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魔法師ミラン2 黄昏の街角

 鬱蒼と空を覆う分厚い雲の切れ間から太陽が覗かせるように、真っ黒だった意識に白い光が戻り始めた。
 反射的に目を開きそうになって、すぐにそれを閉じる。
 急速に蘇ってくる記憶。そう言えばあの紺色の髪の少年にやられたんだ。
 不覚を取った。どうやら生命は無事なようだが、時と場合によってはあれで人生が終了していた可能性もあるのだ。
 少年だからと見くびっていたようだ。いくら年端もいかぬ子供でも、全体重を拳に乗せれば、大人より遥かに重いパンチを放つことができる。
 あのミランの攻撃を軽々と躱していた時点で気付くべきだった。
 まったく気配も感じさせず、足音も立てずに近付いてきたし、ただ者じゃない。
 俺は目を閉じたまま、視覚以外の五感を研ぎ澄ませた。意識が戻ったことを悟られてはいけない。
 俺は、縛って座らされていた。足を伸ばした状態で、腕と一緒に胴を紐で縛られている。
 背中に当たる感触からして、どうやら太い柱のようだ。下は板の間らしい。
 肘から下は自由になっているが、結び目は柱の後ろのようだ。紐に触れることはできそうだが、動くのはやめておいた。
 漂ってくる匂いは汗を含んだ建物の木の匂い。なるほど、あれから道場に運ばれてきたらしい。
 耳をそばだてると、少し離れたところからいくつかの高い声がした。ミシルと子供たちだろう。
 注意深く周囲の気配を探ったが、すぐ近くに人はいない。俺は身体は動かさずにうっすらと目を開けた。
 いくつかの太い柱が天井を支えている、広い板の間の道場だった。中央よりやや俺のいる場所に近いところに、ミシルと6人の子供が円を描いて座っている。
 円形である関係上、俺の方に身体を向けている子供もいるが、注意してはいないようだった。彼らの顔つきからすると、どうやら深刻な状況になっているらしい。もちろん、俺のせいだろうが。
 俺は聴覚に集中するために、再び目を閉じた。
「とにかく、もうお金は十分集まったんだから、これ以上悪さをするのはやめましょう」
 ミシルの声だ。ミランから金を掏るのに加担しておきながらよく言うものだ。
 どうやら何かのために金が必要で、その金は昨日ミランが持っていた金貨で足りたらしい。それがミシルとケイという少年に伝わってなかったようだ。
 ケイの謝る声がして、他の少年が「もうやっちゃったものはしょうがないよ」と慰めた。
「じゃあ、借金の方は集めたお金で片付けることで、もういいよな?」
 男子の声。あの紺色の髪の少年だ。口調からしてリーダー格らしい。まあ、あの強さなら不思議ではないが。
 彼の発言に、誰も何も言わなかった。ひょっとしたら無言で頷いたのかも知れない。
「それなら、問題はあの人をどうするかだな」
 あの人とは俺のことだろう。話の流れからして彼らが俺の方に注意を向けた可能性があるので、俺は気付いたことがバレないよう項垂れた。
「どうするって言っても……まさか殺すわけにもいかないし……」
 子供のくせに物騒なことを言う。ミシルが悲鳴のような声を上げた。
「当たり前よ。犯罪者になるわ」
 そういう問題なのか?
 そもそもスリも犯罪だが、誰もそれを突っ込まなかった。是非俺が突っ込みたかったが、今はそういう状況ではない。
「でもそのまま放せば、僕たちはみんな訴えられちゃうよ」
「脅したら、どうだろう。クレスならできないか?」
 女の子みたいな声で、少年の一人が言った。まったく自信のない声だ。
「無理じゃないかな。いくら僕が強くても所詮子供だし、探検家を脅すなんてこと、無理だよ」
 答えたのは紺色の髪の少年だった。どうやらクレスという名前らしい。
 彼にしては弱気な声だった。やはり頭も切れるようだ。
 俺がギルドに所属する探検家であることは、すでに知っているだろう。
 俺を敵に回せば、ギルド全体が俺に加担する。いくらクレスが強くても、どうこうなる問題ではない。
「お父さんに、相談しようか」
 苦しげな声でミシルが言った。彼女の父親はここの師範だ。
 すぐに少年の一人が怒鳴り声を上げる。
「それはダメだよ! 師範がこんなことを知ったら……」
 なるほど。どうやら彼らの行動を、師範は知らないらしい。
 何らかの事情で道場が借金を抱え、それを払うためにミシルを中心に子供たちがスリを働いていた。
 昨日ミランから得た金で借金は返せるようになったのだが、今日俺に知られてしまい、事態がややこしくなった。
 そう考えると、リッジェルトの指輪は無事だろう。あるいはすでに換金されてしまったか。
 俺はそう思ったが、すぐに心の中で首を振った。
 高価な品物を売るのは簡単ではない。入手経路や売却する者の素性を調べられるからだ。
 そう考えると、彼の指輪はまだ無事だろう。
 こんな状況下にあっても、俺は依頼を遂行できそうなことにほっとした。
「殺せないなら放つしかない。でも盗んだお金は返せない」
「せめてあの金貨が、あの人の仲間じゃない人が持ってたものならな……」
