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魔法師ミラン2 黄昏の街角

 太陽が西の空を真っ赤に染める頃、俺とミランは探検家ギルド目指してマゼレミン市街を歩いていた。
 夕方の喧騒は、昼間のそれとはまた違ったものがある。夕食のための買い物をする婦人の姿が多いのも特徴の一つだ。日の高い内に比べて、男女比が逆転する。
 リッジェルトとはすでに別れた後だ。彼は俺が1軒目に入った宿に泊まっているらしい。一応後から確認に行ったが、確かにリッジェルトという名前の男が4日前から一人で泊まっていると宿の主人が言っていた。
 確認にはミランもついてきた。外に出ることさえ嫌がっていた彼女だが、黒髪の青年と会って機嫌が良くなったらしい。少年に悔しい思いをさせられたことすら忘れているのではないかと思うような笑顔で歩いている。
 複雑な思いがしたが、まあ俺にできなかったことを彼がしてくれたのだ。ひがむものじゃない。
 俺たちはその足でギルドに向かっていた。先に行きそびれたので、というのもあったが、そろそろ夕食の時間だ。
 マゼレミンの探検家ギルドは、馬車がギリギリ通れるかどうかというくらいの広さの街路沿いにあった。
 探検家が集まることも考えてギルドは酒場も営んでいる場合が多いが、マゼレミンのギルドも例に洩れず一階は食堂になっていた。
 通気口からタレの焼ける香ばしい匂いのする煙が、笑い声とともに洩れている。
「エリアス、私、お腹空いた」
 いつものミランだ。俺はほっと安堵の息を洩らした。
「盗まれた額は大きいが、それくらいじゃビクともしないくらい残ってる。気にせず食えよ」
 俺が気を利かせてそう言うと、ミランは笑顔で大きく頷いた。あたかも初めから気にしてないと言わんばかりの笑顔に、俺は思わず肩を落とした。
 店に入ると喧騒が衝撃となって俺たちを叩いた。それくらい賑わっていたのだ。良いことだ。
 見覚えのある赤毛のウエイトレスがやってきたが、さすがに向こうは覚えてなかったらしい。俺たちを適当なテーブルに案内すると、飲み物の注文だけ聞いて下がっていった。
「こういう喧騒はどこも同じね」
 ミランが周囲を見回しながらそう言った。あまり喋らない娘だが、賑やかなのが好きなのだ。
「探検家のほとんどが旅人だからな」
 俺がそう答えると、ミランは一瞬首を傾げてからすぐに頷いて見せた。意味をわかってくれたらしい。
 赤毛の少女がエールとジュースを持って戻ってくると、俺は野菜を煮込んだスープと鶏肉を焼いたもの、それにパンを注文した。
 酒を飲めないミランがジュースを取り、俺たちは乾杯してからそれに口をつける。
 しばらく何気ない雑談を交わしてから、ふとミランが思い出したように言った。
「それでエリアス。明日からどうするの?」
 もちろん少年のことである。
「どうするって、探すしかないだろう」
「でも、スリは基本的に現行犯じゃないと。もしあの子だけを見つけても、何もできないわ」
「なら現行犯で逮捕すればいい。まず見つけて、それから観察。当事者じゃなければ、ネタもわかるだろうよ」
 スープをすすりながらそう言うと、ミランは折り曲げた指を唇に当ててから、自信なさそうな声を出した。
「あれだけの大金を手にしてすぐ、また新しい獲物を探すなんて思えない」
「なるほど」
 俺は唸った。確かに彼女の言う通りである。
 袋の中には金貨がじゃらじゃら入っていたのだ。あれだけの金で買えないものなどそうそうない。剣でも馬車でも買えるし、日々の糧を得るだけならゆうに1年以上はもつ。
「思うに、あの子には絶対に仲間がいるから。とりあえずあの子を見つけて、尾行して、仲間に口を割らせよう」
「脅すのか?」
 無表情で聞き返すと、ミランはにっこり笑って頷いた。
「必要ならね」
 相変わらず怖い娘だ。目的のためなら手段を選ばない。
 けれど、効率的なことを言っているのは確かである。彼らがしばらくスリをしないのであれば、現行犯には時間がかかりすぎる。時間がかかれば俺たちの金が減っていく可能性も高くなるし、リッジェルトの指輪も彼の元を離れてしまうかも知れない。
 もっとも、こちらは今もまだあるという保証はなかったけれども。
 そうなると、やはりこちらからさっさと事を進めた方がいい。
「もし一人なら、逆に彼のアジトに忍び込んで、リッジェルトの指輪を見つけ出すのも手かもね。お金と違って、それなら盗まれた本人に確認すれば済むし」
「それもいいな」
 俺は切り分けた鶏肉を皿に乗せてミランに渡した。
「あ、ありがとう」
 ミランが礼を言って受け取ると、ふと彼女の後ろに一人の男が立った。彼女と同じ茶褐色の髪をした大柄の男だ。歳は三十過ぎくらい。
 ミランの知り合いではない。俺の古い知り合いだった。
「おう、エリアスじゃねーか!」
