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湖の街の王女様2 怨望の死闘
6年前、魔法使いの刺客に襲われてから、王女シティアは彼を殺すことだけを考えて生きてきた。そんなシティアのもとに、マグダレイナの剣術大会で出会った青年フラウスから手紙が届く。──『王女の恨む魔法使いガルティスの情報をお教えします』。手紙を読んだシティアは、積年の恨みを晴らすべく、魔法使いの少女ユウィルを伴ってウィサンの街を後にする。

10

 ユウィルが連れてきたのは、ガルティスと同じ青色の髪をした細身の少女だった。衣服は哀れなほど汚れ、髪も乱れている。
 少女リアは、シティアが想像していたような扱いを受けていなかった。決して楽観視していたのではない。ただ、シティアは大人の男の欲望をよく理解していなかったのだ。
「そういうことだったんだ……」
 シティアはリアの言葉を胸の中で反芻しながら呟いた。
 リアはガルティスの娘だった。フラウスは嘘はついていなかったが、リアと同時にその父親も助けようとしていた。
 役立たずだと言ったウォードの言葉が引っかかっていたのだが、やはりガルティスはオーリに雇われていたのではなかった。娘を人質に取られ、従わされていたのである。
 もちろん、だからと言って同情するつもりはなかった。これまでのガルティスの言動を考えても、立派な人間だとは言いがたい。森で会った時は、シティアを殺すことに悦びすら見出していた。
 シティアの中で、再び憎しみが膨れ上がった。細い目でリアを睨み付けると、ゆっくりと近付いていく。
「や、やめてくれ! リアは殺さないでくれ!」
 フラウスは懇願するようにシティアを見たが、出血のせいで立ち上がることはできなかった。
 けれど、怒っていたのはシティアだけではなかった。
「よ、よくもお父さんを! それに、フラウスさんたちまで……。こんな……こんなこと、許さない!」
 リアは隣に立っていた無防備な少女を突き飛ばすと、その手からナイフを奪い取った。
「あっ!」
 ユウィルは慌てて立ち上がったが、すでにリアはシティアの方へ駆けていた。
「シティア様!」
 ユウィルが叫ぶ。それが何のためかは、ユウィルにはわからなかった。あのシティアが、リアに殺されるはずがない。
 けれど、シティアはリアのナイフを避けなかった。
「このぉ!」
 泣きながら突き出したその切っ先を、シティアは敢えて自分の左腕に突き刺させた。リアは自分の手に走った感触に驚き、はっと我に返って自らの手を見つめた。
 シティアの腕から流れる血がナイフを伝い、リアの手を朱に染める。
「あ……あぁ……」
 リアは目を見開き、可哀想なほど震えていた。
「そんなんじゃ、胸を刺したって人は殺せないわよ」
 シティアがまるで感情のこもらない声でそう言うと、リアはナイフから手を離してその場にぺたんと座り込んだ。
 シティアはナイフを抜き取ると、血でギラギラと光るそれをリアの服の上に放り投げた。
「いやっ!」
 リアは自分の服に付着した血に怯え、一歩後ずさった。修道女としてずっと人々の怪我の治療をしてきたのだ。血は見慣れていたが、この血は自分がナイフで刺したものである。リアは恐怖に全身を震わせ、怯える瞳でシティアを見上げた。
 シティアはそんなリアの頬を、わざと血まみれの左手で触れ、涙でぐしゃぐしゃの顔を覗き込みながら言った。
「あなたは、ずっとお父さんと暮らしていたの? 修道院にいたんだから、そうじゃないわよね? あなたは、お父さんがどんなお仕事をしていたか、知ってるの?」
 リアは声もなく首を横に振った。
 シティアはフラウスに見られていることを知っていたが、構わずに服を脱いだ。どうせ殺すつもりだ。
 無数の傷の走る白い裸体を見て、フラウスは驚いて目を見開き、リアは思わず目を逸らせた。
「ちゃんと見なさいよ。この醜い傷跡を。あなたのお父さんにやられたのよ?」
 顔を掴み、無理矢理自分の方を向かせると、リアは呻くように声を漏らした。
「も、もう、許してください……」
 シティアは、聞いていなかった。
「どれだけ痛かったかわかる? どれだけ苦しかったかわかる? こんな醜い身体にされて、どれだけ悲しかったかわかる?」
 シティアはリアの顔をそのまま押して床に寝かせると、レイピアを掲げた。
「全員、殺してやる……」
 静かにそう言い放ったシティアの腕を、小さな手がそっと掴んだ。シティアは驚いて振り返る。
「もう、やめましょう、シティア様」
「ユウィル……」
 ユウィルはレイピアを持つシティアの手を両手で包み込み、そっと腕を下ろさせた。そして、レイピアを取りあげるとそれを床に置き、優しくシティアの身体を抱きしめた。
 シティアは呆然と立ち尽くしたままだった。
「もう、これ以上憎しみを広げるのはやめましょう」
「ユウィル……どうして……?」
 シティアがかすれる声で聞くと、ユウィルは目を閉じてシティアの胸に顔を埋めたまま、小さく首を横に振った。
