ドーグル家は裕福で、ベイマルはその一人息子だったこともあり、両親はベイマルを甘やかして育てた。ベイマルは狡猾になり、商学に励む傍らで、親の金を持ち出しては博打と女に注ぎ込んだ。両親はそれに気付いていたが、勉学を疎かにしていたわけではなかったので、特別罰せずに放っておいた。
ベイマルは16の時に、レイラという若い女性と恋仲になり、息子をもうけた。息子はダッカと名付け、親権はベイマルが持ったが、レイラが育てることになった。二人はまだ結婚していなかったので、ベイマルの両親がダッカを表に出すことに難色を示したのだ。
レイラは美しかったが、貧乏な街娘であり、ドーグル夫妻は彼女を息子の結婚相手として認めなかった。一方のベイマルは、レイラもダッカのことも愛していたので、このいさかいは家族の間に深い溝を作り、ついにベイマルは、ダッカを連れ、家の全財産を持ち出して街を出た。
ベイマルはレイラと息子、それから街でつるんでいた数人の男たちとともにルトゥーナに渡った。持ち出した金で屋敷を買い、商売を始めようとしたが、ベイマルの商学は実践では役に立たず、商売はことごとく失敗した。
やがて金がなくなると、ベイマルはやむを得ず男たちを伴って東方の山岳地帯に移り住み、そこで盗賊になった。男たちは皆腕に自信があり、またベイマルの無二の友人であるマンセスはなかなかの切れ者だったために、ベイマルの盗賊団は次第に勢力を拡大していった。
この頃になると、ベイマルの愛情はダッカにのみ注がれ、一時の美しさを失いつつあったレイラは、ベイマルの妻ではなく、単にダッカの母親に成り下がっていた。ダッカは男の連帯感か、ベイマルだけを慕い、レイラの鬱憤は雪のように積もっていった。
そして、ベイマルが盗賊団を組織してから4年が過ぎたある日、レイラはラウェナの軍隊に、ベイマルのアジトを密告する。ラウェナはただちに討伐隊を組織した。
だが、討伐隊がベイマルのアジトを包囲したとき、そこはすでにもぬけの殻になっていた。いち早くレイラの裏切りを察知したマンセスが、ベイマルに進言してアジトを移したのである。こうして、ルトゥーナとラウェアを長年脅かしたベイマル盗賊団は一夜にして消え、二国を結ぶ街道に平和が戻った。
拠点を捨てたベイマルは、各地を転々としながら、やがてティーアハイム西方の森に住み着いた。1年後、フルースベルク半島はいつにない冷夏で、農村で食い扶持を失う者が続出した。ベイマルはこれらを吸収し、その勢力をさらに拡大した。
人が多くなりすぎると、ベイマルはティーアハイムにマンセスを残し、自身はダッカを連れてハイデル南東の森に居を構えた。そして、ティーアハイムとハイデルをつなぐ街道や、ハイデル近郊の村を脅かした。
だが、その栄華は翌年の春をもって終わりを告げる。ハイデルの騎士ギルスとリゼックがベイマルの拠点を、そしてティーアハイムとビンゼの連合軍がマンセスの指揮する盗賊団を、一斉に攻撃したのである。これにより、ベイマル盗賊団は事実上壊滅し、その名を歴史から消した。
ところが、盗賊団の長ベイマルと、その右腕であるマンセスは、戦火の中を生き延びたのである。もっとも、それは世間的には知られていなかった。ベイマルは焼死したと言われていたし、マンセスは元々有名ではなかった。
マンセスと合流したベイマルの胸は怒りに満ち、その瞳には復讐の炎が燃え滾っていた。それは、盗賊団を潰されたからではなく、息子のダッカを討たれたからである。ダッカは剣を握り、ハイデルの騎士に果敢に向かっていったが、呆気なく返り討ちにされた。ダッカを殺した騎士は、討伐軍を組織した内の一人であるギルスだった。
ベイマルはすぐに落ち延びた数人を集め、ハイデルに潜伏した。そして、ギルスについて調べ、彼に母親と妻、そして幼い娘があることを知った。
その年の冬、雪の降る夜道を娘と二人で歩いているギルスに、ベイマルは突如剣と矢を持って襲いかかった。その時のギルスの戦いぶりはまさに鬼神のごとくで、ベイマルは7人の男とともに襲撃したが、その内の5人を殺された。だが、激戦の末、ついにベイマルの剣がギルスの胸を刺し貫き、ベイマル盗賊団を潰したことでフルースベルク中に名を馳せた騎士ギルスは命を落とした。
