満足な食事がとれないのは知識通りだったけど、想像よりもずっと空腹のことが多かった。今もそれなりにお腹が空いている。
もちろん、いいふうに違ったこともたくさんあった。例えば、自然が雄大なこと。人との会話が楽しいこと。好奇心は日を追うごとに強くなっていくこと。
そして、こんなふうに危険が待ちかまえてるかも知れない洞窟を前にして、私の心の中に沸き起こる感情は、考えてたよりずっと強い喜びだったこと。
「ミラは余裕だな。俺は正直怖い思いも少しあるが」
よほどにこにこしていたのか、ウンババが呆れた表情で言った。
「ミラは戦わないからだろ」
ルーツが皮肉っぽく言う。もちろん、責めているわけじゃないことはわかったけど、少し心に刺さった。でも、気にしない。私自身、いつまでも今のままでいようなんて思ってないから、そんな皮肉を言われるのも後少しだ。
「私が戦えるようになったら、ルーツの出番がなくなるわよ?」
あっけらかんとそう言って返すと、ドンファンが笑った。
「確かに。ルーツよりミラの方がだいぶ精神的にタフな気がするからな」
ルーツはふてくされたようにそっぽを向いた。けれど、何も言わなかった。どうやら図星らしい。実際、ルーツは魔法使いにしては精神力が少し弱かったのだ。
いつもの隊列を組んだ、いよいよ私たちは歩き始めた。先頭はウンババとギガンティア。松明はウンババが持っている。
実はこのパーティー、精霊使いもいないけれど、シーフのスキルがあるのもギガンティア一人という、偏った編成になっていた。何が多いかというと、セージ技能。ドンファン以外の全員が勉強をしていて、インテリチームなのだ。もちろん、知識があるのはいいことだったけど、果たして知識だけで冒険ができるか……。
しばらく歩くと、左手の壁が途切れて道が二つに分かれた。真っ直ぐ前に続く太い道と、左の細い道。私たちは太い道を進むことにした。
さらに歩くと、今度は道が急に細くなった。二人並ぶどころか、やっと一人が歩けるくらい。もちろん天井も低く、ギガンティア以外は屈んで歩かなくてはいけない。
一列になって進む。今前方から何かが現れて、“ライトニング”でも撃たれたら壊滅しそうな気がしたけど、そもそもそんな高位の魔法を使う何かが敵として出現したら、平時でも多大な被害は免れない。
けれど、そんなことにはならなかった。少し上りになった細い通路を抜けると、今度はだだっ広い場所に出た。天井も高く、どこかに穴が空いているのか、地上からの光がわずかに差し込んで明るかった。そして前方に見える、1メートルくらいの巨大なムカデ──
「ジャイアント・センティピードだ!」
私が言うより先に、ルーツが言った。ウンババも知っていたようで、黙って頷いて剣を抜いた。向こうは私たちに気が付いていた。二体のムカデがじりじりと近付いてくる。
私は一歩下がって、少し速くなった自分の心臓の音を感じていた。
パーティーを組んでからそれなりに日数が経つ。それに今日はたくさん森の中を歩いた。にも関わらず、私たちは剣を抜く機会がなかった。
ひょっとしたら、私たちはこのまま、これからずっと、一戦闘もせずに冒険を続ける、希有なパーティーになるのではないかとさえ考えていた。そんなのも面白いと思ってたけど、現実はそんなことはなかった。
ウンババとドンファン、そしてギガンティアが前に出る。
戦闘が始まった。大丈夫、勝てる。ジャイアント・センティピードはそんなに強い魔物じゃない。魔物というより、ただの動物だ。動きも遅いし、森の中で虎や熊に襲われるよりずっと危険は少ない。
なのに──これは何?
私は目を疑った。
リーダーのドンファンの攻撃は、当たっているけど通っていない。曲刀は斬っても斬れない、刺しても刺さらない。私でも扱えそうな細いシミターは、やっぱり見た目通りの攻撃力しか持っていなかった。
大きな両手持ちの剣を振り回すウンババ。一見頼もしそうだけど、そもそも攻撃が当たっていない。どんなに破壊力のある武器を持っても、当たらないのでは役に立たない。あんなに動きの遅い動物に、なんで当たらないのか。
そしてグラスランナーのギガンティアは、そもそも攻撃には期待してなかったけど、あろうことかムカデの強力な一撃をもろに受けた後、やにわにその動きを遅くした。毒に冒されたんだ!
