4人ならテーブルに座るのが収まりがいいけど、今はマスターから仕事の話を聞くのが目的だからカウンターに座っている。ちなみにどうでもいいけど、私はお酒が飲めない。まだ今のパーティーに入る前、故郷にある冒険者の店でカクテルを飲んだら、そのままマスターに部屋まで運んでもらう事態になった。
「ミラさん、あんたは酒は飲まない方がいい。どうしても飲みたい時は、一人で安全の確保された部屋の中にいる時にしな」
私は忠実にその忠告に従っている。もっとも、部屋にいる時にも飲んでないけど。
私が子供のように両手でグラスを持って、オレンジジュースをちびりとすすると、マスターが難しそうな顔をしながら口を開いた。
「敢えてお前さん方の能力は考慮せずに、今俺の手元にある依頼の数を告げると、3つだ」
回りくどい言い方。やっぱり新品同然のピカピカの鎧が気になるのだろう。
「結構。それで?」
ウンババが先を促すと、マスターはぴらっと紙を1枚カウンターに置いた。紙には大した情報は何も書いてなくて、私はすぐに顔を上げてマスターを見た。
「一つは、トカゲ退治だ。一般的には中立と言われているノーブル・リザードマンが、どうしたわけか人に敵意を抱いて、近隣の農村の人々の生活を脅かしている」
「トカゲ……」
私が呟くと、マスターが表情を変えないまま聞いてきた。
「ところでお前さんたち、ノーブル・リザードマンは知っているか?」
男三人が顔を見合わせた。リーダーで最年長だけどあまり知識のないドンファンはもちろん、貴族生まれで賢いウンババも、魔法使いのルーツも首を傾げる。もう一人見た目によらず頭のいい子供のような女の子がいるけど、今頃カジノだろう。
ちなみに私も知らなかったので、みんなから視線を逸らすようにオレンジジュースを見つめていた。知らない時は見栄を張らず、かと言って知らない素振りも見せないのがエレガントじゃない?
マスターは嘲るでもなく、失望するでもなく、淡々と続けた。
「そうか。2つ目だが、精霊がらみだ。これはこの街のお偉いさんたちからの依頼だが、森の方で精霊のバランスが狂って、その原因調査と解決を依頼された」
「精霊か」
ドンファンが渋い顔をして、私は逆に目を輝かせる。
精霊のバランスが狂う! なんのことかさっぱりわからないけど、なんだかとてもロマンティックな冒険の響き。
ちなみに、ドンファンが渋い顔をした理由はわかっている。実は私たちのパーティーには精霊使いが一人もいない。だから、いくら惹かれてもこの依頼を受けるのは現実的じゃなかった。
「あの冒険者嫌いの連中が頼ってきたんだから、お手上げってことだろうよ。だが、その分手強い依頼とも言える」
「残念だが……」
ドンファンの呟きにマスターは満足そうに頷いた。己の力量を知り無茶をしないのは、冒険者には大切なことだ。私も憧れだけで冒険者になったけど、危険に飛び込みたいわけじゃない。
「やっぱりこれが現実的だな、正直なところ」
マスターは私たちが無茶をしようとしなかったことで逆に好感を抱いたのか、少し表情を和らげて最後の依頼を切り出した。
「この街の音楽家からの個人的な依頼だ。音楽についての造詣は?」
「吟遊詩人の類?」
ウンババの質問に、マスターは首を横に振った。
「いや。まあ、正直俺にもわからん世界でな、依頼を受けるなら直接本人から聞いてくれ。依頼主はセマトスって男で、お前さんと同じくらいの年齢だ」
ウンババを見ながら言う。つまり、23、4ってこと。
「街の実業家の一人息子で──まあ金持ちの道楽だな。なんでも、森の中に歌を歌う機械のようなものがあるから、それを探して来て欲しいとか。機械ってのも俺にはよくわからんが、難易度はともかく、危険はそれほど多くないクエストじゃないか?」
さらに詳しく聞くと、森って言うのはこの街から北に2日ほど行ったところにある森で、そこそこ広いけど獰猛な生物は少ないらしい。ちなみに依頼の詳細についてはマスターはあまり聞かされていなかった。直接そのセマトスって依頼主から聞いて欲しいとのこと。
「受けるならこれか……」
ルーツが面白くなさそうに言う。仲間である貴族の青年はともかく、基本的には金持ち連中があまり好きではないみたい。
少し話し合って、中にはリザードマンの方がいいんじゃないかなんて意見も出たけど、結局安全面と、音楽や機械という未知への好奇心から、そのセマトスさんの依頼を受けることにした。
「じゃあ決まりだな」
マスターから渡された地図を受け取って、私たちは席を立った。
セマトスさんのお屋敷に向かう前に、念のため私たちはギガンティアと合流することにした。いくら自由奔放に駆け回っているとは言え、それでこっちまで放置して依頼を受けていったら、それはパーティーとしておかしくない?
