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第17話 海 4
 民宿のお風呂は、4人で入ると少し狭いくらいの浴槽と、洗い場にはシャワーが2つという、いささか小さい構成だった。大浴場のような湯船を想像していたので拍子抜けしたが、安くて古い民宿だし、こんなものだろうか。
 シャワーを浴びたらコンビニまで行ってお弁当を買って食べ、夜は花火をする予定になっている。どう考えてもまた汗だくになるので、夜にもう一度お風呂に入ることは間違いない。そう考えると、今はシャワーを浴びるだけだろうから、二人ずつでも良かったかもしれない。そう言うと、涼夏が厳かに首を振った。
「そうしたら、千紗都とナッちゃんの組み合わせになるでしょ? 私が千紗都の裸を見れないじゃん」
「ごめんね。この子、ちょっと頭がおかしいから」
 さも当事者ではないようにそう言ったが、誰も反応してくれなかった。友達とお風呂に入るのにこんなに緊張するのは初めてだ。もっとも、そもそも卒業旅行を除くと、奈都とくらいしか入ったことがないが。
 変に牽制して長く占有するのも迷惑なので、さっさと脱いで浴室に入った。湯船に手を入れると温度はややぬるめ。日焼けした肌が沁みて絶叫する心配はなさそうだ。シャワーが2つしかないので、かけ湯して浴槽に入ると、後からやってきた涼夏が可愛らしく小首を傾げた。
「シャワー、先に良かったのに。洗ってあげるよ?」
「気持ちだけでいいから」
 私が丁重に断ると、涼夏は「ふーん」と残念そうに呟きながら、シャワーの前に座った。お湯を出してシャカシャカと髪を洗う。水を弾く肌が瑞々しい。横から見えるおっぱいは綺麗な形で、肩やお尻は子供っぽい丸みを帯びている。いつもメイクをして、センスのいい服を着ているから大人びて見えるが、背も4人の中で一番低いし、童顔だし、裸だと中学生に見える。
 じっと見つめていたら、絢音が涼夏の隣に座りながらくすっと笑った。
「千紗都、犯罪者の目をしてる」
「してないから」
 即答したが、同じように湯船に浸かりながら奈都が首を振った。
「してるよ? やっぱりチサも帰宅部なんだなって思った」
 それは一体どういう意味だろう。まるで帰宅部はおかしな人の集まりみたいな表現だが、事実奈都はそういう意味で言ったのだろう。まったく心外だ。
 涼夏が泡立てたボディーソープで体を洗いながら、うっとりと目を細めて私を見た。
「視線だけで妊娠しそうだった」
「元気な女の子を産んでね」
 私は疲れたようにため息をついて、湯船の壁にもたれた。隣で奈都が、「チサと涼夏の子供かー」と呟きながら、遠い目をしている。シャワーの音と一緒に、絢音の笑い声が聞こえる。
 洗い場が空くと、奈都と二人で座って体を洗った。涼夏が背中を流してあげると言いながら、ボディーソープをつけた手で私の肩や背中を洗ってくれた。他にも色々洗われたが、石鹸のせいで手が滑っただけだろう。
 お風呂から出て部屋に戻ると、すぐに出かける準備をした。18時前。外はまだ明るいが、これからコンビニに行って戻ってくる頃には日が暮れるだろう。
「涼夏、ご飯ってコンビニで食べるの? それとも、持って帰ってくる?」
 絢音が乾かした髪を後ろで束ねながら聞いた。日焼けしたうなじが色っぽい。
「コンビニの外で食べようと思ってた。冷めちゃうし、麺類だったら伸びちゃうし」
「不良の集まりみたいだね」
「ナッちゃん、不良っぽいから大丈夫だよ」
 唐突な振りに、奈都が目を丸くした。
