埃の積もった石畳の床には、無数の足跡がある。この様子だと、もはやこの墓には何も残ってないかも知れない。
ふと後ろを振り返ると、娘がキョロキョロと壁を眺めている。
「アミュスタッド。不用意に壁に触るなよ。それから、たとえどんな化けもんが出てこようが、大声を出すことも許さない。いいな?」
今度は先手を打って俺がそう言うと、娘は少し嬉しそうに目を見開いた後、コクコクと二度首を縦に振った。
俺はどうして娘が嬉しそうにしたのか一瞬わからなかったが、すぐに無意識の内に娘を名前で呼んでいたことに気が付いて溜め息を吐いた。
どうやらまだ俺は、娘のペースに乗せられているようだ。
やがて前方の壁に、別の場所への通路を発見した。その地点まで行くと、それは開きっぱなしになっている扉だとわかり、奥には大きめの部屋があった。
「ちょっと待ってろよ」
そう言いながら、俺は扉と壁をチェックする。背後の壁の、丁度成人の胸の高さ辺りに矢が2本突き刺さっていた。恐らく誰かが故意に罠を発動させたのだろう。
まだ他にも罠があるかもしれない。
俺は念入りに調べた後、大丈夫だと判断して部屋の中に入った。
中には煌びやかな意匠の施された箱が幾つか置かれていたが、それらはすべて開け放たれており、がらくた一つ残っていなかった。
ふと振り向くと、娘が暗い顔をして、荒らされた部屋を見つめていた。
「そんな顔するな。次行くぞ」
俺は溜め息混じりに、そう娘の頭を撫でてやりながら部屋を出た。
子供扱いされててっきり怒るかと思っていたが、娘は何も言わずに俺の後について通路に戻った。
それからさらに幾つかの分岐点と部屋、それに隠し扉と遭遇したが、やはりどれもすでに荒らされた後で、めぼしいものは何一つとして残っていなかった。
やがていよいよ最深部に差し掛かった辺りで、前方からわずかな異臭が漂ってきて俺は足を止めた。
「??」
一瞬眉をしかめて考えたが、すぐにそれは人の死臭だとわかった。
娘もまた異臭に気が付いたようだが、その発生源が何かは理解していないようだった。
俺は何も言わずに歩を進めた。
それからしばらくも行かない内に、俺たちはその場所に行き着いた。
開けられた扉の手前に、積み重なった死体が3つ。
「ひっ!」
娘の息を呑む声がした。
ちらりと首だけで振り返ると、娘は松明を取り落として、青ざめた顔で両手を口に当てて死体を凝視していた。
「見ない方がいいぞ」
俺はそう口走って、死体に近付いた。どうってことはない。戦場ではむしろ生者よりも多く見たものだ。今更なんの感慨も湧かない。
死体はどれも身体に細く短い矢を受けていた。一人が腕に、一人が胸に、一人が首に。だが、死因は矢による怪我ではない。矢に塗られていた毒だ。
開かれた部屋の中を覗き込むと、空箱が5つほど置いてあるだけで、他には何もなかった。そして、死んでいる男たちも何も持っていなかった。
誰か別のグループが、この死体を乗り越えてここを潜り抜けていったのだろう。もちろん、死者に宝など不要。この死体の宝もすべて持って、だ。
「ここにも何もなし、と……」
俺は立ち上がって娘を見た。すると、驚いたことに、娘はじっと死体を凝視したまま泣いていた。
俺はどうやらこの娘の涙に弱いようだ。
「お、おい。どうしたんだ?」
あたふたしながら俺が尋ねると、娘は手の甲で涙を拭って、
「ごめんなさい」
と、小さな声で謝った。
「いや、謝らなくてもいいが、一体どうしたんだ? まさかこいつらに同情してるのか?」
娘はその問いには直接答えず、代わりにかすれた声でこう言った。
「悲しいの……」
「悲しい?」
「うん。どうして……どうしてこんなお墓を建てたんだろう。どうして死者と一緒に宝まで埋葬したんだろう……。罠を張ってまで、そんなことする必要、どこにあったんだろう……」
「…………」
