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五宝剣物語

4−2

 エルボーニは王国南部の主要都市だ。
 季節の風はそろそろ真冬を通り過ぎようとしていたが、街に雪の姿はない。
 もっとも、だからと言って寒さと無縁というわけではない。朝は水が凍る日もあったし、人々は分厚い外套を羽織ったり、毛糸の帽子をかぶって歩いている。
「とても、寒いわ……」
 すでに日の暮れかけた夕方、突然エリシアがそんなことを口走って、ルシアが噴き出した。
「いきなりそれはないだろ、姉貴。寒いのはわかってるって。状況解説か?」
 エリシアは拗ねたような顔で笑っている妹を睨み付けたが、何も言わなかった。代わりに少女の頬をつねって放す。
「どっちが姉かわからないな、それじゃ」
「寒さはダメなのよ……」
 手袋を填めた手で首元を押さえ、エリシアは一度身震いした。
 イェスダンでユアリと別れた後、3人は真っ直ぐこのエルボーニにやってきた。かつて訪れたことのある街なのでルシアは反対したのだが、「じゃあバリャエンにでも行く?」という姉の一言に仕方なく折れた。
 セフィンの演説はすでに周知のことだった。恐らく当分の間、あるいは一生ルシアはバリャエンを訪れることはないだろう。聖女扱いされるか、悪魔のように見られるか。いずれにせよただの旅人ではいられまい。
「宿は前来たときに泊まったところでいいか?」
 エリシアのために、なるべく早く宿を取ろうとリスターは思ったのだが、やはりルシアが大きく首を振って力一杯反対した。
「店の数だけ料理があるんだ! わざわざ前と同じ宿に泊まっちゃ、みすみす美味珍味を逃すも同然! 二人ともそれでいいのかっ!?」
「別に私はいいけど……。早く温まりたい……」
 呆気なく頷いて見せた姉を無視して、ルシアは腕を組んで三度頷いた。
「だよな。嫌だよな。よし、わかったよ。じゃあ二人はここにいてくれ! あたしが宿を探してくる!」
 言うが早いか、ルシアは駆け出して行ってしまった。あの有り余る元気はどこから来るのか。
 二人は顔を見合わせて笑った。
 セフィンと出会ったことで、少女は確かに成長した。それは劇的と言ってよい。
 魔法使いに対する考え方も変わったし、リスターに対しても『青宝剣』に対しても、まったく嫌悪感を抱いてなかった。
 また、エリシアが『緑宝剣』のことを隠していたことにも何も言わず、むしろ自分の気持ちを考えて黙っていた姉に礼まで言うようになった。
 けれど、大人になったわけでもなければ、性格が変わったわけでもない。ルシアの根幹にあるものはまったく昔のままだったのだ。
「なんだか、あの子がとても逞しく見えるわ」
 遠い目で呟いたエリシアの横顔には、我が子を見守る母親のような穏やかさがあった。実際、彼女はずっとルシアの母親替わりを勤めてきたのだ。
「セフィンに感謝、だな」
 リスターに言われて、エリシアはそっと彼の肩に寄りかかった。
「ええ……。村を滅ぼされたことは、もちろん今思い出しても本当に悲しいことだけど、その後の私たちは、少なくともあなたと出会ってからは、すべてのことが上手くいっている」
「俺の選択のおかげか?」
 意地悪げにそう尋ねてきたリスターに、エリシアは可笑しそうに笑ってから、不意に視線を落とした。
「うん……。ただ、上手く行き過ぎて、少し怖い……」
 幸せは続けば続くほど、それが壊れる不安も膨らんでいくものだ。
 リスターはエリシアを抱き寄せて明るい笑顔で言った。
「勝ち続けている賭け事は自分からやめることもできるが、人生はそうはいかない。考えてもしょうがないさ。少なくとも、俺がいる限りは大丈夫だろうよ」
 もちろん根拠のない自信だったが、エリシアはルシアの姉である。妹同様、元々楽観的な性格をしていたので、愛するリスターにそう言ってもらえればそれだけで安心できた。
「ありがとう。信じてるわ」
 周囲に気付かれないよう、素早く口付けをして、エリシアはそっと彼の手を握った。
 分厚い手袋をしていたが、彼の温もりが伝わってくるような気がする。
「ここは寒い。前来たときに入った店でルシアの報告を待つことにしよう」
 リスターの提案に、エリシアは大きく頷いた。