 突然背後で大声を出されたからか、ミランが可哀想なくらいビクッと肩をすくめて後ろを振り返った。
 大柄の男の名前はインタル。昔別の街で一緒に仕事をしたことがある仲間の一人だ。
 インタルは今初めてミランの存在に気が付いたらしく、まるで餌を見つけた熊のように小さな彼女を見下ろすと、驚いたような顔をした。
「お前、メアリはどうしたんだ? いつの間にこんな若い娘に乗り換えた?」
 メアリとは俺が昔一緒にパーティーを組んでいた一つ年上の女性である。俺はそもそも、ゴーンドという男とメアリの3人でパーティーを組んでいた。そこにミランが加わり、二人が抜けて今は武道着姿のこの魔法師の少女と二人きりで旅をしている。
 インタルと出会い、一緒に仕事を片付けたのはミランと出会う前のことだった。
「メアリとゴーンドはわけあって探検家をやめたんだよ。今は彼女……ミランと二人だ」
 俺が答えると、ミランがぺこりと頭を下げて「初めまして、ミランです」と簡単に自己紹介をした。
 インタルは許可も出していないのに俺たちのテーブルの空いていた椅子に座ると、同じように彼女に自己紹介をしてからエールを注文した。
「おいおい、居座るつもりか?」
 俺がからかうように聞くと、インタルは片目をつむって見せた。
「いいじゃねーか、久しぶりに会ったんだから」
「今のパーティーは?」
 俺が聞くと、インタルは背後を軽く指で差した。見ると中年の男と俺と同じ年くらいの青年、それにインタルと同じくらいの婦人が楽しそうに飲んでいた。
「あのパーティーがそうよ。華がねーだろ? お前、こんな若い子と二人きりで羨ましいなぁ!」
 インタルが叫ぶようにそう言って、運ばれてきたエールをぐいっと飲んだ。
 ミランが可笑しそうに顔を綻ばせて俺を見た。
「羨ましいって」
「まったく、リッジェルトと同じことを言う」
 俺が溜め息をつくと、インタルは身を乗り出してきた。
「リッジェルト? 誰だ?」
 俺は小さく舌打ちをしてから答えた。あまり他言していいことではない。
「今抱えてる仕事の依頼主だよ」
「おお、仕事中か。俺たちも仕事中だけどよ、ちょっと難航している」
「ほぅ。あんたほどの男が困っているか」
 俺は正直に驚いて見せた。
 インタルは探検家としてはかなり高レベルの部類に入る。そのインタルの入っているパーティーだ。全体的な年齢を見てもかなりできる連中ばかりだろう。
 大男は肩をすくめて首を振った。
「魔法師がいないからな。お前が羨ましい」
「えっ……?」
 俺とミランの声が綺麗にハモった。インタルが不思議そうに俺たち二人を交互に見て、首を傾げて聞いてきた。
「俺、何か間違ったか? ミランちゃんって、あのエルザーグラのミランだろ? 歳は17、茶褐色の髪と瞳をしているって聞いたことがある。そのまんまじゃねーか」
 俺はなるほどと思った。
 彼の言う通り、向かいに座っている少女はエルザーグラの有名人のそのミランである。けれど、今の彼女は魔法師として学んでいた時とはまったく異なった容姿をしている。
 髪も切ったし背も伸びたし日にも焼けた。四肢も適度な筋肉がつき、ひょろひょろだった当時の面影もない。格好もローブしか着ていなかった当時とは打って変わって、今は肢体を惜しみなくさらけだした武道着を着けている。
 だからエルザーグラに半年いても、誰にも気付かれることはなかったのだが、当時の彼女を見たことがなく、彼女の特徴を「17歳、茶褐色の髪と瞳」としか知らなければ言い当てることも可能だろう。
 俺と同じことを思ったのか、ミランが感心したように頷いている。
 俺は隠していたことがあっさりバレてしまった恥ずかしさに頭を掻きながら尋ねた。
「名前と特徴が一緒だからって、あのミランが俺みたいなヤツと二人で旅をしていることの方が変だと思わないのか?」
 俺は自分で大した人間だとは思っていない。事実、唯一他人より使える剣も、盗賊3人を同時に相手にしたら殺られてしまうような腕前だ。
 けれど、インタルはにやっと笑って言った。
「いや、お前ならあり得るな。お前には人を惹きつける何かがある」
 大真面目にそんなことを言われて、俺は思い切り照れた。
 そう言えば、エルザーグラのギルドマスターも同じようなことを言っていた。まったく、不思議な話だ。
「でもまあ、今は武道家ミランだ。魔法は使わないから、俺たちも似たようなもんよ」
 俺がそう言うと、インタルは「ふーん」と興味津々な顔をしたが、それ以上何も聞いてこなかった。
 こんな稼業をしているのだ。誰にだって一つや二つ秘密にしたいことくらいある。
「ともかく、せっかくの再会だ。今夜は大いに飲もう!」
 インタルは大きな口を開けて品のない笑いをすると、さらにエールを追加した。
 思わぬところで古い友人と再会したその夜は、3人で遅くまで飲むことになった。

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