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マジックプラネット
精霊の国ミナスレイア。あらゆることが精霊力によってなされ、精霊力によって支えられるこの国で、異変が起きた。
長年保たれてきた人間と精霊の調和。それが今、崩れようとしていたのだ。
ミナスレイアの平和を願う二つの正義が、今この大陸の命運をかけて雌雄を決する。

二章 精霊の国

 昼頃、王城に四度目の敗戦の知らせが届いた。
「第七氷晶部隊百五十人、すべて打ち負かされました!」
「な、何だと!」
 ミナスレイア王、ジャスラム・リスタンスは驚きの声を上げて、思わず玉座から立ち上がった。
「それは誠か? たった四人に、百五十の兵士が負けたというのか?」
「残念ながら間違いありません」
 冷静さを欠いて話す王にやや怯えつつ、氷晶部隊の隊長であるその男は、悔しそうに戦いの様子を報告した。
「逆賊フィリーゼとその一派の者は、不思議な魔法で我らが魔法をことごとく消し去ります。そして異常なまでに剣の腕が立ち、魔法をかき消された我らが部隊はまったくなす術なく、無念にも打ち破られてしまいました」
「なんということだ……」
 ジャスラムは呆然と、再び玉座に腰掛けた。  
「ウルスがやられてから一月半、その間にファリエス、サプス、そして今回イレユルがやられた。このままでは本当にこの国、しいてはこの大陸の精霊脈がすべて枯渇してしまう……」
 王の無念そうな声に、部隊長もまた項垂れた。
 そんな二人に、先程から黙って見ていた王女ユエナが、呆れたように言った。
「まったくだらしないなぁ。伯父さん、やっぱりあたしが行くよ。あたしと姉さんの二人で行けば、そのフィリーゼとかいう悪人も敵じゃないわ」
 その言葉に、ジャスラムは激しく反対した。
「それはいかんと言っておろう。フィリーゼとやら、義賊ぶっているのか人殺しはしないが、それでも危険が多すぎる。もしもお前に死なれたら、死んだ弟に私は何と言ったらいいのだ」
 王の真剣な表情に、ユエナもそれ以上何も言えなかった。そして結局その日も出撃許可は下りなかった。

 夕方、ユエナは城の訓練場でぼんやりと兵士達の訓練の様子を眺めていた。王弟の娘にして炎星部隊隊長、ユエナ・リスタンス。王女には似つかわしくないお転婆娘で、魔法の稽古より剣を好み、幼少の頃より剣技に励んで今に至る。
 十七歳の時、ラカザウ山地から迷い込んできた火竜を一人で退治して、その武勇を全国に馳せ、炎星部隊隊長の座を譲り受けてからは、人々にはより慕われ、兵士からは羨望の眼差しで見られるようになった。
 もっとも、王を「伯父さん」と呼ぶことからもわかる通り、堅苦しいことや身分の上下関係は嫌いで、誰とでも気軽に話をし、彼女の父代わりである王ジャスラムは、そのことでほとほと手を焼いていた。
 もちろんユエナは、次女である気楽さからだろうか、そんなことはまったく気にせず、マイペースに生きていた。
「フィリーゼ……一体どんな奴なんだろう……」
 腕を組み、座ったままじっと地面を凝視して、ユエナは呟いた。
 兵士達が悩む隊長を心配そうに見ていたが、彼女は気にかけなかった。
「なんでそいつらは精霊力を枯らすんだろう。精霊力がなければこの国は滅んでしまう。それに、枯らすことで何の利益があるんだろ……」
 彼女は魔法をほとんど使わない。しかしそれは、決して魔法が嫌いだからではなく、単に使う必要がないから使わないのである。
 彼女は魔法の必要性を認めている。魔法がこの国を豊かにし、この国のすべてを維持していることも知っている。
 だからそんな彼女には、魔法を消し去ろうとしている彼らの考えなどわかりようもなかった。また彼女にとって、実のところ、そんなことは半ばどうでもよいことだった。
「フィリーゼか……。一回会ってみたいな。会って……戦ってみたい」
 それこそが彼女の本心だった。  
「よしっ!」
 膝をぱんと叩いて、彼女は力一杯立ち上がった。そして、不思議そうに自分を眺める兵士達を後目に、
「姉さんに相談に行こう」
 元気よくそう言って、訓練場を出ていった。
 残された兵士達は、鍛錬も忘れて、呆けたようにそんな彼女の背中を眺めていた。 