俺は、複雑な心境で娘の言うことを聞いていた。娘が言葉通りに昔の権力者たちに憤っているのか、それとも、墓を暴く真似をしている俺たちに憤りを覚えているのか、俺にはわからなかった。だから俺には、ただ娘の言葉に回答を与えることしか出来なかった。
「すべて、死後の世界のためにしたことだ」
娘がちらりと顔を上げる。俺はなるべく娘を見ないようにして続けた。
「所詮人間など生きて50年。昔の権力者たちは、その短い時間は、それよりも遥かに長く続く死後の世界のために存在すると考えた。だからこうして、財産を死後の世界に持っていくために墓に埋葬した。古い考えだ」
「……わかってる……」
娘が呟いた。
「それは、わかってるの……」
「……じゃあ、どうして?」
「わからない……」
娘はもう一度涙を零して、両手で顔を押さえた。
「わからないけど、ただ、悲しいの……」
嗚咽するアミュスタッド。俺はもはや何も言えずに、ただ娘が泣きやむまでそうしてそこに立ち尽くしていた。
さらに奥に進むにつれて、少しずつ死体の数が増えていった。まだ発動していない罠にもいくつか遭遇して、その度に俺は冷や冷やしながらそれらを解除していった。
ここは少し手強すぎた。
俺は今になってこの墓に来たことを後悔し始めた。
熟練度の高いグループがごろごろと死体になって転がるような墓を、俺のような、まだこの世界に入り立ての者に果たして攻略できるのだろうか。
しかし、探索は技術と同じだ。先人が少しずつ築き上げてきたものを、後の者が受け継ぎ、次に繋いでいく。現に俺は、今ここに死体になって転がっている者たちのおかげでここまで来られた。後は、俺さえもが礎にならないことを祈るだけだ。
娘は、というと、初めは死体を見るたびに怯えるような悲しむような、そんな瞳をして歩いていたが、今では慣れてしまったのか、或いは感覚が麻痺してしまったのか、無表情で歩いている。
何故この娘はこんなにしてまで、俺についてくるのだろう。
俺は疑問に思ったが、聞いてもどうせ「恩返し」の一言で片付けられると思って敢えて聞かなかった。
死体の中にはまだ宝を持っているものがいくつかあったが、俺はそれには手をつけずに先に進んだ。
「どうして宝物、盗らないの?」
娘が一度だけそう聞いてきたが、俺はそれに「荷物になるから」と端的に答えた。
娘も考えを察したようで、それ以上そのことには触れなかった。
つまり、生きて帰れれば帰りに拾って帰ればいいし、死ぬのならば必要ない。もっとも、本当に帰りにもう一度ここを通るのかと言われると、決して頷けはしないのだが、まああまり荷物を持たないに越したことはないだろう。
それに、実は娘には内緒だが、本当に高価なものは、少しだけ胸の中に入れてあったりもする。
やがてさらに奥に進んでいって、ついに俺たちは最深部と思しき場所に辿り着いた。
ところが……。
「あれ?」
俺は思わず間抜けな声を出して立ち止まった。
「どうしたの?」
娘が横に立って、俺の顔を覗き込む。
「…………」
俺は無言で前方に目を遣った。
通路の突き当たり、そこにはやはり開けられた扉があって、部屋があった。部屋は財宝に埋もれていて、金銀が俺たちの出す光を反射してキラキラと輝いていた。
部屋の中には、もちろん強力な罠が張ってあるのだろう。かなりの数の死体が転がっていた。宝は手つかずになっている。つまり、ここまで来て、誰もあそこに辿り着いた者がいないのだ。
しかし、俺が呆然となったのは、そんなことにではない。つまり、最深部だと思っていたこの部屋に、王女の棺がないのだ。
「ここは……違うのか?」
俺が呟くと、娘が怪訝な顔で聞いてきた。
「何が?」
「いや、ここは最深部じゃないのか?」
「ううん。ここは最深部よ」
「しかし、王女の棺桶がないぞ。誰かが宝には手を付けずに、王女の死体だけ持っていったのか?」
「ううん」
やはり娘は首を振って、それから意外なことを口走った。