「シティア様を傷付けた魔法使いはもう死にました。昔のシティア様に戻るんだって、サリュートさんと約束したんでしょ?」
「も、戻るわ! こいつらをみんな殺したら、国に帰って、あなたと一緒に……一から……」
 シティアの身体が小さく震えた。ユウィルは、シティアが何かに怯えているとわかったから、ぎゅっとその身体を抱きしめて、もう一度はっきりと言った。
「やめましょう、シティア様。ここでリアさんやフラウスさんを殺して、何になるんですか? また、憎しみが広がるだけです」
「でも、でも……。この子はあいつの娘なのよ? フラウスだって、あいつの味方をして……」
「シティア様!」
 大きな声で遮ったユウィルの目は、涙で輝いていた。ユウィルはシティアを見上げると、無理ににっこり笑って見せて、今にも泣き出しそうな声で言った。
「もう、やめましょう。復讐はもう、終わったんです。これ以上、引きずらないでください。ウィサンに戻って、あたしと一緒にやり直しましょう。いつもそばにいますから。どんな時だって、シティア様のお側にいますから」
「ユウィル……」
 シティアは全身の力が抜けるのを感じて、ヘナヘナとその場に座り込んだ。そして、ユウィルの胸に顔を埋めると、込み上げてきた涙を堪え切れずに、押し殺した声を漏らして泣いた。
 ユウィルも、そっとシティアの頭を抱え込んで泣いた。
「あたしは、どんなシティア様も好きです。人を殺そうとしている、怖い顔をしたシティア様だって愛しています。でも、やっぱり明るく笑っているシティア様が一番好きです。あたしのことをからかって、一緒にふざけ合ってるシティア様が大好きなんです」
 シティアはしばらく肩を震わせていたが、やがて泣き止むとユウィルの身体を離した。その顔は無表情で、ユウィルはシティアの気持ちがどちらに傾いたのかまだ心配していた。
 シティアは自分の脱ぎ捨てた服を取ると、その端を切り裂いて、あっと言う間に包帯を作った。そして無言でそれをユウィルに渡し、左腕を突き出す。
 ユウィルはようやく笑顔を見せて、すぐにそれをきつく傷口に巻きつけた。
 シティアは一、二度左手を閉じたり開いたりしてから、服を着た。そしてレイピアを佩くと、そっとユウィルの手を取った。
「行こう」
「はい!」
 ユウィルは、ぎゅっとシティアの手を握り返した。
 一度だけ振り返ると、リアは同じ姿勢のまま、焦点の合わない目でぼんやりとシティアを見つめていた。フラウスはもう目を開けている余裕もないようで、荒い息をしたまま横たわっている。だが、ヘリウスともにすぐには死ななさそうだ。それならば、リアが治療してくれるだろう。
 城の外に出ると、森はすでに朝の光に包まれており、豊かな緑がキラキラと輝いていた。
 シティアはその眩しさに目を細め、空を仰いだ。透き通るような秋の青空が広がり、細い雲がたなびいている。
 城の中は血の匂いが充満していたが、この森のなんという空気の綺麗なことか。
 しばらく手を繋いだまま無言で森の中を歩いていたが、やがてシティアはユウィルを見て声を弾ませた。
「ねえ、ユウィル。帰ったら何をしよう」
 これまでシティアは街の外で駆け回っているか、城の中で剣を振っているか、そのどちらかしかなかった。けれど、今日からは新しい人生を歩むのだ。何か新しいことを始めたい。
 ユウィルは驚いて目を丸くしてから、困ったような顔をした。
「あ、あたしはよく知りませんけど、シティア様、王女様だから、やることはたくさんあるんじゃないですか?」
 ユウィルに言われて、シティアはこれまで自分が放棄してきた責務の山を思い出したが、それはすぐに放り投げた。
「何か、もっと楽しいことはない?」
「シティア様……」
 ユウィルは呆れたように溜め息をついてから、二人で声を立てて笑った。
 シティアは顔を上げて前を見た。
 木の葉の隙間を縫って、陽光が黄金色の筋になっている。鳥のさえずりがそこかしこから聞こえ、まるで前途を祝福しているようだった。
 ユウィルの言ったとおり、復讐はもう終わったのだ。もしもあそこでリアを殺していたら、今こんな清々しい気分にはなっていなかっただろう。
「ユウィルは、きっと私を正しく導いてくれるね……」
 感慨に耽りながらそう呟くと、ユウィルは場の空気というものを無視して、大きな声で言った。
「えー! あたしの行動の善悪は、シティア様が判断してくれるって約束したじゃないですか! あたしは知りませんよ?」
「うわ、ひどい! とても友達の言葉とは思えないわ!」
「あたしはシティア様の下僕ですから……」
「つ、都合のいい時だけ!」
 シティアが手を離して、首の辺りを掴もうとすると、ユウィルはするりと抜け出して逃げた。
「王女様、なんなりとご命令を」
「じゃあ、その場に止まりなさい! 待て!」
「それは承知しかねます!」
 ユウィルが明るく笑い、シティアがそれを追いかける。
 二人の笑い声が森の静寂に溶け、ユウィルが大好きだと言ったシティアの笑顔が、新しい朝の光に煌いていた。

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