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五宝剣物語

3−13

 初めに、失われたはずの意識が存在することを意識した。
 深い眠りから覚めたような感覚だ。もちろん、そのときほどしっかりとした意識があるわけではないが、まったく何も考えておらず、あらゆるものを認識していなかった状態から、何かを考えている状態になったという点では似ている。
《これは……何?》
 意識だけの存在だ。自分の姿を知覚することもなく、物が見えるわけでもない。かと言って闇に閉ざされているわけでもない。
 五感のない状態。どこかわからないところに、意識だけが漂っていた。
 かつて一度だけ、こうして自らの知識にない状態を経験したことがあった。王国に肉体を殺され、魂をこの世に縛り付けられたときだ。
 セフィンはどうしようもない恐怖を覚えた。ようやく落ち着いた眠りに就けたというのに、これはどういうことなのだろう。確かに自分は死んだはずだ。
 ひょっとして、王国は何からかの方法でさらにセフィンの意識をこの世の中に縛り付けていたのだろうか。セフィンはそう思った。
《もう嫌……。お願い……私を休ませて……》
 意識はひどく悲しそうに呟いた。もしもセフィンが肉体を所持していれば、恐らく泣きながら叫んでいたはずだ。
 意識は不安定な状態で存在していた。時々ふっと消えては、強く蘇ることもある。
 セフィン自らは消えようという方向へ力を傾けているのだが、放り投げた物体が再び地面に落ちてくるように、何かが意識を引っ張るのだ。
《もうやめてよ!》
 絶叫した瞬間、セフィンの意識の中にまったく別の意識が混入した。
(セフィン……)
 聞き覚えのある声。いや、感じたことのある意識と呼んだ方が良いかも知れない。
《ルシア!?》
 セフィンの声に返ってくる言葉はなかったが、彼女の意識は急速に色を取り戻し始めた。
 ほんのわずかだが、五感の一部が蘇ってくる。ちょうど魂だけの存在になったときのようだ。
 セフィンはほんの一瞬、まるで雲の切れ間に青空を見るように、霧のような白い世界に、ある光景を見出だした。
 赤と黄色の光に包まれた部屋。血だらけで座っている黒髪の少女。見たこともない魔法陣と、その中にあるくすんだ色の骨。『黄宝剣』を握り締めて呪文を詠唱している青年。
《な、何をしているの……?》
 セフィンは知らなかった。この世の中に、人を蘇生させることのできる魔法があることを。
 彼女は魔力には長けていたが、闇の中で生まれ、表に出ることはなくそのまま消えていった魔法などまったく知らなかったのだ。
 彼らが自分を生き返らせようとしているとわかったとき、セフィンはすさまじい嫌悪感に襲われた。
 死者が蘇るなど、考えただけでも吐き気がする。けれど、それを願っているのは自分の愛する、大切な少女だ。
(セフィン……お願いだ……。また、あたしと……一緒に……)
 今にも消えてしまいそうな、途切れ途切れの少女の意識を再び感じ取ったとき、セフィンは嫌悪感を捨て去った。
 ルシアが予想した通り、セフィンは少女がそれを願うならば、叶えたいと思ったのだ。決して自分が蘇りたいと思ったわけではない。たまたま一致しただけだ。
《ルシア、ルシア! 聞こえますか、ルシア!》
 セフィンは叫んだ。
 不意に背後からぞくりとした寒気を覚えて振り返る。そこには何もなかったが、セフィンは感じ取った。
 そこにいるのは一度は死亡したセフィンの意識を、再び闇に還そうとしている死神だ。
《やめてっ! 私はルシアのところへ行くの! 放して!》
 魔力は役に立たない。死神に対抗するのは、よりはっきりとした自己を感じ取ること。生きたいと願うこと。意識の鮮明さ。
(セフィン?)
 初めてセフィンの声がルシアに届いたのか、もはや精気のほとんどを失っていた少女の顔が、ほんのかすかに緩んだ。
 エリシアはすでに死にかけており、ぴくりとも動かない。あと10分ももたないだろう。
《助けないとっ!》
 セフィンは願った。生きることを。生き返り、死にかけている姉妹を助けることを。
 リスターの持つ『黄宝剣』の輝きはすでにほとんど失われている。彼の魔力もそろそろ尽きようとしていたのだ。
《リスターっ!》
 セフィンの体はまだ白骨のままだが、魂だけはすでに戻っていた。けれど、間に合うかはわからない。そもそも、この魔法がどのようにセフィンを生き返らせるか知らないのだ。
 自らの眼下で、ゆっくりとエリシアの身体が傾き、そのまま床に倒れこんだ。ルシアの腹から抜けた指先からはもう、ほとんど血が出ていない。
「エリシアっ!」
 リスターが叫ぶ。ルシアは気付いていないようだった。
(セフィン……セフィン……)
 一心に願い続ける少女の声が聞こえる。けれど、それもエリシアが倒れると同時に急速に薄れていった。
(セフィン……。セ……フィ……ン……)
《ルシアっ!》
 セフィンはキッと背後を振り返った。
《放して! 私はあの二人を助けなくちゃいけないの! 私が行かないと、あの二人は助からない! 放せっ!》
 セフィンは全身の血が熱く滾るのを感じた。見ると部屋の中が光に包まれている。魂からではない、70年ぶりに感じる眼からの視覚。
「セ……フィン……?」
「ルシアっ!」
 何も見えなくなるくらい強い光。
「セフィン……」
 固く目を閉じて、リスターが呻いた。まぶたの向こう側が真っ白に染まる。
「セフィン……」
 もう一度王女の名を呼ぶと、少しずつ向こう側の光が薄れていった。
