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小さな魔法使い
魔法使いに憧れる少女ユウィルは13歳。湖の街ウィサンに、最近引っ越してきたばかり。湖には化け物が棲んでおり、ユウィルはひょんなことから、たった一人でこれと戦うことになる。

(すっかり遅くなっちゃった)
 パレルクリウ診療所への道を急ぎながらユウィルは思った。すでに日は完全に落ち、タクトと会ったときに家々から立ち上っていた炊煙も今はもう見えない。家によっては早明かりを落としているところさえあった。
 しかし、ミリムの見舞いに行くのはここ最近の日課である。てっきり恨まれるとばかり思っていたが、ミリムはまだ自分のことを姉のように慕い、入院初日から、毎日来て欲しいとせがんできた。たとえ遅くなろうとも、行かないわけにはいかない。
 走りながらふとユウィルはポケットに手を入れ、そこにある凝力石の重さを確かめた。タクトとの出会いは、ユウィルにとっては夢のような話だったが、ミリムは聞いて喜ぶだろうか。
 無性に誰かに話したかったが、ミリムに話すのは何かとても失礼な気がした。
 やがて、前方にパレルクリウ診療所の黄檗色の大きな看板が見えてきた。この街にたった一つしかない診療所だが、その分規模が半端ではない。純粋に大きさだけでも、故郷マグダレイナにあった一番大きな診療所の2倍はあり、面会時間も自由。入り口は24時間開きっ放しになっており、救急の応対も完全になされていた。
(ひょっとしたら、ミリム、もう寝ちゃってるかもしれないな……)
 空に輝く星を眺めながらふとそんな思いがよぎったが、その時はミリムの寝顔だけ見て帰ればいいやと思った。診療所に駆け込むわけにもいかず、やや歩調を落とすと、ちょうど中から一組の中年の夫婦が出てきた。
(あ、あれは!)
 咄嗟に近くの店の軒先に身を隠す。暗がりでやや見にくくはあったが、それは間違いなくミリムの両親だった。
 ユウィルが会うわけにはいかない。初めて二人に会ったのが、1週間前、両親と共にミリムに重傷を負わせたことを謝りに行ったとき。その時ユウィルは、二人に「殺してやる」とまで言われた。
 彼女がミリムを見舞っていることは、デイディにはもちろん、ミリムの両親にも、そして自分の両親にも気付かれてはいけない。
 物陰から二人の背中を見つめるユウィルの足が、少しだけ震えていた。
 やがて二人の姿が完全に見えなくなると、ユウィルは急いで診療所の中に飛び込んだ。

 コンコンコンコンコン。
 いつものように5度ノックする。すぐにユウィルだとわかるようにと、ミリムが考えたものだ。5度鳴らすと、いつもミリムは嬉しそうに「はい」と答える。だが、その日は何故かミリムの声がしなかった。
(やっぱりもう寝ちゃったのかな?)
 少し残念がりながら、ミリムを起こさないように静かにドアを開けると、ベッドの上でミリムが半身を起こして、何やら表情を強張らせていた。
「ミリム」
 起きていたんだと、内心首を傾げながら、驚かさないように小さくそう声をかけると、ミリムが目だけでユウィルの方を見て、
「ああ、ユウィル、来てくれたんだ」
 と、少しだけ頬の緊張を弛めた。しかし、重く沈んだ様子は拭いきれない。
「うん。何かあったの? ミリム」
 ベッドの脇に置いてある椅子に腰掛けながらユウィルが尋ねる。そういえば、先程出ていった彼女の両親も、何やら考え事をしていたような気がする。
 ユウィルが心配そうにミリムの顔を見つめていると、ミリムが無理に微笑んで見せて、消え入りそうな小さな声で言った。
「あのね。実はお兄ちゃんが……」
 それからミリムは、ユウィルが見舞いに来ていることをデイディに知られてしまったことを話し、それを聞いたデイディが、悲しそうにここを飛び出していったことを寂しそうに話した。
「それだけなら良かったの」
 ミリムは深く息を吐いた。
「さっきお父さんとお母さんが来て、あたしに『お兄ちゃん、来なかった?』って聞いたの。お父さんもお母さんも、あたしに心配かけないように最後まで言わなかったけど、そんなことを聞くくらいだから、お兄ちゃん、あれから家に帰ってないんだよ……」
「…………」
「それだけならいいの!」
 今にも泣き出しそうな顔を上げ、ミリムが真っ直ぐユウィルの目を見つめた。そして、興奮気味に荒く息を吐く。
「お兄ちゃんね、湖が大好きなの。夕暮れ時とか、昔よくあたしを連れていってくれた。お兄ちゃん、『湖は俺の傷付いた心を癒してくれる』って。あたし、冗談だと思ってた。でも……」
 そこでようやくユウィルは、ミリムが何を怯えているのかを察した。
「お兄ちゃん、きっと湖にいる。でも……でももう夜だよ。夜は湖には行っちゃダメなんだよ!」
 海蛇の化け物の話は、最近越してきたばかりのユウィルだって知っている。そして小さなミリムも知っているのだから、デイディが知らないはずがない。けれど、デイディは本当に妹が好きで、そしてユウィルが嫌いだった。ユウィルがミリムの見舞いに来ていることを知って、動揺してもおかしくない。
「お願い、ユウィル!」
 ギュッと服の袖をつかまれて、ユウィルは顔を上げた。
 ミリムはボロボロと涙を零しながら、ユウィルに訴えかけた。
「お願い、ユウィル。湖にお兄ちゃんを見に行って。無茶苦茶だってわかってる。もしお兄ちゃんがいなかったら、今度はユウィルが危険だって、わかってる。でも……でも、ユウィルにしか頼めないの。お父さんとお母さんじゃダメなの!」
 何故ダメなのかは、ユウィルにもわかった。デイディにはまだしも、ユウィルのことが両親に知れたら、それこそことだ。ミリムはユウィルが好きだからこそ、デイディのことを両親に言うわけにはいかなかったのである。
 ユウィルは大きく頷いた。
「わかったよ、ミリム。あたし、行ってみる」
 自分に何ができるかわからない。化け物が出なければ、またデイディに殴られるかもしれない。でも、それらなそれでいい。自分を殴って気が済むのなら、それでもいい。
「ミリム、安心して。大丈夫。きっとデイディを連れ戻してみせるから」
 自信はなかったが、ユウィルはミリムを安心させようと力強く頷き、笑って見せた。ミリムもまた、それを見て、安心したように微笑んだ。もちろん、それがミリムもまたユウィルを安心させようとしてしたことだとは、ユウィルは気付かなかったが……。
 もう一度凝力石の存在を確かめるようポケットに手を入れ、指先に触れる冷たい感触に心の中で一度自分を励ましてから、ユウィルは入院棟を後にした。

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