ジャイアント・センティピードは毒を持っている。その毒はそれほど強力なものではなく、放っておいても3日くらいで抜けるものだったけど、その間は動きも緩慢になるし、判断もにぶる。そして私たちにはその毒を消す技能はなく、つまりこの洞窟探索において唯一の光明とも言えるシーフが使い物にならなくなったということだ。
見るに見かねたルーツが“エネルギー・ボルト”を放つも、敵を倒すには至らず、ルーツが疲れただけで終わった。ルーツには“エネルギー・ボルト”を3発使う程度の精神力もない。
戦闘技能のない私が言えたことじゃないけど、これはあまりにもひどい戦いだった。もしもこれを依頼主が見ていたら──私が依頼主だったら、絶対にもう少しましなパーティーを探す。
だけど、幸いにもここに依頼主はいなかった。ようやく二体のムカデの息の根を止めた時、メンバーは疲れ切っていた。
「手強い相手だった」
ウンババが呟いて、私はきっと本に書いてあった内容が間違っていて、ジャイアント・センティピードは強い魔物なのだと認識を改めることにした。
少し休憩してから、私たちは再び歩き出した。広い空間には3つの道があった。今私たちが来た道と、その延長線上に真っ直ぐ続く大きくて太い道。それから、左手奥に広さはないけど高さはある道。
私たちは広い道を進んだ。その道が、15分くらい歩いたところで行き止まりになる。それは不自然な行き止まりだった。目の前に突然壁が現れたのだ。
「この洞窟が人工的に掘られたものなら、こういうのもありなんだが……」
ドンファンが腕を組む。人工的に掘られたものであれば、直方体のように行き止まりになっていても不思議じゃなかったけど、自然の洞窟ではそれはあまりにも奇怪だった。
ギガンティアが慎重に近付いて、壁を調べる。罠がないのを確認してから、壁に耳を付けて聞き耳をした。
「どう?」
私の質問に、ギガンティアはぼんやりと首を横に振る。
「さあ」
「さあって……」
ダメだ。この子はもう役に立たない。
諦めて私たちは壁を調べた。隅々まで調べてから天井を見て、壁を調べる。それでも結局それを見つけたのはギガンティアだった。
右手の壁の一部が回転扉の要領でクルッと回って、ボタンが現れた。ギガンティアが罠はなさそうと判断したので、ウンババが押してみることにする。私たちは少し離れた。
ウンババが恐る恐るボタンを押すと、けたたましい音が鳴り響いた。驚いて離すと、音は鳴り止んだ。
「なんだこれ。何か変わったか?」
私たちは周囲を見回す。眼前の壁も、天井も、何一つ変わったところはなかった。匂いも同じで、毒の煙があふれ出したなんてこともなさそう。
もう一度押す。今度は押し続けてみる。やっぱり音が鳴る以外、何も起こらなかった。
「うーん……。これは、ここで聞くとうるさいだけだけど、外で聞くと反響とかして綺麗な音楽になってるとか」
ルーツが言う。私はその案に反対だった。どう考えても、この音が音楽になるのは有り得ない。
私以外のメンバーも反対だった。けれど、この洞窟が本当に昔からあるのなら──それこそカストゥールの時代からあるのなら、どんなことが起きても不思議じゃない。
誰かが外に出て試してみるという話にもなったけど、結局パーティーを分割するのは危険だということで、止めておいた。ボタンを押したまま固定して、全員で外に出る案もあったけど、この音が音楽であるという説より、何かの警報であるという説が有力視され、結局一旦放置することにした。
先ほどの広間に戻り、今度は右手の道(はじめに来た方から見ると左手の道)を進んだ。すると今度はさっきの場所の4倍はありそうな巨大な空間に出た。大空洞。
「あの森の下にこういうのがあるだけでも、神秘的ね」
私はロマンチックにそう言ったけど、あまり同意は得られなかった。確かに、松明を灯しても向こう側が見えない地下の広い空間は、ロマンチックというより不気味な感じがする。光に驚いたコウモリの羽音が、より一層気味の悪さを引き立てた。
調べると、この空間には4つの道があった。広間は大体四角形をしていて、その四つ角に道がある。
右回りに進むと、道の先から水の音が聞こえてきた。進むと道を地下水脈が横切っていて、道は続いていたけど向こう側は水浸しだった。
「ここは後回しにしよう」
ウンババの発言に異存はなく、空洞に戻って再び右回りで歩を進める。
最初に来た道と対角線上に位置する細い道は、延々と30分くらい歩いた後、少し広い場所に出た。松明で照らすと、奥で何かがキラリと光った。宝石のようだ。
「1,000ガメルくらいかなぁ」
ギガンティアが言う。
「なるほど。じゃあ、一人250ガメルか」
ウンババが何気なく呟いて、私は首をひねった。どういう意味だろう。5人いるのに。
まさか私が数に入っていないことなんて有り得ないから、きっとウンババが間違えたのだろう。気にせず、ふと顔を上げて──私はそれを見た。
