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魔法師ミラン2 黄昏の街角

 夢を見た。
 俺はどこかの遺跡の中にいた。
 いや、800年の眠りから覚めたファミアールの遺跡だ。半年もいたから壁の造りでわかる。
 けれど、そのフロアに見覚えはなかった。大体一辺10メートルほどの正方形の部屋。
 その中央に4つのレバーがあって、すべてのレバーがオフの状態になっていた。
 1本のレバーは成人の足ほどの長さで、太さは腕くらいあった。
 何故かわからないがそこには大柄の男、インタルがいて、彼は一番入り口に近いところにあるレバーを押し上げた。
 すると、突然壁に穴が空き、そこから光が迸った。インタルは素早く身を屈めたが、光はまるでそれにつられるように軌道を変え、真っ直ぐ彼の頭に向かって走った。
「インタル!」
 傍らにいた茶褐色の髪の少女が絶叫する。
 光が彼の頭を吹き飛ばした瞬間、俺の意識は白い光に包み込まれた。
 目が覚めてもしばらく動けないでいた。インタルとはかつて仕事をしたことがあったが、遺跡には潜っていない。
 何故あんな夢を見たのか。
「最悪の目覚めだ……」
 呟いた瞬間、俺はすぐ隣に人の気配を感じて、心臓が止まるほどの緊張を覚えた。
 目を見開き、身体は動かさずに首だけで横を向くと、同じ布団の中でミランが心地良さそうに寝息を立てていた。
「な、なんだ……?」
 俺は思わず素っ頓狂な声を出した。
 あまりにもリアルな夢を見たからか、しばらく記憶が戻ってこなかった。確かミランは、昨夜は戻ってこなかったはず。
 窓から差し込む光はすでに朝の到来を告げている。彼女がいつ戻ってきたかはわからないが、布団の中にまで入られて俺は気付かなかったのだろうか。
 あるいは、少女が寝ている俺に、さらに睡眠の魔法をかけたのかも知れない。
 ともかく、昨日まったくの無表情で俺の許を去った少女が、すぐ隣で眠っている。経緯と理由はどうあれ、それは事実だった。
 俺は身体を横に向け、安堵の息をついてそっと少女の髪を撫でた。こうしていると、何故かとても落ち着く。
 じっと見つめると、彼女の頬が荒れているのに気が付いた。涙の跡だ。
 ミランはミランなりに、色々なことを考えてここに戻ってきたのだろう。
「ごめんな、ミラン……」
 俺は小さく呟くと、そっと少女を抱きしめ、ほんのかすかに少女の唇にキスをした。
 初めて触れた唇は、ひんやりしていて、柔らかかった。
「エリアス……?」
 今ので起こしてしまったのか、ミランが腕の中から顔を上げた。瞳にかすかな赤みが残っている。あまり寝てないようだ。
「おはよう、ミラン」
 普通に挨拶すると、ミランは小さく微笑んでから、「おはよう」と嬉しそうに言って、ギュッと俺に抱きついてきた。まるで父親にしがみつく小さな娘みたいにだ。
 どういう結論に達したのか、妙に機嫌が良い。まさか俺がキスをしたからか?
 ふとそうも思ったが、恥ずかしいので聞かずにおいた。
 しばらくそうして抱きしめ合っていると、やがてミランが俺の肩に顔を押し当てたまま真剣な声で言った。
「エリアス。私、色々考えたんだけど、やっぱりあなたを信じようと思う……」
「ミラン……」
 少女はもう一度腕の隙間から顔を上げた。先程の嬉しそうな顔とは打って変わって、何かを研究している最中の学者のような面持ちをしていた。
「私、探検家としてはまだまだだから……。エリアスだって、何も考えずにああしたわけじゃないと思うし、理由は……やっぱりわからないけど……」
「あまりにもひたむきなクレスに惹かれた。それじゃあ、納得できないか?」
 自信なく、俺はそう言った。
 実際、それが理由だった。
 利害を考えたらあそこは道場がなくなっても金を払うべきじゃない。何の見返りもないのだから。
 けれど、人間には感情がある。それは時に冷静な判断を狂わせることもあるけれど、思わぬ結果をもたらすこともあるのだ。
 俺が独り言のようにそう説明すると、ミランは「そうだね」と言ってから、また俺の肩に顔を埋めた。吐息が熱い。
「私、冷たすぎるかも知れない。エリアスはプライドのために生命は捨てないけど、お金は捨ててもいいって思ってるのよね?」
「そうだな。時と場合によっては」
「私にはそれがわからない。あの子を見ていてもなんとも思わなかった。私、きっと冷たい人間なんだね……」
