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小さな魔法使い
魔法使いに憧れる少女ユウィルは13歳。湖の街ウィサンに、最近引っ越してきたばかり。湖には化け物が棲んでおり、ユウィルはひょんなことから、たった一人でこれと戦うことになる。

「す、すげぇ……」
 呆然と呟いた後、
「そうだ。ユウィル!」
 思い出したようにそう言って、デイディは駆け出した。
 残されたタクトが厳しい眼差しをユウィルに向けたまま、
「やはりな……」
 と、ぽつりと一言呟いたが、デイディには聞こえなかった。
 デイディは一心にユウィルまで駆けると、ボロボロになった小さな身体を抱き起こした。
「大丈夫か? ユウィル!」
 何度かユウィルの名を呼ぶと、やがてユウィルがうっすらと目を開けて、小さく微笑んだ。
「うん……。ありがとう、デイディ……」
 それを聞いて、デイディは思わず目頭が熱くなった。
 さんざんいじめて、大切な本まで破り捨てたにも関わらず、まだこの少女は自分に「ありがとう」などと言ってくれる。
「バカ野郎……」
 消え入りそうな声でデイディが言った。
「どうして……どうして言わなかった。どうして魔法が爆発したことを言わなかった。どうして俺が悪いんだって言わなかったんだ……」
「……悪いのはあたしだよ……」
 弱々しくユウィルが言う。
「本当は、心の底でデイディが悪いんだって思ってた。でも、言ってもどうせ殴られるだけだから言わなかった。でも……でもね、タクトさんに会ってわかったの。悪いのはあたしだった……。あたしが未熟だったから。だから今ならはっきり言える。デイディは何も悪くないよ……」
「ユウィル……」
 デイディはそんなユウィルの言葉に、思わず涙を零してしまった。そして、自分でもどうしていいのかわからず、ただユウィルにそれを見られたくないと思い、気が付いたら強く彼女の身体を抱きしめていた。
「ごめん……ごめんな、ユウィル。それから、助けてくれてありがとな。俺、こんなにもユウィルに優しくしてもらって、それに気付かずに、何も出来ずに……。本当にごめんな……」
「ううん。いいよ……。あたし、気にしてない。デイディが許してくれればそれでいいの」
「ユウィル……」
 それからデイディはユウィルの身体を放し、二人で互いに顔を見合った。埃だらけのユウィルの顔と、涙でぐしゃぐしゃになったデイディの顔。
「ふっ……ははは」
「あはは……」
 見つめ合っている内に、何だかおかしくなって、二人は笑い出した。二人の大きな笑い声が、湖の波に溶けて消えた。しばらくそうして笑っていたが、ふとデイディが思い出したように笑うのをやめ、ユウィルに聞いた。
「そう言えばユウィル。お前、左目は、その、大丈夫なのか?」
「えっ?」
 ユウィルは驚いてデイディの顔を見た。一瞬何のことを言っているのかわからなかったが、すぐに気が付いて首を振った。
「うん、大丈夫だよ。そっか、やっぱりミリム気付いてたんだ」
「あ、ああ……」
「大丈夫、心配しないで。ちゃんと見えるから」
「そっか……」
 デイディが安心したように大きく溜め息を吐くと、ふと二人の後ろでザッと砂を踏む音がして、二人は振り返った。
「タクトさん……」
 立っていた人物を見て、意外そうにユウィルが声を上げた。
「ああ、そうだ……」
 そう切り出して、デイディがタクトが先程ユウィルを助けてくれたことを言おうとしたが、タクトの顔を見た途端、口を噤んだ。
 タクトは怒ってはいなかったが、厳しい表情をして立っていた。しかし、子供にはそれだけで堪えるものだ。
「タクトさん……?」
 怖々にユウィルが呟くと、タクトがスッと二人の前に屈んで、じっとユウィルの顔を見つめた。そして、少し怯えたように彼を見つめるユウィルの頬を、いきなり引っ叩いた。
 パンッ!
