■ Novels


セリシス・ユークラット
昔、どうしてもサンタさんが書きたくて書いただけの小説。エロ中心の即売会用にしたため、内容は少々凄惨なのでご注意ください。
※主人公のセリシスは、この後、『リアス、雨中の争乱』、『再び巡るその日に向かって』を経て、『ウィサン、悪夢の日』でシティアとユウィルの物語にリンクします。

 広大なルヴェルファスト大陸の北東部、善王ハルデスクの治めるデックヴォルト王国の南方に、リアスという街がある。
 七家の貴族階級の者が統治する街で、周囲は円形の街壁に囲まれている。昔、まだ魔族が南の大平原に跳梁跋扈していた頃から存在する街で、街壁には魔法対策として、至る所に凝力石が埋め込まれていたが、現在では魔族の退廃と魔法使いの減少に伴って、無用の長物と化している。
 街の内部には、中央部に神聖区域と呼ばれる貴族たちの住まいがあり、それを取り囲むようにして、残りの95パーセントを占める平民階級の人々が暮らしていた。リアスにおける規律と法は、七家が評議会を開き、常に公正さを期して決定され、街は貴族と平民が互いに理解し合う形で、平和に治められていた。
 しかしそれは、あくまで街壁の中だけの話である。
 リアスの南部、大平原に面した街壁の外にはスラムが広がっており、貧しい民人が街壁を見上げて生活していた。いつ、どんな経緯によって彼らがここに住むようになったのかは定かでないが、少なくとも、彼らはリアスの市民権を与えられず、街に入ることさえ許されない存在だった。
 リアスの街の規律も法もここには及ばず、スラムの人々は、常に街壁の中での生活を夢見ながら、日々の暮らしを送っていた。
 十二の月、二十の日。
 そんなスラムの一角、荒廃した無人の教会に、数人の子供たちと一人の少女が楽しそうに話をしていた。
 子供たちは、小さい子は7歳くらいから、大きい子で13歳くらいまでで、男の子もいれば女の子もいる。皆一様に、泥と汗に汚れたボロ布を着けていたが、笑顔だけは照りつける陽光に負けないくらい輝いていた。
 一方の少女の方は、歳の頃は16、7。均整のとれた愛らしい顔立ちに、美しい薄い桃色の髪を背中まで伸ばして、汚れてはいたが上質の白いドレスを身につけていた。そしてその汚れも、あからさまに意図的につけたとわかる不自然なもので、スラムの人々には、不器用な街の娘が、スラムに入るためにわざと汚したものだと容易に知れるものだった。
 もっとも、少女の方はまったくそれに気付いていない。例えば、服に限らず、血色の良い肌とか、少しも傷んでいない髪の毛だとか、スラムの住民とは明らかに異質な部分がたくさんあるにも関わらず、自分は完全にスラムの景色と一体化していると信じて疑わなかった。
 少女の名はセリシス。
 スラムにあって、あからさまに一人だけ浮いているこの少女は、もちろん、街壁の中に住む人間だった。

「もうすぐクリスマスだね、お姉ちゃん」
 傷んだ亜麻色の髪を指に絡ませながら一人の少女がそう言うと、セリシスはにっこり笑って頷いた。
「そうね、メル」
 そっと頭をなでると、メルは嬉しそうに顔を綻ばせた。
 クリスマスというのは、大陸全土に広まっているものではなく、リアスにのみ存在する日である。
 十二の月、二十五の日。この日リアスでは、街の創設者サラス・デニフィムの降誕祭が行われる。人々はこれをクリスマスと呼んで、毎年盛大に祝っていた。
 それは、“リアスの陰”と呼ばれるスラム街でもまた例外ではなく、日頃慎ましい生活を送っているスラムの住民たちも皆、この日ばかりは着飾り、豪華な食事を摂って、華やかに街を彩った。
 もちろんそれは、街の中のものと比べれば貧相なものに違いなかったが、街に入ったことのないスラムの人たちにとっては、本当に年に一度だけの、平穏で贅沢のできる日であった。
