■ Novels


青空に続く道

■主な登場人物
セディー : 盗賊の少年。仲違いして、仲間に追われていたところをアリシアに助けられる。
アリシア : ハイデルの騎士ギルスの娘。父を殺され、現在は森でひっそりと暮らしている。
ハイルーク : 美しい楽器を持つ旅の吟遊詩人。リッシュに頼まれ、アリシアを訪ねる。
リッシュ : アリシアの母親。自分たちを付け狙う盗賊ベイマルを追って旅をしている。
タクト : ハイデルに住む少年。独学で魔法を学ぼうとしていたが、ミーフィに教わることに。
ミーフィ : 魔法使いの少女。魔法を学べないタクトを不憫に思い、規則を破って魔法を教える。
ベイマル : 盗賊団の頭領だったが、アリシアの父に壊滅させられる。アリシアを付け狙う。
ハイス : 魔法王国ヴェルクの第一王子。“ジェリスの再来”と評される天才魔法使い。

ハイス・ウェンダー

 ティーアハイムで家を失ったタクト・プロザイカが向かった先、ヴェルク王国は、魔法の基礎を作り上げた偉大なる魔法使いウィルシャが興した国だった。
 ウィルシャは魔術の体系を作り上げた天才ジェリスを子にもうけ、ウィルシャの死後はジェリスがヴェルクの王になった。だが、この男系はその後数代で途絶え、現在はジェリスの孫娘が嫁いだウェンダー家が代々の王となっていた。
 現王サテロ・ウェンダーの長子ハイスは、“ジェリスの再来”と呼ばれる魔法の天才で、若干15にしてすでに数々の功績を残していた。8歳の時に父親の狩りの最中に現れた狂暴な狼を倒すと、12歳で海から現れた魔獣を一人で撃破し、その翌年には自然発生した巨大な竜巻を消滅させた。
 もちろん、単に魔法が強いだけでなく、頭脳は明晰で人柄もよく、年相応の横着さも残していて、人々からの信頼も厚かった。
 このハイスの側近として、すでに10年以上彼を見守っているのが、強盗騒ぎの指揮を取るディラットその人だった。マンセスからセディーのことを吹き込まれた後、ディラットは数日かけて、確かに森に人が住んでおり、彼らがそこに怪しげな魔法の結界が張ってることを確認した。
「わたくしは、ただちに行って、盗賊セディーとその一派をことごとく捕らえる所存です」
 この側近の報告を、ハイスは解せない顔で聞いていた。あまりにもあっさりと情報が入りすぎた気がしたのだ。恐らく、真犯人はその話を吹き込んだ男たちの方であろう。ハイスはすぐにそう考えたが、敢えて何も言わなかった。
 と言うのは、男の話があながち嘘とも思えなかったからである。男の目的が軍にセディーを潰させることだったとして、その動機は盗賊同士のいさかいの可能性が高い。でなければ、セディーらは何もそんな森の中に、人目を逃れるように暮らす必要はないはずである。踊らされるのは癪だったが、セディーを野放しにしておくのが危険と言う男の話には一理あった。
 ハイスはこっそり城を抜け出すと、15人ほどの部下とともに森へ向かったディラットの後を追いかけた。理由は二つある。一つは、恐らくどこかで見張っているであろう、その男たちをまとめて片付けるため。もう一つは、セディーとともにいるという魔法使いを見るためである。
 魔法使いはそれなりの訓練を受けなければなることができず、ましてやジェリス系魔術で結界を張るとなると、魔力も相当の者だと考えられる。そんな力のある魔法使いが、何故そのようなところで、盗賊と思われる人間と一緒に暮らしているのか。もしもその魔法使いが盗賊の片棒を担いでいるとしたら、絶対に許されるものではない。魔法の悪用は、ヴェルクでは極刑に値する。
 もちろん、それは王子としての立場の話であり、一魔法使いとしては、その男が何者であるかと言う興味もあった。かなりの距離をおいてディラットを追いかけながら、ハイスは年相応のいたずらっぽい微笑を浮かべていた。

 かなり大勢の人間が結界に足を踏み入れたことを察知したタクトは、その表情を険しくして、それをアリシアとセディーに告げた。