 確かに、俺としては別に盗まれた金さえ返してもらえれば後はどうでもいい。
 だが、彼らが借金を返すためには、ミランの、つまり俺のパーティーの金を出さなければならないのだ。
「今さらたらとかればを言ってもしょうがないよ」
「さっさと借金を返しに行こう。お金がなくなっちゃえば、あの人もあきらめるかも知れないし」
 おいおい。
 あまりにも突っ込みどころ満載のやりとりに、俺は噴き出しそうになった。
「そうしたら余計に僕たちが訴えられる可能性が高くなる」
 冷静にクレスが言った。それから、どうやら立ち上がったらしい。ゆっくりと一つの足音が近付いてくる。
「お、おい、クレス?」
 誰かが怪訝そうな声を出した。近付いてくるのはクレスらしい。
「もう、直接話すしかないだろ」
 そう言うと、彼は俺の前に来て、軽く頬を叩いた。これ以上意識を失った振りをしてもしょうがない。
 俺は目を開けて彼を見据えた。紺色の髪の少年は、一切の余裕が見られない表情で俺を見つめていた。
「ついに考えることを放棄したのか?」
 俺がそう言うと、俺の周りに集まってきた子供らがビクッと肩をすくめた。
「気が付いてたんだ」
 クレスだけが平然と切り返す。そしてむしろ話が早いと言わんばかりに満足げに頷いた。
「なら、何も言わなくてもいいね」
「そうだな」
 俺は軽く足を組んで答えた。殺される心配がなくなったというわけでもなかったが、こんなガキの集団に気圧されたらおしまいだ。
 クレスは小さく笑った。まだ12、3のくせに、どこか大人びた笑みだ。
「師範の息子が……ミシルのお兄さんにあたる人だけど、借金を作って逃げちゃったんだ」
「よくある話だな」
 俺は鼻で笑い飛ばそうとして、やめた。クレスの話し方には、何か人をそうさせない雰囲気があったのだ。
 少年は続けた。
「借金取りが来て、この道場を空け渡せって言ってきてね。師範は断ったんだけど、そうしたらその日の夜に、大怪我を負わされて……今は入院してる」
 それもまたよくある話だ。
「それで師範は道場を渡す決心をしたんだ。僕たちにまで危害が及ばないようにってことだと思う。だけど……」
 言葉を切って、クレスは唇をかんだ。
 いくら師範が承諾しても、自分たちの愛する道場がなくなってしまうのは嫌だ。それでスリを働いて借金を返そうとした。そんなところだろう。
「で、スリなんかで金集めて、後で師範にはなんて言うつもりだったんだ?」
 俺が聞くと、クレスは自信ない声で答えた。
「みんなの家からかき集めたって……言うしかないよ」
「あれだけの大金をか?」
 ミランの巾着には、少なくともこの道場の土地が買えるだけの額が入っていた。俺たちがエルザーグラで稼いだ内の5分の1程度だが、それでも一般市民には大金だろう。
 いや、俺たちにも十分大金なのだが、ともかくむざむざと渡すことはできない。
 クレスは泣きそうな顔で俺を見上げて声を荒げた。
「無理だなんてわかってるよ! だけど、しょうがないじゃないか!」
「クレス!」
 ミシルがたしなめる。
 ミランがいかに冷静で賢くても女であるように、クレスもいかに強くて大人びていても、やはり子供なのだ。
「お願いです。僕たちにあのお金をください!」
 唐突に、クレスが深く頭を下げた。
 リーダーがそうしたからか、ミシルも含めた子供たち全員が同じように俺に頭を下げてきた。もはやそうするしか手がないと言わんばかりに。
 確かに、一番丸く収めるにはそれしかないだろう。誰かが金を出せば済む話だ。
 だが、生憎俺にそれを承諾する義理はなかった。
「無理だな」
 はっきりそう告げると、子供たちの顔に緊張が走った。
 無理に決まっているのに、心の中で承諾してもらえると思っていたのだろう。
「額が額だし、なんでスリの集団を助けないといけないんだ? 俺は探検家だ。金をもらって仕事はするが、なんの見返りもなしに金を払う慈善事業は行ってないぜ」
 子供たちがクレスを見た。リーダーの少年は俯いて立ち尽くしたまま、グッと拳を握って唇をかんでいた。
「そうしたら……僕はお前を……殺さないといけなくなる……」
 彼の苦渋に満ちた呟きに、ミシルが睨みつけるように言った。
「クレス! それだけはしちゃダメ! 人殺しなんて、そんな恐ろしいこと……」
 今にも卒倒しそうなミシルに、しかしクレスは首を大きく横に振った。
「僕一人罪人になれば済むことだ。みんなは関係ない。これは僕が勝手にすることだから」
 決意は固いらしい。俺は内心で舌打ちをした。
 ガキの言いなりになるのは癪だが、本当にいざとなれば、金のために生命は捨てられない。
「どうしても、ダメ、ですか……?」
 今にも泣き出しそうな、それでも決意に満ちた瞳で、クレスが俺が見下ろした。
 張り詰める空気。息をすることさえはばかられるような緊張に、子供の一人が身体を震わせた。
 俺があきらめかけたその時、道場のドアの開かれる音が板の間の床を滑りぬけた。

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