■ Novels


小さな魔法使い
魔法使いに憧れる少女ユウィルは13歳。湖の街ウィサンに、最近引っ越してきたばかり。湖には化け物が棲んでおり、ユウィルはひょんなことから、たった一人でこれと戦うことになる。

 ウィサンの街は人々の声に活気付いていた。往来は人通りが激しく、大きな平たい石を敷き詰めた道を、デイディは人をかき分けるようにして走っていた。
 ウィサンの低い町並みの向こうに、澄んだ青空が広がっている。ここから見る空は高い。昔一度だけ北のティーアハイムとハイデルの街に行ったことがあったが、そこでの印象は、空の低さだった。つまり、建物が皆、高いのだ。
 向こうは魔法が発達している。近所のおじさんの話だと、魔法を使う者は、力の象徴として高い建物を建てたがるらしい。
 魔法は嫌いだ。
 デイディは思った。
 魔法は素質に左右される。魔法を使うことのできる素質、これを魔力と呼ぶのだが、魔力の有無は血に左右され、生憎デイディの血族には魔力がなかった。だからデイディに魔法を使うことはできない。
 もっとも、それ故昔はよく魔法使いに憧れたりもしたのだが、今ではむしろ彼は魔法を嫌っている。丁度、余所の土地からユウィルが越してきて、あの事件が起きてからだ。
 デイディは一瞬表情を険しくすると、やがて見えてきた白い大きな建物に飛び込んだ。
『パレルクリウ診療所』
 そう書かれた看板が、風に小さく音を立てた。

 コンコン。
 入院棟の2階の一室の扉を数回ノックすると、中から「はい」と女の子の元気な声がした。しかし、元気なのは声だけだ。彼は知っている。
「俺だ。入るぞ」
 そう言って、デイディは扉を開けて中に入った。
 建物の造りからやむを得ず出来上がった貴重な一人部屋。この入院棟にも3部屋、つまり、1階と2階と3階に一部屋ずつしかないその部屋に、彼の妹は入院していた。
「元気にしてたか? ミリム」
 先程ユウィルを殴っていた者と同一人物とは思えないほど優しい声で、デイディが尋ねた。
「うん。もう、お兄ちゃん、さっき来たばかりじゃない。たったの5、6時間でいきなり悪化したら怖いよ」
 そう言って笑い声を上げるミリムは、額に包帯を巻き、左腕を痛々しく三角巾で吊っていた。デイディはそんなミリムを哀れむような瞳で見つめると、ふとよぎったユウィルの泣き顔に、怒りが込み上げてきた。
 ちょうどそんな瞬間に言ってしまったミリムの、タイミングが悪かったとしか言いようがない。
「ねえ、お兄ちゃん。あの、ユウィル、どうしてる?」
 恐る恐るそう尋ねる妹の言葉に、デイディは自分でも驚くほど大きな声でミリムを怒鳴りつけた。
「ミリム。どうしてあんなヤツのことを心配するんだ! あいつがお前をこんな目に遭わせたんだぞ!」
「お、お兄ちゃん……」
 困ったような驚いたような、そんなミリムの瞳に、デイディは思わず熱くなった自分を恥じて、慌てて頭を下げた。
「あっ、ごめん、ミリム。でもな、本当にあんなヤツのことは心配しなくてもいい。それから、もう会っちゃダメだぞ、あんなヤツ……」
 項垂れながら腹立たしげにそう繰り返す兄を見ながら、ミリムは深い溜め息を吐いた。