「とうとう、ベイマルに居場所を突き止められたのかも知れないわね」
 そう言ったアリシアの顔には、不敵な笑みが貼り付いていた。もう、父親を目の前で殺された時の、ただ逃げるだけで何もできなかった小さな女の子とは違うのだ。今は剣の腕にも自信があったし、心強い仲間もいる。
 アリシアは剣を取り、外で何があっても家から出ないようタビンに言った。セディーとタクトは隣の小屋に駆け込むと、セディーはナイフを、タクトは凝力石の填め込まれた小さな杖を手に取った。ここに来てから数ヶ月後にようやく手に入れたものである。
「熱くなるなよ、タクト。魔法使いは常に冷静であれって、ハイルークさんにも言われたんだろ?」
 タクトは一度セディーと目を合わせると、大きく深く頷いた。
「アリシアを守るよう約束した。行き場をなくして、すっかりすさんでいた俺を救ってくれた人だ。命懸けで守る」
「俺も同じだ」
 二人はそれぞれ武器を持って外に出ると、アリシアと三人で侵入者を待ち構えた。そして、ようやく侵入者が姿を現したとき、三人は愕然となって目を見開いた。現れたのは柄の悪い盗賊たちではなく、ヴェルクの紋章の施された鎧を着けた軍隊だったのだ。
「俺はディラット。セディーというのはお前か」
 ハイスの近衛隊長は、魔法使いではない方の男を睨み付け、そう声を張り上げた。その瞳は鋭く、返答次第では今すぐにでもセディーを斬り捨てるつもりなのが容易に見て取れた。
 セディーは青ざめた。こういう展開は考えてなかったのだ。それはアリシアも同じで、セディーの隣で困惑した表情を浮かべた。
「確かに、俺がセディーだが……。何の用だ?」
 ディラットは「ほぅ」と呟き、蔑むような目でセディーを見下ろしてから、静かにこう言い放った。
「オグレイドを知っているだろう」
 その時、ディラットにはオグレイドという盗賊がいたという裏付けは取れていなかった。だが、ディラットが酒場で会った男の話はもはや確定的だったので、敢えてそう鎌をかけたのだ。セディーが男から受け取った宝石は、今アリシアの首元にあった。ディラットはそれを見逃さなかった。
 ディラットの言葉を聞いて、セディーは言葉を失った。もはや言い逃れできる状況ではない。オグレイドの名まで出されたら、自分の素性はすべて知られていると考えるのが妥当だ。
 セディーが青ざめ、小さく震えるのを見て、アリシアが声を上げた。
「確かにこの人は、昔盗賊だったかも知れない。だけど、今は違うわ。今は一生懸命働いてる」
「一生懸命、ねぇ」
 ディラットは鼻で笑った。
「一生懸命働いた結果が、お前のその首からかかっている宝石か?」
「え?」
 アリシアは何のことだかわからずに、少し首を傾けると左手で宝石を取った。そしてちらりとセディーを見る。
 セディーはアリシアを見て大きく首を横に振ると、ディラットを睨み付けて言った。
「何のことだ? これは仕事の代金としてもらったものだ」
「もらった? 誰から?」
 尋ねられ、セディーはあの日に街であったことを事細かに話した。男の外見までしっかりと話したが、マンセスはディラットとセディー、どちらに会ったときも変装していたので、ディラットはそれが同一人物だと気付かなかった。いや、そもそもセディーの話など聞いていなかった。
「よくできた作り話だ、セディー。たかが机や椅子の代金で、その宝石を渡された? それは、ヴェルク王の親族にあたる方が着けていたものだぞ。もっとも、そんなことは俺が話さなくても、お前が一番よく知っているだろうがな」
 ディラットの言葉に、アリシアは息を飲み、セディーはようやく事態を把握して声を上げた。
「俺は知らない! はめられたんだ! これは罠だ!」
「黙れ!」
 ディラットが怒りの顔で怒鳴りつける。
「お前はオグレイドの仲間の盗賊だった! そして今、こうして人気のない森の中で、怪しげな結界を張って暮らしている! もはや言い逃れする余地はどこにもない!」