 同じ頃、長女リシィルは、城の庭で花に水をあげようと、水の精霊と交信していた。
「水の精霊よ。この乾いた花達を潤して下さい」
 彼女の喚び声に応じて、少しずつ、といっても時間にすると一瞬だが、彼女の両手に精霊力が集まってきた。しかしその量は、リシィルの想像していたものより遙かに多く、彼女は魔法を放つ前に慌ててその力を精霊界に送り返した。
 リシィルの額に汗が滲んだ。
「おかしいわ。やっぱり精霊のバランスが狂っている」
 リシィルは腑に落ちない顔をして、今度は初めから少量の精霊を喚び出して花に水をやった。それから彼女は、花壇を望める長椅子に腰掛けて、しばらくぼんやりと花を眺めていた。
 少しして、城の廊下から軽快な足音と共に、自分を呼ぶ明るい声が聞こえてきた。
「姉さん。リシィル姉さん」
 目をやると、丁度城から妹ユエナが出てきたところだった。
 ユエナはそのままリシィルの許まで走ってくると、彼女の横に腰掛けた。そして、
「あのね、姉さん……」
 いつもの、何かを切望する眼差しで話し始めた。
「その、第七氷晶部隊の話聞いた?」
「ええ。またフィリーゼたちにやられてしまったんですってね」
「うん。それでさ、今度は……」
「ダメよ」
 ユエナが最後まで言う前に、リシィルはぴしゃりと言い放った。
「ま、まだあたし、何にも言ってないよ」
「言わなくたってわかるわよ。どうせまた、私たちで行きましょうって話でしょ?」
「……端的に言うとそういうことになるかな……」
 ユエナは引きつった笑みを浮かべた。
 リシィルはそんなユエナにため息をついて、
「ユエナ。何も私たちが行かなくたって、放っておけば彼らから来るわ」
「でも、被害は少ない方がいいでしょ。あたしたち二人で行けば必ず勝てる。何も待つことないよ」
「慌てることもないわ。ここさえ落ちなければ精霊脈は枯れることはない。一旦枯れてしまったウルスの泉も、もうだいぶ元に戻ってきたって聞くし」
「それは……そうなんだけど……」
 ユエナは子供のように唇を尖らせてそっぽを向いた。
「ここで待ってましょ、ユエナ。伯父様が悲しがるわ」
「う、うん……」

 精霊脈。簡単な言葉でこれを表すと、精霊の川とでも言おうか。
 位置的に地下を流れ、海のごとき精霊の国からから少しずつ広く遠くへ支流を伸ばし、大陸全土へ精霊達を運ぶ川。大地とは精霊の泉によってつながり、そこから精霊達は地上に出て精霊力に変わるのである。
 そしてその精霊脈の始まりの地、すなわち精霊の国が、丁度人間界のミナスレイアと重なっているのである。
 精霊の国ミナスレイア。もしもフィリーゼたちの目的が完全に精霊力を枯渇させようというものならば、必ずこの王城に来るはずだった。
「わかったよ、姉さん。ごめんね、我が儘ばかり言って」
 悲しそうにそう言って、ユエナは立ち上がった。
 リシィルはそんな妹に、何かいつもと違うものを感じたが、何も言わなかった。
 ユエナはそのまま振り向かず、城の中に戻っていった。

 初めにジャスラムとリシィルにこの話を持ちかけてから、もう一月以上経つ。自分でもよくがんばったと思う。だけど、今日の姉の態度を見て、ユエナは決意した。
 一人で行こう。
 勝てないかもしれない。姉と二人でならば、必ず勝つ自信があったが、一人では百五十の兵士を倒して除ける彼らに勝つ自信はなかった。
 それでも行こう。
 ユエナは旅の支度をしながら、その瞳を涙で濡らした。
 期待もある。旅に出たいという想いも本物である。けれど、二度とここに帰ってこれなくなるかもしれない不安や、しばらく姉と会えなくなる寂しさ、自分の骸を前に皆を悲しますかもしれない辛さ、そんな想いもまた、彼女の胸の中にはあった。
 それでも彼女の決心は揺るがなかった。悲しみは悲しみで受け止めて、決して行くか否かの判断材料にはしない。
 ユエナはそういう娘だった。
 ミナスレイアの紋の入った茜色の軽い鎧を着て、いつか火竜を倒した剣を佩き、ユエナは鏡の前に立った。
 王女ではなく、戦士としての自分。戦い前の緊張感を全身に漲らせて、しかし不敵に笑みを浮かべる。
 こんな自分を見るのは、あの火竜騒動以来ではないだろうか。
 ユエナは真紅の髪を掻き上げると、額に汗に汚れた赤い布を巻いた。そして、恐らく勝負を大きく左右させるであろう、虹色に光り輝く石のはめ込んだ首飾りをつける。
「よし!」
 一度気合いを入れて、ユエナは大きな麻袋を担いだ。袋の中には保存食やら着替えやら、傷薬などが入っていた。
「光の精霊よ。これからしばらく、人々の目からあたしの姿を消して下さい」
 すっと、鏡の前の自分が消えた。さらに、
「風の精霊よ。これからしばらく、あたしの立てる音を消して下さい」
 そう精霊に願い、ユエナは一度手を叩いた。音はしなかった。
 ユエナは大きく頷くと、自分の部屋の扉を聞き耳し、通路に人がいないことを確認した上で静かに扉を開けた。

