幾度も光線を浴び、火柱で身体を焼かれても、なお生き続けてユウィルに向かってきた。
ユウィルはというと、いかに魔術師とはいえ、所詮はまだ１３歳の子供。すでに肉体的にも精神的にも限界に達していた。
「ああ……」
化け物の攻撃を何とか躱して、すぐに魔法を使おうとするが、もはや彼女には強力な魔法を放つだけの集中力が残っていなかった。
「光……ひか……り……」
弱々しい光線が形をなして化け物を撃ったが、化け物の皮膚には傷一つついていなかった。代わりに暴れ狂う化け物の胴が、ユウィルの身体を薙ぎ払った。
「うあっ！」
無惨な格好で砂の上を転げ回り、５メートルほど先でユウィルはよろよろと立ち上がった。白いマントはすでに砂埃と血に汚れ、足はガクガクと震えている。そんなユウィルに、すぐさま化け物が襲いかかってきた。
「ええいっ！」
化け物が喉を鳴らしながら眼前まで迫ってきたところを、ユウィルはその目の前で強い光を放った。単純な目くらましだったが、効果はあったようだ。化け物はユウィルをかすめると、そのままその巨体をぶんぶんと振り回し始めた。明らかに目標を見失っている。
「い、今の内に……」
ユウィルはその間に化け物から数歩距離を置き、凝力石を強く握った。
（これで決める！）
「光……光……光……」
目を閉じて集中力を高める。徐々に魔法の粒が集まってくるのを肌で感じた。
化け物はまだ苦しみ続けている。
無心。世界から音が失われた。
ユウィルはもはや化け物のことも何もかも、すべて頭の中から追いやって、ただ一心に魔法に集中した。
（どうしたんだろ……）
不意に動きを止めたユウィルを不審に思い、デイディは眉をひそめた。もちろんユウィルには何か考えあってのことだろうが、端から見ていると、化け物を前にした自殺志願者のようにしか見えない。
（ユウィル、頼むから死なないでくれよ）
デイディは心からそう思った。
化け物は先程ユウィルの放った光を受けてから、ずっと暴れ回っていたが、次第にその動きを小さくしていって、今はほとんど動いていない。それどころか、時々攻撃目標であるユウィルを探すような素振りをするようになった。
そして、やがて化け物はユウィルの姿を見つけ、ゆっくりと彼女に近付いていった。しかしユウィルは、まるで立ったまま気でも失っているかのように、湖の方に身体を向けたままぴくりとも動かなかった。
「ユ、ユウィル！」
デイディは青ざめた。ユウィルは化け物が自分を狙っていることに気が付いていない。このままではユウィルがやられてしまう。
（ユウィルに気付かせないと！）
ここからならば、まだ声は届く。
「ユウィルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ！！」
デイディはユウィルに気付かせるべく、あらん限りの声で叫んだ。
いや、実際は叫ぼうとしたが、出来なかった。
デイディが口を開いた瞬間、何者かが背後からその口を押さえたのだ。
「！！」
デイディは驚き、慌てて後ろを振り返った。
するとそこには、いつからいたのだろう。一人の若者が立っていた。
ウィサンの高位魔術師、タクトである。
（誰だ？）
タクトを知らないデイディは、彼に非難の言葉を浴びせようと思ったが、生憎口が塞がれたままなので喋ることができなかった。
タクトは右手でデイディの口を押さえたまま、左手を化け物の方に向け、人差し指を立てた。そして小さく「行け」と呟くと、そこから糸のように細い光線が走り、やがてそれは、今まさにユウィルを食らおうとしていた化け物の皮膚に当たって消え失せた。
化け物にとっては恐らく蚊に刺された程度のダメージだったろうが、注意は逸れたようだ。ユウィルを食らおうとしていた化け物の目が、光線の出もと、タクトの方に向けられた。
タクトは右手を放し、デイディを解放した。すぐさまデイディが文句を言う。
「おい、あんた誰だ？ どうして邪魔をした！」
一瞬、険悪な雰囲気が漂ったが、それはデイディの方だけで、タクトは穏やかにデイディに言った。
「わたしはタクト・プロザイカ。君の邪魔をしようとしたのは、君がユウィルの邪魔をしようとしたからだよ、デイディ君」
「！！」
見知らぬ男に名を呼ばれ、デイディがバッとタクトから離れた。本能的に危険を感じたのだ。
「どうして、俺のことを！？ いや、それより、俺がユウィルの邪魔をしようとしていたって何だ！？ 変ないいかがりはやめてくれ！」
「いいがかりじゃない。ユウィルは今魔法を使おうとしてるんだよ」
「魔法を？」
言われてデイディは再びユウィルの方を見た。
ユウィルは相変わらず動かない。そして化け物もまた、タクトを牽制しているのだろう。じっとこちらを凝視したまま動こうとしなかった。
「…………」
デイディはまるで自分が化け物に睨まれているような気がして、怯えすくんだ。それと同時に、そんな化け物と今までたった一人でずっと戦い続けていたユウィルを、ただすごいと思った。