 ディラットが剣を抜き放ち、兵士たちも一斉にそれに倣った。金属のこすれる無数の音に、アリシアが悲鳴じみた声で叫んだ。
「ここで暮らしているのには理由があるの! 聞いてください!」
「話は牢屋で聞こう。武器を捨てなければ、この場で斬る!」
 ディラットが不敵な笑みでアリシアを睨み付け、アリシアは毅然としてそれを睨み返した。たとえこんなところで生活をしていようとも、元は立派な騎士の娘である。これ以上身に覚えのない罪を着せられるのは堪えられなかった。
 アリシアが剣を抜き放つと、兵士たちに緊張が走った。
「落ち着け、アリシア!」
 タクトの言葉に、アリシアは首を横に振った。その瞳は怒りに満ち、剣を握る手はかすかに震えていた。
 ディラットは油断なく構えたまま言い放った。
「所詮は盗賊か」
「私たちは盗賊じゃない! 侮辱するな!」
 先に、アリシアが地面を蹴った。
「やめろ、アリシア!」
 セディーが一テンポ遅れて駆け出す。
「死ねぃ、小娘!」
 ディラットの振り下ろした剣を、アリシアは真っ向から受け止めた。腕が痺れたが、動かなくなるほどではない。素早く剣を跳ね上げ、ディラットの胴を切りつける。ディラットはそれを後ろに跳んで躱し、両横から兵士たちがアリシアに斬りかかった。
 多勢に無勢である。アリシアは四人の熟練相手によく戦ったが、その内足を滑らせて尻餅を付いた。
「きゃあっ!」
 すぐに立ち上がろうとしたが、見上げたそこにはすでに陽光に輝く3本の切っ先があり、アリシアの小さな身体を突き刺そうとしていた。
「い、いやあぁぁぁぁっ!」
 アリシアは絶叫した。兵士たちが剣を思い切り突き立てる。肉を突き破る鈍い音。苦しげな呻き声は、アリシアのすぐ上からした。
「セ、セディー!」
 アリシアをかばったセディーは、そのままアリシアに覆い被さるように崩れ落ちた。そして顔中に汗を浮かべ、厳しい瞳で言う。
「冷静になれ、アリシア……。挑発に乗ったら……負けだ……」
「セディー!」
 アリシアは瞳に涙を浮かべ、すぐにセディーの下から這い出ると、剣を放り出して血まみれになったセディーの身体を抱きしめた。容赦なく兵士たちはアリシアに切りかかったが、突然吹き荒れた豪風に、ディラットもろとも吹き飛ばされ、数人が木々に叩きつけられて呻き声を上げた。
「お前ら、抵抗する意思のない女に手を上げて、恥を知れ!」
 タクトはそう言い放つと、すぐにセディーのもとに駆け寄った。
 セディーはアリシアの腕の中で咳き込み、一度血の塊を吐き出すと、弱々しい微笑みを浮かべてアリシアを見上げた。そして、もはや聞き取るのがやっとなくらい小さな声で言った。
「今まで……ありがとう、アリシア……。ごめんな、俺がドジ踏んだばかりに……」
「セディー!」
 アリシアはもう前が見えないほど泣きながら、セディーの身体を抱きしめた。失われていく温もり、重傷のくせに落ち着いていく呼吸。消えゆく生命。
 声を上げて泣き出したアリシアの名を咎めるように呼んでから、セディーはタクトの方を見た。そして、自虐的な笑みを浮かべる。
「見ろ、タクト……。これが、盗賊の末路だ……。盗賊になりかけたお前を……ハイルークさんが助けた。だから、お前は……こうなっちゃいけない……」
 タクトはセディーの手を握り、そして力強く頷いた。
「わかった。約束する。俺は、盗賊にはならない。そして、必ずアリシアを守り抜く」
 セディーは笑って頷こうとしたが、できなかった。喉に再び血が詰まると、セディーはアリシアを見て最後の息を吐いた。
「ありがとう、アリシア……」
「セディーーーーッ!」
 絶叫するアリシア。セディーは誰よりも愛した少女の中で、その生涯を終えた。もはや生気を失った顔はわずかに微笑んでおり、セディーが満足して逝ったことを何よりもよく表していた。セディー・グランナは、確かに幸せだったのだ。