「間違いなくここは最深部よ。ただ、棺がないだけ」
「……どういうことだ?」
「簡単なことじゃない。王女は最深部に葬られたわけじゃないのよ」
「……そうか……」
俺はまだどこかぼんやりとしながらそう答えて、部屋の中に足を踏み入れようとした。その時、
「ホリス!」
突然、背後で娘の叫ぶような声がして、俺はびくりと足を止めた。
「な、何だ?」
驚いて振り返る。
娘は少し怒ったような顔をして、それから珍しく厳しい口調で言った。
「何だ、じゃないわよ。慎重なホリスさんらしくないわ。どうして今、何の警戒もせずに入ろうとしたの?」
「あっ……」
言われて俺ははっとなった。確かに娘の言う通りだ。
「あ、ああ。すまん。どうかしていた……」
「ううん。あなたがどうかしてたんじゃなくて、それがここの罠なのよ」
「それが……罠?」
よくわからないと俺が聞き返すと、娘は奥の宝を凝視したまま、無表情で言った。
「宝物の罠。魅惑の魔法。宝に飢え、疲れ切った人たちは、みんなここで罠にかかって死ぬの。でも、それに気が付いて慎重に行けばたぶん大丈夫」
「そうか……」
娘に言われて、確かに俺はぼんやりしていた自分に気が付いた。そして、それと同時に、先程から俺は娘と何か妙な会話をしていたことに気が付いた。
「おい、アミュスタッド」
娘に背を向けたまま俺が聞く。
声が震えていたのだろうか。娘は少しだけ不安に曇った声で聞き返してきた。
「何? 何だか怖いよ、ホリスさん」
「あ、ああ、すまない」
俺はちらりと娘を見た。娘は先程までと変わらぬ顔で俺を見つめている。
俺は大きく一つ深呼吸して、それから低い声で娘に尋ねた。
「一つ聞きたい。ひょっとしてお前、この部屋に張ってある罠を知ってるんじゃないのか?」
娘は、しかし、俺の予想に反して首を左右に振った。
「ごめん。知らないわ。だって、別に私が張ったわけじゃないもん」
「そうか……」
俺は少し残念なような、どこかほっとするような溜め息を吐いて、部屋の中を見回した。
よく見ると、壁にうっすらと丸い筋の入った、無数の小さな穴の跡。死体の合間合間に見える床には、重さに反応すると思われる装置。見上げる天井は、吊り天井になっているようだ。
「頑張って。ホリスさん」
娘に言われて、俺は慎重に中に入った。
杖でコツコツと床を叩き、罠を発動させる。矢が、目の前を急速に飛び交い、もう一方の壁に消えていく。どうやら無限にそれが続けられるようだ。古代の知恵は恐ろしい。
俺は矢の来ない隙間を見ながら先に進んだ。床に仕掛けられた地雷のようなものも、すべて避け切った。
無数の罠という罠を避け、たったの数メートルを1時間ほどかけて、ようやく俺は宝の前に到達した。胸が躍った。
「これだけの宝があれば、ほぼ一生遊んで暮らせるな」
俺はそう呟きながら、逸る心を抑え切れずに、それらの一つに手を伸ばした。
「ホリスさん!」
唐突に、背後から娘の叫び声。
しかし、すでに遅かった。最後の最後で油断した。
触れた宝が最後の罠だったのだ。
舌打ちをする俺と、青ざめる娘にお構いなしに、床がいきなり左右に開いて、俺たち二人を呑み込もうとした。
「ちっ!」
俺は咄嗟に剣を捨て、網をとった。宝の乗った床はそのままだ。この網を宝にかければまだ助かる。俺は右手で筒を持ち、左手でロープをとった。
その時、
「ホ、ホリスさん! 助けてっ!」
背後で悲しそうに叫ぶ娘の声。
一瞬の迷い。
そして俺は、網を、娘にかけた。
「ホリスさん!」
今度は嬉しそうな娘の声。
何故、俺は……?
自分が信じられなかった。
その後のことは覚えていない。
果てしなく闇の中を落下して、やがて背中に激しい衝撃を受けて、俺の意識は暗転した。
網で絡み取った娘を、しっかりと胸に抱きしめたまま……。
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