■ Novels


青空に続く道

■主な登場人物
セディー : 盗賊の少年。仲違いして、仲間に追われていたところをアリシアに助けられる。
アリシア : ハイデルの騎士ギルスの娘。父を殺され、現在は森でひっそりと暮らしている。
ハイルーク : 美しい楽器を持つ旅の吟遊詩人。リッシュに頼まれ、アリシアを訪ねる。
リッシュ : アリシアの母親。自分たちを付け狙う盗賊ベイマルを追って旅をしている。
タクト : ハイデルに住む少年。独学で魔法を学ぼうとしていたが、ミーフィに教わることに。
ミーフィ : 魔法使いの少女。魔法を学べないタクトを不憫に思い、規則を破って魔法を教える。
ベイマル : 盗賊団の頭領だったが、アリシアの父に壊滅させられる。アリシアを付け狙う。
ハイス : 魔法王国ヴェルクの第一王子。“ジェリスの再来”と評される天才魔法使い。

タクト・プロザイカ

 タクト・プロザイカは極めて稀有な才能を持った魔法使いだった。そもそも魔法と言うのは、魔力を持った一部の人間が、然るべき機関で教育を受けることによってその使い方を習得できる。そして、このフルースベルク半島は、ルヴェルファスト大陸の中でも最も魔法に力を入れている地域ではあったが、それでも魔法研究所に入るためには相応の金を必要とし、貧乏人には魔法を学ぶ機会を与えられなかった。
 タクトは12歳になるまで、ゲレンク近郊の港町に住んでいた。父親のエザ・プロザイカは漁師で、母親のマライアは家にいて、学校に行かせられないタクトに文字や計算を教えていた。プロザイカ家は、日々の暮らしに困るほどでこそなかったが、決してゆとりある暮らしもしていなかった。
 12歳のとき、エザが嵐で船を失い、一家は親戚を頼ってハイデルに引っ越した。遠い親戚は一家に粗末な家を与え、大工の仕事を斡旋したが、それっきり交友は途絶えた。エザ・プロザイカは新しい土地で、大工として新しい人生を歩み始めた。
 タクトが魔法に興味を持ち、その才能を開花させたのは、ハイデルに引っ越してきてから2ヶ月が過ぎた日のことだった。街を散策していたときに、偶然広場で魔法の練習をしている二人組の子供たちを目撃したのだ。
 タクトは魔法の存在は知っていたが、自分と同じくらいの子供が使っているのは見たことがなかったので、興味を抱いて何気なく彼らに近付いた。そして、彼らの近くの木陰に腰を下ろすと、持っていた本を開き、それを読む振りをしながら彼らの様子を窺った。
「いいか? 魔力は全身で風を受け止めて、身体の中を行き渡らせるようにイメージして集めるんだ」
 一人の少年が偉そうにそう言いながら、目を閉じて小さな光の球を作って見せた。そして得意げに笑って、「やってみろ」と言う。
「理屈ではわかってるけど、上手くできないんだよ」
 少年はふてくされた顔をしながら、言われた通りにしてみたが、先ほどの子供のようにうまく光の球を作ることはできなかった。
「こればっかりはイメージの問題だから、練習するしかないんだよな」
 すでに何十分もそこで練習していたのか、それとも単に飽きっぽいのかはわからないが、上手くできる少年がそう言って投げ出した。そして自分の練習に励む。
 タクトはじっと彼らを見つめながら、まず上手くできる少年の動きを見、それから上手くできない少年も見て、二人の違いを研究した。そしてそこから、魔法を使うための基本的な動作や、もう一歩飛躍するためのコツを学び取った。
 さらに数十分練習すると、ようやくもう一人の少年が、出来る子の動きに近付き、光の球を出せるようになった。そして二人はその場を去り、一人残されたタクトは本を置いて立ち上がった。
(なるほどね。これは確かに、知らなければ偶然には起こり得ないな……)
 タクトは自分に魔力があることは薄々感じ取っていたが、魔法を使ったことはなかったし、使い方も知らなかった。もっと幼い頃はそれほど興味もなく、教育を受けることが叶わないことを知っていたので、使いたいとも思わなかった。
 タクトは目を閉じると、風をイメージした。気を溜めるように全身を意識し、吸い込んだ息を巡らせる。不思議な熱さが込み上げ、何かオーラのようなものに包み込まれる感じがした。これが魔力だろうか。
 今度は先ほど彼らが使っていた光の球をイメージした。けれど、どれだけ頑張ってもそれ以上何も起こらない。タクトはイメージの仕方が違うのだとあきらめ、もっと別のアプローチを試みることにした。
(他人が使ったのを見てもダメなんだ。自分で作らないと……)
 再び魔力を集め、タクトは頭の中で光の球を構成し始める。なかなか上手くいかなかったが、次第にぼんやりと具体的なイメージができ始め、同時に身体を覆った魔力が形になっていくのを感じた。
 しかし、タクトはそこで疲れてしまったので、一旦考えるのをやめ、目を開いた。力を抜き、大きく息を吐くと、異変に気が付く。集まった魔力がそのままになっていて、それどころか、どんどん膨れ上がっていくのだ。
(な、何?)
 一瞬だった。タクトは反射的に伏せ、同時に行き場を失った魔力が爆発した。タクトは発生した爆風に吹き飛ばされ、草の上をごろごろと転がりながら、やがて太い木に背中を打ち付けて止まった。
「い、痛ぇ……」
 全身が痺れていたので、しばらくそのまま倒れていたが、誰かに助けられるという展開は避けたかったので、無理矢理身体を起こした。幸いにもひどく痛むところはなかった。
 目を開けて先ほどまでいた場所を見ると、近くの木の幹が大きくえぐれ、ゆっくり倒れようとしていた。タクトは急いで元の場所に戻ると、本を拾い上げて走った。
 とんでもないことをしてしまったと言う思いと同時に、抑えきれないほど高揚する気持ちがあった。魔法はどうやら失敗したようだが、それでもあの木を倒したのは自分なのである。まったく未知で、どう使ってよいのかまるでわからなかった魔法への扉が開かれた。タクトの瞳は底知れない好奇心に輝いていた。

