■ Novels


魔法師ミラン2 黄昏の街角

10

 キンッと鳴り響いたグラスの縁から零れた沫を、俺は慌ててすすった。
 クレスを仲間にした夜である。こういう日は、新しい仲間ができたことを祝して乾杯するのがならわしだ。
「そんなこと言って、エリアスは飲む口実を作ってるだけなんでしょ?」
 ミランがちびちびジュースをすすりながら言った。
「別に俺に限らず、男なんてのはみんなそうさ。なあ、少年」
 バンバンとクレスの肩を叩くと、紺色の髪の少年は困ったように笑った。
 ちなみに、クレスの前にもエールが置いてある。これから一人前の大人になるための通過儀礼などと言って、無理矢理飲ませることにしたのだ。
 ミランも、「別に自分が被害に遭うわけじゃないから」と止めなかった。
 クレスは一口飲んで、固くを閉じて顔をしかめた。
「こんなんの、どこが美味しいんだ?」
 俺はふふんと笑って、フォークで鶏肉を差した。
「これは焼き鳥を食いながら飲んだ時、真の美味しさがわかるんだ。ほれ、試せ」
 クレスは半信半疑で鶏肉を頬張り、それからグイッとエールを一口飲んだ。
「やっぱり不味い……」
 なかなか面白いヤツだ。
「クレス、酔っ払うのはいいけど、吐いたり倒れたりしないでね」
 ミランはそう言って、クレスは頷いた。
 けれど、誰だって倒れたくて倒れるわけじゃないのだ。今日はクレスには記憶がなくなる不思議を味わってもらうことにしよう。
 そんなことを考えていると、ふとミランの背後に大きな陰が立った。前とまったく同じ展開だ。
 俺は溜め息をついた。
「どうした? インタル」
 今度は天井からの光が遮られたからミランもすぐに気が付いたようだ。
 インタルは一つだけ空いていた椅子、クレスの向かいに座って何事もなかったかのようにエールを注文した。
「なんか、子供が増えてるじゃないか。隠し子か?」
 いきなりあまり上品とは言えないことを言って俺は思わず顔を赤くした。
 緊張しながらミランを見ると、彼女は意味がよくわからなかったらしく、首を傾げている。「隠し子」イコール「自分が産んだエリアスとの子供」という発想にはならなかったらしい。
 クレスは物怖じせずに笑って自己紹介をした。
「クレスって言います。今日からエリアスとミランと一緒に探検することになりました」
「おお、そうか!」
 何が嬉しいのか、インタルががははと笑って真っ直ぐ少年を見つめ返した。
「俺はインタル。同じく、今日からエリアスとミランちゃんと一緒に探検することになった」
「な、何っ!?」
 俺は思わず椅子を引っくり返した。笑えない冗談だ。
 冷静なミランさえも驚いた顔で、飲んでいたグラスを落としそうになっていた。
「い、いつからそういう話になった?」
 冗談だとは思いつつもそう尋ねると、インタルは実に信憑性のある答えを返してきた。
「前のパーティーは元々短期間の、言ってみればアルバイトみたいなもんでな。結局行き詰まっていた仕事がダメになっちまって、そのままおさらばってわけよ」
 どうやら本気らしい。おいおい。
「仕事、ダメだったの?」
 残念そうにミランが尋ねた。
 クレスは早速探検家としての勉強だとでも思っているのか、実に真剣な眼差しで俺たちの話を聞いている。
 インタルは腕を組んで深く頷いた。
「盗まれた指輪を探し出すミッションだったんだが、やっぱりなんの手がかりもないと、魔法師でもいないことには厳しいな」
 大男の弱気な言葉に、ミランが言った。
「魔法師も万能じゃないから、いてもいなくても、そんなに差はないわ」
「そうか。そう言ってもらえると助かる!」
 インタルは豪快に笑った。
「でよ、まあ持ち主がまた短気なおっさんで、もういいって話になったわけよ」
「確かに短気だな。いつ頃盗まれたんだ?」
「4日前だ。青銀色のでかい指輪らしいんだが……」
 何気なく言ったインタルの台詞に、俺とミランは思わず顔を見合わせた。
 ひょっとしてその指輪って……。
 俺は背筋に寒気を感じたが、何も言わなかった。もちろん、ミランも知らん振りしている。
 インタルは信じられるヤツだが、なんでもかんでも話せばいいという問題でもない。そう思っていたのだが、ついさっき探検家になったばかりの少年にそれをわかれというのが無理な話だった。
