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湖の街の王女様2 怨望の死闘
6年前、魔法使いの刺客に襲われてから、王女シティアは彼を殺すことだけを考えて生きてきた。そんなシティアのもとに、マグダレイナの剣術大会で出会った青年フラウスから手紙が届く。──『王女の恨む魔法使いガルティスの情報をお教えします』。手紙を読んだシティアは、積年の恨みを晴らすべく、魔法使いの少女ユウィルを伴ってウィサンの街を後にする。

エピローグ

 シティアがウィサンに戻ってから、ひと月が過ぎた。秋は深まり、木々は紅葉してウィサンの街路樹も美しい黄色に染まっている。
 シティアはしばらく、王女としての責務とやらについて大人しく勉強していた。人々からの評判に変化はなかったが、両親や兄とは一度じっくり話し合い、昔の親睦を取り戻した。
 その中でシティアは、ユルクのリードイン家について尋ねた。確かに6年前、リードイン家から結婚の申し込みがあったことをヴォラードは娘に話し、同時に刺客を差し向けたのがリードイン家の者だと知ってひどく憤った。
 しかし、その恨みのやり場はすでになかった。リードイン家は4年前に主人が病死し、それからたったの2年で没落していたのである。刺客を差し向けたウォードはシティアが殺したので、もはやこれ以上恨む必要はない。
 その日、朝からの快晴に心惹かれて、シティアはユウィルに会いに魔法研究所へ行った。ユウィルは友人のシェランと一緒に勉強していたが、シティアを見ると飛びついて来た。
「こんにちは、シティア様」
「こんにちは。さぼっても大丈夫?」
「王女様が来た時くらい、大丈夫です。それにあたしはただの見習いですし」
 ユウィルが自信満々にそう言うと、背後からいかにも冷静な低い声がした。
「見習いだからこそ、しっかり勉強しなくてはいけないと思わないか?」
「タ、タクトさん……」
 気まずそうに項垂れたユウィルの隣に立って、タクトはシティアに挨拶をした。
「ようこそ、王女」
「ええ、お久しぶり。そういえば、オルガはどうしてる?」
 ふと思い出して、楽しそうにシティアが聞くと、タクトはかすかな微笑みを浮かべて答えた。
「しっかり勉強してますよ。あんなに勤勉で、無害な魔法使いは見たことがない」
 それを聞いて、シティアは小さく声を立てて笑った。
 オルガとは、フラウスに頼まれてシティアの部屋に手紙を置いた魔法使いである。案の定この研究所に忍び込み、タクトに捕まったらしい。
 オルガはすでに40歳を越え、ただひたすら知識を吸収する以外に欲のない魔法使いだった。タクトはオルガと話してそれを知り、ヴォラードの許可を得て、研究員として研究所に置くことにした。
 シティアは三度ほどオルガと会ったが、初めて会った時、王女の部屋に侵入した罪について延々と説教し、それ以来、オルガはシティアに頭が上がらない。
 もっとも、オルガがあまりにも無害な性格だとわかったので、シティアも別に彼を恨んではいなかった。
 ユウィルの外出許可を取り、二人で遊びに行こうとすると、ちょうど若い研究員が上がってきて、タクトに声をかけた。
「あ、タクトさん。来客です」
「来客?」
 シティアとユウィルも思わず足を止め、振り返る。研究員はシティアに軽く頭を下げてから、驚くべき名前を告げた。
「エルクレンツから来た、リアさんという女性です。まだ少女というくらいの歳ですが……」
「リアが!?」
 声を上げたのはユウィルだったが、シティアも同じくらい驚いた顔をしていた。
 タクトもユウィルから話を聞いていたので怪訝な顔をしたが、「すぐに行く」と言って研究員を持ち場に戻らせた。
「一緒に来ますか?」
 タクトが声をかけると、シティアは神妙に頷き、それから三人はリアの待つ応接室へ向かった。
 リアは、前に会った時よりいっそう白く細く映ったが、身なりはきちんとしていたし、髪も整っていた。こうして見るとなかなかの美人だが、表情は暗く、生気が感じられなかった。
 リアはシティアを見ると悲しそうに視線を逸らせたが、すぐに頭を下げて、何も言わずにタクトに手紙を渡した。
 タクトはリアを椅子に座らせると、しばらくその手紙を読んでいた。そして数分かけて読み終えると、「ふむ」と独りごちてからシティアに渡す。
 手紙はフラウスからのものだった。そこにはリアの生い立ちと、リアがウィサンにやってきた理由が書いてあった。
 それによると、リアはユルクでずっと母親と二人で暮らしていたらしい。今から6年前、9歳になるまで父親のことは知らなかった。
 ところが6年前、リアの母親が病にかかり、一家は金が必要になった。そこで、父親であるガルティスは、ウォードから暗殺を請け負った。ガルティスは元々魔法を使って盗賊まがいのことをしていたが、リアとその母親は愛していたのだ。
 しかし、この暗殺は失敗に終わり、リアの母親はまもなく死亡した。
 ガルティスはそこで初めてリアの前に姿を現し、エルクレンツに引っ越した。そしてリアを修道院に預けると、自分はやはりまた元の道に戻っていった。