 家に戻って、興奮気味にその話をすると、少年の期待に反して、マライアはあまり良い顔をしなかった。タクトはショックを隠せず、それ以上魔法の話をしなかった。
 ところが翌日、マライアは出かけようとしたタクトを呼び止めてこう言ったのだ。
「タクト、昨日の話なんだけど、魔法は使ってはダメ。いい?」
「どうして?」
 タクトが露骨に不満を表すと、マライアは大きく首を横に振って答えた。
「魔法は、ちゃんとした研究所で学んで使わなくちゃダメなものなの。そうでないと、魔法は他人にとっても、自分にとっても危険なものなのよ?」
「……わかったよ」
 タクトは仕方なさそうに頷いた。だが、まったく未知の面白い発見をした少年の心を抑えるには、マライアの言葉は弱すぎた。タクトは魔法を使わないと決めたのではなく、もう家ではその話をするまいと決めたのだ。
 タクトは本屋に向かって歩き始めた。もっとも、本は貴重なので、タクトにはそれを買う金はない。昨日読んでいたのも、古くからプロザイカ家にあったものであり、エザもマライアもタクトに本を買ったことはなかった。
 道すがら、タクトは昨日の光景を思い出していた。
(あいつは何度も失敗してたけど、あんなふうに爆発はさせなかった。集まった魔力をどうしていたんだろう……)
 それは“受け流し”と呼ばれる、魔法の基礎の基礎だったが、誰にも魔法を教わっていないタクトがそれを知っているはずがなかった。
 本屋に入ると、タクトは店主に何か魔法に関する本はないかと尋ねた。店主は訝しげに少年を見て言った。
「君はどこの子だい? 研究所の子?」
「うん、そう。今は買えないけど、どんな本があるのか見てみたくなって」
 タクトは自信満々にそう答えたが、店主はやはり信用せずに、重ねて尋ねた。
「見たところ、凝力石を持ってないようだが……」
「ぎょうりょくせき?」
 タクトが聞き返すと、店主は見るからに怒った顔つきになり、声を荒げた。
「研究所の子が凝力石を知らないわけがないだろう! お前は一体どこの子だ!」
 どうやらタクトは、魔法使いには常識である何かを知らないのだと理解し、一目散に逃げ出した。店主は店の出口まで追ってきたが、それ以上は追ってこなかった。
 タクトは狭い路地を駆け抜けて、やがて立ち止まって肩で息をした。
「あー、怖かった。“ぎょうりょくせき”か……。どんなものだろう」
 気にはなったが、あまりにも常識的なことを尋ねるのも気が引ける。
 その日からタクトは、ひとまず魔法の練習はやめ、魔法研究所の周りをうろついて、魔法使いの観察をすることにした。魔法はあのまま続ければいつか使えるようになりそうだが、あの爆発は怖い。マライアの言ったことを、タクトは忠告として胸に留めていた。
 数日の間に、タクトは“ぎょうりょくせき”とは、どうやら緑色をした石なのだとわかった。そこである日、街でその石を填めた女の子を呼び止めて、道を聞くついでにその石について訪ねてみた。
「その石、綺麗だね。宝石なの?」
「これ?」
 タクトに道を教えた女の子は、少し驚いて指輪をした左手を顔の前に持ってきた。魔法使いが皆持っている緑色の石が填め込まれている。
「これは凝力石って言って、魔法を使うときに使うものなの。魔法使いはみんな持ってるのよ」
 タクトは一瞬怪訝な顔をしたが、自分で考えるのはやめて聞いてみることにした。
「じゃあ、君は魔法使いなんだ。その石がないと、魔法は使えないの?」
「そうよ。あなたは、魔法が好きなの?」
「うん!」
 タクトは色々と疑問に思うことがあったが、今はこの少女が思いの外気さくに話してくれるので、まずは集められるだけ情報を集めようと考えた。
「ねえ、良かったら魔法を教えてよ」
 女の子は少し困った顔になった。
「ごめんね。それはダメなのよ。先生以外の人は、魔法を人に教えちゃいけないことになってるの」
「ふーん」
 タクトは内心がっかりしたが、表には出さなかった。女の子との会話を終わらせたくはない。
「じゃあさ、よかったら魔法を見せて! 僕、魔法を見てるだけで嬉しくなるんだ!」
 子供らしい顔で笑いかけると、女の子は「それなら」と快く引き受けた。憧れの眼差しを向けられて、気分がよくなっているらしい。