 アリシアはしばらく声を上げて泣いていたが、やがてゆっくりと立ち上がると、服の袖で涙を拭った。そして剣を取って地面に突き刺し、真っ赤に腫れ上がった目でディラットを睨み付けた。
「セディーは、確かに盗賊だった。だから、だから……こうなっても、仕方なかった……。だけど、私たちは違う! 父を殺されてからこれまで、一度だって悪に走ったことはなかった。どこへでも連れて行きなさい。私たちは潔白よ!」
 生きる。
 たとえ縄を打たれ、その姿で人前を歩かされようとも、生きるんだ。生命よりも大切なものなどないことを、セディーが身をもって教えてくれた。
 ディラットと15人の兵士たちはすでに元の体勢に戻っていたが、先にタクトが言い放った言葉と、その場を包み込む重苦しい空気のせいで、動くことができなかった。やがてディラットは我に返り、はっと顔を上げた。目の前に、少女が涙を流しながら立っており、そしてその遥か向こうの小屋から、一人の老婆が姿を現した。
 タビンはしばらくその光景を見つめていたが、やがてゆっくりと近付いてくると、静かにディラットを見上げた。そして悲しげに首を振った。
「ギルスの娘と、その友人であったディラット殿が剣を交えるとは、悲しいことだ」
「ギルス?」
 ディラットは呟き、そして一瞬の内に懐かしい男の顔が脳裏に蘇った。
「ギルス……まさか、ハイデルのギルス、か……?」
 呆然とするディラットに、アリシアは静かに頷いて、低い声で言った。
「そうです。ベイマルを討ち、そしてベイマルに殺された、あのギルスが私の父親です。これで、どうして私たちがこんなところで暮らさなくてはならないか、わかったでしょう」
 ハイデルとヴェルクは元々交流が盛んで、城の重臣クラスの人間は、それぞれの街にある魔法陣で行き来ができるようにさえなっていた。ハイデルの騎士ギルスは、ヴェルク王とも王子のハイスと交友があり、必然的にその近衛隊長であったディラットとも顔見知りだった。ギルスがベイマルに殺されたという報を受けたときなど、一人で酒をあおって泣いたほど、ディラットはギルスと親密だったのだ。
「バ、バカな……そんなことが……」
 ディラットは呆然となり、思わず膝をついた。
 アリシアはそんなディラットを悲しげに見つめていたが、その内いたたまれなくなってセディーに目を遣った。そしてもう一度その場に屈むと、そっとセディーの髪に触れた。
 その時だった。
 突然奥の森から人間の悲鳴がして、アリシアは弾かれるように立ち上がった。ディラットも身構え、森を見る。しばらく男の怒声が響き、明らかに魔法と思われる炸裂音がすると、再び辺りは静まり返った。そして、一人の青年が姿を現す。
「王子!」
 ディラットが驚きに声を上げ、思わずその場に片膝を付いた。兵士たちもそれに倣い、ハイスはそんな彼らに軽く手を上げてから、真っ直ぐアリシアのもとへ歩いた。
「ハイス様……」
 アリシアは呆然と呟き、思わず力が抜けて倒れ込みそうになったところをタクトに支えられた。ギルスとハイスに交友があったのだ。ギルスが、ハイスと同じくらいの歳の娘を王子に紹介していたのは、必然だった。しかし、悲しいかな、アリシアとハイスが出会ったのはたったの一度であり、ディラットはその時その場にいなかった。
「すまない、アリシア。わたしが、もっと早く気が付くべきだった。けれど、わたしには、やらなければならないことがあったのだ」
 もちろんそれは、ハイスがここに来た目的を達成すること。ハイスは戦いをディラットに任せて、潜んでいるはずの男たちをひたすら探していた。そして、どうやらディラットがアリシアを殺すことはなさそうだとわかったからか、自らの手でアリシアを消そうとしていた男たちを見つけ、たった今闇に屠ったのである。
 アリシアは大きく首を振り、はっきりと言った。
「こうなったのは私のせいです。セディーはいつだって私に、冷静になれって言っていたのに、私から斬りかかってしまった。それに、セディーは紛れもなく盗賊でした。いつかはこうなる運命だったのかも知れない……」