「不良じゃないし! 全然意味がわかんなかった!」
「うん。私にもよくわからん」
 財布を持って外に出ると、西日は穏やかで、風には涼しさすら感じられた。まだまだ日中の温度は高い日が続くが、段々と昼夜の寒暖差が大きくなる。
「夜は寒いかもわからんねぇ」
 涼夏が半袖の腕をさすりながら先頭を歩く。歩道がないので、私が涼夏のお尻を眺めながら後に続き、その後ろを奈都と絢音がついてくる。二人が何を食べようかとコンビニ談議するのを背中で聞いていると、涼夏がちらりと私を振り返って小さく笑った。
「コンビニ弁当の何がそんなに楽しみなのか、ちっともわからんねぇ」
 涼夏も日頃からコンビニ弁当のお世話になっている一人だ。涼夏の母親はうちよりは早く帰ってくるようだが、遅い時もあるし、食事を作らないことも多いらしい。涼夏は料理が好きだし得意だが、バイトの後に帰ってから家族の分まで作るほど献身的ではない。
「お弁当でもいいけど、人数いるし、お惣菜を色々買って分けてもいいかもね」
 そう提案すると、後ろの二人がそれは名案だと手を叩いた。涼夏が呆れながら一蹴する。
「それをどこに広げるの? レジャーシート持って来れば良かった?」
 持ってきたとして、コンビニの駐車場でご飯や総菜を広げ始めたら完全に迷惑だ。もし総菜を買うのなら、いっそ宿に持ち帰ってからレンチンしたらどうだろう。そもそも、普通の弁当もそうすればいいのではないか。宿に電子レンジはあっただろうか。
 後ろの二人と一緒にそんなことをワイワイ喋っていたら、涼夏が呆れたように首を振った。
「コンビニ弁当の何がそんなに楽しみなのか、ちっともわからんねぇ」
 気が付いたら、私も楽しみ側になってしまった。実際、私はコンビニ弁当が嫌いではないし、ラーメンだけではなく、オムライスや麻婆丼も気に入っている。どれも十分美味しいと思うが、涼夏のように自分で料理ができたら、また違った感想を抱くのだろうか。
「やっぱり涼夏と結婚しよう」
 ポツリと呟くと、場がシンと静まり返った。「相変わらずの謎思考だね」と涼夏が振り返らずに笑う。奈都が「急にどうしたの?」と聞くので、美味しいご飯にありつけそうだからと答えると、納得したように頷いていた。
 ようやくコンビニ辿り着くと、涼夏は迷うことなく豚骨ラーメンをカゴに入れた。私がラーメンが美味しいと言ったからかと思ったら、自分で作れないからだと言った。私にはない発想だ。私にはどれも作れない。
「人が選ぶと、それが食べたくなるね」
 奈都がラーメンの棚を眺めながら言うと、絢音が隣で大きく頷いた。
「でも、同じのはやめようかな。ビーフカレーが美味しそう」
「カレーは家でもよく食べるからなぁ。そういう意味だと、のり弁とか幕の内弁当とかが、いかにもコンビニ弁当って感じかも」
「普通のお弁当屋にもあるよ」
「その発想はなかった。じゃあ、変わったのにしようかなぁ」
 二人が楽しそうに喋っている。何を選ぶのか黙って眺めていたら、涼夏が私の肩に手を乗せて悲しそうに頷いた。
「私はずっと千紗都の友達だから」
「いや、見てただけだから」
「仲間に入れなくてオロオロしてる子みたいだった」
「違うから! ラーメンとカレーと普通のお弁当が選ばれたら、私はパスタかドリアにしようかなとか、全体のバランスを見ながら考えてたの。ほら、どうせ一口ずつ交換になるでしょ?」
 早口にそう言うと、涼夏は切ない瞳で、軽く私の体を抱きしめて髪を撫でた。
「うんうん。そうだね。千紗都はいい子だね」
 どうしても私を、友達のいない可哀想な子にしたいらしい。涼夏の肩越しに見ると、奈都が呆れた顔をして、絢音はくすくすと笑っていた。
