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魔法師ミラン2 黄昏の街角

 スリは普通、旅人を狙う。住民は大金を持ち歩かないからだ。
 もちろん、大半の旅人はそれを心得ているので、大きな街の特に人通りの多い場所では常に警戒しているものだ。
 そのため、探検家を狙って逆に捕まるスリも多い。俺も旅の中で過去に3人ほど捕まえている。もちろん、突き出すかどうかは交渉次第だ。
 その者が恩賞以上の額を支払うと言うならば解放することもある。そいつの人生よりも、自分たちの利益の方が大切だからだ。
 ちなみに、過去3件ともすべて恩賞以上の額をもらって解放した。彼らも生命は惜しいらしい。
 その3件を除くと、事前に相手がスリだとわかり、睨みを利かせて近付かせなかったことが数回ある。
 ただ、今回のようにまんまと盗られたのは初めてだった。あの少年の技術ならば、自分が掏られたことに気付かない者も多かろう。
「エリアス。私、頑張る」
 翌朝、曇天の空の下、ミランがグッと拳を握って俺を見上げた。
 その瞳は決然としており、闘志に漲っていた。怒りや屈辱はもうあまり残ってないらしい。今はただ、純粋に少年を捕まえるという行為に燃えている。
 俺は何も言わずに大きく頷いたが、内心ではあきれるやら困惑するやら、複雑な思いでいた。
 というのは、恐らくこの事件も、魔法を使えば簡単に片付くからだ。魔法については詳しくは知らないが、天才であるこの少女が魔法を駆使すれば、少年を探すのも捕まえるのも容易かろう。
 大金を盗まれ、それがなくなってしまうかも知れないという事態にありながら、それでも魔法を使おうとしない彼女のある種の頑固さに、俺はなんとも言えない思いがした。
 それほどまでに嫌なのだろうか。何がそこまで彼女を意固地にさせるのか。
 俺はその答えの片鱗を人伝てに知っていたが、それでもやはり納得できないでいた。
 今朝の大通りは昨日と同じ賑わいだった。曇天といっても雨が降りそうなものではなく、時々晴れ間の覗く空模様だったので、露店の数も昨日と変わりない。
 俺はミランに10歩前を歩かせ、それを追尾する形で歩いていた。
 ミランは露店の人間や明らかに街の住人と思われる人に聞き込みをしながら歩いている。もちろん、少年の居場所を突き止めるためだ。
 本当は俺が聞き込みを行った方が効率が良いのだが、まあこれも探検家としての勉強の一つだと、今回は彼女に一任していた。
 少女は果たして有力な手がかりを得ているのかいないのか、先程から同じような場所をグルグル回っている。傍目には何の情報も得られてないように見えた。
 昼を少し過ぎ、そろそろ腹が減ってきた頃、俺はミランに声をかけようとした。
 このまま続けていては、何の手がかりも得られないまま今日が終わってしまう。彼女のプライドを損ねる危険はあったが、そろそろ前後を交替しようと思ったのだ。
 露店の親父と話をしている彼女との距離が4歩まで近付いた時、不意に一つの小さな人影が彼女に近付いた。昨日の少年ではないが、同じくらいの歳の子供だ。
 俺はミランに話しかけるのをやめた。怪しくない程度に歩速を落とすと、彼の手がミランの腰に伸びた。
 少女の腰には、新しい袋がぶら下げられていた。銀貨をぎっしり詰め、わざとほどけやすいようにつけられた巾着。俺とミランはそれを「罠」と呼んでいた。
 少年は実に鮮やかな手つきで罠を外した。ほんの一瞬。盗まれたミランがまったく気付かないほど鮮やかに。
 そして次の瞬間、彼はそれを隣を歩いていた女性の籠に入れた。
「なるほどな」
 俺は思わずそう呟いて、すぐに踵を返した。ミランに話しかける間に見失う可能性もあったし、今は仲間だと気付かれたくない。
 彼の手口から見て、昨日の少年の仲間なのは間違いない。未だに露店の親父と熱心に話をするミランに溜め息をつきつつ、俺は女性を尾行した。せっかく罠にかかったのだから、見逃す手はない。
 女性は俺と同じくらいの歳で、ミランよりもほっそりしている。長い髪の毛は腰ほどまであり、整えられた身なりには清潔感があった。少年もそうだが、決して乞食の類ではない。
 しばらく歩くと、彼女は大通りを逸れ、細い路地を歩いて町外れまで来た。少年は別ルートで帰っているのだろう。彼女は一人だった。
 さらに歩くと、やがて前方に何やら古めかしい大きな建物が見えてきた。どうやら何かの道場らしい。
 昨日の少年が使い手だったことを考えると、どうやらその道場が到達点のようだ。中に入られてはまずいと思い、俺は何食わぬ顔で女性に話しかけた。
「あの、ちょっと聞きたいんだが」
「きゃっ!」
 それほど突然話しかけたわけでもなかったが、女性は驚いて身をすくめた。背後からだったこともあるかも知れないが、それよりも後ろめたいことをした後だからだろう。
