこれっぽっちも心配しない割り切りができる人だ。
 ──払った額に見合うだけのことをしてほしい。俺は君に遠慮しないから、君も遠慮せず何でも言ってほしい。
「いいよ。トニックとドミナント、サブドミナントはもう大丈夫? このサブドミナントIVに対して、代理コードはIIm7。キーがCならFに対してDm7。これは構成音が……」
 そんな音楽漬けの日々。
 どんなひと月になるかは、蓋を開けてみるまでわからない。もちろん、思い出したくないようなひと月だってある。
 でも、だから余計に楽しい思い出が輝くんだ。