 ところが、この春にリアがオーリの一派に捕まると、ガルティスはすぐに助け出そうとした。だが、逆に捕えられ、オーリの部下になる。ウォードともそこで再会し、ウォードは半ば余興でシティアを襲わせた。シティアがユウィルと初めて出会ったの日の、森での一件である。
 そこまで読むと、シティアはちらりとリアを見た。
 リアは相変わらず暗い顔のままじっとテーブルを見つめており、シティアに見られていることにも気が付いていないようだった。
 段落を変えて、フラウスの手紙はこう続けられていた。
 オーリに捕まってからのリアの不幸については書くまでもないが、それによってリアはひどく心を傷めた。その上、目の前で父親を殺されたばかりか、ずっと人助けをしていたその手でシティアを刺してしまった。
 もちろん、ショックで治癒能力を失うなどということはないが、リアはもう修道院には戻りたがらず、フラウスの屋敷の一室で泣き続ける毎日を送っていた。
 そんなリアを哀れに思ったフラウスは、この際リアの環境を変えてみようと思い立つ。しかし、リアの治癒能力はあまりにも稀有であり、世間に知られればまた今回のような事件が起こるかも知れない。
 そこでフラウスは、リアをウィサンの魔法研究所に預けることを思い付いたのだ。
 シティアが手紙を読み終えると、タクトが穏やかな声でこう言った。
「リアは15歳なので、研究所に入る条件は満たしています。わたしには特に反対する理由がありませんから、王女がお決めください」
 シティアは手紙をユウィルに渡すと、リアの正面に座った。
「顔を上げて」
 促がされて、リアはシティアを見た。その瞳には、父親を殺された悲しみと同時に、ナイフで刺してしまった申し訳なさがあった。ただ、怒りや憎しみの色は感じられなかった。
「手紙は読んだわ。でも、この手紙にはあなたの意思が感じられない。あなたはどうしたいの? ガルティスを殺した私のそばにいて、平気なの?」
 リアはまた俯いて、しばらく何も言わなかった。けれど、シティアが根気強く待ったので、やがてぽつりとぽつりと話し始めた。
「私は、シティア王女を恨んでいません……。王女の話は、フラウスさんから聞きました。父が、本当に申し訳ないことをしたと思います……」
「別に、あなたが謝ることじゃないわ」
 複雑な心境でそう言うと、リアは小さく首を横に振ってから続けた。
「私も、色々なものを恨みました。王女のことも恨みました。でも、すぐに疲れてしまいました。それから、シティア王女は6年も憎しみだけで生きてきたんだって思ったら、すごく悲しくなって……。私には、シティア王女のようにはなれそうもないし、なりたくもありません。もう、辛い思いはしたくないから……」
 シティアは黙って頷いた。恨み続けるのは言葉で言うほど楽ではない。この6年、シティアがどれだけ苦しい思いをしてきたかを考えれば明白である。
「あの日、ユウィルさんが言ったことを、私はフラウスさんやヘリウスさんと話し合ったんです。もうこれ以上、憎しみを広げるのはやめようって。フラウスさんもシティア王女を恨んでいませんし、私も恨んでいません。王女は……? シティア王女は、まだ私を恨んでいますか? 私がここに来るのはお嫌ですか?」
 そう言って、不安そうに顔を上げたリアに、シティアはなるべく優しい瞳で答えた。
「別に。私は、あなたもガルティスの被害者だと思ってるわ。あなたが、父親をどう思っているか知らないけどね」
 シティアの言葉に、リアは疲れたように溜め息をついた。
「私は、知らなかったんです。父がどういう人だったか……。ずっと、離れた場所で一生懸命働いていると思っていたんです……」
 それからリアは、少しだけ瞳に光を宿してシティアを見た。
「私に、父があなたに負わせた怪我の手当てをさせてください。完全には無理でも、少しは治せるかも知れません」
「リア……」
 その申し出に、シティアは呆然となり、タクトもわずかに驚いた顔をした。たった今受けた傷ならともかく、もう完全に皮が張ってしまった傷も治せるとしたら、それはウィルシャ系古代魔法の新しい発見である。
 シティアは大きく頷くと、タクトとユウィルをその場に残して、医務室へ足を運んだ。シティアとて、もしも消せるのならこの傷跡は消したかった。ガルティスを殺しても、この傷を見るたびに憎しみが込み上げて来るのである。
 衣服を脱いで裸になると、無造作に寝台の上に横たわった。リアは身体の傷をまじまじと見つめ、そっと指でなぞりながら一度シティアの顔を見た。
「王女は、ひと月前に王女を殺そうとした私を信用できるんですね」
 確かに、今のシティアはあまりにも無防備だし、これまでのリアの言動がすべて演技で、実はまだシティアを恨んでいたとしたら、今度こそシティアの命はないだろう。
 けれどシティアは可笑しそうに笑うと、自信に満ちた声で言った。
「あなたに人は殺せないわ。人を刺す感触を知ってしまった今なら、なおさらね」