 やはり同じ頃、リシィルもまた部屋にはいなかった。闇よりもなお暗き穴の奥、そこにリシィルは立っていた。
 精霊の国。城の裏にぽっかりと空いた大空洞を降りたそここそが、精霊脈の始まりの地であった。
 灯りは点けず、暗がりの中で目を閉じて、リシィルは精霊達の声に耳を傾けていた。
 最近、精霊力が急激に強まっている理由。それを精霊達から直接聞き出そうと考えたのである。
「精霊達よ。よろしければ教えて下さい」
 リシィルの澄んだ声が大空洞に響き、こだました。しかし、彼女に応える精霊はない。それどころか、むしろ怒ったように精霊の風が吹き荒れた。
「うっ!」
 風は見えない刃となって、リシィルの肌を切り裂いた。たちまちローブに点々と血が染みになった。   
「精霊達よ、鎮まり給え」
 リシィルはしきりに精霊達に訴えかけたが、精霊の風はやまなかった。
 仕方なく、リシィルはそこから戻ろうと、風の精霊に喚びかけた。
「風の精霊よ。私の身体を浮かばせて、大地に送り届けて下さい」
 ところが、風の精霊はその声には応えず、声は虚しく消えていった。
「ど、どういうこと!?」
 リシィルの顔に、初めて焦りの色が浮かんだ。
 風は依然やまず、彼女の身体を少しずつ傷つけている。
「仕方ない」
 彼女は再び目を閉じて意識を集中した。
「風の精霊王よ。あなたのお力で、猛る風の精霊達を鎮め給え」
 これで、彼女は大人しくなった風の精霊に頼んで、外に出られるはずだった。
 しかし、ここでも彼女の思い通りにはいかなかった。
 先程よりむしろ風は強まって、彼女の身体は敢えなく吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「あうっ!」
 何故……?
 彼女は心で問うた。
 フィリーゼの仲間のユサフという少年は、逆魔法まで使いこなすという。なのに何故、ミナスレイア一の魔力を誇る自分には、普通の精霊すら力を貸してくれないのか。
 前向きに倒れたリシィルに、精霊達は容赦なく襲いかかった。彼女の背中を護るものはもはやなく、露わになった肌には無数の傷が付き、真っ赤な血が流れていた。
「うう……」
 リシィルは悶え苦しんだ。
「た、助けて、ユエナ……」
 弱々しく息を洩らし、血と一緒にようやくそれだけの言葉を吐き出した。
 力無く身体を地面にあずけるリシィルに、精霊達は勝ち誇ったように押し寄せた。
 凄まじい圧力が身体を圧迫して、肋骨が軋んだ。
「う、うあぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
 彼女は堪え切れず、絶叫した。

「姉さん?」
 城を出てすぐに、ユエナは姉の声を聞いた気がした。
「何だろう……。胸騒ぎがする」
 彼女の足は、自然と精霊の国に向かっていた。
 夜の穏やかな風が、彼女の髪を揺らして吹いた。

