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五宝剣物語

2−13

 木々の向こうに陽が沈んでいく。
 真っ赤に染まる湖面。その中に浮かぶ小さな島影を、セフィンは膝を抱えてじっと見つめていた。
 傷はほんのわずかの魔力で、死なない程度には治したが、あの島まで飛ぶような余力はどこにもない。
 それどころか、まだ少し動くだけで体中が痛んだ。
 辺りには血の匂いが充満していた。
 ホクシートのものではない。すべてルシアの身体から流れ出たものだ。
 彼は、原型すら止めずにこの世の中から消え去った。
(ありがとう、セフィン。仇を討ってくれて……)
 セフィンは小さく首を横に振った。
 何か言おうと思ったけれど、口は開かなかった。
 少女が、とても疲れた顔をしていたから。
(人を憎むのって、すごく虚しいことなんだな。セフィンが王国を恨んでいないって言った気持ち、少しわかった気がする。だって、こうして仇を討っても、何も戻らないんだもん……)
 セフィンは黙って聞いていた。
 ルシアは独り言のような発言をそこで終えて、静かに目を伏せた。
(それでも、やっぱり魔法使いは好きになれない……)
《どうして?》
 先を促すように聞き返すと、ルシアは両腕で自分の身体を抱きしめた。
(怖いんだ。あの圧倒的な力が。普通の人間にはまるで歯が立たない。あいつだって……セフィンの魔力がなければ、その剣がなければ絶対に勝てなかった)
 ルシアの言う恐怖はもっともだった。
 だから王国は『五宝剣』を作り出した。
 それでも、魔法使いとしてセフィンには言わずにはいられなかった。
《武器を持たない子供には、刃物を持った大人は脅威だと思う。でも、悪いのは刃物なの?》
 それは反論ではなかった。ただ、王女はルシアに魔法を嫌って欲しくなかったのだ。
 けれど、今のルシアにはセフィンの言葉を素直に受け入れる余裕がなかった。
(でも、刃物がなければその大人は何もしない。悪いのは刃物じゃないことはわかってるけど、刃物がなければ人は斬られずに済む)
《でも刃物は必要だわ。それは人を殺すためだけにある道具じゃない》
 ルシアは大きく頷いた。
(うん。刃物はいると思う。でも、魔法は必要ない)
《魔法は便利よ。使い方次第だと思う》
(便利なのと必要なのは違う。現に今、魔法なしでもこの世の中は成り立ってる。だから、今の世界に魔法なんて必要ない!)
 ルシアが語調を荒げたので、セフィンは小さく溜め息を吐いた。
《じゃあルシアは、私やリスターにも消えて欲しいのね……》
 声に出したら、無性に悲しくなって王女は涙を零した。
 そして、あまりにショックだったから、思わず彼女は王女にあるまじき一言を口走ってしまった。
《みんながあなたみたいな考え方をするから、魔法使いたちは精神的に追い詰められてああなってしまうのよ……》
 言ってすぐに、セフィンは自分の失言に気が付いた。
《ご、ごめんなさい、ルシア!》
 血相を変えて少女にすがりつく。
《ごめんなさい! ルシアの考え方は、王国の法が、今の慣習が作ったものだってわかってる。ごめんなさい! 私、あなたにひどいことを言ってしまった……》
 ルシアは先程のセフィンの言葉に、一瞬驚いたがすぐに穏やかな息を吐いた。
 そして、エリシアが見たら泣いて喜びそうな大人びた笑顔で、そっとセフィンの髪を撫でて言った。
(セフィンは、あたしの言ったこと、誤解してる……)
《えっ……?》
 顔を上げ、涙を拭いてルシアを見ると、少女はにっこり笑って王女の顔を見下ろしていた。
(あたしは魔法が要らないって言ったんだ。素人の考えだからセフィンが誤解するのもしょうがないけど、あたしは子供に刃物を振り上げた大人から、刃物だけを取り上げようって言いたかったんだ)
《ルシア……》
 セフィンは目からうろこが落ちたように、ぽかんと口を開けた。
 実現可能、不可能以前に、考えたこともなかった。
 当然だ。それは魔法使いが考えることではない。魔法の使えない者の中で、同じことを考えたことがあるものは数知れないだろう。
 けれど、セフィンが誰かの口からその考えを聞いたのは初めてだった。
《できるのかしら……そんなこと……》
 セフィンは俯いて呟いた。
 魔法が使えなくなるのは嫌だけれど、大半の魔法使いが魔法に溺れるのは現実であり、事実80年前の戦争もそうして起きたのだ。
 ルシアは寂しそうに笑った。
(できないだろうし、魔法使いたちがうんって言うはずがない。だから、王国は力で抑えるしかなかったんだと思う。今起きていることは、誰にもどうにもできないことなんだんな、きっと)
 セフィンはそれ以上何も言わなかった。
 いずれにせよ、自分の命は後わずかだ。考えても仕方ない。
《用が済んだら、『赤宝剣』は再び封印します。誰にも解かれないように。私は、私がいなくなった後のこの世界が、あの時のようなことにならないことを祈っています》
 ルシアは黙っていた。
 戦争は免れない。
 それは、『赤宝剣』を封印しても同じことだ。
 元々魔法使いの方が強いのだから、王国が対魔法使い用に作り出した武器を魔法使いである少女が封印しても、彼らの目的が達成されないだけで戦争は起きる。
 ルシアはそれを直感的に感じ取った。
 それでも、セフィンと出会ってからこれまでの間に、少女はそれを口にしないだけ成長していた。
 王女も同じことを感じていることがわかったから。
 歴史が繰り返されないことは、王女の祈りでしかないのだ。
 冷たい風が、まるで泣き声のような音を立てて吹いていた。
 セフィンはすっかり暗くなった湖と、そこに映る星空をじっと見つめて泣いていた。
 70年前も、そして今も、世界に対してまるで無力な自分がひどく情けなく思えた。
 ルシアは口を引き結んで、そんな王女の姿を見つめていた。
 まるで心に焼き付けるように、忘れないように、これで彼女を見るのが最後であるかのように……。
 二人きりの静かな夜が、ゆっくりと更けていった。

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