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湖の街の王女様2 怨望の死闘
6年前、魔法使いの刺客に襲われてから、王女シティアは彼を殺すことだけを考えて生きてきた。そんなシティアのもとに、マグダレイナの剣術大会で出会った青年フラウスから手紙が届く。──『王女の恨む魔法使いガルティスの情報をお教えします』。手紙を読んだシティアは、積年の恨みを晴らすべく、魔法使いの少女ユウィルを伴ってウィサンの街を後にする。

プロローグ

 その夜、シティアは夢にうなされていた。
 夏は過ぎ去り、湖から時折涼やかな風の吹き抜ける夜だったが、シティアは全身に汗をかき、布団の端を破れるほど強く握りしめていた。
 強張った顔は苦渋に満ち、引き結んだ口元からは呻き声が漏れる。
 やがて、シティアははっと目を覚まして勢い良く半身を起こした。そして、すぐさま枕のそばに置いてある小剣を取ると、ベッドから飛び降りて身構える。
 肩で息をしながら大きな窓を睨みつけていたが、窓の向こうには大きな月が浮かんでいるだけで、他には何もなかった。
「夢……」
 シティアは夢遊病者のような虚ろな目をして大きく息を吐くと、抜き身の剣を手にしたまま窓辺まで歩いた。そして星空の下に広がるウィサンの街に目を向ける。
 こんな夜更けに明かりはなく、ひっそりと静まり返った街が暗く佇んでいた。時折小さな明かりがよぎるのは、恐らく夜警だろう。6年前の冬、シティアが魔法使いの刺客に襲われてから、毎晩続けられている。
 もっとも、本気でシティアのことを心配するような忠誠心の厚い兵士はこの国にはいなかった。この6年、シティアが誰も愛して来なかった結果である。
 シティアは無表情のままわずかに視線を上げた。
 高い建物のないウィサンの街に、城の他に唯一街壁を越える高さの建物が聳え立っている。若き魔術師タクト・プロザイカが所長を務める魔法研究所だ。
 シティアのために建てられた建物だが、シティアはこの夏の初めまでずっとその建物を嫌っていた。けれど、今では魔法使いの少女と親しくなり、魔法に対する嫌悪感も薄れている。
 もっとも、それですべての魔法使いを許せるほどシティアの傷は浅くなかったし、6年前のことは、今でも思い出すだけで眠れないほどの恐怖に苛まれる。今もそうだった。
 シティアは自分を護るため、そしてあの魔法使いの刺客を殺すためにひたすら剣を振るい、武道の街マグダレイナで開かれた剣術大会の、かつての優勝者すらあっさりと切り捨てるほどの力を付けた。そして、その誰よりも憎むべき仇に、この夏ウィサン近くの森で遭遇したのである。
 にも関わらず、その時シティアは重傷を負っていたため、何一つ恨みを晴らすことができなかった。それどころか、タクトに助けてもらわなければ恐らくその時殺されていただろう。
 あの憎むべき青髪の魔法使いは、シティアのせいで人生を狂わされたと言っていた。一体何があったのかは知らないが、とてもそれで五分にすることなどできない。殺さなければ、シティアを突き動かす妄執は決して晴れることがないのだ。
「殺したい……。殺さなければ、いつか殺される……」
 シティアの赤い瞳が復讐の色を帯びた。握られた拳にうっすらと血管が浮き出して、刀身がかすかに揺れる。
「せあぁっ!」
 一度鋭く気を吐くと、シティアは剣を小さな動きで豪快に振り下ろし、素早く三段に突いた。もっとも、誰かがそれを見ていたとして、その動きを正確に目で追えたのは、よほどの達人だけだったろうが。
 シティアは力んでいた身体を楽にすると、室内を振り返った。そして、その時初めて、テーブルの上に寝る時まではなかった紙が置いてあることに気が付いた。
 シティアは眉間に皺を寄せると、注意深くテーブルに近付き、素早くそれを手にして壁を背にした。室内には窓から差し込む月明かりの他に光はなかったが、シティアは極端に夜目が利いたので、そこに書かれた文字を読むことができた。
『王女の恨む魔法使いガルティスの情報をお教えします。お一人では危険なので、タクト殿と二人で、エルクレンツの“空の都”に来てください。フラウス』
 読み終えた時、シティアはそれだけで人を射殺せそうなほど鋭い目で手紙を見つめていた。かすかに震える手は、怒りではなく恐怖から来るものだった。
 当然である。この手紙は、シティアが寝ている間にここに置かれたのだ。しかも置いたのは城の人間ではない。フラウスとは、1年前にマグダレイナの剣術大会で出会った青年で、彼は身分を隠していたシティアの正体を言い当てた。
 シティアの方は結局彼が何者であるかわからないままだったが、少なくとも敵ではないと思っている。けれど、部外者には違いない。
 この手紙がフラウス自身が置いたものなのか、それともフラウスが誰かに頼んだのか、あるいはフラウスの名を語った何者かの仕業か、それはわからない。けれど、侵入を許したことにまったく気付かなかったし、もしも敵意を持った人間であれば、シティアを殺すこともできたのである。
 もっとも、シティアは殺気を敏感に察知できるので、襲う気のある人間ならば気が付いていた可能性は高いが。