 寂しそうにそう言ったミランに、俺は首を振った。
「額が額だったし、それにミランは恥をかかされている。俺も殺されそうになったし、ミランが冷たいんじゃなくて、俺がただバカなだけだろ」
 俺が明るい声を出すと、ミランが「ありがと」と呟いて小さく頷いた。
「戻ってきてくれてよかった。ミラン……」
 俺はもう一度強く彼女の細い身体を抱きしめた。温もりがいとおしかった。

 昼過ぎ、俺たちは指輪を持ってリッジェルトの許を訪れた。
 指輪にかけられている魔法は午前の間にミランが調べたが、よくわからないとのこと。
 ファミアールでエルフの水晶を見つけたときも、ミランはその魔法を言い当てることができなかった。
 彼女の魔法の知識が足りないのか、それともマジックアイテムに詳しくないのか。
 あるいは、実はこの指輪には誰にも知られていないような、何かとてつもない魔法がかけられているのかも知れない。俺は魔法に詳しくないのでわからないが、エルフたちの水晶はその類だったようだ。
 そういう可能性も残したまま、俺たちは指輪を依頼主に渡した。
 黒髪の青年はその指輪を色々な角度から見つめて、にっこりと笑った。
「いやー、確かにこれです。助かりました」
 俺が彼から金貨を受け取ると、ミランが横から口を挟んだ。
「リッジェルトさん。その指輪について何か知っていることはありませんか? かなり古いもののようですが……」
 ミランの言葉に、リッジェルトは不思議そうに首を傾げた。別に気を損ねたということはない。
「何故ですか?」
「探検家として興味があるからです。私はそういう古い貴重なものをたくさん見たくて探検家になったようなものだから」
 俺は思わず本気かと思って彼女を見たが、彼女の目を見て嘘だとわかった。
 彼女は単に魔法師を生業にするのを嫌がって家を飛び出してきただけだ。成り行きで探検家になったが、実際遺跡から古い品物が出てきても、骨董価値としての喜びはなさそうだった。
 俺も大して遺跡自体に興味はないが、それでも彼女ほどではない。土中から古びた剣が出てくるだけで、男のロマンを感じることもある。
 リッジェルトはしばらく考える素振りを見せてから、申し訳なさそうに首を振った。
「300年くらい前に、先祖がどこかから持ってきたものらしいです。僕にはここに書いてある文字すら読めませんし、残念ながら何一つわかりません」
「そう……」
 ミランは残念そうに溜め息をついたが、すぐに顔を上げて微笑んだ。
「不躾な質問をしました。ありがとうございます」
「いえ。ミランさんの好奇心に応えられなくてすいません」
 リッジェルトはカ軽く頭を下げると、指輪を袋の中にしまった。
 俺は軽くミランの肩を叩いて立ち上がる。
「それじゃあ、俺たちはこれで。今度は盗られないように気を付けろよ」
「ええ。ありがとうございました」
 もう一度頭を下げた依頼主に軽く手を振って、俺はミランを伴って外に出た。

 雲一つない空の下、俺たちはフラウレンの白魔法師協会のある通りを歩いていた。
 到着してすぐ事件に巻き込まれてのんびりできなかったので、ミランが観光したいと言い出したのだ。
 大通りほど人はいないが、それでも真っ直ぐ歩けるほど空いてはいない。俺は子供の手を引くように彼女の手を握って、あれこれ説明しながら歩いていた。
 当の本人は、露店で買った揚げパンを頬張りながら、「えー」とか「ふーん」などと相槌を打って歩いている。
 まったくいつも通りのミランだ。一時はどうなることかと思ったが、とりあえず機嫌は直ったらしい。ただ、表面に出てきていないだけで、例の一件は彼女の胸の奥にわだかまっているはずだ。
 前方に巨大な白い建物が見えてきた。この赤い町並みに一際目立つそれが、フラウレンの協会だった。
 ただ、俺たちの視線はそこにはなかった。ほぼ二人同時に足を止めて、真っ直ぐ街路の先を見つめる。
 協会の入り口から、紺色の髪の少年が出てきたのだ。まるでどこかに盗みにでも入ったような、大きな袋を担いでいる。
 いや、身体の割に大きな、と言い直そう。少年の持っている袋は、俺のものより小さかった。
 クレスは何やら神妙そうにぺこりと入り口に頭を下げた。誰かいるのかと思ったが、そこには誰もいなかった。
 そして彼はこちらに向き直り、どうやら俺たちに気が付いたらしい。表情を綻ばせて走ってきた。
「クレス、どうしたんだ? 昨日の怪我を治してたのか?」