カジノまで迎えに行こうと歩いていると、グラスランナーの少女は呼びに行くまでもなく向こうからやってきた。一瞬、すっからかんになったのかと思ったけど、満面の笑みを見ていたら質問するのもバカバカしくなった。早めの帰還は、向こうもパーティーとしての一体感を、ぎりぎりのところでは感じているってことだろうか。
「儲かったなら奢ってくれ」
合流するや否やウンババが声をかけると、ギガンティアは「儲かったらね」と話をはぐらかせた。儲かったくせに。
時間は夕方。そろそろ日も落ちようとしていた。今から伺うのは失礼かとも思ったけれど、明日まで待って他の冒険者に依頼を持って行かれるのも悔しいし、あわよくばディナーをご馳走になれるかも知れないという意見が出て、今日の内に行くことにした。
目的の家には、『太陽亭』のマスターの地図で迷うことなく辿り着けた。元々この街は、道が綺麗な十字に整備されていて、通りの本数は間違えても方向は間違えようがなく出来ている。
セマトスさんの家は思ったよりもこぢんまりとしていて、塀もなければ門もなく、普通の玄関のある二階建ての家だった。私たちは玄関の前に立って顔を上げた。
少し前から何やら耳慣れない騒音が聞こえていたんだけど、依頼主邸まで来て、それが依頼主の二階の部屋から聞こえてくるものだとわかった。二階の部屋の窓が開いていて、そこから音が聞こえる。
この耳障りな音はどう形容したらいいんだろう。何か固いものを引っ掻くような音。呪歌に当てはめれば、“ビブラート”辺りが近いかも知れない。あのガラスなんかを振動で割ってしまう呪歌だけど、この音は聞き続けていたら精神が割れてしまいそうだ。
「まさか、これが『音楽』か……」
ルーツが露骨に顔をしかめる。金持ち嫌いでなくても、これが金持ちの道楽ってのなら、私だって顔をしかめたい。実際しかめていたと思う。
「とにかく、これを止めさせるには、人の訪れを告げるのがいい!」
ドンファンが言うが早いか、ノッカーをガンガン鳴らした。しばらくして音が止み、二階の窓から一人の若者が顔を出した。青くて短い髪にメガネをして、知的そうだが少々頼りない感じの男の人。
「なんだ君たちは……ああ! ひょっとして依頼を見て! 今から行くから待っていたまえ!」
何やら生意気な台詞を残して窓から消える。私たちは顔を見合わせて肩をすくめた。
やがてドアが開いて、さっきの男の人──間違いなくセマトスさんだろうから、セマトスさんって呼ぶ──セマトスさんが現れた。そして明るい顔でこう言った。
「君たちは依頼を見て来てくれたんだろう?」
「ああ、そうだが……」
勢いに押され気味にドンファン。私も少し驚いていた。普通、このピカピカの鎧の集団が来たら、不安になるはずだ。それがないというのは、冒険者というものを知らないのか、興味がないかのどちらか。この人の場合は間違いなく後者で、しかも自分にしか興味がないから、他人はどうでもいいタイプ。
「よく来てくれた。とりあえず中に入ってくれ」
この無警戒さもいかにも金持ちのお坊ちゃんって感じだけど、少なくとも私たちは警戒を必要とする相手ではないから、そう悪意的な解釈ばかりするのも申し訳ない。
応接室のような部屋に通されると、お手伝いさんと思しきおばちゃんが紅茶を持ってきてくれた。お手伝いさんがいるのにセマトスさんが自ら応対したのは、さっきの騒音のせいで聞こえなかったか、分担でもあるのか。
セマトスさんは満足そうな顔で私たちを眺めてから、こう切り出した。
「君たちは、音楽についての知識は?」
私以外のメンバーは顔を見合わせた。私の方も見たかもしれないけど、私は澄ました顔で紅茶を飲んでいた。そう。知らないときはこうするのがエレガント。
誰も答えないでいると、セマトスさんはむしろ満足そうに頷いてから、ソファの横に置いてあった何かを手にした。それは楽器のようだった。弦楽器のようだけど、私は見たことがなかった。
「これはヴァイオリンという楽器だ。君たちはメロディーなんてものは、吟遊詩人が耳を澄まさないと聞こえないような音で、リュートをポコポコ弾いてるくらいしか聴いたことがないだろう? ところがこの楽器は違う!」
セマトスさんはそう言ってから、一度その楽器を弾いた。
大きな音がした。先ほどのあれだ。耳障りなあれ。
「──と、まあ、こんな音がする。まずは僕が君たちのために一曲弾いて聴かせよう。なに、礼などはいいから」