 短い音がして、ユウィルが驚きに目を見開いた。
「な、何すんだ!? てめぇ!」
 思わず立ち上がり、デイディが食ってかかったが、すぐにユウィルがそれを制した。
「ユウィル……」
「いいの」
 ユウィルは真っ直ぐタクトの顔を見た。タクトは深く目を閉じて、
「魔法研究所では……」
 厳かにそう切り出した。
「出来の悪い者や失敗した者を、厳しくしつけることにしている。それは、魔法というものが、失敗により、人を殺める可能性があるからだ」
 その言葉に、二人は閉口した。二人とも、ミリムのことを思い起こしたのだ。しかし、研究所の者でない者に、研究所のやり方で接するのはどうかとデイディは思った。
 ユウィルもまたデイディと同じことを思ったが、その瞬間、それの意味することを理解して、大きく目を見開いた。タクトは一度深く頷いて、はっきりとユウィルにこう告げた。
「ユウィル。君をわたしの弟子として迎えたい。ただ、あそこは15歳以上でしか入れないから、魔術師見習いという肩書きで来てはみないか?」
「魔術師見習い……」
 ユウィルは信じられないと、感激に打ち震えた。だが、一介の研究員に、そのような勝手が許されるのだろうかと、不安になってタクトに問うた。するとタクトは、
「なに、わたしはあそこの最高責任者だ。誰も何も言いはしないよ」
 そう言って小さく笑った。
「さ、最高責任者?」
 二人の声が重なる。最高責任者。つまり、事実上、彼がこの街の魔術師のトップということになる。
「そ、そんな……で、で、でも、どうしてそんな立派な方が、あ、あたしなんかを……?」
 あたふたしながらユウィルが聞くと、タクトはユウィルの期待していたような優しい言葉ではなく、まさに最高位魔術師にふさわしい威厳を持った声でこう言った。
「それは君が危険だからだ」
「き、危険?」
「そうだ。君はわたしが考えていたよりも遥かに強い魔力を持っている。さっきの化け物もそうだ。情けない話だが、この街には、あの化け物を一撃で倒せるような魔術師はわたしの他にはいない。君はそのわたしよりも遥かに強い魔力を持っている」
「そ、そんな、あたし……」
「いいから聞け。だが、強い魔力を持っているということは、それだけ危険も大きいということだ。現に君はすでに人を一人傷つけている。正直言って、弱い魔法だから爆発も弱いとは限らない。下手をすると、君は彼の妹を殺していたかもしれない」
 その言葉に、デイディがびくりと肩を震わせた。淡々とタクトが続ける。
「だからわたしは、この街の最高位魔術師として、君に魔法のいろはを教える義務がある」
「義務……ですか?」
 ユウィルが悲しそうに言った。話を聞いていて、何か自分が悪者になった気分がした。
 そんなユウィルの心を察したのだろう。タクトはふっと表情を弛めて、それから優しく彼女の頭を撫でた。
「もちろん、それだけじゃないよ、ユウィル。わたしは今、個人的に強い魔術師が欲しい。この街のためにもなるし、わたしの研究もそろそろ大がかりになってきたから、丁度助手が欲しいと思っていたところでもあった。君には頭を下げてでも弟子になって欲しい」
「そ、そんな。頭を下げるなんて……」
 仮にもウィサンの最高位魔術師の彼にそう言われて、ユウィルは慌てて首を振った。そんな彼女を見てタクトが微笑んだ、
「来てくれるかい?」
 ユウィルは大きく頷いた。
「はい! ありがとうございます。すごく嬉しいです。あたし、まだ自分がそんなにすごい魔力を持っているなんて信じられないけど、精一杯頑張ります」
「よしっ。じゃあ、これからよろしく頼む」
 そう言って、二人は固く握手を交わした。ユウィルは、大の大人と握手を交わして、何か気恥ずかしくなった。
 デイディがそんなユウィルに、「良かったな」と笑いかけると、ユウィルは笑顔で頷いた。
「うん。良かった。デイディのおかげだよ」
 何がどう自分のおかげなのかわからなかったが、デイディはユウィルの笑顔を見て、頬を赤らめた。少しだけ、胸が高鳴った。
(そうか……。俺はミリムに妬いてたんだ……)

 風が出てきた。いつの間にか空には分厚い黒い雲が覆っていて、月や星の光を隠していた。
「さあ、二人とも、もう帰りなさい。今に雨が降り出してくる。ここの始末はわたしがしておくから、君たちは帰りなさい」
 タクトに言われて、二人は思い出した。そう言えば、両親に何の連絡もしていない。今頃、きっと心配している。
「わかったよ。行くぞ、ユウィル」
「うん。じゃあ、タクトさん、本当にありがとうございました」
「ああ」
 それから二人は走り出して、ふとユウィルが足を止めた。
「そうだ、タクトさん」
「ん? 何だ?」
「あの、あたしまだ信じられないんですが、朝起きたら夢だった、なんてないですよね?」
 それを聞いて、タクトは声を上げて笑った。
「ははは。大丈夫だよ、ユウィル。明日迎えに行くから、安心して眠りなさい」
「はいっ!」
 元気にそう返事をして、二人は並んで街の方へ走っていった。
 タクトはそれを見届けると、厳しい表情で化け物の死骸を見下ろした。
(まさか、こんなのが出てくるとはな……)
 実は今までにも、彼は同じような化け物を何体か始末していた。あの二人は化け物がこれ一体だと考えているようだが、そうではない。
(しかし、見れば見るほど巨大な化け物だ。こんなのをあの子は一人で倒したのか……)
 ぞっとするような魔力だ。悔しいが、自分にはそれだけの魔力がない。
「鍛えればきっと強くなるに違いない」
 教える立場の者として、胸が高鳴った。ひょっとしたら数年後には、魔術師として、自分と肩を並べるようになるかも知れない。それは悔しいことでもあるが、それ以上に嬉しいことでもあった。
(ハイスよ。ようやくわたしは、お前に代わる良きパートナーを見つけられたようだ)
 パチッとタクトが指を鳴らすと、まだ残っていた化け物の死骸が一斉に燃え出し、しばらくして白と黒の灰になった。
 ぽつりぽつりと雨が降り出した。雨はすぐに本降りになって湖面を激しく打ち付けたが、その時すでにそこにタクトの姿はなかった。
 ただ化け物の灰だけが、雨に溶けて流れて消えた。
 そうして静かにウィサンの夜は更けていった。
Fin
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