タクトは、化け物を見たまま動かないデイディの肩に軽く手を置いて、少しだけ非難するような声を出した。
「いいかい。ウィルシャ系古代魔法……わたしは魔術師だから、あえて厳密にそう言ったが、まあ一般的に言われる魔法と言うのは、集中力が勝負なんだ。君は恐らく知らないだろうが、魔法を使っている最中に術者の集中が途切れると魔法は爆発する。だから大声で名前を呼ぶなど、論外だ。今、ユウィルは恐ろしいまでの魔力を増幅している。今もし彼女の集中が途切れたら、間違いなく、彼女の生命はない」
「…………」
そう言われて、デイディは再びタクトを見た。
目の前の若者は、じっとユウィルを凝視していた。恐らく、化け物がユウィルに手を出さないよう、監視しているのだ。
その鋭い瞳を見つめていて、デイディはタクトがあの化け物を簡単に倒すだけの力を持っていることがわかった。にも関わらず、先程化け物に攻撃をしなかったのは、ユウィルを驚かせないためだったのだ。
そこまで考えて、ふとデイディは気が付いた。
その瞬間に、恐らく身体が強張ったのだろう。タクトがデイディを見下ろして、無感情な声音で言った。
「気が付いたようだね、デイディ君」
震えながら、デイディが頷いた。
「わたしが非難することではないから、非難はしない。だが、ユウィルが決して君に言わない事実だけは伝えておくと、君の妹が怪我をしたのは、魔法を使おうとしていたユウィルを君がいきなり呼んだからだ」
「俺が……ミリムを……」
絶望的な呟きを洩らすデイディ。そんな彼に、タクトは今度は優しく語りかけた。
「いや、一概にそうとも言えない。魔術師たるわたしから言わせてもらうと、魔法の受け流しも出来ない者が魔法を使おうとした時点で、術者に罪があると言える。まして、君に魔法の知識がないことなど明白。それくらいの予知は出来て然るべきことだ。ユウィルが未熟なばかりに起きた事故だと言えなくもない」
「…………」
「だが……」
そう言ってから、タクトがふと化け物の方に視線を戻した。それにつられて、デイディもユウィルの方を見る。
「これから起きることをしっかりとその目に焼き付けておけ。そうすれば、君の妹がどれだけ幸運だったかわかる」
「…………」
「勝負は、次の２発で着く」
魔法がゆっくりと、しかし確実に集まってきているのがわかった。巨大な魔法だ。産まれてこの方、こんな大きな魔法は使ったことがない。
ユウィルは意識を少しだけ現実に引き戻した。
化け物はあれから襲ってこない。恐らくまだ苦しんでいるのだろう。幸運だ。
やがて、魔法の充填が完了した。まだ形はとっていないが、魔法は９９パーセント完成した。しかし、ここで気を抜いてはいけない。
（よしっ）
ごくりと一度唾を呑み込む。その音が妙に大きく響いた。
カッと目を見開く。
目の前に化け物がいた。苦しんでいる様子はない。視線はユウィルの遥か後ろにあるようだ。
化け物がユウィルの変化に気が付いて、ちらりと彼女の方を見た。
「遅い！ 行けっ！」
ユウィルが叫び、魔法の力が形をなした。
今までの光線と同じ魔法。けれど、規模が違う。化け物の身体の太さと同じくらいはある巨大な光線が、ユウィルの身体から迸った。
ゴウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンン……。
凄まじい音を立て、周囲の砂を巻き上げて光が走った。
光は化け物の身体を真っ二つに裂き、さらに湖面の上を飛沫を上げて貫いた。
グオォォオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ……。
化け物が低く、苦しげに咆哮した。
巨大な口からどす黒い血をだらだらと流し、それでもなお化け物はユウィルに襲いかかってきた。凄まじい生命力だった。
しかし、それもユウィルの予想の範疇だった。繰り出された攻撃を容易に躱し、数メートル走って立ち止まる。足下に、先程使った魔法陣がほのかに輝いていた。
化け物が首だけになって、凄まじい形相で襲いかかってくる。ユウィルは、通常の精神状態だったら恐らくそれだけで卒倒していただろうが、今は気分が高揚し、或いは感覚が麻痺して、もはや恐怖を恐怖として感じられなくなっていた。
化け物が血だらけの口を裂けるほど大きく開いた。
ユウィルは目を閉じ、呪文を唱える。
『ツァイト ツァイト ラオブ ラテルネ……
炎の海にたゆたいし者
その熱をもて焼き去り給え……』
火柱が、今度は見事に化け物を直撃した。
勢い良く吹き上がった火柱は、化け物の喉元から脳天を突き破り、そのまま空の高みを赤く焦がした。
最期の咆哮すらなく、化け物は砂の上に崩れ落ち、やがて燃え尽きた。
「……終わった……の？」
ユウィルはがくりと膝を折った。
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