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五宝剣物語

2−10

 眼下に王国一にして、『迷いの森』と恐れられているタミンの森が広がっていた。
 前人未到で、向こう側を見た者はないと言われているが、ルシアはそれを遥か上空から見下ろしていた。
(これは反則だと思う)
 率直な感想を洩らすと、セフィンはくすっと笑った。
《でも便利でしょう》
 ルシアは「うーん」と呻ってから、はっきり答えた。
(便利だけど、趣はないな。旅はやっぱり自分の足で歩いて、やっとの思いで辿り着いた町で美味しいものを食べる。すぐに着いちゃったら、面白みも有り難味もないよ)
《そっか……。うん、そうね》
 なにやらしきりに感心するセフィンを、ルシアは不思議そうに眺めていた。
 やがて森の向こう側に、海と見まごうばかりの、巨大な湖が見えてきた。セフィンはその畔に降り立ち、息を吐いた。
《さすがにこれだけ飛ぶと疲れます》
(魔法を使うと疲れるの?)
 ルシアが驚いたように尋ねると、セフィンは「当たり前です」と笑った。
《ずっと使い続けられたら、それは人類の脅威ですね》
(それもそっか)
 ルシアは納得して頷いた。
 生前、セフィンは圧倒的な力を持った魔法使いだったという。魔法を疲れずに放ち続けられるなら、遥か上空から地上を壊滅させることもできたはずだ。
(そういえばセフィン、70年前はそんなに恐れられた魔法使いだったっていう割には、バリャエンでは結構ピンチだったな)
 男に襲い掛かられたときもそうだが、その後街を逃げ回っていたときも、ヨキの助けが入らなければ危険だった。
 少女に意地悪く言われて、セフィンは頬を膨らませた。
《ルシア。魔力のない身体で魔法を使うのはとても大変なのよ?》
(あ、そっか)
 ルシアはすんなり納得した。あまりにも違和感がなかったから、ルシアはいつの間にか自分が魔法使いのような気分になっていた。
 セフィンの言ったことがどれだけ大変なのかはわからなかったが、今でもセフィンは人並みには魔法を使うことが出来る。
 元は一体どれほどのものだったのか。今となっては知る術がないが、ルシアは興味を持った。
 同時に、少しずつ魔法使いへの嫌悪感が薄れているのがわかった。
 湖は冬間近の弱い日差しを受けて、キラキラと輝いている。
 ルシアは湖畔に腰を下ろして、それをじっと眺めながら呟いた。
(あたし、ユアリの身代わりにされたとき、一瞬だけど彼女を恨んだ。それが、すごく恥ずかしい……。ユアリのこと、大好きなのに)
 あの弓使いの少女は入れ物としての条件を満たしてなかったと、リスターが言っていた。
 どういう意味かはよくわからなかったけれど、そのせいで自分が犠牲になったことがたまらなく苦痛だった。
《それは誰でも同じですよ。しょうがないことです》
 柔らかな口調でセフィンが笑った。
 この少女を見ていると心が落ち着く。もしも平和な時代に生まれていたら、きっと少女は笑顔と喜びに満ちた人生を送っていたはずだ。
 世の中は不公平で残酷だ。
(あたし、ティランのこともものすごく恨んだけれど、今は感謝してる。セフィンに出会えて、本当に良かった)
 もっと他に言いたいことがたくさんあった気がしたけれど、それだけで十分な気もした。
 セフィンも嬉しそうに微笑んで応えた。
《私も……ルシアと出会えて、一緒にお話をして、旅をして。初めて『生まれてきて良かった』って思いました。本当に、感謝の言葉もありません》
 もう、涙はない。
「いつか訪れる別れを考えるより、一緒にいられる現在を大切にしましょう」
 かつてセフィンがそう言った。
 今は、この少女といられる残りわずかな時間を大切にしよう。
 前向きな思考が、ルシアの最大の長所なのだ。
 湖の彼方にぽつりと浮かぶ島が見えた。距離がつかめないので半径はわからないが、それほど大きくもないだろう。
 セフィンはじっとその島を見つめている。その瞳は郷愁と憂いを帯びていた。
(あそこに、セフィンの忘れ物があるのか?)
《ええ……》
 もはや何も聞くまい。
 ルシアは思った。
 いずれにせよ、わかることだ。セフィンの持つ茶褐色の瞳は、紛れもなくルシアのものなのだから。
 長い長い時間、セフィンはそうして湖を見つめていたが、やがてゆっくりと立ち上がって剣を抜いた。
《ここには私にしか解除できない結界が張ってあります》
(セフィンが張ったの?)
 王女は静かに首を振った。
《張ったのは王国に囚われていた魔法使いです。ただ、生存していてこの魔法陣を解除できる人は、私しかいないということです》
 そう言うと、セフィンは地面に剣を突き立て、何かルシアには理解できない言葉を発した。
 そして剣を抜き、場所を移動する。湖の端から端だ。
 対岸に辿り着いたセフィンは、再び同じように剣を突き立てて呪文を唱えた。
 それは、いつかリスターがユアリが閉じ込められていた結界を解除したときと同じ方法だった。
 あまりも規模が大きかったために、ルシアは気が付くのに時間がかかった。
(どれくらいかかるの?)
 恐る恐る尋ねると、セフィンが困ったような顔で応えた。
《かなり長い時間です。少なくとも、1日では終わりません》
 聞いて、ルシアはげんなりした。
(また、何もそんな厳重に張らなくてもいいのに……)
 よほど王国は暇だったのだろう。
 ルシアが呆れたようにそう言うと、セフィンは楽しそうに笑った。
《よほど嫌いだったのでしょう》
(化け物か何かが封印されてるのか?)
 びっくりしたようにルシアが尋ねると、セフィンは曖昧な微笑を浮かべた。
《それに近いですね》
(ふーん……)
 ひたすら退屈な作業だった。
 ルシアはあまり喋っては申し訳なく思いながらも、口から生まれたような娘である。必死に魔法陣を解除しているセフィンにべらべら話しかけた。
 幸いなことに、セフィンも一人で黙々と作業していては飽きると、それを歓迎した。
 やがて日暮れ近くなると、ルシアの口数も減った。
 何度も休憩を取りながら、ひたすら湖全体にかけられた魔法陣を解除していくセフィン。そんなセフィンを黙って見つめていたルシアの脳裏に、突然閃きが走った。
 はっとなって顔を上げた次の瞬間には、ルシアは無意識の内に口走っていた。
(『赤宝剣』……)
 そう。『五宝剣』の一つである『赤宝剣』。ルシアはそれを、ティランたちには絶対に手に入らないと断言した。
 何故セフィンがそれを知っていたのか。それは、セフィンの忘れ物が『赤宝剣』だからではないのか?
 そして、セフィンにしか解除できない結界。
 ルシアが洩らした呟きに、セフィンが出来の良い生徒を持った教師のように笑った。
《ルシアも、だいぶ頭が良くなりましたね》
 あからさまに冗談とわかるように軽い口調で言ったのだが、ルシアは自分がからかわれたと気付かなかった。
 そういう余裕がなかったから。
 魔法使いたちが探している『五宝剣』の一つがセフィンの忘れ物で、セフィンはようやく手にした肉体でその剣を手に入れようとしている。
 一体何をするつもりなのだろう……。
 ルシアは不安げに顔をしかめた。
 セフィンは何も言わずに魔法陣を解除し続けている。

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