巨大なクモ。グロテスクな胴体を天井に張り付かせ、その先端の8つの目が私たちを見てギラギラと光っている。
「ジャイアント・タランチュラだ!」
ウンババが剣を抜いた。
私の知識が確かなら、こいつはジャイアント・センティピードより強い。あのムカデに苦戦していた私たちが、果たしてこいつと戦っていいのだろうか。
クモは向こうから襲ってくる気配はなかった。どうやらあの宝石を取らなければ、あるいは彼の領域に入らなければ大丈夫らしい。
けれど、頑張れば取れそうな宝石に手を伸ばさないのは冒険者じゃない。結局私たちは戦いを選んだ。
ウンババとドンファンが声を上げて斬りかかる。私とルーツは後方待機だけど、今回はギガンティアも後ろに下がっていた。
「戦力外通告を受けました」
誰もそんなもの出してないけど、実際今のギガンティアでは戦闘の役に立たない。
そうこうしていると、ドンファンの苦しげな声が響いた。驚いて見ると、攻撃を受けたドンファンが壁に叩き付けられていた。さらに悪いことに、ジャイアント・タランチュラの持つ毒にやられて踊り出す。この大グモは激しく踊らせる毒を持っているのだ。
滑稽な光景だったけど、本人は至って真面目だ。それがまた奇妙な可笑しさを醸し出しているのだけど、実際さっきのダメージと合わせてドンファンの体力は限界に達しようとしていた。
クモの方は、ルーツが再び“エネルギー・ボルト”を一発放ち、弱ったところをウンババがとどめを刺した。
けれど、これで打ち止め。ルーツはもう“エネルギー・ボルト”を再び撃つだけの気力がなく、ドンファンも自分とギガンティアの怪我を治して疲れ切っていた。宝石を拾った私たちは、やむを得ず空洞に戻って一度休むことにした。
長い休憩を取った。その間に人が来たりとかしないか不安だったけど、そういうことはなかった。
洞窟の中なので時間はよくわからないけど、入ったのが昼過ぎだったから、もう夜かもしれない。夕方くらいかもしれない。
軽く身体を動かしてから、今度は空洞の最後の道を進んだ。
ここは広めの道で、しばらく歩くと右手に部屋があった。洞窟の中で部屋という表現はおかしいかもしれないけど、それはまさに部屋だったのだ。
自然に出来た空洞に小さな木製のテーブルが置いてあって、壁には棚があり、本が数冊立ててあった。他に保存食や果物ナイフ、ツボの中には水が入っている。
私たちは突如として現れたこの違和感にしばらく呆然となった。やがてウンババが言った。
「俺の推測だと、やっぱりここがマウラスの隠れ家説」
変な体言止めをする。気持ちはわかる。それに、私も同意だった。
本は表紙から見て、どうやら魔法や生物、人体に関するもののようだった。一冊手に取って中を開くと、人体図が出てきてびっくりした。
「マウラスはこういうのが好きなんだな」
不快そうに言ったのはドンファン。逆に妙に納得した顔で頷いているのはルーツ。まさかひょっとして、こういうのが好きなんじゃ……。
もちろん、医学の発展のためとか、そういうことに使われるのは否定しないけど、きっと何かが違う。ルーツも、会ったことはないけど、そのマウラスって人も。
「ここがマウラスの隠れ家だとして、さっき寝ていてよく気付かれなかったなぁ。ひょっとして、今は街にいるのかも」
「でも、女の子は中にいるんじゃない?」
私が言うと、思い出したようにリーダーが手を打った。
部屋を後にして先に進むと、少しずつ道が狭くなって、やがて見たことのある場所に戻ってきた。最初に左側にあった細い道だ。
「なるほど、ここに繋がってるのか」
呟いたドンファンの声には安堵の色があった。実際、この洞窟はどれだけ広いのか不安になっていた。それが、とりあえずこれで全景が見えたわけである。
「残すは、あの水浸しの道だけね」
私が言うと、ギガンティアが付け足した。
「一応、あのボタンのあった壁が未解決」
「ああ、そう言えばそうだったね」
しかしひとまずボタンは後回しにして、私たちは地下水脈の道に戻った。
いつもの隊列で先に進む。靴の中に水が入ってくるのが気持ち悪かったけど、贅沢は言っていられなかった。冒険者とはこういうものだ。まだ泥水じゃないだけまし。
左に水浸しの空間があったので、覗いてみるとバンパイア・バットが二匹飛んでいた。他には何もなさそうだったけど、後方の憂いを断つために殺しておくことにした。
少し残酷な気もするけど、先手必勝は大切。一応積極的に人に危害を加える生き物として挙げられている相手には、倒すことに良心の呵責を感じる必要もないだろう。
この戦いは楽勝だった。だいぶ戦いに慣れてきたのかもしれない。被害と言えばウンババが投げ付けたブーメランが返ってこなかったくらいで、しかも水の中深くに沈んでしまったので救出を諦めた。
道に戻って先に進む。少しずつ上りになって、水もなくなった。そしてさらに歩いて──
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