「あ、驚かせてすまない」
 俺は彼女の前に立ち、できるだけ普通を装った。女性は気を取り直したようだが、警戒は解かなかった。
 俺は首だけで後ろを振り返り、道場を指差した。
「お姉さん、この道場の人だよな」
 一応確認すると、女性はわずかに逡巡したが、隠しては余計に怪しまれると判断したのか、素直に頷いて見せた。
「そうですが、それが何か?」
「ここは何の道場なんだ?」
 女性は俺の指につられるように道場を見てから、再び視線を戻した。
「子供たちに拳法を教えています。どうしてそんなことを聞くんですか?」
 逆に尋ねられて、俺は頭を掻いた。
「とある仕事でね。その情報収集だ。答えられないことは別に答えなくていいが」
 そう言って、探るような目を向けた。
 女性としては本当は答えたくないだろうが、無下に断っては後ろめたいことを自ら露呈するようなものだ。
 少しの間無表情で視線を落とした後、「答えられる範囲で答えます」と言った。
 俺は満足げに頷いた。
「俺はエリアス。ギルドに所属する探検家だ。あんたは?」
「私はミシルです。この道場の師範の娘です」
「娘さんか……」
 ということは、子供らがスリを働いているのは師範も知っているか、少なくとも道場全体の問題であるということだろう。
 そう察して、俺はストレートな質問をしてみた。
「不躾で悪いが、あんたたち今、金に困っていることはないか?」
 女性の顔に動揺がよぎった。俺をどちらの線から調査に来たのか迷っているのかも知れない。
 どちらというのは、子供がスリを働いていることか、あるいはスリを働かなければならない事情の方かということだ。
「豊かではありませんが、困っているほど貧乏でもありません」
 毅然として彼女は答えた。
「そうか。失礼なことを聞いた」
 俺は素直に謝って質問を変えた。
「道場には今何人くらい門下生がいるんだ? 子供たちにって言ってたが、大人はいないのか?」
 その質問を、彼女は特に問題視しなかったらしい。別に表情を変えずに答えてくれた。
「男の子ばかり10人です。大人はいませんが、一番上は15になります。大人は師範を含めた私の家族だけです」
「そうか……」
 もう一度道場を見てみる。普通の民家2つ分くらいの広さだ。大きさの割に人が少ない印象は拭えない。
 けれど、あの少年の腕前からすると、師範はかなりの使い手だろう。にも関わらず門下生が少ないのは、ひょっとすると稽古が相当厳しいのかも知れない。
 俺が次に質問をしようとしたとき、向こうから見覚えのある少年がやってきた。先程ミランの金を盗んだヤツだ。
 少年は表情を険しくすると、小走りに俺たちのところへやってきて、女性の隣に立った。
「ミシル、この人は?」
 俺から視線を逸らすことなく少年が尋ねる。昨日の紺色の髪の子ほどではないが、こいつもなかなかの腕前らしい。構えでわかる。
「俺はエリアス。探検家だ。ちょっと聞きたいことがあって話をしていた」
 ミシルが答えるより先に、俺が説明した。
 少年はそれでも安心することなく敵意を剥き出しにしている。ミシルのように器用には立ち回れないらしい。
 俺は小さく笑って言った。
「どうしてそんなに俺を睨むんだ? ただ話をしていただけだろう。何か知られたくないことでもあるのか?」
 その質問に、ミシルは苦い顔で少年を見下ろし、彼はしまったというような顔をして俯いた。
「この子は、人見知りするんです」
 苦し紛れにそう言ったミシルに、俺はそれ以上続けなくていいと言わんばかりに手を出した。
「もう化かし合いは終わりにしよう。単刀直入に言う」
 特にこれ以上引き伸ばす必要を感じなかったので、俺はネタを明かすことにした。
「ミシル。あんたのカゴに入っている巾着には、銀貨80枚と一緒に、持ち主の名前を書いた紙が入っている。ミランと書いてあるはずだ」
 俺が言い終わるが早いか、少年が地面を蹴った。
「ケイ!」
 ミシルが叱るような鋭い声を上げる。いくらバレたからと言って、暴力手段に訴えるのは避けたかったのだろう。
 俺はケイと呼ばれた少年の突きを身を逸らして躱すと、素早く足払いをかけた。
 少年はそれを跳んで避け、そのまま蹴りを食らわせてくる。
 その足を、俺はがっしりつかんだ。
「うわっ!」
 ケイがバランスを崩して倒れ込む。
「探検家を舐めるな」
 二人を交互に睨みつけてそう言った瞬間、背後に凄まじい殺気を感じた。振り向くとそこに昨日の少年がいて、俺は咄嗟に飛び退こうとしたが彼が拳を繰り出す方が早かった。
 想像を遥かに越える重たい突きが鳩尾にめり込んで、俺は一瞬にして意識が真っ白になった。

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