 時は1週間遡る。
 彼らは、デイディとミリムと彼の4人の仲間、それからユウィルの7人で、いつものように遊んでいた。遊んでいたといっても、半分はユウィルをいじめていた。5人がユウィルをからかって、それをなだめるのがミリムの役目。
 いじめ、というよりむしろ、引っ越してきたばかりの新参者に対する恒例行事のようなものだった。だからミリムも本気で止めはしなかったし、ユウィルも特別苦になるほどいじめられていると感じたことはなかった。そうして友情を深め合っていくのが、ここウィサンでの、この世界での子供たちなのだ。
 その日はたまたま、ユウィルがミリムと二人きりになる機会があった。
「ねえ、ミリム。あたし、魔法が使えるんだよ」
 不意にユウィルが得意げな顔でそう言って、ミリムに笑いかけた。ミリムは、やはりデイディと同じく魔法を使うことが出来なかったので、ある種の憧れのようなものを抱いて、ユウィルに見てみたいとせがんだ。
 ユウィルとて、まだ子供だ。元々見せたくてそうもちかけた上に、ミリムがあんまり喜ぶものだから、得意になって魔法を見せようとした。
 簡単な魔法だった。切り株の上に置いたペンダントを、風を起こして向こう側に落とす。魔法を使うことができる者になら、誰にでもできるような、ただそれだけのことをしようとしていただけだった。
「じゃあ行くよ」
 そう言って、ユウィルは魔法に集中した。
「風風……風……」
 少しずつ魔法の力がユウィルの周りに集まっていくのを感じて、ミリムはごくりと息を呑んだ。何かとてもすごいものが見られる。子供ながらにそう喜んだ。
 ところが、その時悲劇が起こった。
 丁度出ていた5人が戻ってきて、デイディが大きな声でユウィルの名を呼んだのだ。
 静寂から、突然乱された均衡。
 魔法が暴走した。
 驚くべき力だった。子供のものとは思えない、凄まじい魔力が凝縮された状態で爆発し、ユウィルは図らずもその力でミリムを吹き飛ばしてしまった。
「きゃっ!」
「ミ、ミリム!」
 ミリムは弾き飛ばされ、数度地面の上を転がるように跳ねると、そのまま5、6メートル先の石壁に叩き付けられ、地面に崩れ落ちた。
「あ……ああ……」
 立ち尽くすユウィル。
「き、貴様あぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
 デイディは全力で駆け、産まれてきてから初めて本気で人を殴った。
 軽いユウィルの身体は、デイディの力に2メートルほど吹っ飛んだ。
「どうしてだ! どうしてミリムを!!」
 彼の目には、ユウィルが魔法でミリムを攻撃したようにしか見えなかった。いや、結果的にはそうなってしまったのである。ユウィルに反論の余地はなかった。そして彼女は、そんなミリムの兄である彼に、抵抗してはいけないとさえ思った。
 大好きなミリムを傷つけてしまった。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
 何度も何度もデイディに殴られ、やがて気を失うまでユウィルは泣きながらそう謝り続けた。
 ……額に深手の傷を負い、左腕と肋骨を1本骨折、右足首を捻挫、全治一ヶ月。それがミリムがこの事故で負った怪我だった。

「なあ、ミリム。あいつ俺が凝力石を取り上げたら、今度はジェリス系魔術を使おうとしてやがった。全然反省なんてしてないんだ。お前にそんな怪我させておいて、なんとも思っちゃいないんだ……」
 悔しそうにデイディがそう毒突くのを、ミリムは黙って聞いていた。
「俺、悔しいよ。ミリムをこんな目に遭わせておいて、自分は無傷でのうのうとしてるんだ」
「……そんなことないよ」
 少し怒ったようにミリムが口を挟むと、デイディがゆっくりとした動きで顔を上げた。ミリムは口を尖らせて続けた。
「だってお兄ちゃん、あの後ユウィルのこと、何度も殴ったでしょ? 知ってる? ユウィル、お兄ちゃんのせいで、歯が2本折れたんだよ。それから、これはユウィルも言わないけど、ユウィル、左目の視力がかなり落ちてる」
 見舞いに来たとき、気が付いたことだ。ユウィルは自分の左側にあるものがほとんど見えていなかった。もちろん、治るかもしれないが、もしかしたらずっとそのままかも知れない。
「ユウィル、可哀想だよ……」
 ぽつりとミリムが呟くと、デイディは少しだけ後ろめたそうに項垂れた。しかしすぐにはたと顔を上げ、非難するような口調でミリムに言った。
「なあ、ミリム。どうしてお前がそんなことを知ってるんだ?」
「えっ?」
 聞き返してから、ミリムは自分のしてしまった失態に気が付いた。ユウィルがここに来ていることは、デイディには内緒だったのだ。
「ユウィル、ここに来てるんだな?」
「う、うん……」
 小さく頷いて、ちらりとデイディの方を見ると、彼は怒りよりもむしろ悲しみに満ちた瞳でミリムの方を見ていた。
「お兄ちゃん?」
「そうか……。ミリムもあいつの味方なんだ……。二人でそうやって隠し事して、喜んでるんだな……」
「ち、違うよ、お兄ちゃん!」
 慌ててミリムが否定したが、所詮はデイディも子供。もはや何も聞こえていなかった。
「もういいよ!」
 泣きながら立ち上がり、デイディはミリムに背を向けた。
「お、お兄ちゃん!」
「ミリムもユウィルも嫌いだ! 勝手にしろ!」
 デイディは苛立ちをすべてそう妹に叩き付けると、病室を飛び出した。
「お、お兄ちゃん!」
 慌ててミリムが呼び止めたが、すでにデイディは部屋を飛び出した後だった。
 ミリムの声の余韻が、扉の向こうに消えていった。
「お兄ちゃん……」
 もう一度呟くと、ミリムの瞳から一筋、涙が零れ落ちた。

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