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魔法師ミラン2 黄昏の街角

エピローグ

 昼の喧騒が嘘のように静かだった。
 空には星が瞬き、街は眠りに包まれている。
「なんだか、急に賑やかになったな」
 俺が言うと、ミランが「そうね」と相づちを打つように答えた。
 宿屋の裏庭だ。庭と言っても結構広くて、まるで公園のようだった。実際、昼間は近所の子供たちが遊びに来ていた。
 ベンチ代わりに置かれた大きな石の前で立ち止まると、ミランがすっと俺の隣に立っていたずらっぽく笑った。
「クレスがエリアスと話してたとき、なんだかエリアスを獲られちゃったみたいで、ちょっと嫉妬しちゃった」
「おいおい。それで黙り込んでたのか?」
 驚いて俺が聞くと、ミランは大きく首を横に振った。
「考えてたのは別のこと。でも、賑やかなのは楽しいけど、二人きりじゃなくなっちゃったことを寂しがるのは……構わないでしょ?」
 ミランがそっと俺の手を取った。
 俺はその手を握り返して、空を見上げた。
「それは……そうだな」
「考えてたのは、昨日のことよ」
 不意にミランがそう言って、俺は彼女を見た。
 ミランは風になびく茶褐色の髪をもう片方の手で押さえて、真剣な瞳で公園の一点を見つめながら独白するように口を開いた。
「エリアスが大金をいとも簡単に投げ捨てて、私は納得できなかった。でも、今日のクレスの笑顔を見ていたら私、なんだか自分がすごくちっぽけで、心の狭い人間なんだなって思って……」
「金に固執して失敗したことがあるんだ」
 俺は彼女の悩みに答えるように言った。
「だから、金は使うべきときには使うようにしている。もちろん、なんでもかんでもってわけじゃなくて、その境界は結局自分の勘が頼りだから、ミランを納得させることはできなかったけど……」
「ううん」
 ミランは勢いよく首を振って俺を見上げた。
「エリアスのその勘は絶対だって、思う。だから、クレスもエリアスに惹かれて、インタルも仲間になって、あのコスバンにさえ気に入られて。私もこうしてここにいる」
「すごいヤツらが集まるな、俺には」
 ゴーンドとメアリが知ったらどう言うだろうか。「お前なんかに」と驚くだろうか。
 俺はふと懐かしい顔を思い出して笑った。
「昨日はごめんなさい。私、もっとあなたを信じることにする。信じてついていく」
「ミラン……」
 俺はそっと彼女の身体を抱きしめて、唇を寄せた。
「エリアス……」
 少女も同じようにすがりつくように俺を抱きしめ、そっと唇を重ねる。
 その時だった。
「うわぁ!」
 突然草むらの中から少年の声がして、俺は慌てて少女の身体を離した。
 見ると、地面の上にクレスが転がっていて、痛そうに頭を押さえている。
「なんだよ、インタル。押すなよ」
「い、いや、俺は押してないぞ! おお、そこにいるのはエリアスとミラン! 偶然だな」
 クレスに続いて、インタルが白々しくそう言いながら出てきた。誰が偶然草の中から出てくるか!
 ちらりと隣を見ると、ミランは顔を真っ赤にして俯いていた。
「お、お前らなぁ……」
 俺がジト目で睨みつけると、少年は慌てたように手を振った。
「ぼ、僕は何も見てないよ。キスしてるとこなんて、絶対に見てない!」
 見てるじゃねーか。
「俺も見てないぞ、エリアス。信じてくれ」
 今にも噴き出しそうなインタルの顔に、俺は思わず拳を突き出した。
 もちろん、あっさりと躱されてしまったけれども。
「お前ら、つけてきやがったな!」
 怒鳴りつけると、クレスは申し訳なさそうにしたが、インタルはむしろ胸を張ってふんぞり返った。
「こんな夜中に、同じ部屋から若い男女が二人で出て行けば、つけるのが礼儀!」
「ぼ、僕は反対したんだよ! 本当に」
 もはや誰も信じられなかった。
「お前ら今日は外で寝ろ。ミラン、行くぞ」
 俺がまだ頬を赤らめている少女の手を取ると、インタルがにやにやして言った。
「なんだなんだ。今夜は二人にしてくれって? しょうがないヤツだなぁ。やり過ぎるなよ?」
 あまりにも露骨な台詞に、俺は思わず卒倒しそうになった。何もしていないのに後ろめたい気持ちになって、たじろぎながら他の二人を見ると、二人ともきょとんとしてインタルを見ていた。
「やり過ぎるって……何を?」
 不思議そうにそう言ったミランに、インタルはがははと笑っただけだった。
 どうやら彼女が学院で学んだのは、魔法や歴史だけらしい。
「なあインタル、今のはどういう意味だ?」
 興味津々でそう尋ねながら、クレスが部屋に戻っていくインタルの隣に並ぶ。
 インタルは豪快に笑った。
「男のお前にはその内教えてやるよ」
「ひどい! 私にも教えてよ!」
 ミランが拗ねた顔で駆けていく。
 俺はやれやれと溜め息をついて空を見上げた。
 どこまでも続く夜空に、星が河を成している。
「明日もいい天気になるな」
 そう呟いた声が、風に吹かれて流れていった。
 ふと視線を戻すと、三人はもう宿の入り口付近にいた。
 俺は一度両手を組んで思い切り空に突き上げてから、のんびりと仲間の許へ歩き始めた。
Fin
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