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この街の繁華街は、ちょっぴり都会の中心駅から地下鉄で2駅離れたところにある。 北の方にデパートが立ち並び、南に行くにつれて若者向けの店や遊び場が増えていく。 その南北に伸びる繁華街の中央に、セントラル・シティーと呼ばれる、2キロくらい続く長い公園がある。最北端に今や役目を終えたテレビ塔があって、そこから南に、ステージ、イベント広場、緑と憩いのスペース、バスターミナルとベンチ、オブジェの並ぶ回廊、地下街と直結する大きな階段、遊具のある公園、花壇と散歩道などなど、テーマ性のある数多くの空間がひしめき合っている。 そんなセントラル・シティーの中の、よくライブやパフォーマンスが行われる一角に、わたしはミク姉さんと二人でやってきた。 「天気、晴れてよかったね」 幾分緊張しているわたしとは対照的に、ほんわりした調子でミク姉さんが空を見上げる。他人事だからではなく、絶対の自信から来る余裕。 わたしも隣で空を仰いだ。台風一過の快晴。日の光を遮るものは何もなく、真夏に逆戻りしたような暑さだ。 ──今の依頼の最後の日に、依頼主のためにライブをしたいから、ミク姉さんも手伝って。 1週間前、わたしはノヒラさんから許しをもらって家に帰り、ミク姉さんにそうお願いした。 明らかに「依頼主のことは仲間にも話さない」という掟を破る頼みだから、断られるか、嫌な顔をされるか、怒られるか、追求されるか、前向きなわたしでも悪い想像しかしていなかった。でも、そんな心配を吹き飛ばすように、ミク姉さんは楽しそうに笑っただけだった。 「いいよ。ライブとか、久しぶりだね」 あまりにも心地の良い承諾に、わたしは逆に不安になって尋ねた。 「でも、わたしの依頼主とか、知ることになるよ? ミク姉さんが決めた規則を破っちゃうよ?」 せっかくミク姉さんが大人の対応をしてくれたのに、みっともなかったと思う。それでも、今後も一緒に暮らしていくミク姉さんとは、この点は暗黙の了解にはせず、はっきり意見を聞いた方がいいと思った。 ミク姉さんは優しい眼差しで、そっとわたしの手を取った。 「何か事情があるんでしょ? リンのことだから、必要以上に考えて、悩んで、天秤にかけて、それでもこれがベストだって思ったのなら、私は喜んで協力するよ。事情は聞かない。私はただリンと楽しくライブをする。それでいい?」 やっぱりミク姉さんは優しい。わたしは嬉しくて込み上げてきた涙を拭って、元気に頷いた。 「うん。ありがとう!」 ライブはミク姉さんと二人だけでやることにした。レンは仕事中だったし、ルカさんは暇そうにしていたけれど、わたしの目的はミク姉さん一人いれば十分達成できることだったから、今回は声をかけなかった。 ミク姉さんはドレッドノートのエレアコをアンプに繋いでいる。格好は曲に合うように、少しパンクっぽいヤンチャな男装。ポケットのたくさん付いた黒のスラックスに髑髏のベルト、腰には太いチェーン。プリントシャツの首元には赤のチョーカー。 わたしも同じ服を着ているけれど、背が低いからあんまりカッコよくない。 わたしはエレアコではなく、普通のエレキを持っている。メインボーカルはミク姉さん。 ケイイチさんはたぶんわたしの歌をたくさん聴きたいと思うけど、今日はギターに集中したかったし、ケイイチさんの喜びはわたしの目的じゃない。 今のわたしの依頼主は、あくまでノヒラさんなのだ。 ミク姉さんとああだこうだ言いながら音出しをしていると、ケイイチさんがやってきた。すぐ近くまで来てから、ミク姉さんを見て驚いた顔をする。 「やあ、リン。そちらは……ミクさんだっけ?」 一瞬、どうして知っているのか不思議に思ったけれど、そういえばケイイチさんはわたしに依頼をする時に、ボーカロイドのみんなのことを調べている。その上でわたしを選んだと言っていた。 「初めまして、初音ミクです。今日演奏するのはあなたの曲だってリンから聞いてます。