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王女の棺
ライトタッチのファンタジー小説。
俗に言う『墓荒らし』を生業とする男ホリスが、次に目をつけたのは、古代オプリンパス朝の王女アミュスタッドの墓。彼はその道の途中で、王女と同じ名を持つ少女と出会う……。

 ポチャン……。
 冷たい、水の滴る音がする。
 ポチャン……。
 心地よい音だ。
 俺は、死んだのか?
 ……いや、生きてるな。
 娘は……助けられなかったのか?
 ここはどこだ?
 ポチャン……。
 寒い……。
「ホリスさん……」
 遠くから心配そうな娘の声。
 何か柔らかいものが俺の唇にあてがわれる。
 娘の唇……。
 二度目だ。心地よい……。
 そこから、冷たいものが俺の口腔に流し込まれる。
 水だ。少し娘の唾の味がする……。
 ただの俺の願望か?
「ホリスさん……」
 今度は近くから娘の声。
 俺はうっすらと目を開けた。
 何も見えない。けれど、娘の嬉しそうな声。
「ホリスさん! 気が付いたんだ!」
「声はすれども姿は見えず……か」
「何を言ってるの? 目の前にいるじゃない。しっかりしてよ、ホリスさん」
「あ、ああ……」
 少し、視力を失っていたようだ。
 やがて、ぼんやりとものが見え始めた。
 初めに見えたのは、心配そうな娘の顔。良い気分だ。
 次は、何も見えなかった。というか、娘の顔から視線を外したくなかった。
 じっと見つめていると、娘が頬を染めて俯いた。
「ちょっと、ホリスさん。目が覚めたのなら早く起きてよ」
 その言葉に、ようやく俺は気が付いた。後頭部にやはり柔らかくて温かな素肌の感触。娘の膝枕。
「ああ、悪い……」
 ずっとそのまま寝ていたいような衝動に駆られたが、仕方がない。
 俺はゆっくりと起き上がった。そして、まず周りの状況を確認する。
 洞窟だ。石肌が剥き出しになっている。光源はあの時俺が手放した光る剣。すぐそこの地面に突き刺さっている。
 恐らく、娘が抜こうとして抜けなかったのだろう。あの高さから落ちてきて突き刺さったのだ。仕方ない。
 次に俺は、少し身体を動かしてみた。
 節々が痛んだが、大した怪我は負ってないようだ。奇跡としか言いようがない。
 ふと足下を見ると、藁が敷き詰めてあった。
「ああ、これのおかげか……」
 けれど、何故わざわざこんな侵入者を助けるような罠を作ったのだろう。答えはすぐには得られなかった。
 ふと上を仰ぎ見ると、闇が広がっていた。あの部屋の床は、閉じているのか開いているのかわからない。あそこには元々光源がなかったからだ。とりあえず、ここからの光では天井が見えないくらいの高さであるのは間違いない。
 ポチャン……。
 すぐそこから水の音がした。
「地底湖……か?」
 俺が呟くと、娘が首を左右に振った。
「ううん。パリスの泉。元々は地上にあったものよ」
「そうか……」
 俺は娘を見た。いつもの、といっても出会ってからまだ間もないが、とりあえず元気な微笑みを浮かべている。
「アミュスタッド、怪我はないか?」
 俺がそう尋ねると、娘は嬉しそうに頷いた。
「うん!」
「そうか……」
 それから俺は剣を取り、袋を背負って歩き始めた。すぐ後ろに、俺よりも多くの足音を立ててついてくる娘。いつの間にか、それがとても自然なことに思えるようになっていた。
 あてはないので、適当に歩いた。
 ただだだっ広い空間。そこにはいくつもの白骨死体が転がっていた。それでようやく俺は理解した。
 あの罠は、落ちた者を助けるためのものではなくて、より苦しめるためのものだったのだ。
 闇と飢えと渇き。彼らはこの絶望の地で、彷徨い歩き、最後には発狂して死んでいったのだろう。
「ねえ、こっちに行ってみよっ」
 時々娘が俺の腕をつかんで、先を行く。とりあえず俺としても行くあてはなかったので、ただ娘について歩いた。
 娘の言うパリスの泉をぐるりと回って、さらに2時間ほど歩くと、果たしてそこには隠し扉があった。あるとわかっていなければ絶対に気付かないような、巧妙に隠された扉だ。
「わぁ! 運がいいね、私たち」
 嬉しそうに言う娘を、俺は思い切りジト目で睨みつけた。
「な、何?」
 娘が渇いた笑みを浮かべながら言う。俺が何を言いたいのか、すでにわかっている顔だ。俺は娘の期待通りの言葉を吐いた。
「あのなぁ、お前。一直線に俺を誘導しておいた挙げ句、『ここに何かある』。調べてみたら隠し扉。『わぁ、運がいいね』。誰が信じると思う?」
「さ、さぁ……。私みたいな純粋な娘なら信じるかも……」
「悪いが俺はお前と一緒で純粋じゃねぇ。初めから知っていたな? お前……」
「あ、あはは……」
 娘は白々しく笑った後、急に態度を変えて開き直ったようにこう言った。