礼も何も、お金を払ってでも止めてほしいんだけど、私もメンバーもそんなことは言わなかった。お金をもらうってのは大変なんだと身にしみて思った。
苦痛の5分の後、感想を求めたセマトスさんに対して、パーティーの男性陣が口々に言った。
「素晴らしいと思います」
「音楽はいいですねぇ」
「感動しました」
頭がガンガン鳴っている私にはとても言えない台詞たち。ああ、いつもは頼りないけど、こんな時は私の方が所詮まだ16歳の小娘なんだなぁと思う。お世辞とか苦手。
「そうか、わかってくれて嬉しいよ!」
セマトスさんは再び満足そうに頷くと、ヴァイオリンを傍らに置いた。良かった。もう一曲弾かれたらどうしようかと思った。
「このあいだ来た冒険者どもは、音楽の良さがまるでわからなかった。ヴァイオリンの演奏を聴かせたら、途中で帰っていってしまったんだ。こっちとしても、音楽の良さもわからない古い連中に依頼を受けて欲しいとは思わない。藁にもすがるほど切羽詰まっちゃいないからね」
なるほど。お世辞の一つも言えない人たちではダメなんだと、私は少し違う解釈の仕方で納得した。ちなみに、今のセマトスさんの台詞を聞いて思ったことがもう一つ──あまり金額の交渉はできないかもしれない。切羽詰まってないのなら、ふっかけられない。もちろん、弱みにつけ込んでふっかけるのは冒険者のルール違反なんだけれど。
「それじゃあ、依頼の話をしようか。どこまで聞いてる? 店の主人に話した内容は全部聞いた?」
そう言って、セマトスさんはようやく依頼の話をし始めた。それにしても、私たちがセマトスさんが伝えた内容を全部聞いてるかどうかなんてわかるはずがないのに……変な人。
「森の中から、歌を歌う機械を取ってきてくれと。それしか知らないが」
困惑気味にリーダー。私たちの方をちらっと見たけど、特に口を出すつもりはなかった。交渉は主にリーダーとウンババに任せて、女二人は引っ込んでるのが常。ルーツは時と場合によるけど、今回はあまりセマトスさんに好感を抱いてないこともあって控えめだ。
「なるほど。もう少し詳しく話したけど、まあ僕から話そう。君たちは『音楽の洞窟』というのを聞いたことがあるかい?」
よく質問する人だ。有名なのかどうか知らないけど、生憎私は知らなかった。そういう時は目を伏せる。
どうせ誰も知らないと思ったら、ギガンティアが意外なことを口にした。
「聞いたことなら」
「ほう。どれくらい?」
これも驚いたようにセマトスさん。注目を浴びながら、しかしどうと言うこともなさそうに少女は言った。
「名前だけ。この辺りにそんな洞窟があるって」
「そうか……」
少し残念そうに、少し安心したように依頼主の青年はそう言って、浮かせかけた腰を落ち着けた。期待半分なのは、きっとセマトスさんも知らない証。私のその予想をすぐにセマトスさんが肯定した。
「実は僕もあまり知らないんだ。いや、街の多くの人間が知らないよ? 僕だけじゃない」
聞いてないから、そんなこと。
私が内心突っ込みを入れたけど、もちろんそんなことに気付くはずもなくセマトスさんは続けた。
「パグワンの北の森の中に、『音楽の洞窟』と呼ばれる洞窟があるらしい。だけど、名前を知ってる人はいても、行ったことがある人はもちろん、場所を知っている人もいない。そもそも探索しようって人がいない。みんな、音楽には興味がないからね」
「セマトスさんは探索は? 音楽がお好きなんでしょう?」
私が口を挟む。セマトスさんはばつの悪そうな顔をして、低い声で言った。
「簡単に言ってくれるな。僕は金持ちでも一般民だからな。探索なんて行けるはずがない」
「冒険者を雇えば?」
これはウンババ。セマトスさんはそれにも首を横に振った。
「雲をつかむような話に大金は出せないよ。生憎、親は金持ちだが、僕はそれほど持っていない」
少しずつ地位が落ちていくセマトスさん。お金がないって話になって私たちが顔を曇らせたのを察してか、セマトスさんは慌てた様子で手を振った。
「まあ、そんな顔をしないでくれ。それが雲をつかむ話じゃなくなったから冒険者を雇おうと思ったんだ」
「洞窟の場所がわかったのか?」
「いや。話は変わるが、先日うちに旅人が来てね。まあ、うちは金持ちだから、そういうこともたまにある」
また話が飛んで、私は少し頭の中がごちゃごちゃしてきた。私だけじゃなかったらしく、ウンババは会話をリーダーに任せて、とうとうメモを取り始めた。