 俺が怪訝そうに首を傾げて尋ねると、少年は明るい顔を上げて言った。
「ううん。怪我は大したことないよ。そんなヤワな鍛え方してないからね。あの木偶の坊の蹴りより、お姉ちゃんの膝の方が500倍くらい効いたよ」
 少年がそう言うと、ミランはぷいっとそっぽを向いた。もうあまり彼に対して怒りはないようだが、許せるほどでもないらしい。
 少年は大人ぶってやれやれと首を振った。その様子がおかしくて俺が思わず忍び笑いを洩らすと、ミランがふてくされた顔で睨んできた。
「あの協会に師範が入院してるんだよ」
「ああ、なるほどな」
 そういえば彼の師範は、あの借金取りに大怪我を負わされたと言っていた。
「もういいのか?」
「うん。もうじき退院できるみたい」
「そうか……」
 俺は頷いて、もう一度彼を見た。
 頬がまだ少し腫れていたが、痛くはないようだ。俺たちから金を盗んだときの皮肉っぽい笑みも、昨日の大人びた様子もない、まったく穢れを知らないような子供の顔をしている。
 恐らくこれがクレスの本当の顔なのだ。リーダーという立場と、借金という汚い世界に無理矢理引き込まれて、ああいう顔をせざるを得なかった。
「それで、そんな荷物持ってどうしたんだ? 家出か?」
 袋を指差しながら冗談めかしてそう聞くと、クレスはいたずらっぽく笑って頷いた。
「うん、そう」
「おいおい」
 俺は冗談だと思って笑ったが、どうやら彼は本気らしかった。
「今日からお兄ちゃんとお姉ちゃんと一緒に旅をするんだ」
「……は?」
 俺とミランの声がかぶった。
 クレスは自分のことで大人が驚くのが面白いらしく、両手を後ろに組んで楽しそうに笑った。
「師範に全部話してね。もらった金を全部返すまで破門だって言われちゃった」
「いや、待て。あの金ならいいから。俺が師範に話してやる」
 さすがに慌てながらそう言ったが、少年はまるで気にした様子もなく、首を横に振って俺を見上げた。
「いいよ。これは僕が決めたんだ。お兄ちゃんがダメって言ってもついていくから」
「クレス。これは遊びじゃないのよ」
 どうやら彼が本気らしいことを知って、ミランが咎めるように言った。
 彼女の心配は俺の心配でもある。探検家は彼の思っているような甘い職業ではない。人も死ぬし、大人の汚い世界にまぎれることになる。
 ミランがそう言うと、少年は「大丈夫」と言ってから、精悍な顔つきになった。
「遅かれ早かれ、人は誰だって大人になるんだから。それに僕はずっとこの街にいるつもりもないし、広い世界を見て回りたい。この機会は見逃したくないんだ! 二人がダメって言っても、僕はついていくからね!」
 どうやら決意は固いらしい。俺は溜め息をつきながら、何気なく聞いてみた。
「親は許したのか?」
 もうここに帰ってこれないかも知れないのだ。さすがに人さらいまがいのことはできない。家出した子供を引き取るのは、ミラン一人で十分だ。
 そう思ってのことだったが、彼の答えが俺の気持ちを決定付けた。
「親はいないよ。僕は孤児で、ずっと師範の家に厄介になってたんだ」
「……そうか」
 俺は神妙に頷いてから、ちらりとミランを見た。
 目が合った。彼女は今の彼の発言で、俺の気持ちが決定したのを読み取ったのだろう。あきらめに近い顔で俺を見ていた。
「ミラン、ここに来たときに言ったよな。ずっと同じ街にいるのはいけないって」
「わかった、エリアス。別に反対しない」
 そう言って、少女はもう一度そっぽを向いた。
 別に嫌々承諾するというわけでもないらしい。彼女の声には刺々しさがなかった。
 俺は肩をすくめてから少年に向き直った。
「わかった。これからお前は俺たちの仲間だ」
「えっ!? いいの!?」
 クレスが驚いたように顔を上げる。自分が我が儘を言っていたのを理解していたのだろう。彼は俺たちの金を盗み、それどころか殺そうとさえしたのだから。
「ああ。俺はエリアス。二人しかいないパーティーだが、一応リーダーだ。こっちはミラン。昨日見た通りの魔法師だが、基本的には武道家を目指している」
 自己紹介をしながら手を差し出すと、少年は満面の笑顔でそれを握った。
「わかった。よろしくお願いします」
 ふと隣を見ると、ミランが何か考えるように遠くを見つめていた。
 とても真剣そうだったから、俺は何も聞かなかった。

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