 もちろん、その感触を知ってなお、シティアのように人を殺せる者もあるが、リアには無理だ。
 シティアは目を閉じてユウィルのことを思い出した。オーリとの戦いのことは後から聞き、その時にユウィルが感じたことも知っていたが、シティアが見る限り、ユウィルは本質的には何も変わっていない。もしもシティアの身が危険にさらされたら、ユウィルはやはり躊躇なく相手を刺し殺すだろう。
「あなたは、ユウィルとは資質が違う。人にはどうしても人を殺せない人と、別に気にせず殺せる人がいるのよ」
「ユウィルさんは、とても人を殺せるようには見えませんでした。ああ見えて、実は悪い人なんですか?」
 リアの言葉に、シティアは小さく笑った。
「殺せる殺せないと、善悪は関係ないわ。人を殺せない悪人もいるし、ユウィルは人を殺せるけど悪人じゃない。善人でもないけどね。覚えておいて、リア。善悪はそんなに単純じゃないの。立場によっても変わるし、行き過ぎた善が悪になることもある」
「はい。覚えておきます」
 リアは真面目な表情で頷くと、そっとシティアの腹部に手を当てて、魔力を集めた。頭の中でシティアの身体と、傷と、それが傷跡になっていく過程を考え、本来あるべき姿へと転化させる。
 身体中の傷跡が熱を帯び、シティアは一度苦しげに呻いた。痛みは感じないが、まるで腹部の肉が熱で液化して、それをグルグルと掻き混ぜられているような感覚である。あまりの気持ち悪さに吐き気がした。全身から汗が滴り落ちる。
 シティアはこのままでは余計に傷が悪化するのではないかと心配になったが、リアの真剣な表情を見てひたすら我慢することにした。
 全身がドロドロに溶け、自分が自分でなくなっていくようだった。あまりの熱さに意識は朦朧とし、もはや何も考えられなくなった。
「うぁ……ぅぅ……」
 シティアの苦しそうな顔を見ながら、リアも汗まみれになって魔法を使い続けていた。最悪失敗してもシティアの身に危険はないが、この魔法だけは何としても成功させなければならない。成功させ、そしてシティアとのわだかまりを完全になくした上で、この研究所に置いてもらうのだ。
「王女……」
 リアは力をこめていない方の手で、そっとシティアの手を握った。そして、魔法を使い始めてから15分くらいが過ぎ、リアはふっと魔法を止めて大きく息をついた。
 シティアは急速に意識がはっきりするのを感じて目を開けた。消耗した体力までは戻っていないが、あれだけシティアを悩ませた気持ちの悪さは、綺麗になくなっている。
 起き上がって見てみると、完治とまではいかないが、ほとんどの傷跡がなくなっており、まだ残っているものも、でこぼこした感触はなくなっていた。魔法は成功したのだ。
「リア!」
 シティアは思わず嬉しさのあまり、リアを抱きしめた。リアはびっくりしていたが、シティアの温もりに触れると急に涙が溢れてきて、ぎゅっとシティアの身体を抱きしめた。止め処なく流れる涙と一緒に、嗚咽が漏れる。
「王女……王女っ!」
 シティアは突然泣き出したリアを見て、自分の歓喜も忘れてその髪を撫でた。考えてみれば自分より幼いのだし、ユウィル以上に誰にも甘えられない生活を送ってきたのである。
 ユウィルによって目覚めさせられた母性が疼き、シティアはなんだか胸が熱くなってきた。
「ありがとう、リア」
 リアは何度か首を横に振ったが、何も言わなかった。代わりに大きな声を上げると、しばらくシティアにすがりついて泣きじゃくった。
 5分くらいそうしていただろうか、やがてシティアはそっとリアの身体を離すと、服を着た。リアはもう泣いておらず、あどけない微笑みを浮かべてシティアを見上げていた。
「おいで、リア」
 シティアが笑顔で手を差し出すと、リアは恥ずかしそうに頬を赤らめながら、力一杯その手を握った。
 医務室のドアを開けると、ユウィルが心配そうな顔をして立っていた。シティアはかすかに笑って見せてから、二人を伴って研究所を出た。
 すっかり冷たくなった、心地良い風が吹き抜けていく。黄色い木々に彩られた往来を人々が歩き、その足音と話し声が活気を生み出す。
 街壁の向こう側には秋の空。遥か王城をしばらく見つめてから、シティアはリアを振り返り、威厳と自信に満ちた王女の顔で言った。
「ようこそ、リア。ウィサンの街はあなたを歓迎するわ」
 リアはしばらく目に涙を浮かべて震えていたが、ついに暗くまとわりついていた陰を拭い去り、満面の笑みでシティアに抱きついた。
「ああっ! シティア様はあたしの……」
 敬愛する王女を取られたと思ったのか、ユウィルが隣で唇を尖らせたが、シティアはそれを無視してリアを抱きしめた。ユウィルをいじめるのが大好きなのだ。
 案の定、ユウィルはふてくされた顔でいじけ、シティアはそれを見て大きな声で笑った。
 秋の空はどこまで澄み渡って広がり、柔らかな陽の光が優しく街を照らしつける。
 いつもと変わらない、ウィサンの平和な一日だった。
Fin
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