「まあ、いいじゃない。知恵と知識は使えるときに使わないと」
「はぁ……」
 俺は溜め息を吐いて、扉を押し開けた。
 中から眩しい光が溢れ出した。
「うっ……」
 俺は目を閉じ、ゆっくりと瞼を開いて目を慣らす。
 月や太陽や、そんな自然の光ではない。魔法の輝きだ。壁が光っている。目が暗闇に慣れてしまっていただけで、そんなに強い光じゃない。
 俺は目が慣れてきたのを見計らって中に入った。娘が続く。
 そこは、輝く大理石で出来た部屋だった。
 その時突然背後で扉が閉まって、俺は慌てて振り返った。
 やはり大理石で出来た壁には、もはや扉の跡さえなかった。
「こっちからでは開かないようになってるのね……」
 娘が呟く。
 俺は再び周囲を見回した。
 四方の壁の向かい合う二面に、それぞれ扉が付いていた。片方は開け放たれており、もう片方は閉まっている。開け放たれた扉の向こうには、先程までずっと歩いてきたのと同じような通路があった。どうやらその通路から来るのが、この部屋への順路らしい。
 そして壁には、一枚の絵巻物のように、壁画が描かれていた。文字はない。ただ、壁を埋め尽くすような無数の絵の集合。
「これは……?」
 俺は背後の壁の絵を見てみた。
 明らかに古代に描かれたと思われる、現代のものとはまったく違った画風。幾人もの武装した兵士たちと、馬に乗った将軍。剣、槍、弓、楯。そして、輿に座った王。
 そこに描かれているものは、すべて戦争の光景だった。
「戦争……。だが、何故……?」
 俺は疑問系で呟いて娘を見た。そして、再び胸を打たれる光景を目の当たりにした。
 娘が、じっと壁画を見つめて泣いていたのだ。しかも、今度は悲しそうにではない。毅然として、胸を張って、鋭い目つきで、涙を拭うこともなく、ただ壁画を見据えて泣いていた。
「アミュスタッド……」
 俺はどうしてよいのかわからず、娘の名を呟いた。
 娘は壁画から目を離すことなく、小さな、しかしはっきりとした声で言った。
「ねえ、ホリスさん。オプリンパス朝はどうして滅んだのか知ってる?」
 俺は、何も答えられなかった。そんなことは娘の方が、俺よりも詳しく知っているような気がしたから。
 けれどもそれは、まったくの見当外れだった。
 娘は真っ直ぐ俺の顔を見据えて、こう言ったのだ。
「教えて、ホリスさん。私は知らないの」
「…………」
 俺はこの不思議な空間の中で、俺の知っている限りのことを娘に伝えようと思った。
「オプリンパス朝は、蛮族の侵攻を受けて滅んだ。確かゲルド民族とか言う民族だ」
「それはいつ頃のこと?」
「王がヤンクロットZ世の時世だ」
「どうして滅んだの? 蛮族に負けるような国じゃ、なかったはずよ」
 娘が質問を畳みかける。
「いや、国はその時が一番弱かった。オプリンパス朝の内部で抗争が起きたからだ」
「どんな?」
「端的に言うと、身内の喧嘩だ。兄弟喧嘩。ヤンクロット王の第3王子クルスが反旗を翻した。クルスは第4王子と結託して、王位を狙った。結局、クルスは破れたわけだが、その時点でオプリンパス朝には、もはや蛮族に対抗するべく力は残されていなかった」
「…………」
 娘は泣き続けたまま、再び壁画に目を遣った。そして、澄んだ声でこう尋ねた。
「アミュスタッド王女は、確か当時のヤンクロット王の娘だったわよね?」
「あ、ああ」
 俺は頷いた。ヤンクロット王には、当時7人の子供がいた。アミュスタッド王女は兄弟の中の一番下の娘で、確か王の妾の子供だったと伝えられている。
「王女は、どうして死んだの?」
 不意に娘が言った。
 死んだ……。その響きが、何故かとても冷たく、物悲しく聞こえた。
「王女はそのクルス王子の抗争に巻き込まれたと伝えられている。まだ15、6歳で戦死したはずだ」
 俺は淡々と事実だけを伝えた。
 すると娘は一度深く目を閉じて、それから小さく首を振った。
「違うわ」
 そして、細い指で壁画の一部を指差して、俺を呼び寄せる。
「ここを見て」
 言われるままに、俺はその部分に目を遣った。
 少女が一人、棺と思しき箱の中に入っている。まるで風呂に浸かっているかのような格好をして、穏やかな微笑みを浮かべていた。
 その脇に二人の兵士が、片膝を付いている。
 俺には、それが何を表しているのかさっぱりわからなかった。
 ただ、一つだけわかったこと。絵に描かれた少女が、間違いなくアミュスタッド王女であるということ。そしてそれが、伝説で聞く俺の想像していた娘より、ずっと今俺の目の前にいる娘に似ているということ。
「アミュスタッドは、実の父親に殺されたのよ」
 静かに、娘がそう告げた。

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