 少し場所を変えると、女の子はまず「絶対に話しかけないでね」とタクトに念を押した。
「どうして?」
 タクトが怪訝に思って尋ねると、女の子は数日前のタクトの疑問を解消した。
「魔法はね、すごく集中して使うの。その集中が途切れると、魔力が溢れて爆発しちゃうの。もちろん、ちゃんと受け流せば大丈夫なんだけど、私、まだそんなに魔法が上手じゃないから」
「うん、わかったよ。絶対に話しかけない」
 タクトはあの日の爆発の理由を知ることができて、思わず顔を綻ばせた。どうやら、魔法を途中でやめるときは、“受け流し”をしないといけないようだ。もちろん、その方法まではわからなかったが、いずれは出来るようになるだろう。
 女の子はタクトの明るい笑顔を見て、嬉しそうな顔をした。彼女は魔法が下手な部類だった。研究所ではいつも先生に怒られていたし、魔法があまり好きではなかった。それでも、魔力があるからという理由で親に無理矢理学ばされ、毎日研究所へ通っている。
 そんな自分に、この少年は尊敬の眼差しを向けてくれるのだ。女の子の心は弾んでいた。
 意識を集中させ、額に汗を滲ませながら、やっとのことで光の球を浮かばせると、少年は目を丸くしてから、恥ずかしくなるほど大きく拍手をした。
「すごい! すごいよ!」
「あ、ありがとう……」
 女の子は少し照れくさくなって、顔を赤らめて俯いた。
「いいなぁ。かっこいいなぁ。僕も使ってみたいよ」
 タクトは興奮して思わず女の子の手を取った。もちろん、多少芝居がかってはいたが、あながちすべてが計算によるものでもなかった。タクトはまだ魔法をほとんど知らなかったし、こうして間近で見たのは初めてだったのだ。
 女の子は目の前ではしゃぐ少年が、だんだん不憫に思え始めた。自分のように、大して魔法を好きでもないのに学ばされている者もあれば、この少年のように、魔法を愛しているのに学べない者もある。そう思ったとき、女の子は無意識の内にこう言っていた。
「あなたも……使ってみる?」
「え? いいの?」
 タクトは驚いて目を見開いた。なるべく同情を誘うようにはしたものの、まさかこの真面目そうな女の子が、規則を破る発言をするとは思ってなかった。
 女の子がこくりと小さく頷いたので、タクトは嬉しそうに微笑みながら、真面目な瞳で礼を言った。
「ありがとう。僕には、君が天使に見えるよ」
 女の子は顔を真っ赤にすると、凝力石の指輪をタクトに渡した。タクトはまだ小さかったので、その指輪は普通に人差し指に填めることができた。
 女の子はまず、魔力の集め方とその受け流し方を教えた。研究所で一番初めに学ぶのである。
「“受け流し”ができない人は、魔法を使っちゃいけないの。私たちは最初に何度も何度もこの練習をさせられる」
 女の子は、タクトがちゃんと形のある魔法を使いたいだろうと思って、申し訳なさそうにそう言った。もちろん、タクトは少しも気にしなかった。
「ううん、いいよ。ありがとう」
 タクトは言われた通りに魔力を集め始めた。魔力は自分でも驚くほど早く、そして多くの量を集めることができた。
(これが凝力石の力?)
 確かに、凝力石があった方が魔力は簡単に集められる。けれど、集まってくる魔力は先日試したものと本質的には変わりなく、タクトは凝力石がなくても魔法を使うことができると確信した。
 もっとも、女の子は凝力石がなければ魔法を使えないと断言したし、本屋の主人も同じようなことを言っていたから、使えない人もいるのだろう。
 凝力石がなくても魔法を使うことができる。それが、タクトの持つ稀有な才能だった。
 タクトは集まってきた膨大な魔力を、少しずつ発散させるようにした。女の子は「風を返す」という表現を使った。恐らく研究所の先生の言葉そのままなのだろうが、タクトはそれを意識しつつ、周囲の空気に魔力を溶かすようにした。魔力は、やがて消えてなくなり、身体に帯びていた熱も冷めた。
「できた?」
 女の子が真面目な顔で聞いてきた。タクトは大きく頷いてから、にっこりと笑った。
「うん、できた」
「よかった!」
 女の子も同じように明るい顔で微笑んだ。