 今年もまた、クリスマスが近付くにつれて、スラムではその準備がすすめられ、街も活気付き始めていた。けれど、目の前の子供たちが楽しみにしているのは、それだけではなかった。
 セリシスがメルの頭をなでていると、今度は横から、元気な男の子の声で話しかけられた。ウェルスという少年である。
「なあ、セリシス。今年もまた、来てくれるんだろ?」
 ウェルスの言葉に、他の子供たちが期待に満ちた眼差しをセリシスに向ける。
 セリシスは大きく頷いた。
「もちろんよ、みんな」
 途端に、わーっと歓声が上がる。中には、大袈裟に抱き合って喜ぶ子までいた。
 そんな彼らの様子を、セリシスは楽しそうに見つめていた。
 十二の月、二十四の日。いわゆる、クリスマス・イブと呼ばれるこの日の夜に、セリシスは毎年子供たちにプレゼントを贈っている。今年でもう四回目だ。
 そもそも街の美しいこの娘が、こんなスラムの貧相な子供たちに人気があるのも、三年前に彼らにプレゼントを贈ったことにあった。
 その日は雨が降っていた。
 たまたま街の外にいたセリシスは、街への道の途中で一人の少年に出会った。
 少年は薄汚れた服を着て、トボトボと暗い顔をしたまま、雨の中を傘もささずに歩いていた。彼がスラムの者であることは一目でわかった。
 スラムの者に近付いてはいけない。
 セリシスは両親から固くそう言われていたが、どうしても放っておけずに彼に近付いた。
「これ、使って」
 そう言いながら、彼女が差し出したものは、一枚の大きな布だった。もちろん、ただの布ではない。わずかとはいえ、魔力のかかった完全耐水性のものだった。
 少年は目を見開き、それから慌ててそれをセリシスに突き返した。
「こ、こんなもの、もらえない」
 セリシスは彼のその対応に、ひどく驚いた。スラムの者は、平気で人からものを奪うヤツらだと聞かされていたから、まさか突き返してくるとは思わなかったのだ。
 セリシスは柔らかく微笑んで、そっとその布を少年の頭から肩にかけてかぶせてあげた。
「いいから。高いものじゃないから」
 その言葉に少年は一瞬鋭い瞳をしたが、すぐに元の顔に戻った。セリシスが失言に気が付いたのは、その日が終わった後のことだった。
「じゃあ、家まで借りるよ。良かったらついてきて」
 少年はそう言うと、スラムの方へと歩き出した。
 セリシスは初め、どうしたものか迷ったけれど、興味があったし、それにあまり遠慮するのも悪いと思って、ついていくことにした。
 スラムに入った彼らを出迎えたのは、彼の友人たちだった。
「おい、ヒューミスが街の女をつれてきたぞ!」
 誰かがそう言うや否や、わらわらと汚い子供たちが集まってきて、セリシスは思わずひるんでしまったことをよく覚えている。
 彼らはヒューミスと呼ばれたその少年が、彼らには手に入るはずがない高級な布を持っていることに気が付いて、口々に言った。
「僕にも何かちょうだい」
「私にも!」
 ヒューミスは困ったような顔をしていたが、何も言わなかった。
 セリシスは、元々その布は彼にあげるつもりだったし、自分の今持っているものは、それほど自分にとって大切なものではなかったから、もしもそれで子供たちが喜んでくれるならと思って、あげられるだけあげようと考えた。
 指輪から、髪飾り、傘、ハンカチ、それから、お金。
 結局、服と靴以外のすべてのものを彼らにあげてしまったけれど、彼らが嬉しそうな顔をしてくれたから、彼女はそれで満足だった。
 その日が、たまたまクリスマス・イブだったのだ。
 その日から彼女は、時々スラムを訪れては、彼らに何かあげるようになった。
 初めの内は、彼らはセリシス本人よりも、何かもらえることに期待を寄せていたが、最近ではそうでもないらしく、セリシスが何も持ってこなくても、こうして一緒になって雑談をかわすようになった。
 そんな今日までの月日を思い返して、セリシスは顔を綻ばせた。