 精霊の国はぽっかりとその口を開き、黒く闇が渦巻いていた。
 ユエナは辿り着くや否や、風の精霊に喚びかけた。
「風の精霊よ。あたしをゆっくりと下に降ろして」
 途端にふわりと身体が浮き上がり、ユエナは洞窟を降りていった。
 先程部屋でかけた魔法はすでに消えている。
 しばらく下に降りていき、やがて底に足がつくと、彼女は今度は灯りを燈した。
 ぼんやりと、闇の中に土壁が浮かび上がる。と同時に、倒れている姉の姿が目に入った。
「姉さん!」
 ユエナは慌てて駆け寄ると、そっと姉を抱き起こした。
 リシィルはぐったりとユエナに身体をあずけて動かない。
「ど、どういうことなの……」
 ユエナの顔に不安がよぎった。
 傷跡からして、人間にやられたとは思えない。それに、普通の人間がこんなところに降りるはずもない。
 とすると、姉は精霊達にやられたとしか思えない。しかし、ミナスレイア一の姉が何故……。
「ねえ、これはどういうことなの!?」
 怒った声で、ユエナは精霊達を怒鳴りつけた。その時、ふっと光が消えた。
「な、何?」
 闇に包まれて、ユエナは不安げに姉の身体を抱きしめた。と、先程リシィルを襲った風が、今度はユエナに吹き荒れた。
「くっ!」
 一瞬ひるんだが、姉を地に寝かせ、すぐにしっかりと大地を踏みしめて立ち上がると、ユエナは毅然として言い放った。
「精霊達よ。これは一体どういうことですか? 何故あなたたちがあたし達を襲うの?」
 しかし風は吹き荒れるだけで何も応えない。
 ユエナは仕方ないと、首飾りに手をかけた。
 すると風が、そうはさせるかと一斉に彼女の身体を包み込み、光の鎖で縛り上げた。
「うっ!」
 鎖が手足に食い込み、ユエナは思わず苦痛に声を上げた。
 容赦なく精霊達は彼女を襲った。それはリシィルの時よりも激しく、精霊達の必死の抵抗にも見えた。
 リシィルのように身体を地に押しつけられて、ユエナは苦しみに喘いだ。
 全身が軋み、身体がわずかに土にめり込んだ。
「く、首飾りを……」
 ユエナは必死に手を首に伸ばそうとした。
 ところが手は戒めのために動かない。
 当の首飾りは彼女の鎖骨と地面の中間にあり、肌を破って骨を削っていた。
 ユエナはあまりの苦しさに泣いた。
 圧力はどんどん強まり、やがて首飾りが鎖骨を折って、そのまま広頸筋を寸断した。
「あぐっ!」
 苦しげな息とともに血を吐いて、ユエナは意識が遠のいていくのを感じた。痛みと出血で、もはや身体には力が入らなかった。
(もうダメだ……)
 彼女は絶望した。
 虹色の首飾りが首元で揺れた。

 妹の苦しそうな呻き声で、リシィルは目を覚ました。
 ぼんやりとした頭が次第にはっきりとしてきて、それとともに、体中に痛みが走った。
「痛っ!」
 しかしそれだけだった。それ以上、自分を痛めつけるものはない。
 確か自分は精霊達にやられていたはず……。
 訝しんだその時、彼女は前方で妹が苦しんでいるのに気が付いた。
「ユエナ!」
 慌てて駆け寄ると、風が今度は寄せ付けまいとリシィルを襲った。
 リシィルはそれに負けじと懸命に駆け、妹の身体にしがみついた。ぬるりと手が血で滑った。
「ユエナ!」
 リシィルは暗がりの中でユエナの身体を力一杯引き起こした。
 その拍子に彼女の首飾りが、リシィルの肩に触れた。
(これは!)
 考えるより先に動いていた。
「精霊王を統べる王。精霊界の深きに眠り、すべてを見ながら動かざるもの……」
 石が虹色に輝き出して、風がやや弱まった。
 彼女は集中して続ける。
「大地よりも大らかで、水よりも清く、炎よりも熱く燃え、風よりも速きもの……」
 石から彼女たちの身体に力が流れ込んできた。
 途端にリシィルは体が軽くなるのを感じた。傷がすべて塞がっている。
 リシィルはその状態で、自分に力を与えるそれに語りかけた。
「あなたにお聞きします。これは一体どういうことですか? 何故あなた方が私たちを襲うのですか?」
 しかし、それもまた彼女の問いに答えなかった。代わりに石から真っ白な光が溢れ出し、気が付くと二人は穴の外にいた。
 月明かりが優しく大地を照らしている。ユエナは安らかな寝息を立てて、リシィルの膝の上で眠っていた。
 リシィルは穴の中を覗き込むと、小さな声で呟いた。
「やはりここは人の入るところじゃないわね」
 リシィルは視線をユエナに移し、そっと彼女の赤い髪を撫でた。
 そして、深刻な表情で呻くように呟く。
「……何かが起ころうとしている。フィリーゼ・ラタンツェス……一度会ってみる必要があるかもしれない……」
 リシィルはそっと立ち上がった。そしてユエナをその場に寝かせたまま、旅の準備を整えるべく、城に戻った。
 ユエナの顔に、幸せそうな笑みが浮かんだ。

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