 結局絢音はビーフカレーに、奈都はシーフードグラタンにした。私はかつ丼をカゴに入れて、それぞれみんなプリンやら杏仁豆腐やら、適当なスイーツを追加する。贅沢をしても6、7百円で、海の家で食べた焼きそばとかき氷より安い。
 店内にイートインスペースはあったが、外の方が気持ち良さそうだったので、外で食べることにした。田舎のコンビニで駐車場は広い上、利用客も少ない。
 交換しながら食べていたら、カレーにすれば良かったとか、グラタンという選択肢もありだとか、カツを一人一切れずつ取られたらほとんどなくなったとか、色々あった末、結局ラーメンが一番美味しいという結論に至った。
 デザートのプリンをスプーンですくいながら、絢音が満足そうに頷いた。
「コンビニ弁当は、もっと誇っていい。日本の文化だと思う」
「海外にはないの? ハウ・アバウト・グアム?」
 涼夏が怪しい英語を使いながら奈都を見る。奈都はリッチにケーキを食べながら、困った笑いを浮かべた。
「コンビニを使った記憶がないし、あってもグアムまで行ってお弁当は買わないと思う」
「海はどうだった? 稲浪海岸も意外と負けてない?」
 涼夏が目を輝かせるが、どう考えても負けているだろう。勝てる要素が何一つ感じられない。しいて言えば、監視員がいることくらいか。
「もちろんグアムの方が綺麗だけど、今日の方が断然楽しいよ」
 優等生の模範解答だ。涼夏が感極まったように瞳を潤ませて、横から奈都に抱き付いた。肩を強く引き寄せながら頬を擦り寄せる。
「あー、ナッちゃんいい子。私たちもナッちゃんと遊べて楽しいよ」
「それはどうも」
 奈都が恥ずかしそうに俯いて、もじもじと指を動かした。涼夏が耳に唇を押し当てながら囁いた。
「こんな可愛い子が帰宅部に……」
「いや、入らないけど」
「ケーキもくれるなんて……」
「それは別にいいけど」
 奈都がフォークでケーキをすくうと、涼夏が子供のようにわーいと言いながらそれを口に入れた。美味しそうに頬張ってから、奈都を抱きしめたまま肩に頭を乗せる。
「ナッちゃん、抱き付き心地がいいなぁ」
「恥ずかしいんだけど」
「慣れるよ」
 涼夏の返事に絢音が肩を震わせてから、我慢できないように笑い声を上げた。ハグは帰宅部の伝統的文化なので、奈都にも慣れてもらおう。涼夏なりに奈都との距離を縮めようとしているのを、奈都もわかっているはずだ。
 ゴミを捨てて、暗がりの中を宿まで戻る。道を知っているからか、行きより帰りの方がだいぶ早く感じた。部屋に戻るとすぐに、花火とバケツを持って外に出た。友達と花火で遊ぶという経験も、私にはない。海岸まで歩きながらそう言うと、3人は普通にあるらしく、哀れむような目で私を見た。
「そんな目で見ないで!」
 私が顔を押さえて首を振ると、絢音がふふっと笑って私の背中を撫でた。
「千紗都の色んな初体験の場に、いつも私たちがいるのは嬉しいよ」
「私のハジメテを全部絢音にあげる」
「もらうもらう」
 微笑む絢音をひしっと抱きしめると、隣で奈都が「チサのハジメテ……」と小声で呟きながら、恥ずかしそうに俯いた。一体何を想像しているのか知らないが、楽しそうで何よりだ。
 海岸には他にも花火をしている人が何組もいて、思ったよりも明るくて賑やかだった。夜の海岸というのは、何かロマンチックな響きがあったが、現実はこんなものだとため息をつく。涼夏と波打ち際まで水を汲みに行きながら無念を訴えると、涼夏は可笑しそうに頬を緩めた。
「それは港のプロムナード的なの?」