「ねぇ」
 ふと呼びかけると、先程まで去年のクリスマスのことで盛り上がっていた子供たちが、ピタリと話をやめて彼女を見た。
「何? セリシス」
 答えたのは、あの日の少年だった。当時まだ8歳だった彼も、随分たくましくなっていた。
 セリシスはそんなヒューミスの顔をじっと見つめたまま、小さく口を開いた。
「今年はみんな、何が欲しい? どんなことがしたい?」
 毎年聞いている質問だった。
 スラムの子供たちの夢は、セリシスには到底叶えられないものばかりだったが、もしも出来ることがあればしてあげたいと思って、彼女は毎年こうして彼らの希望を聞くことにしていた。
 子供たちは一度「う〜ん」と唸ってから、口々に言った。
「俺、おいしいものを腹一杯食いたい」
「あたし、街が見てみたい」
「海が見たい」
「お姉ちゃんのお家に遊びに行きたい」
 彼らの笑顔を見ながら、やっぱり難しいなと、セリシスは苦笑した。
 毎年同じことを繰り返しているが、彼らの一番の希望は、やはり街に入ることだった。
 けれど、セリシスにはそれを叶えてあげることはできない。街に入るには、市民権か、或いは通行証が必要だったが、彼らには市民権は与えられておらず、また、通行証を手に入れることも不可能だった。通行証は、何かのギルドに属し、街に入る正当な理由のある者にしか発行されないからだ。
 自分は街を自由に行き来できる。ただ生まれた場所が違うだけで、これだけの明暗が分かれるのだと思うと、心苦しかった。
 彼女がそんなことを考えている間にも、子供たちは楽しそうに無理難題を言い合っていた。
「俺、南の国の城が見てみたい。メイゼリスだっけ? すごい大きいって聞くぞ」
「じゃあ、俺は北の国がいい。ヴェルクの魔法研究所ってのが見てみたいな」
「あっ、じゃあじゃあ、私は雪が見てみたい!」
「……えっ……?」
 ふと、小さな女の子が「雪」と言ったのを聞いて、セリシスを初め、みんなの声がやんだ。
「雪……?」
 セリシスが呟くと、子供たちが思い出したように声をあげた。
「そうだ。俺も雪を見てみたい」
「うん。僕も一度も見たことがないよ」
「そっか……」
 セリシスは呟いた。
「みんな、雪を見たことがないのね」
「えっ? お姉ちゃん、あるの?」
 逆にそう尋ねられて、セリシスは困ったように頷いた。
「うん。みんなくらいの時にセイラス……ここからずっと北に行ったところにある街なんだけど、そこに行ったことがあってね。すごかったわ。一面真っ白で、太陽の光をキラキラと反射してるの」
「へえ」
 子供たちは、まだ見ぬ雪の幻想に駆られて、うっとりとセリシスの話を聞いていた。そして、セリシスが話し終えると、
「ねえセリシス。僕、やっぱり雪が見たい」
 ヒューミスが楽しそうにそう言って、それからみんなが口々に「雪、雪」とセリシスに訴えかけた。
 セリシスは困ってしまった。
 温暖なリアスでは、雪など滅多に降らない。現に話では、ここ10年ほど降ってないらしい。彼女自身、この街で雪を見た記憶がなかった。
 しかし、子供たちも恐らくそれをわかっていて言っているのだろうから、ここで「無理だ」とはっきり言葉にするのも可哀想かと思い、セリシスは曖昧に微笑んだ。
「じゃあ、そう女神様に祈ろうね」
 そう言って、彼女は後ろを振り返った。子供たちもつられて彼女の背後を見上げる。
 そこには、女神フリューシアの銅像が、慈愛に満ちた瞳で彼らを見下ろしていた。
「それじゃあ、また準備して、イブの夜にここに来るね」
 そう言って、セリシスは立ち上がった。
「うん。またね、セリシス」
 嬉しそうにはしゃぐ子供たちに背を向けて、セリシスは教会を出た。
 冬の短い日はとうに暮れ、空には星が瞬いていた。

 そんな星空の下、光の届かないスラムの暗がりに、幾人かの人影があった。
 その人影は、セリシスが去った後なお、教会で話を続けている子供たちをじっと見つめていた。