 びゅっと一度冷たい風が吹き抜けて、周囲の人々が身を縮めて痛そうに目を閉じた。
 けれどルシアはまるで気にすることなく、鼻歌を歌いながら軽い足取りで歩いていた。
「今夜はスープ♪ コトコト煮込んだ野菜スープ♪ 御代わり自由、凍えた心が温まるまで〜♪」
 達者な歌ではないが、心から喜んでいるのが雰囲気で伝わってくる。
 先程取った宿の看板に書いてあったキャッチフレーズである。ルシアは質や値段ではなく、その野菜スープだけで宿を決定してきた。
 食べ物に勝る理由など存在しない。
 別れた場所に二人がいなかったので、ルシアは前来たときに二日連続で訪れた甘味の店に向かっていた。
 恐らく彼らがルシアの性格を考慮した場合、暗黙の待ち合わせ場所にするならそこであるという確信があったのだ。
 笑顔のままスキップを踏むように歩いていると、ふと右斜め前の花壇の縁に座っている、焦げ茶色の髪をした婦人が目に付いた。
 それほど歳というわけでもないのに、どこか老成した面持ちがあり、今も歩き疲れた老人のように俯いて溜め息を吐いている。
 仕事柄、人々の「困った顔」というものに見慣れているルシアは、直感的に彼女が何か解決できない心労を抱えていることを悟った。
 もちろんその内容はわからないが、ひょっとしたら力になれるかも知れないと思ったのはルシアの正義心だろう。
「あの、どうかしたんですか?」
 いつものぞんざいな口調ではなく、対外的な口調で尋ねると、婦人は驚いたように顔を上げてから、不躾とも言える眼差しで少女の格好を見た。
 ルシアはただの旅装束をしていたが、腰には立派な剣を佩いている。『青宝剣』だ。
 もっとも、格好はともかく、ルシアは年齢より幼く見られる顔立ちをしていたし、頼りなく映るのは否めない。
 それでも婦人は、そんな少女を藁にもすがるように見上げた。
「娘を……探しているんです」
「娘さん? いなくなっちゃったんですか?」
 いなくなってなければ探したりしない。ルシアは当たり前のことを聞いてしまったと後悔したが、婦人は気にしてないようだった。
「もう三日になります。街の警備の方々にも話したのですが、なにぶん広い町だしと、あまり相手にしてもらえずに……」
 あまり広い町でなくても、恐らく彼らはそう言っただろう。市民を守るために存在する警備兵だが、町の便利屋ではないのだ。
「たまにあることなんですか?」
 ルシアが問いかけると、婦人は少し声を荒げた。
「家出なんかする子じゃないんです! きっと誘拐されたんだわ……」
 誘拐と言われて、ルシアは少し顔を歪めた。
 婦人の格好は、お世辞にも高貴とは言えない。あまり裕福な家ではなさそうだ。
 となると、もしも誘拐されたとして、その目的は身代金ではないだろう。
 もちろん、ただの私怨かも知れないし、ユアリのように事件に巻き込まれた可能性もある。
「もし良かったら、あたしたちが調査しましょうか?」
 内心の緊張を抑えながらルシアが尋ねた。
 姉の後ろで彼女が仕事を取る様子は見たことがあったが、ルシアが自分でするのは初めてだった。
「いいんですか? あ、お金はあまり出せないんですけど……」
 ルシアはにんまり笑って頷いた。
「額は相談に応じます。この先の店に私の仲間がいますから、そこで詳しくお話しましょう」
 リスターから仕事の機会は見逃すなと言われている。
 婦人が弱々しくもはっきりと頷いたのを見て、ルシアは心の中で思わずガッツポーズを決めた。

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