 アリシアは再び込み上げてきた涙をぐっと堪え、固く目を閉じて首を振った。ハイスがしばらく何も言わずにアリシアを見つめていると、ディラットが呻くように言った。
「王子、申し訳ありませぬ。わたくしは……まさかギルスの娘だとも知らず……その仲間を……」
 見ると、ディラットは今にも切腹でもしそうなほど思い詰めた顔で地面を見つめていた。アリシアは彼を恨んでいるだろうが、根は真面目で心地よい男なのだ。でなければ、10年もハイスのそばにはいられない。
 ただ、悪に対して容赦がなく、真面目すぎるところがあり、今回はそれが裏目に出てしまった。いや、マンセスが彼の性格を最大限に利用したのだ。
「ヴェルクのディラットが一人の盗賊を討ち取った。ただ、それだけのことだ」
 ハイスが静かにそう言うと、ディラットは「王子!」と叫び、そのままむせび泣き出した。ハイスはアリシアを見て言った。
「君も、それでいいね?」
 アリシアは、黙って頷いた。それは、セディーが盗賊だと知った上でかくまっていたことと、ヴェルクの兵士に剣を向けたこと。アリシアのこの二つの罪には言及しないでおこうという申し出に他ならなかった。
 もちろん、セディーを悪者にするつもりはなく、この決着はいささかのしこりが残らないでもなかったが、アリシアは妥協し、忘れることにした。こうなった今、これ以上の決着などあり得ない。
 ハイスは重苦しい息を吐いてから、アリシアとタビンを見て言った。
「ベイマルにここを知られた以上、もはやここは安全とは言えない。それに、わたしたちはこうして再会した。あなた方は、わたしが城で保護したい。ギルス殿も、きっとわたしにそれを願っているはずだ」
 アリシアは迷ったが、ギルスの名を出されたら、それを断るのは父親に背く心地がした。タビンを見ると、彼女は孫娘を見て大きく頷いた。
「ありがたくお受けしましょう。そして、お城でリッシュさんの帰りを待ちましょう」
 アリシアは祖母に頷き返し、それからハイスに深く頭を下げた。
「ありがとうございます、ハイス様」
「いや……こんな近くで、こんな生活をしているとは……。知っていたら、もっと早くそうしていただろう」
 ハイスは溜め息混じりにそう言ってから、顔を上げてタクトを見た。そして、少しだけ微笑みを浮かべてこう言った。
「君も、城に来るかい? わたしは君と、魔法について話がしたい」
 タクトは突然の申し出に躊躇した。タクトは罪人なのである。
「お、俺は……」
 俯き、断りかけたタクトの腕を、アリシアがそっと掴んだ。そしてその瞳をじっと見つめながら、悲しそうに微笑む。
「ずっとそばで、私を守ってくれるんでしょ?」
「アリシア……だけど、俺は……」
 タクトは視線を逸らせ、辛そうに眉根に皺を寄せた。もはや一時のようなすれた心はなく、かつてミーフィとともにいたときのような、素直な心に戻っていたのだ。タクトは、倫理観に苛まれた。
 アリシアは静かに首を振った。
「タクト。あなたはセディーとは違う。胸を張りなさい。あなたは間違ったことはしていない」
 二人の会話を、ハイスは黙って聞いていた。何やら複雑な事情があるようだが、いずれどちらかの口から語られるだろう。そもそもこのような才能のある人間が、こんなところにいる時点で尋常ではないのだ。ハイスは特に驚かなかった。
「わかった。アリシアがそう言うなら、俺はそれに従おう」
「よかった」
 アリシアはにっこりと微笑み、安堵の息を漏らした。
「なら、決まりだな。三人で城に来てもらおう。その前に、その若者を弔いたい。アリシアの友人として」
 アリシアは一度セディーを見下ろしてから、神妙に頷いた。
「よろしくお願いします、ハイス様」
 ハイスはしっかりと頷いてから、アリシアと、そしてタクトと固く握手を交わし合った。

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