精一杯歌いますから、楽しみにしていてください」 ミク姉さんが丁寧に挨拶する。ケイイチさんが慌てて姿勢を正した。 「いえ、こちらこそ。リンと違って礼儀正しいんですね」 「リンはいい子ですよ?」 ミク姉さんが可笑しそうに笑う。今日はいつもよりお姉さんぶっている。本当はもう少し子供っぽい。 「それは、そう思います。生意気ですけど」 ケイイチさんの軽口を、わたしは涼しい顔でスルーした。見え見えの挑発に応じて、ミク姉さんの前でケンカするほどバカじゃない。 わたしが乗ってこないのを見て、ケイイチさんは一度周囲を見回した。 今いるスペースは大きな歩道に面していることもあって、買い物客やらデートのカップルやら遊びに来た若者たちやら多くの人で賑わっている。わたしはどれくらいの人が集まるだろうと、ワクワクしながら眺めていたけれど、ケイイチさんは不安そうな顔をした。 「人、集まるといいけど……。リンがすごいのは認めるけど、知り合いも誰もいないし、大丈夫かなぁ」 「そうだね。聴いてくれる人がいるといいね」 ケイイチさんに見られないように顔を伏せて、込み上げてくる笑いを必死に堪えながら言った。 隣にいるのを誰だと思ってるんだ、と言いたいのを抑え込む。自分のことのように自慢したいわたしの先輩のすごさを、今は秘密にしておく。 その方がいい。衝撃が大きければ大きいほど、ノヒラさんの願いが成就する可能性が高くなる。 「こんなもんかな」 まったく緊張感のない声でそう呟いて、ミク姉さんが立ち上がった。そして淀みのないアルペジオで伴奏を奏でながら、スタンドに立てたマイクに「うーみーはーひろいーなー」と声を出す。 ひどく適当。ミク姉さんも薄々今日の趣旨がわかっているらしい。能力の片鱗すら見せないようにしている。 でも、わかる人にはわかるようで、何人かが足を止めて、さらにその内の何人かが歌を聴くために近付いてきた。 ミク姉さんと、それからまあ少しはわたしも、容姿がとても可愛いのもあると思う。けれどそれ以上に、インストとして聴いているだけで心の落ち着くギターの旋律と、隠しようもない透き通る声。美しいビブラート。 わたしもギターを肩から提げて、ミク姉さんの超適当な『うみ』に音を入れる。マイクテストのために歌も歌うと、だんだん壮大な『うみ』になってきた。 3番まで歌って演奏を終えると、周囲からパラパラ拍手が起こった。10人くらいいる。童謡を期待していそうな壮年以上の人たちはいなくなってしまうかもしれないけれど、半分くらいは最後までいそうな顔触れ。 「えーと、あんな海か池かもわからない『うみ』に拍手ありがとう。初めまして、初音ミクと、」 「鏡音リンです」 「今日は歌詞がへんてこな、うるさい曲とか、速い曲とか、ゆっくりな曲とか、暗い曲とか、ノリノリの曲とか演奏するから、暇な人はもちろん、暇じゃない人も予定をキャンセルして聴いていってね」 ミク姉さんが天然系よろしくえへへっと笑うと、またパラパラと拍手。わたしにはないズルい可愛さだと思う。 でも、ミク姉さんのすごさはそんなことじゃない。 未だにハラハラした様子のケイイチさんを見てくすっと笑う。 はっきり言おう。これまでさんざん歌が上手いって自慢してきたわたしだけれど、ボーカロイド4人の中では一番下。経験不足か性格が淡白なせいか、歌に表情がないってルカさんによく指摘される。レンも同じ。 そのルカさんは逆に可愛らしい曲とか明るいだけのポップスに苦手意識を持っている。 そのすべてを網羅して、表情豊かに、熱いロックも、泣かせるバラードも、笑いを取る変な曲から、子供たちの喜ぶ人気のアニソンまで、なんでもこなしてしまうのがわたしたちのミク姉さん。 素人とプロが絶対的に歌唱力が違うのと同じくらいの幅の広さで、プロの中にも格がある。その圧倒的な格の違いを、ケイイチさんに味わってもらおう。 「1曲目、『DIVING DRIVING』。みんなで海に行こう! 1、2、3、4、1、2──」 |