ただ、ギルスを殺してもベイマルの怒りが消えることはなかった。失った息子が帰ってくるわけでもなければ、さらに5人もの仲間を殺され、新たな野望や生き甲斐など生まれそうにない。ベイマルは、先の戦いで取り逃したギルスの娘を始めとした、一家のすべてを狙うことにし、マンセスもそれに賛同した。
ギルスに夫を殺された妻リッシュは、義母タビンと娘のアリシアを連れてハイデルの城下町から姿を消した。
この時、ベイマルには金も情報網もなかった。仲間も数人しかおらず、ギルスを殺したことでハイデルにもいられなくなり、ベイマルは一旦デックヴォルトに逃げ込むと、そこでせせこましい盗みを繰り返しながら、少しずつ力をつけていった。
そしてようやく動き出すまでに1年半、リッシュの居場所を突き止めるまでにさらに1年の時を要した。
その頃リッシュは、ゲレンク近郊の村でひっそりと暮らしていた。ところが、突然ベイマルの襲撃を受け、家を燃やされたのである。
2年半もの平穏を突如として乱されたにも関わらず、リッシュは冷静だった。剣を持ってベイマルを迎え撃つと、たちどころに数人を切り捨てた。当時のギルスとは違い、リッシュには背にして守らなければならない者がなかったのだ。当時はまだ幼かったアリシアも、今では剣を持って立派に母親を援護できるだけの剣技を身に付けていた。
ベイマルは一旦撤退を余儀なくされたが、恨みを忘れたわけではなかった。
「俺は必ずお前らを皆殺しにする。必ずだ!」
ベイマルはリッシュにそう言い放つと、マンセスを連れてゲレンクを出た。
一方のリッシュは、ベイマルの直接的な宣戦布告に若干の不安を覚え、タビンとアリシアをヴェルクの北に移すと、自身はベイマルを討つために旅に出た。
リッシュはその旅の最中に、ベイマルに恨みを持つ魔法使いと、元々ギルスの部下だったハイデルの戦士を仲間につけ、度々ベイマルの一派と衝突してはしのぎを削った。
ベイマルはリッシュの相手をする傍らで、彼女が残してきた娘のことも調べていた。そして、ゲレンクでリッシュを襲ってから3年が過ぎたある日、ついにマンセスがアリシアの情報を持ち帰った。それによると、アリシアはヴェルクの北の森の中で、祖母であるタビンと、セディーという若者、それからタクトという魔法使いと4人で暮らしているという。
ベイマルはマンセスにアリシアを片付けるよう命じ、マンセスはすぐに仲間をつれてヴェルクに引き返していった。リッシュがベイマルの居場所を突き止め、先制攻撃をかけたのは、それからひと月後のことだった。
夜中、突然大きな音とともに館が揺れ、ベイマルは目を覚ました。トロイト北方、険峻なるパトロナート山脈の最南端に、一時的に作っただけの小屋のような館は、次に大きな音がすると同時に、傾き、一角が崩れ落ちた。
ベイマルが数人の部下とともに表に出ると、果たしてそこには剣を携えたリッシュが立っており、ちょうど魔法使いの三撃目が館に放たれたところだった。
「とうとう決着を着ける時が来たようだな、ギルスの女房さんよ」
後ろで屋敷が崩れる音を聞きながら、ベイマルは油断なく構えてそう言った。
リッシュは大きく息を吐き、少し疲れた顔をした。
「私の方は、別にどっちでもよかったんだよ。ギルスを殺されたからって、人生費やすほど敵討ちをしたいとは思ってなかった。娘には真っ直ぐ育って欲しかったからね。あんたの薄汚い復讐に巻き込んで欲しくなかった」
「そうは行かない。ギルスのせいで、俺の人生は滅茶苦茶にされちまったからな」
「自業自得だろうが。あんたのせいで人生狂わされたヤツはもっと多いんだよ」
リッシュがそう吐き捨てると、ベイマルは鼻で笑って返した。
「俺以外のヤツのことなど、知るか。だが、まあいい。これで終わりだ。俺がお前を殺し、娘はマンセスが殺す。居場所はすでに突き止めてあるぞ、リッシュ」
リッシュの顔に動揺がよぎった。そもそも、ゲレンクにいた時も、この男は2年半もかけて居場所を突き止めてきたのだ。いくらヴェルクの森でも、執念深く探し続ければいつかは知られてもおかしくはない。
「あんたのその執念には舌を巻くよ。娘は大丈夫。盗賊に殺られるほど弱くない」
「だが、その父親は盗賊に殺られたぜ」
