海を越えた向こう側にあるマナガエという自由都市との交易が盛んで、一日二本の定期便が行き来している。
もちろん漁港としても有名であり、市の立ち並ぶ朝の賑わいは王国でも名物だった。
まだ陽の昇る少し前、ルシアは人でごった返す大通りを目を輝かせて歩いていた。
(う〜ん、風は気持ちいいし、活気はあるし、街並みには風情もある。最高だな!)
ルシアは旅の中で海は見たことがあったが、バリャエンを訪れるのはこれが初めてだった。
《ルシアさん、嬉しそうですね。何か楽しみなことでもあるのですか?》
ルシアが喜んでいるのが嬉しいのか、セフィンが声を弾ませた。
ルシアは大きく頷いて答えた。
(もちろん! 港と言えば魚! 内陸じゃ絶対に食べられないものがわんさかあるよ!)
バリャエンには美味珍味の魚料理が数多く存在する。その噂は内陸の街や村にも届くほどだった。
美食家というわけではないが、美味いものをたらふく食うのが一番の趣味であるルシアが喜ぶのも無理はない。
思わず涎を零しそうになりながら何度も頷くと、ルシアはふと自分が大嫌いな魔法使いと話をしているのに気が付いて口を噤んだ。
セフィンは少し寂しそうにしながらも、お姉さん風を吹かせて言った。
《ルシアさん、そろそろ普通にお話しましょう。ルシアさんは喋っていた方が輝いてますよ》
(う、うるさい!)
ルシアは真っ赤になりながら怒鳴りつけた。
赤くなったのは怒りではなく、恥ずかしさだった。
セフィンの言う通り、ルシアは性格的に大人しくしていられず、気を許すとセフィンにべらべら喋っていることがすでに何度もあった。
今回のやり取りも、もはや数え切れない。
立ち並ぶ朝市を眺めながら、セフィンはためらうように尋ねた。
《ルシアさんは、どうしてそんなに魔法使いを嫌うのですか?》
市には美味しそうな魚が並んでいる。セフィンはその魚と威勢の良いおやじを楽しそうに眺めていたが、結局何も買わずに立ち去った。
別に冷やかしがしたいわけではないのだが、セフィンには魚を買えない理由があった。
金がないのだ。
元々ルシアたちの財布はすべてリスターが預かっており、ルシア自身はほとんど金を持ち合わせてなかった。魚を買うどころか、このままでは3日も宿に泊まったら尽きてしまう。
ぶらぶらと宛てもなく街を歩きながら、セフィンは黙ってしまったルシアの顔を覗き込んだ。
覗き込んだと言っても、それは抽象的な話であり、別にルシアの身体が何かしたわけではない。彼女たちは心の中で確かに二つの人格を持ち合わせていたのだ。
ルシアは憮然としたまま何も答えなかったが、セフィンに見られてそっけなくそっぽを向いた。
(別にお前に話すことなんかない。あたしはお前が嫌いだ)
セフィンは困ったように言葉をかけた。
《あの人も……リスターさんでしたか? 彼も魔法使いでしょう。ルシアさんは、彼のことも嫌いなのですか?》
(…………)
リスターのことは今でもまだ悩んでいる。
ルシアの中で、魔法使いは魔法使いであるというだけで絶対の悪人であり、事実国の法律でもそのようになっている。
(あたしは……ずっと騙されていたのかも知れない……)
ルシアの思考がリスター否定に傾いたからか、セフィンは早口に言った。
《それは違うわ。あなたは彼のことを好いているのでしょ? 魔法が使えることとその人の人格はまったくの別物です。魔法が使えない人の中にも悪人はいるでしょう》
(でも、魔法が使えることは罪だ。だからリスターだって魔法を使っていなかった。そんなふうにこそこそしなくちゃ生きられない存在なんだ)
《それは王国が間違っているのであって、魔法使いが間違っているわけじゃない》
(法は絶対だ。逆らえば罪人になる)
まるで教師に逆らう子供のように声を荒げると、セフィンは少し間を置いてから威厳ある声で言った。
《ならあなたは、王が死ねと言えば死にますか?》
(そ、それは……)
ルシアは怒られた子供のように項垂れた。何も答えられなかった。
そんなルシアに言ったのか、それともただの独り言か、セフィンは遠い目をして呟いた。
《私の言葉も絶対でした。だから私は、民が望む言葉を言うしかなかった。たとえそれが間違っていると思っていても……》
ルシアはやはり何も言えなかったし、何も言ってはいけないと思った。
セフィンは良く話すが、心の中は決して見せない。きっと自分には想像もつかない重たいものを抱えているのだと、ルシアは彼女の横顔を見て痛感した。
←前のページへ | 次のページへ→ |