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五宝剣物語

1−9

 気が付いて目を覚ますと、地上が遥か眼下にあって、ルシアは思わず叫び声を上げて身を強張らせた。
「気が付いたのか。暴れるなよ」
 淡々とした声が腹のすぐ横辺りから聞こえて、ルシアはすぐに自分の状況を把握した。
 どうやらあの時の魔法使いの女にさらわれて、担がれているらしい。
 すごい力だと場違いなことを考えたが、すぐに思い直った。相手は魔法使いだ。常識で量れないのは今空を飛んでいる時点でわかる。
「途中で気付かれるのは想定外だったんじゃないのか? 隙だらけだぞ」
 精一杯の虚勢を張って皮肉を言ったが、女はまるで動じなかった。
「少しでも下手な動きを見せたら捨てるだけだ」
「入れ物は良かったのか?」
「替わりはいくらでもいると言ったはず。命が惜しかったら大人しくしていることだな」
 いつものルシアなら冷静に判断したであろうが、相手が魔法使いとあっては素直に従うはずがない。
「あたしは魔法使いが大っ嫌いなんだ。お前らの言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ!」
 怒鳴りつけると、女はふっと宙に止まり、ルシアの顔の方を振り向いた。
「そうか。なら死ね」
「えっ……?」
 聞き返そうとした瞬間、ルシアは不意に身体が軽くなるのを感じた。
 女が放り投げたのだ。
「あ……あぁ……」
 何の抵抗もなく、真っ逆さまに落下し始める身体。
 風が轟々と音を立て、眼前に見る見る地面が近付いてくる。
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 ルシアは絶叫した。
 眼球が飛び出すほど大きく見開かれた目から涙が空へ飛んでいく。
 身体は固まってまるで動かない。いや、動いたところでどうなるというのだろう。
(死ぬ……)
 ルシアは意識が急速に遠ざかるのを感じた。
 けれど、彼女は死ななかった。魔法使いが助けたのだ。
「はぁ……はぁ……」
 冷たい大地の上で仰向けになり、ルシアは空を仰いで苦しそうに喘いでいた。
 心臓は張り裂けそうに早く打っている。汗まみれの身体にはまるで力が入らない。
「まだ、死にたいと思うか?」
 ルシアの顔の横に立ち、冷酷な瞳で彼女を見下ろして女が言った。
 ルシアは泣きながら首を横に振った。声が出ない。
「なら従え。大人しくしていろ」
 ルシアは自分の顔を靴で踏みつける女の表情を見た。
 魔法嫌いな少女を従属させることに悦びを感じているような、優越感に浸った顔だ。
 ルシアは血を吐くほど悔しく思ったが、今は素直に頷くしかなかった。
 死にたくない。姉のためにも、生きなくてはいけない。
 女は再びルシアを肩に担ぎ上げて空に舞い上がった。まるで鳥のように、人が歩いたり屈んだりするのと同じように簡単に空を飛んでみせる女に、ルシアは恐怖を覚えた。
「お前は……」
「ティランだ」
 お前と呼ばれるのが嫌だったのか、初めて女は名前を名乗った。
「ティランは……あたしで一体何をしようってんだ?」
 もはや逆らう気力もなく、弱々しい口調でルシアは尋ねた。
 返事は期待してなかったが、意外にもティランはあっさりと答えた。自尊心が強いのかも知れない。
「お前は入れ物にする」
「何の? 何かを復活させるのか?」
「セフィン王女だ」
「セフィン?」
 聞き慣れぬ名前に、ルシアは首を傾げた。王女というくらいだから、王国の姫なのだろう。
「ひょっとして、70年前に滅んだお前たちの国の王女か?」
「別に私たちの国ではないがな。私が生まれる50年も前に滅んだ国だ」
 ということは、ティランは20歳くらいなのだろう。姉より上だとは思っていたが、もっとずっと上だと思っていたので少し驚いた。
「そんな昔の王女なんか、とっくに死んだんだろう。死者は安らかに寝かせておけよ。今さら蘇らせてどうしようってんだ?」
 言葉遣いは乱暴だが、彼女なりに素直に聞いたのがわかったのだろうか。ティランは抽象的ながらも言葉を返してくれた。
「私たちの目的は、あくまで王女を呼び戻すことだ。そこから先は、入れ物であるお前の目を通して見ればいい。良くは知らないが、意識くらいは残るだろう」
 彼女の言葉に、ルシアはぞっとなった。
 意識だけ残って身体だけ支配されるのだろうか。自分の言いたいことも言えず、見たいものも見えず、したいこともできず、言いたくないことを言い、見たくないものを見て、したくないことをする。
 そんな自分をただ見続けるだけで何もできないなど、かつてこれほどの拷問があっただろうか。
(やっぱり死んだ方がいいのかも知れない……)
 ルシアは泣きそうになるのをぐっと堪えた。
 きっと二人が助けに来てくれる。ルシアは二人がティランに殺されてしまった可能性など微塵も考えず、ただ彼らが自分を助けに来てくれることだけを一心に願った。
 リスターの選択が間違うことなど、ただの一度としてないのだ。今回もきっと大丈夫。
(大丈夫、大丈夫……)
 目をつむり、何度も何度もそう自分に言い聞かせていると、ふとティランが口を開いた。
「そういえば言い忘れたが、セフィン王女は別に死んだわけではないぞ?」
「えっ……?」
 70年以上も昔の姫が死んでいないとはどういう意味だろうか。
 もちろん、生きていても不思議ではないのだが、ひょっとしたらすでに老婆になったセフィンを、ルシアを使って若返らせようということだろうか。
 ルシアは聞き返そうと思ったが、次にティランが自嘲気味に吐いた台詞に、思わず言葉をなくしてしまった。
「いくら魔法使いでも、さすがに死者を甦らせることはできない」
「……え?」
 ルシアは耳を疑った。
 確かリスターは死者を蘇らせられると言っていた。
(どういうことなんだ……?)
 すぐに聞き返そうと思ったが、ティランはそれを許さなかった。
「さ、お喋りはこれまでだ。森に着いたぞ」
 見下ろすと、眼下に深緑の森が広がっていた。空はすでに明るい。
 ティランはその森の中へ、ゆっくりと降下し始めた。

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