「でね、その旅人は森の北の街から来たらしいんだが、夕方森に入ると、森の中から歌が聞こえてきたらしい」
「歌、ですか」
「そうだ。若い女性の声だったが、正体は不明。そうだろう? どんな妖魔か知れない。セイレーンかも知れないだろ? 旅人は確認するどころか、怖くなって逃げ出したそうだ」
セマトスさんは情けないというふうに言ったけど、私は賢明だと思った。まずは生命。それが何より大切。
ちなみにセイレーンっていうのは伝説の海の魔物で、美しい女性の姿をして歌を歌い、その歌で魅了して船を難破させるらしい。あくまで伝説上の生き物であって、アレクラストでの遭遇記録はない。
少し間があったのでリーダーが先を促そうと口を開くと、それより先にセマトスさんが大きく頷いて笑みを浮かべた。どうやら今の間は「タメ」だったらしい。
「つまりだ! 僕は考えた。名前しか聞かない『音楽の洞窟』と、森で聞こえた歌声。この二つは同一、もしくは密接に関連したものであると!」
おお。素晴らしい推理に、私は思わず手を叩きそうになった。
「つまり、『音楽の洞窟』は実在して、歌声はその洞窟からしたものだと?」
「そういうことになるな」
セマトスさんは満足そうに頷いたけど、疑問が残る。何故、今? 森の中の、旅人が通るような道なら、今までに多くの人が聞いていてもおかしくない。
私が首をひねっている最中にも、話は進んでいた。
「機械っていうのは?」
そう訪ねたリーダーに、セマトスさんは一度立ち上がって壁際の棚から小さな箱を取り出した。
「例えばこういうのだ。これはオルゴールというのだが」
そう言ってゼンマイを巻くと、高く澄んだ音で綺麗なメロディーが流れた。それは私にとっては馴染みのないメロディーだったけど、その良さはわかった。聴いていて心が落ち着く。これが『音楽』なら、なるほどそんなに悪いものじゃない。
「要するに、その洞窟には、歌を歌うオルゴールか、それに類する機械があると思うんだ。それを探して、持ってきて欲しいというのが僕の依頼」
なるほど。遠回りだったけど、ようやく依頼の内容がわかった。
「その、機械じゃなくて人が歌ってるって可能性は?」
私が聞くと、セマトスさんは鼻で笑って答えた。
「『音楽の洞窟』はずっと昔からあったらしい。そんな昔からずっとそこに人がいるって? 家族代々? ないね。機械が何らかの条件で駆動したって考えるのが妥当さ」
言い方は気に障ったけど、まあ納得できない話でもなかったので押し黙った。私が言い返さなかったことで逆に気を悪くしたのか、あるいは冷静になったのか、セマトスさんはすぐにこう付け加えた。
「でも、確かに機械だとも言い切れない。そこで、それがどんなものであれ、歌の発生源を見つけたら僕のところに持ってきて欲しい。もちろん、どれだけ価値がありそうなものであっても。それが依頼ってもんだろう?」
それはもっともだった。宝探しを依頼されて、その宝が依頼料より高価そうだったからなかったことにして売り払ったなんて知られたら、冒険者ギルドから除名されるどころか、本当に次の日の朝陽を拝めなくなるかも知れない。
「その代わり、冒険の最中に見つけたそれ以外のものに関しては、折半ではなくこっちでもらう。それは構わないか? もちろん、依頼料は別だ」
「もちろん。主目的以外に興味はない。もっとも、音楽に関するものを見つけたら、どこかに売るなら最初に声をかけて欲しい。ものによっては高く買い取る」
「いいだろう。それは約束する」
いつの間にか、そうして一つの仕事が形になっていることに、私はふと気が付いた。そうしたら急に胸がドキドキしてきた。
冒険者に憧れて、本当に冒険者になって、その最初の依頼。
話は詳細な契約内容に移っていた。報酬は一人600ガメルとか、それじゃあ安いとか。北の森までは歩いて2日かかるけど、北の街と1日一往復する乗合馬車があって、その利用料も含めて旅の最中の必要経費はすべてセマトスさんが持つとか。契約期間は二週間として、それまでに依頼が達成できなかったら依頼を終了して、報酬もなしにするとか。
そういうことも大切な話だったけど、私はあまり聞いていなかった。最終的にリーダーが決定した内容に反対する気はなかった。
それよりも、初めての冒険がいよいよ現実となって目の前に広がってきたことが嬉しくて、私は飛び上がりたい衝動を抑えるのに必死だった。
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