■ Novels


五宝剣物語

3−8

 窓の外に広大な街並みが広がっている。まだ朝の早い時間だが、路地は人に溢れ、活気に満ちている。
 遥か向こうには街壁があり、箱庭のような印象を受けなくもないが、その上に広がる青い空は街壁を越え、ずっと向こうまで続いている。
 四角い窓から入る風は、ピリッとした冷たさを孕んでいて気持ちが良い。
 ユアリは寝巻き姿のまましばらくその風を感じていたが、ふとドアをノックされて振り返った。
 返事をしなくてもノックの主は部屋の中に入ってきた。リスターとエリシアだ。
 二人はどこかへ出かけていただけで、元々ユアリと一緒にこの部屋に泊まっていた。
「おはよう、ユアリ。怪我はどう?」
 エリシアが心配そうな瞳で聞いてくる。
 城での一件から早3日が過ぎていた。ユアリの怪我はリスターが治したのだが、失われた体力や血液までは十分に回復しなかった。
 そのため、完全に回復するまで王都に滞在することにしたのだ。
 ユアリはなるべく元気そうに何度か屈伸をしてから、笑顔で返した。
「はい。もうすっかり治りました。お二人のおかげです」
「そうか。良かったよ」
 ほっと息を吐いたリスターに、ユアリは申し訳なさそうに頭を下げた。
「本当にごめんなさい。足手まといになってしまって」
「いや、足手まといじゃないさ。ユアリが来てくれなければ、俺はあの男に殺され、恐らく王子も殺られていただろう。王子も感謝していたぞ?」
 リスターの言葉に、少女は恥ずかしそうに俯いた。
「でも、もうあんなことをしちゃダメよ」
 ぴしゃりとエリシアが言い放つ。ユアリは思わず背筋を正して「はいっ」と返事をした。
「あなたにもしものことがあったら、シュナルに何て言えばいいの? 絶対に無茶はしないで。リスターを助けてくれたことと、あなたが無茶をしたのはまったく別の問題よ?」
 エリシアは厳しい。けれどその厳しさは本当に心配しているからだと、ユアリは知っていた。
 だから少女は素直に頷いた。
「はい。すいませんでした。これからは気を付けます」
「ええ、是非そうして」
 ようやく彼女は笑顔を見せた。
「朝飯の準備ができている。腹ごしらえをしたら今日中に旅立とう」
 リスターの言葉に、二人は大きく頷いた。ルシアではないが、食べるのは大好きだ。
 食卓につくと、パンとミルク、それにうっすらと焼いた肉の入った大盛りのサラダが置かれていた。
 エリシアはパンに木苺のジャムを塗りながら、リスターに尋ねた。
「それで、これからどこへ向かうの? とりあえず初めにあなたが言っていたように、王都に来たけれど」
 王都ライザレスには、単にイェスダンでリスターが行き先として指定したから来ただけで、特別な用事があるわけではなかった。
 もしも本当に宛てがないのであれば、闇雲に歩き回っていても、この広い大陸からセフィンを探し出せるとは到底思えないので、もう少しこの街に滞在してもいい。
 エリシアはそう考えたが、リスターは少し視線を床に向けてから、はっきりと言った。
「これからタミンの森に行く」
「えっ!?」
 ユアリが驚いた顔で青年を見た。
 タミンの森は、『迷いの森』として知られる広大な森だ。王都の北に広がっているのだが、その森の向こうを見た者はないとされている。
 ユアリが不安げな眼差しでエリシアを見ると、彼女は何やら楽しそうな微笑みを浮かべてリスターを見ていた。
「とりあえずライザレスにって言ってたけれど、初めからそのつもりだったのでしょ?」
 いたずらっぽく言ったエリシアに、リスターは苦笑した。
「まあな。色々聞かれるのが面倒だったから言わなかった」
「別にあなたが言わないことは聞かないわ。ただ私は、あなたがセフィンの行き先を知っているって確信していたから」
「ど、どうしてですかっ!?」
 本当にリスターには宛てがないのだと思っていたユアリが、興奮気味に尋ねる。
 エリシアは笑顔のまま答えた。
「長い付き合いだから。それに、リスターはセフィンについて詳しすぎた。魔法使いだからって、みんながみんな、そんな70年前の王女様のことを知っているわけではないでしょう」
「ああ……」
 リスターはやや瞳を曇らせて頷いた。
「セフィンには、何かと縁のある家系でな。タミンの向こう側には湖があって、その真ん中に島がある。そこには『赤宝剣』があって、セフィンは間違いなくそれを取りに行く」
「『赤宝剣』!? 『五宝剣』はすべて城から盗まれたんじゃ……」