 そして、光の収束したその場所に、美しい銀髪の娘が立っていた。
「もう、こんな無茶はしないでください」
 70年ぶりに自らの足でこの地に立ったセフィンは、姉妹の間に座ると、右手を姉に、左手を妹に当てた。そして、本当に一瞬で二人の傷を治したのだ。
 エリシアは気を失ったままだったが、ルシアは目を開き、王女の姿を見て身体を震わせた。
「セフィンっ」
 床を蹴るような勢いで抱き付いてきたルシアを、王女は優しく抱きとめた。
「ルシア……」
「セフィン、会いたかった。あたし……本当に、良かった……」
 ボロボロと涙を零しながら、声にならない声を洩らすルシアの髪を撫でながら、セフィンも同じように涙を流していた。
「私も……。こうしてルシアの温もりを感じられる日が来るなんて、思ってもなかった」
「セフィン……」
 一度ギュッと抱きしめてから、セフィンはゆっくりと少女の身体を離し、視線を移した。
 ルシアの血で染まった床の上に、リスターに支えられる格好でエリシアがいて、銀髪の王女を見上げていた。
 セフィンは一度深く頭を下げてから、優しい眼差しで微笑んだ。
「ありがとう、エリシア。あなたがいなければ、私もこうしてここにはいられなかったでしょうし、ルシアも無事ではいられなかったと思います」
「いえ……」
 エリシアは首を横に振っただけで、何も言わなかった。何か言わなければいけないことがある気がしたが、ルシアの笑顔を見ていたらすべてがどうでも良く思えたのだ。
 妹が嬉しそうならばそれでいい。あの日、ユアリを助けたリスターの選択は、やはり間違いではなかった。
 それだけで満足だった。
 セフィンはエリシアの表情を見て一度頷いてから、今度は一転して厳かな眼差しをリスターに向けた。
「言いたいことはわかっている」
「ええ」
 セフィンはそっとリスターの前に立つと、すっと指先をその額に当てた。
「セフィン?」
 ルシアが不安げな声を上げた。あの優しい王女が、自分を助けたリスターに対して、礼を言うより先に厳しい眼差しを向けたのが意外だったのだ。
 セフィンは低く威厳ある声で言った。
「あなたの魔法は、存在してはいけない魔法です。魔法にも、踏み込んではならない一線があるはずです」
 もちろん、リスターはそれを承知していた。だからこそ、敢えて皮肉を言ってみた。
「80年前、お前たちの王国はその踏み込んではならない領域に踏み込みまくった末に、滅んだがな」
 セフィンは何事もなかったように、明るく笑って返した。
「だからこそです。あなたに滅んでもらっては困りますから」
「なるほどな」
 リスターは苦笑した。
「何をするんだ?」
 まだ強張った顔で尋ねたルシアに、セフィンは息を吐いて答えた。
「記憶を消します。ルシアとエリシアも……」
「すごいな。俺はその魔法を知っているが、使うことができない」
 リスターが自虐的に笑う。魔法陣を使わない魔法は、単に魔力が魔法の強弱に繋がるだけでなく、ある基準以上の魔力がなければ使用することができなくなる。
 つまり、年を経るごとに魔法使いの魔力が減少している現状、いつかは人は魔法陣を用いた魔法しか使えなくなることになる。
 もっとも、それはまだ当分先の話であり、王国もそれを待っている余裕はなかったので魔法使い狩りを敢行した。
 セフィンはにっこり笑って言った。
「70年前の時点でも、使えたのは私しかいませんでした。この魔法も、本来は踏み込んではいけない領域にある魔法だと思うのですが……」
「なら、俺たちにかけたら、自分にも使って忘れるんだな」
 リスターが皮肉っぽく笑うと、セフィンは可笑しそうに頬を緩めた。
「そうですね。できそうだったらやってみます」
 それから彼女は、軽くリスターの額を突いた。彼はふらりとよろめいた後、膝をつき、そのまま地面に倒れこむ。
「リスターっ!」
 叫んだエリシアにも同じようにしてから、セフィンはルシアに笑いかけた。
「気を失うだけです。心配しないで」
「うん」
 元気に笑って頷いた少女にも、セフィンは忘却の魔法をかけた。
「本当にありがとう、皆さん……」
 小さく寝息を立てて横たわる3人を見つめながら、セフィンは無感情に呟いた。それから、両手で顔を押さえて嗚咽を洩らす。
 ルシアに言った通り、セフィンも生きたかったのだ。
「本当にありがとう……。私なんかのために……みんな、命懸けで……」
 立っているのも辛くなって、セフィンは床の上に座り込んで泣いた。
「私、本当に生まれてきて良かった。ルシアと出会えて良かった……」
 70年前、セフィンは自らの生を呪った。いや、あまり生を意識したことすらなかった。
 自分は魔法王国の道具にしか過ぎず、すべての意志を封じ込めて、ただ国民の望む通りに動いていただけだ。
 それなのに、セフィンは王国に捕まったとき、ひどい罰を受けた。何がいけなかったのかはわからない。
 恐らく時代のせいだ。セフィンは、長い歴史の中でほんの17年の間だけ存在した「セフィン」という名の少女を、とても儚く、無意味な存在に感じていた。
 それが、この時代に再び呼び戻され、ルシアと楽しい時間を過ごせただけでなく、こうしてもう一度生をやり直せるのだ。
 王女としてではなく、ただの一人の少女として、自分の意志を持ち、行動することができるのだ。
「ありがとう、ルシア……」
 セフィンの涙はいつまでも止まらなかった。

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