エリシアが立ち止まったからだ。
「うわっ!」
後ろを歩いていた少女が、彼女の背中に鼻をぶつけて痛そうに顔を押さえた。
「い、いきなり止まるなよ、姉貴! なんだよ? 歩き疲れたのか? だからっていきなり止まることはないだろ?」
まくし立てるように言葉を浴びせる少女は、彼女の妹でルシアという。
細いショートソードを腰に佩き、男勝りの乱暴な言葉遣いだが、背は姉よりも低く、顔立ちも同年代の娘たちよりずっと幼い。
非難げな眼差しで睨み付ける妹の方を見向きもせずに、エリシアは風になびく長い黒髪を押さえて、無表情で空を見上げた。
「風が変わったわ……」
「風?」
怪訝そうな顔をして、ルシアは指に唾をつけてわざとらしく風を感じる素振りをした。
それから「う〜ん」と唸り声を上げて、あっけらかんと笑った。
「あたしには全然わかんないけど。さっきと何か違うか? 吹いてくる方角だって同じだし」
彼女の言う通り、波のようにさざめく草は、先ほどまでとまるで同じように陽の光にキラキラと白く輝いている。
「雨か?」
先頭を歩いていた背の高い青年が、半信半疑と言った眼差しでエリシアを振り返った。
黒髪の少女は小さく頷いた。
「ええーっ! ほんとに!?」
二人のやりとりに、ルシアが大袈裟なアクションを交えて露骨に嫌そうな顔をした。
「こんな天気がいいのにいきなり雨が降ってくるってなら、それは姉貴のせいだな。姉貴、実は風を感じることができるんじゃなくて、天気を変える力があるんだろ! いきなり雨を降らせて、あたしに一体なんの恨みがあるんだよ!」
今にもつかみかかってきそうな妹に、エリシアは楽しそうに微笑んだ。
「ルシア。こんなところで雨を降らせても、私にもなんの得もないわ」
寂れた街道の真っただ中である。周囲にはただ広大な草原が広がるだけで、雨を凌ぐ建物はおろか、樹木の一つも見当たらない。
今雨が降ってきたら、三人揃ってずぶ濡れになるのは必至だろう。
「残念だな……」
あきらめたように溜め息を吐いた青年に、ルシアは怒った声を上げた。
「もう、リスター! もっとこう、何かないの? 突然降り出そうっていう雨の理不尽さに対して言うことはないの!?」
訳のわからないことを言っている。
「俺は戦っても勝てない相手に歯向かうようなタイプじゃないからな。ここで濡れるのが運命なら、甘んじてそれを受け入れようと思う」
深く目を閉じて、リスターは満足そうに頷いた。
言っている内容の真偽はともかく、ルシアをからかっているのは明白だったが、当の本人は言葉を文字通りに受け止めて頬を膨らませた。
「情けない! 情けないよ、リスター! 男なら愛を正義のために命だって惜しまずに戦うべきだ!」
拳を握って力説するルシア。
エリシアが子供をなだめる母親のようにその髪をなでた。
「はいはい。あなたの雄志はわかったから、ほら、早く袋からマントを出して」
ルシアは子供のように唇を尖らせたが、何も言わずに袋に手を突っ込んだ。
姉の風読みは絶対だ。どんなに天気が良くても、降ると言ったら降る。
「イェスダンまではまだ後3日か……。当分風呂には在り付けんな……」
溜め息を吐いたリスターの言葉に、ルシアは険しく顔を歪めた。
ふと空を仰ぐと、背中の方から分厚い雲が押し寄せていた。
「お風呂……」
悲しそうに呟くと、すっかり暗くなった空からぽつりぽつりと雨が降り始めた。
次のページへ→ |