リッシュは、頭にきた。
大地を蹴ると剣を閃かせる。そして気合いを入れて振り下ろすと、ベイマルはそれを躱して剣を突き出した。数合打ち合い、間を空ける。再びリッシュはベイマルに斬りかかった。
その間に、ベイマルの部下は、二人の男になす術もなく蹴散らされていた。いくらベイマルの部下とは言え、所詮は訓練を受けた人間の剣術や、強力な魔法に叶うはずがない。
二人はあっと言う間に残りを片付けると、リッシュに加勢した。3対1ではさしものベイマルも手も足も出なかった。
「畜生! これまでか!」
ベイマルはもはや覚悟を決めた。真っ直ぐリッシュに襲いかかると、リッシュの剣がその腹部を刺し貫く。だが、ベイマルはひるまなかった。こうなればリッシュと相打ちするつもりだ。
「死ねぃ!」
ベイマルが鬼のような形相で剣を振り上げる。リッシュはベイマルの気迫に圧され、対応が遅れた。
だが、リッシュは一人ではなかった。
魔法使いの放った風がベイマルの腕を押さえつけ、がら空きになった脇を戦士の剣が刺し貫いた。
ベイマルは血走った目で天を仰ぐと、最後に奇声を上げて大地に倒れた。大盗賊ベイマルの最期だった。
リッシュはベイマルから剣を抜き放つと、厳しい瞳で北の空を見上げた。そして、呻くように呟く。
「アリシア……」
その頃、マンセスはヴェルクにおり、仲間とともに情報を集めていた。本来ならばすぐにでもアリシアを討ちたかったのだが、アリシアの家は魔法の結界に守られており、手が出せなかったのだ。もちろん、人を拒む結界ではなかったが、触れれば侵入したことをすぐに気付かれるだろう。
アリシアは剣の腕が立つし、タクトはかなりの魔法使いである。マンセスには部下が3人いるだけであり、真っ向から戦って勝てる見込みは少なかった。
マンセスは部下を放ち、すぐにセディー・グランナが、元オグレイド盗賊団の一味だったことを突き止めた。恐らく、通常の人間が調べれば、タクトがハイデルの罪人であることの方が容易に知れたのだろうが、盗賊であるマンセスの情報網にかかったのはセディーだった。
アリシアが盗賊を囲っているのは、マンセスには嬉しい誤算だった。これで軍隊を動かす大義名分ができた。
次にマンセスは、ヴェルク国王とゆかりのある貴族から、宝石を強奪した。盗んだのではなく、敢えて強奪したのは、事を大きくするためだった。妻と名誉を傷付けられた貴族の男はただちに訴え、軍はプライドをかけて強盗事件の解決に乗り出した。
同じ頃、マンセスは木で作った様々な道具を売りに街に来ていたセディーと接触した。
「すいませんが……」
セディーは、話しかけて来た商人風の男を一度上から下まで眺めてから、すぐに営業的な微笑みを浮かべた。
「はい、いらっしゃい」
「評判を窺って買いに参りました。今度家を増築するのですが、テーブルと椅子と棚を注文できますか?」
マンセスはそう言いながら、以前セディーから物を購入した男の名を挙げ、話の信憑性を高めた。セディーは疑う理由がなかったので、快く引き受けた。あまり豊かな暮らしはしていない。大口の注文は望むところだった。
マンセスはいくらかの金と一緒に、貴族から盗んだ宝石を差し出した。
「生憎、今現金の手持ちがあまりありません。よろしければ、この宝石を前金として受け取ってください」
「これを?」
セディーは宝石を手に取り、陽にすかしながら注意深く鑑定した。薄紫色の宝石はよく磨かれており、向こう側が透き通って見えた。大きさは親指と人差し指で輪を作ったくらいだが、光に当てると赤や青に輝き、一目で高価なものだとわかる。
「これは、もらい過ぎです」
慌てて突き返そうとしたせディーに、マンセスは驚いた顔をしてから、小さく笑って首を振った。
「あなたの鑑定眼は客贔屓ですね。見た目ほど高いものではありませんよ。でなければ、棚や机に充てたりはしません。気に入ったようでしたら、どうかお持ちになって、どなたか大切な人にでも差し上げてください」
そう言われて、セディーはアリシアのことを思い出した。あの少女は綺麗な顔立ちをしているが、飾り気はまるでなく、宝石の一つも持っていなかった。もしもこれを渡したら、アリシアは喜んでくれるだろうか。
