ヨキの『紫宝剣』が地面に突き刺さる。
けれど、それが彼の狙いだった。
剣が一瞬キラリと光ると、セフィンを中心にして小さな魔法陣が描かれた。
「ヨキ！」
セフィンは慌てて立ち上がったが、出来上がった魔法陣に押さえつけられて膝をついた。
ものすごい力で地面に引き付けられている。
「ええい！」
セフィンは手の平に魔力を集め、それを魔法陣に叩きつけた。
魔法陣は彼女の圧倒的な魔力を前に霧散したが、次の瞬間には、ヨキはまた別の陣を作っていた。
『紫宝剣』は時間をかけずに魔法陣を描くことができる力を秘めていたのだ。
セフィンが次の魔法陣を破壊するより早く、ヨキが二重、三重と陣を重ねていく。
一歩下がっては剣を突き立て、また一歩下がっては剣の魔力を解放するヨキを、セフィンは額に汗を浮かべて睨みつけた。
「ど、どうして、ヨキ！」
また一つ魔法陣を吹き飛ばしたが、すでに王女を束縛する陣は５０を越えていた。
地面に縛り付ける強さが変わるわけではなかったが、だんだんセフィンの体力がなくなっていく。
陣を５つも壊すと、セフィンは疲れのあまり大の字のまま大地に身体を預けた。
「はぁ……はぁ……」
肩で呼吸し、熱い息を吐く。
ふと顔を上げると、眩暈がするほどたくさんの魔法陣がそこにあり、その向こう側にヨキがいた。
彼は一度彼女の方を見ると、そのまま空へ舞い上がった。
「ヨキっ！」
セフィンは叫んだが、彼はそのまま飛んで行ってしまった。
セフィンは悔しそうに唇をかんだ。首を上げているのも億劫になったので、顔も地面に預ける。
（どうすればいいの……？）
セフィンはしばらくそのままの体勢で体力の回復を待とうと思ったが、逆に冷たい地面に体力を奪われるだけだった。
空からはすっかり激しくなった雪が容赦なくセフィンの身体を埋めていく。このままでは凍死は免れない。
この人影もない山奥で冷たく死んでいく自分を想像して、セフィンは心の中で大きく首を振った。
せっかくルシアが命を懸けて蘇らせてくれた命を、こんなところで失うわけにはいかない。
『紫宝剣』は、さすがに７０年前の魔法使いが作っただけあって強い力を持っていた。けれど、セフィンはその７０年前に最強の魔力を誇った少女だ。
無理矢理膝を立て、その場に座る。横になっているだけでも十分につらかったが、座っていると引きつける力に耐えるだけでも精一杯だった。
魔力はあっても、物理的な力は普通の少女に過ぎない。
少女はその重力に逆らうように、全身に魔力を込めて浮かび上がった。途端に、肉体が潰れそうになる。
空へ突き抜けようと思ったのだが、すぐにセフィンは考え直して力を抜いた。
地面に叩きつけられて、瞳に涙が滲む。
（無駄な体力を使っちゃった……）
セフィンのミスは、魔力の勝負に肉体の存在を忘れていたことだった。
引き付ける魔力と浮かび上がる魔力。セフィンは魔法陣に打ち勝つ自信があったのだが、肉体の方が悲鳴を上げたのだ。
もしもあのまま続けていたら、恐らくセフィンの肉体はひき肉のように潰れていただろう。
（どう……しよう……）
びっしょりとかいた汗に風が冷たい。雪は魔法陣に引きつけられるようにセフィンの周りに集まってくる。
その時ふと、セフィンは元々自分の描いた魔法陣がなくなっていることに気が付いた。
ヨキが消していったわけではない。『紫宝剣』の作り出した陣に打ち消されたのだ。
（そうだ！）
セフィンは瞳に光を灯らせ、再びその場に座った。
そしてがりがりと地面に陣を描く。
今自分を取り囲む魔法陣を、それよりも遥かに強い力で打ち消そうと思ったのだ。
もちろん、強い魔法陣を描くのには時間がかかるし、その都度魔力を込めないといけない。今のこの状況でそれを行うのは、セフィンの身体にはつらかった。
一度火を熾して暖を取ると、セフィンは水筒の水を飲んで再び魔法陣を描き始めた。
あまりの重力に眩暈がする。じりじりと襲い掛かってくる頭痛と吐き気と戦いながら、やがてセフィンは魔法陣を完成させた。
（できた……）
発動呪文を唱えると、魔法陣が輝き出し、やがて真っ白の光が天に向かって迸った。
攻撃魔法ではないが、この際強い陣なら何でもよかった。
力と力がせめぎ合う。
周囲で力が弾け、ヨキの残していった魔法陣が消える。
けれど、最終的には数の暴力でヨキの作った魔法陣が勝ち、セフィンの陣は消えてしまった。
もっとも、残っているヨキの陣も数少なくなっていた。
セフィンは気を失うぎりぎりまで魔法を叩き込み、それらの陣をすべて消し去った。
途端に身体が軽くなり、王女は地面に崩れ落ちた。
（私、魔力が強いからって、慢心してた……）
ホクシートの時もそうだ。あの時もルシアがいたから助かったものの、もしも自分一人だったら殺されていただろう。
魔力が強いことが戦いに強いわけではない。７０年前に『黄宝剣』の前に散ったときも、戦い方一つでは何とでもなったはずだ。
セフィンはしばらく横になっていたが、やがてゆらりと立ち上がると、再び寒さを凌ぐ魔法陣を描き、その中に倒れこんだ。
ここならば気を失っても平気だ。
（私は……どうするべきかしら……）
どんどん不明瞭になっていく頭で、これからのことを考えた。
『赤宝剣』に付いていた宝石を奪ったヨキは、恐らくじきにパレンの許へ行き、その魔力を発動させるだろう。
セフィンがそれを直接止めることは不可能だ。場所を探している間に魔法を使われてしまう。
湖で襲い掛かってきたホクシートは、その魔法は王国に被害を与えるものだと言っていた。
それがどういうものかはわからないが、今自分にできる最善のことは、攻撃より防御ではなかろうか。
（元々私は……戦いには向いてない……）
セフィンの魔法はリスターと同じ、守りの魔法だ。攻撃魔法も得意ではない。
（戦うことはできなくても、守ることはできるかも知れない……。守ることができれば、もしもその魔法が一度しか使えないものなら……）
急激な睡魔に襲われて、セフィンは抗うことなくそれに身を委ねた。
（ルシア……）
大好きな少女の顔を思い浮かべて、王女は眠りに堕ちた。
雪が魔法陣を埋めるようにして降っている。
けれど、魔法陣の内部は暖かい空気に包まれていた。
何か幸せな夢でも見ているのか、小さな寝息を立てるセフィンの顔は、つい先程まで生命の危機にさらされていたとは思えないほど安らいでいた。
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