 女の子はミラフィス・エージエルと言い、ハイデルではそこそこ名の知れた商人、エージエル家の次女だった。歳はタクトより二つ上だそうだ。ミラフィスは幼い頃から友達に呼ばれているミーフィという愛称が気に入っていたので、タクトにもそう呼ぶよう言った。
 タクトが積極的に頼んだこともあって、ミーフィはタクトに魔法を教えることにした。もちろんそれは、研究所では禁じられているから二人の秘密だったが、ミーフィは悪いことをしているという後ろめたさ以上に、子供らしい冒険心を抱いていた。
 あまり頻繁に会うと親に気付かれるかも知れないと、二人は一週間に一度、主に研究所から遠く離れた地域の広場で会った。主に、と言うのは、場所は定期的に変えたのである。その方が気付かれにくいというタクトのアイデアに、ミーフィは瞳を輝かせて頷いた。
 タクトはミーフィに凝力石を借り、魔法に打ち込んだ。タクトの成長ぶりは目覚ましく、ミーフィは驚かずにはいられなかった。それもそのはずである。ミーフィはタクトが一週間に一度、自分と会っている時にしか練習できないと思っていたが、実際はタクトは毎日何時間も反復練習していたのだ。彼は、本当は魔法を使うのに凝力石を必要としない。
 タクトは自分で勉強する術がなかったので、知識の量はミーフィに負けたが、魔法の腕前はすぐに正規の魔法使いである彼女を凌駕した。もしも少しでもミーフィが魔法を好きなら、タクトの才能に嫉妬しただろう。けれどミーフィは魔法が好きではなかったので、だんだん自分で使うよりも、タクトの成長を見ている方が楽しくなったいた。
 もっとも、ミーフィもタクトと出会ってから成長していた。人に教えることは自分の復習にもなるのだ。それでもミーフィは、自分が上達するよりも、人に教えて喜んでもらうことの方が嬉しかった。
 二人のこの魔法の練習は、冬を越え、遅い春がやってきても続けられた。その頃には、二人は魔法の練習以外でもよく会って遊ぶようになった。タクトにとってミーフィは、大切な魔法の先生であると同時に、引っ越してきたばかりのハイデルでできた初めての友達だった。また、ミーフィにとっても、タクトは貴重な友人だった。
 ミーフィは研究所では落ちこぼれの部類に入り、ほとんど友達がいなかった。研究所の他に学校にも通っていたが、女の子は少なく、男の子はあまり好きではなかった。
「私ね、本当はタクトに教えてあげられるほど、魔法が上手じゃないの。見ててわかると思うけど」
 ある日、ミーフィはあまりにも自分を慕うタクトに申し訳ない気がして、そう言ったことがあった。けれどタクトは、
「それでも僕は、ミーフィに教えて欲しいんだ」
 と、ただ一言だけそう言った。実際、タクトは厳しくてウマの合わない偉大な魔法使いよりも、ミーフィに教えてもらう方がいいと思った。規則を破ってまでずっと教え続けてくれるミーフィに、心から感謝していたのだ。
 ミーフィはタクトの答えを聞いて、ますます教えるのに熱を入れた。少しでもタクトの力になりたいと思ったとき、自分はこの少年が好きなのだと自覚した。
「ずっとこうしていられたらいいね」
 ミーフィと過ごす、楽しい日々。
「うん……」
 それが、ずっと続くと二人は疑わなかった。

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