そう考えると、セディーの中にアリシアのびっくりする顔を見てみたいという、子供っぽいたくらみが芽生えた。
「わかりました。では、前金と言わず、これを代金にしましょう」
そしてセディーは、男の名前や商品の受け渡し場所、そして詳しい注文内容を聞いてから、嬉々として森へ帰っていった。マンセスはその後姿をしばらくにこにこしながら眺めていたが、すぐに次の行動に移るべく踵を返した。後は、軍部の目を森に住む怪しげな者たちに向けさせるだけである。
今回、この宝石騒動の指揮を取っているのは、ディラットという、若き王子ハイス・ウェンダーの近衛隊長であった。少々朴訥なところがあり、真面目だが融通が利かず、時々ハイスとも衝突するらしい。もっとも、衝突と言っても、大抵はハイスの言い分が正しく、ディラットが納得して引き下がるケースが多いらしいが。
マンセスは仲間とともにディラットの行きつけの酒場に行くと、彼らのいるテーブルの近くに座った。そしてわざと聞こえるようにセディーの話をする。
「それにしても、物騒な世の中になったもんだな。例の強盗騒動、どうやら筋金入りの盗賊の仕業らしいぞ」
「ああ、聞いた。セディーとか言う男だろ? なんでも、昔盗賊だったって言うじゃないか。まあ、俺みたいな貧乏人には関係ないだろうがな」
「おいおい。そんなこと言ってて夜道で襲われても知らんぞ? セディーの周りには魔法使いもいるらしいしな。どうして軍はあんな奴らを野放しにしておくんだ」
マンセスがいかにも酒に酔ったというふうに大声でそう言うと、いきなり背後から低い声で話しかけられた。
「その話、もう少し聞こうか」
ディラットである。
(食いついてきたな)
マンセスは内心で舌を出しながら、大げさに驚いて見せた。
「こ、これは城の方。あ、いや、失礼しました。酒の席です。どうかお許しを……」
「それは構わんから、今の話を続けろ。セディーとは何者だ?」
ディラットは空いていた椅子にどっかりと腰かけると、探るような眼差しでマンセスを見た。マンセスはいかにも気弱そうに身をすくめながら、少し辺りを見回し、声を潜めて言った。
「あくまで噂ですがね、北の森の中に、セディーとかいう、盗賊が住んでいるらしいんですよ。確か、オグレイドとかいう盗賊団の一味だとか。いや、これは俺たちも聞いた話だから定かじゃないですがね」
「オグレイド……。知らんな」
首を傾げるディラットに、マンセスの部下の一人が赤らんだ顔で言った。
「いやいや、それは仕方ないですよ。ハイデルの方に住み着いていて、2年前にハイデルの軍勢に制圧されたとか」
「そうだったか? 俺は、セディーが裏切ったって聞いたぞ?」
ああだこうだと言葉を交わす二人を黙らせ、ディラットは再びマンセスの顔を覗き込んだ。
「それで、例の一件をそのセディーとかいう盗賊がやったと?」
「もっぱらの噂です。セディーには魔法使いと、滅法剣の腕の立つ女がいて、一説にはその女が宝石欲しさにセディーをそそのかしたって話もあります。まあ、その辺は俺たちにはどうでもいいことですけどね。ただ、そんな盗賊が野放しになっているのが怖いんですよ」
マンセスが言うと、部下が大げさに何度も頷いた。本当は酒などほとんど飲んでないが、見事な演技力である。
「ふむ……」
ディラットは一度だけ頷き、しばらく考えるように顎に手を当てていたが、やがて何も言わずに立ち上がり、席に戻っていった。マンセスの部下が「頼みましたよー!」と、ろれつの回らない声で言って、マンセスがすぐに黙らせる。それから4人で顔を見合わせて、小さな笑みを浮かべた。
その夜を最後に、マンセスは諜報員として部下の一人を残し、自分はヴェルクから立ち去った。もはやヴェルクに用はなく、逆に長くいれば怪しまれるだけである。もちろん、姿を消しても怪しまれるが、どうせ怪しまれるのならいない方が安全だ。
しかし、マンセスの心配は杞憂に終わり、後日諜報員から、ディラットが兵士を引き連れて森へ向かったと言う情報が入った。マンセスは部下と合流すると、静かにその後を尾行した。
どんよりと雲に覆われた、ある日の昼のことだった。
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