 驚きに目を丸くしたエリシアに、リスターは静かに首を振った。
「盗まれていたという話こそ知らなかったが、城には剣が4本しかないことは知っていた」
「どうして?」
 何気なくユアリが聞いたが、それは彼には禁句だったらしい。
 リスターは腕を組み、しばらく眉をひそめていたが、やがて独白するように言った。
「そこに『赤宝剣』を置いたのが、俺の曾祖父だからだ」
「!?」
 二人は息を飲んだ。
 まさかリスターが『五宝剣』に直接関わっているとは思ってなかった。
 緊迫した空気を和らげるように、リスターは椅子にもたれてひらひらと手を振って見せた。
「まあ、行けばわかるさ。敵に会いに行くわけでもないし、ピクニック気分でいいと思うぞ?」
 リスターの言葉に、二人は長い息を吐いてから顔を綻ばせた。
 その時だった。リスターの背後からスッと一人の若い男が現れると、そのまま何事もなかったかのように彼らのテーブルについた。
「そのピクニック、私も参加させてもらおう」
「王子っ!?」
 思わず大きな声を上げたユアリの口を、現れた青年、ニィエルが素早く抑えて片目を瞑った。
 王子はできるだけ目立たないように鎧を着けず、一本の剣だけを腰に帯びていた。剣はリスターが厄介事に巻き込まれるのは御免だと、無理矢理城に置いてきた『青宝剣』だ。
 髪は隠していなかったが、普通にしていればすぐには気付かれまい。誰も、まさかすぐそこに王子がいるとは思わないだろうから。
「どういうことですか?」
 冷静にリスターが問うと、ニィエルはわざとらしく腕を組んで答えた。
「うむ。君を見ていたら、少し魔法使いのことを知りたくなってな。お前たちのしようとしていることを見させて欲しい」
「俺たちは大したことはしてないぞ? ただ、厄介事から近付いてくるだけで」
 リスターの言葉に、エリシアは深く溜め息を吐き、ニィエルは楽しそうに声を立てて笑った。
「それで十分だ」
「王子、私たちは王子の安全を保障できません。万が一のことがあったらどうするおつもりですか?」
 きっぱりとエリシアが言った。
 ユアリの安全さえあっさりと脅かされた今、とてもではないが安請負はできなかった。それに、こう言っては少女に失礼だが、ユアリとニィエルとではその生命の重さが違う。
 ニィエルはそんなエリシアに笑って言った。
「大丈夫。自分の身は自分で守るさ」
「し、しかし」
「ならば、これは命令と言うことにしよう。君は王子直々の命令に逆らうのか?」
 王子が厳しい瞳を向けると、エリシアは思わず身をすくませて肩を震わせた。
「そ、それは……」
 生真面目なエリシアのことだ。王子の冗談を本気で受け止めたのだろう。
 リスターはそんなエリシアの髪を、子供のようにくしゃっと撫でて王子に言った。
「王子。こいつは真面目なんですから、あまりからかってやらないでください」
「ははは。エリシアだったか? すまなかったな。別に脅すつもりはなかった」
「は、はぁ……」
 エリシアは困ったように頷いた。
 ユアリは楽しそうに笑っている。あまり大したことだと考えないのか、それともすべてをリスターに任せているのかはわからない。
 リスターは一度エリシアに頷いて見せてから王子に視線を向けた。
「わかりました、王子」
「本当か!?」
「はい。ただし、一つだけ約束してください」
 リスターの声に、本気の色を感じ取ったのだろう。ニィエルは真摯な瞳で頷いた。
 魔法使いの青年は大きく息を吸って続けた。
「年齢も立場も王子の方が上ですが、この旅ではいついかなる状況においても、俺とエリシアの言うことに従ってもらいます。逃げろと言ったら逃げてもらいますし、動くなと言ったら動かないで下さい。これはユアリにも約束してもらっています」
 ニィエルがちらりと視線を横に傾けると、弓使いの少女はにっこりと微笑んで頷いた。
「私は旅に慣れてません。王子もでしょ? だから、私は常に自分の判断よりリスターさんの判断の方が正しいと信じています」
「その割に、城には行くなって言ったけど聞かなかったわよね」
 からかうように言ったエリシアの言葉は、耳に蓋をして受け流した。
 ニィエルはそんな少女に楽しそうに笑った。
「わかった、リスター。約束は守ろう。是非連れて行ってくれ」
 リスターは溜め息混じりに手を差し出した。
「本当に、噂通りの変わった王子だ」
「よく言われるよ」
 にやりと笑いながら、ニィエルはリスターの手を固く握った。

←前のページへ 次のページへ→