「波打ち際に二人で座って、波の音を聴きながら愛を語り合うの」
「乙女だねぇ」
 涼夏が笑いながらしゃがんで水をすくった。手を握って引かれたので、私も隣にしゃがむと、涼夏が私の手を握ったまま目を細めた。
「千紗都、愛してる」
「私も。結婚しよう」
「元気な女の子を産むよ」
 そう言って、涼夏が顔を近付けてきて口づけをした。ふんにょりとした特有の感触。顔にかかる鼻息が熱い。5秒ほど唇を重ねてから、涼夏が顔を離してニカッと笑った。
「ドキドキした?」
「まあまあ。その前の台詞がいまいちときめかなかった」
「私は千紗都に結婚しようって言われるたびに、ちょっとドキドキする」
「じゃあ、毎日言うよ」
「貴重感は欲しい!」
 くだらない話をしながら二人のもとに戻ると、砂を掘ってバケツを埋めた。そういえば火は大丈夫かと思ったが、言い出しっぺがそんなミスをするはずがなかった。
 適当な花火を持って火をつける。パチパチという音とともに綺麗な火花が散って、周囲が明るく照らされた。思ったよりは地味な遊びだ。
 絢音が4人いるからLOVEを作ろうと言い出して、荷物の上にスマホを固定した。涼夏と二人でカメラの設定をいじり始めたので、奈都にLOVEとは何か聞くと、奈都は力強く頷いた。
「愛のことだよ」
「そんなこと聞いてないから」
 1秒で否定すると、奈都がくすくすと笑って肩を震わせた。
「チサ、可愛いなぁ。花火で文字を作るやつだよ」
「そんなことできるの?」
「挑戦したことはある。昔は失敗したけど、このメンバーならできそうな気がする」
 それは何故か。きっと愛があるからだろう。LOVEだけに。勝手に納得して、仲間に言われるまま花火を持った。部長だし簡単だからと、先頭でLを担当することになった。絢音が一番難しいEをやりたがり、奈都がOになった。
 火が一つしかない問題はどうするのかと思ったら、一つ花火に火をつけて、それを使うと言った。砂浜に斜めに挿した花火が、空に向かって火を放つ。カメラのシャッターを押し、タイマーが動いている間に火をつけて慌てて自分の位置に戻ると、必死にLを作った。
 1枚目は案の定失敗した。文字の間隔はバラバラだし、Eは引っくり返っているし、Vは斜めになって細いし、LとOはまともだったが、私の顔が必死過ぎて爆笑された。恥ずかしい。
「もっと優雅に。笑顔で」
「バレエみたいだね」
「千紗都、バレエやってたの? 似合う!」
「いや、やってないし、似合いもしない」
 雑談しながら、2回目に挑戦する。花火の消費が半端ではないし、バタバタして汗もかく。ちっとも地味な遊びではなかった。
 再び火をつけると、砂の上に書いた×印に戻った。これで間隔は完璧だ。文字自体は綺麗だったので、努めて笑顔でLを描く。
 2回目はまあまあだったが、顔がブレてしまった。腕以外は動かしてはダメなのだ。及第点ではあったが、文字が細いという理由で、一人2本ずつ花火を持って再挑戦することになった。
 花火がどんどんなくなるのはいいのかと聞くと、涼夏が明るく笑った。
「いいのいいの。1本ずつやってるより、こっちの方が楽しいじゃん」
 なるほど。豪快だ。
 2本あると火をつけるのも時間がかかるだろうと、火種の花火も2本にした。この本数でできるのは最初で最後だ。緊張するが、笑顔は忘れずに、腕以外はなるべく動かさず。覚えたことを反芻しながらLに専念すると、今度は綺麗に出来た。線も二重になり、オシャレな感じがする。
 みんなで肩を組んで喜んだら、なんだかとても青春を感じた。本当にいい仲間たちだ。