「イブの夜……?」
 ぼそりと、冬の冷たい空気に溶けたのは、太くて低い男の声だった。その声に反応するように、無言で頷く気配がした。
 それから二言三言、彼らは各々、会話とも呼べないような呟きを洩らして、再び黙り込んだ。
 どれだけ凍えるような風が吹き抜けようが、彼らはびくともせずに、ただじっとそこに佇んでいた。
 やがて、子供たちがセリシスの話をしながら、家に帰るべく、楽しそうに教会からスラムの中心部へと歩き始めた。
 それを見計らったように、彼らは互いに頷き合うと、同じようにその場を離れた。
 後には物寂しい沈黙が、誰もいなくなった教会に重くのしかかっていた。

 セリシスは特別な通行証を見せ、通用門から街に入った。
 リアスでは日の入りとともに門を閉めるのだが、一部の人間だけはいかなる時間にでも街に出入りすることができた。
 すっかり暗くなり、静まり返った街の中を、彼女は少し早足で歩いていた。
 別に闇が怖いということはなかったけれど、これ以上遅く帰るわけにもいかない。そうでなくても、もう十分遅すぎる。
 彼女は白い息を吐きながら、大通りを真っ直ぐ歩き、そのまま神聖区域に足を踏み入れた。
 普通、一般市民がここに足を踏み入れることはまずなかった。彼女とて何も、特別な用があったわけではない。
 彼女がこんな夜も遅い時間に神聖区域に入ったのは、単にそこに彼女の家があるからだった。
 神聖区域のほぼ中央に位置する、この界隈でも一、二を争う大きな屋敷の前で立ち止まると、彼女は数回辺りを見回してからその屋敷の庭に飛び込んだ。
 そしてそこで、隠れるようにして取り出したものは、金糸の混じったシルクのドレスだった。彼女は先程まで来ていた薄汚れたドレスを脱ぐと、代わりにそれを身に付けた。
 汚れを落とせるだけ落とし、髪を整えた彼女は、淑女然とした気品に満ちあふれていた。今の彼女を見て、一体誰がつい先程まで、スラムの子供たちと交じってはしゃいでいたと信じようか。
 セリシス・ユークラット。
 彼女はリアス七貴族、ユークラット家の末娘であり、れっきとした貴族の娘だった。
「ただいま帰りました」
 ドアを押し開け、玄関で大きな声でそう言うと、彼女は誰かに遅く帰った理由を追求される前に自分の部屋に戻った。
 案の定、館の召使いたちが足早にやってきたが、彼女はそれを適当にあしらってドアを閉めた。そしてそのままベッドまで歩くと、柔らかい布団の上に身体をあずける。
「はぁ……」
 大きくため息を吐くと、一日の疲れがどっと押し寄せてきた。
 セリシスはその倦怠感に身を委ねながら、枕を胸に抱きしめて、視線を床に落とした。
 散らかった部屋の中央に、大きな白い布の袋が置かれていた。
 それは一見するとどこにでもありそうな粗末な袋に見えたが、彼女が遥か南、独自の魔法大系を持つ大国イェルツから取り寄せた魔法の袋だった。ある一定量以上の重量を無視できるという、高価な品物である。
 その袋の中に、今年スラムの子供たちに配る予定でいるプレゼントが詰まっていた。もちろん、海や雪が入っているはずもなく、中身はそのほとんどが衣料品や生活雑貨だった。
 おおよそ毎年そのようなものを送り、そしてそういった生活に密着したものほど喜ばれることを、彼女は過去の経験から知っていた。
 セリシスはちらりとその袋に目を遣ると、明るくはしゃぐ子供たちの笑顔を思い出して顔を綻ばせた。
「みんな、喜んでくれるかしら……」
 目を閉じると、猛烈な眠さが襲いかかってきた。
 彼女は枕を抱きしめたまま、それに抗うことなく眠りに落ちた。
 笑顔のまま、数日後の楽しい一時を思いつつ……。
 その晩は、何かとても幸せな夢を見た。

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