「内側に文字の書いてあるヤツじゃない? その指輪なら、僕が黒い髪の兄ちゃんから掏った袋の中に入ってたよ」
 あっさりとバラしてしまって、俺とミランは深く溜め息をついた。
「なんだと!? じゃあお前が持ってるのか?」
「道場に行けばあると思うけど……」
 自信なさそうに言ったクレスの肩をポンと叩いて、俺は静かに首を振った。
「クレス。情報は、どんなものでもまず隠しておくのが基本だ」
「え? え?」
 クレスは困ったように俺を見て、次にミランを見てから俯いた。
「よ、よくわかんないけど、ごめんなさい」
「いや、構わない。次から気を付けてくれ」
 俺が慰めるように優しい声音でそう言うと、インタルがにこにこした顔で俺を見て言った。
「で、どういうことだ? エリアス」
 尋ねられて、仕方なく俺はこれまでのことをすべて話した。
 インタルは腕を組み、目を閉じて静かに聞いていたが、話し終わるとぼそっと呟くように言った。
「そのリッジェルトという男、凄腕の魔法師だったのかも知れんな。恐らく、もうこの街には居まい」
 大人3人が何やら深刻そうに顔を突き合わせていたからか、クレスはおどおどした様子で縮こまっていた。
 それに気が付いたインタルが、暗い空気を吹き飛ばすように明るい笑い声を上げた。
「しかしクレス。お前はすごいな! そんな凄腕の盗人から指輪を奪い取ったんだから」
「ああ、そういえばそうだな。お前、武術より泥棒になった方がいいかも知れんぞ?」
 俺もインタルに合わせてそう言うと、クレスは恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「あ、ありがとう……ございます……」
「インタル。その指輪はどんな魔力を持っていたの? 何か聞かされてない?」
 ひとしきり笑ってから、ミランが静かに問いかけた。まるですでに彼がパーティーの一員であるかのような質問の仕方に、俺は苦笑を禁じ得なかった。
 インタルはうーんと唸った。
「なにかの鍵だと言っていた。意味はさっぱりわからなかったが、依頼主自身もそれ以上は知らないって話で、それ以上は聞かなかった。別に鍵だから持っていたわけじゃなくて、綺麗だから持っていただけだそうだ」
「じゃあ、リッジェルトは鍵として盗んだって考えるのが妥当ね」
「そうだな」
 俺が頷くと、クレスがわくわくした面持ちで言った。
「追いかけるのか? 取り返すのか?」
 彼はそれが自分の初冒険になると思ったのだろう。
 俺たち3人は互いに顔を見合わせて笑った。
「クレス。その指輪がなんだろうが、俺たちには関係ない話だ」
「そうそう。俺もクビになった後だし、今さらどうでもいいな」
「ええーっ!」
 クレスは不服そうだったが、すぐに気を取り直して笑った。
「まあいいや。みんなといれば、遅かれ早かれ冒険の旅に出られそうだし」
 クレスの言葉を聞きながら、俺は改めて大男を見上げた。
「で、本当にあんたは来るのか? 俺なんかと一緒に」
 インタルはこうしているとただの陽気なおっさんに見えるが、探検家としてはかなり優れた部類に入る。もう15年も探検稼業をやっていて、且つこれまでずっと生き延びてきたのだ。俺など足元にも及ばない。
「可愛い女の子がいるからな」
 インタルがそう言いながら、ミランに片目をつむって見せた。
 まったく、食えないヤツだ。
「俺は構わないし、むしろ歓迎だが……よかったか? ミラン、クレス」
 一応パーティー全員の了解がないと、認めるわけにはいかない。
 俺が二人の顔を見ると、クレスは自分が何か意見を言ってもいいことに感動しながら大きく何度も頷いた。パーティーの一員としてもっと大きな顔をしてくれてもいいのだが、まあ子供だしそれでいいだろう。
「ミランは?」
 もう一度聞くと、少女はにっこり笑って頷いた。
「反対する理由がないわ」
「儲けが減るぞ?」
 真顔で切り返すと、ミランは意味深な笑みを浮かべて言った。
「大切なのは、お金なんかじゃないのよ」
「そうだな」
 俺は深く頷いて、後の二人の顔を見た。
 インタルは実に満足そうにミランを見て、クレスも大人びた顔つきで頷いていた。
「よし、じゃあ今夜は新しいパーティー誕生を祝して、がんがん飲もう!」
 俺が言うが早いか、インタルがギルド中に響き渡る声でエールを注文した。
 楽しい夜になりそうだった。

←前のページへ 次のページへ→