 シティアは渋面のまましばらくその紙を見つめていたが、やがて意を決して剣を置き、夜着をその場に脱ぎ捨てた。傷だらけの白い裸体が、月光に照らされてさらに白く映る。
 シティアは旅装束を引っ張り出すと、すぐに着替えて、レイピアを佩いた。それから、食糧はともかくとして、金や薬、ナイフや松明など、部屋で揃えられるものを袋に押し込むと、手紙を一枚書いてテーブルに置いた。
 窓を開けると、少し強めの風がビュッと音を立てて吹き抜けていった。ベッドの脚にロープを結び、それを伝って地面に降りる。
 注意深く辺りを窺いながら城門まで歩くと、見張りの兵士が二人立っていて、眠たそうにあくびをしていた。
「出しては……くれないでしょうね」
 シティアは軽く唇を噛みながら、こんな時魔法が使えたらと思った。そしてすぐに首を振る。
(どうせ嫌われてるんだし、今さら彼らの評判を気にしてもしょうがないか)
 シティアは自虐的な微笑みを浮かべると、何食わぬ顔で彼らの方へ歩いて行った。兵士たちは、何者かが歩いてきたので身構えたが、すぐにそれが王女だとわかると、怪訝そうに顔を見合わせた。
「これからタクトのところに行くから、外に出して」
 気楽そうに、けれど反論を許さない強い口調で言うと、兵士の一人がやや怯えたような顔で聞いてきた。
「その格好で、ですか? 国王はこのことをご存知でしょうか……」
「ええ。あなたたちが罪に問われるようなことはないわ。この国の存亡に関わる急用なの。私自ら出向いていく意味を察して」
 それは全部嘘だったし、兵士たちとて、鵜呑みにしたわけではなかった。それに、気まぐれなシティアが自分から行くことの意味など、たかが知れている。
 ただ、タクトのところへ行くというのは本当に思えたし、それだったらシティアが危険に晒されることはないだろう。兵士たちはどうせ言い合ったところで押し切られるだけなのがわかっていたから、素直に通用門を開いた。
「必ずや無事にお戻りください。我々のためにも」
 いくらシティアが「罪にはならない」と言っても、シティアの身に何かあればそうはいかない。
 シティアは皮肉めいた笑いを浮かべて頷いた。
「わかってるわ。私だって死にたくないわよ」
 けれど、外に出たシティアは、兵士たちの期待に反して、魔法研究所へは向かわなかった。しばらく歩いて辿り着いたのは、幼なじみのサリュートという青年の家だった。
 シティアは堂々とドアを叩いてサリュートを呼んだ。起きて来たのはサリュートの父親で、迷惑そうな顔をしていたが、シティアの姿を見てすぐに息子を呼びに行った。
 サリュートはシティアの奇抜な行動には慣れていたが、さすがに真夜中に旅装束で現れるという事態には仰天せずにはいられなかった。
「今度は何をする気だい?」
「ちょっと、エルクレンツまで……」
「シティア、冗談にもほどがあるよ」
 サリュートは呆れ返って、思わずシティアの肩に手を置いた。シティアは子供扱いされたような気分になってムッとなったが、言い返さなかった。ケンカをしている場合ではない。
「マグダレイナで会ったフラウスを覚えてる? そのフラウスからこんな手紙が来たの」
 シティアが手紙を見せると、サリュートは怪訝そうにそれを読み始めた。そして、読み終えた時にはすっかり険しい表情になって、考え込むように手を口元に当てた。
「話が急過ぎて読めない。シティアは、これをどこまで信用したんだ?」
「これを置いた人は、私を殺そうと思えば殺せたはず。でも、そうはしなかった。少なくとも、私にとって不利益な情報じゃないと思うわ」
「フラウス……彼は、一体何をどこまで知ってるんだい?」
「だから、それを確かめに行くんじゃない」
 シティアはサリュートの手から手紙を取ると、二つに折って袋の中に戻した。
 サリュートはじっとシティアを見つめていたが、やがて意を決したように言った。
「じゃあ、僕も一緒に行く。君を一人にはできない」
 それは、当然シティアも予想していた反応だった。だから慌てずに首を振ると、はっきりとこう告げた。
「ダメよ。サリュートがいるのといないのと、どっちが安全かわかってるでしょ?」
 それは男として非常に情けない話だったが、サリュートは文官肌で、剣はからっきしだった。シティアの言うとおり、ついて行けば逆に足を引っ張ることにもなりかねない。
「でも、一人で行かせるわけには……。まさか、書いてあるとおりタクトさんとは行かないんだろ? だから、ここに来た」
 シティアはにっこりと笑った。サリュートの予想通り、シティアはタクトと行くつもりはなかった。ただしそれは、単にタクトをそれほど好いていないからではなかった。
「あなたの言うとおりよ。ここに来たのはね、サリュートの口からこのことをタクトに伝えて欲しかったからなの。気になるのよ……この手紙。私には、あの魔法使いを倒すためにタクトが必要だって言ってるんじゃなくて、タクトをウィサンから引き離したいように見えるの」
「タクトさんを……」
 サリュートは唖然となって息を飲み、シティアは慎重に頷いた。
「私とタクトの二人で、一部隊くらい潰すだけの力があるわ。だからきっと……ね。エルクレンツにおびき寄せて……敵はユルクかも知れない」
 エルクレンツはウィサンの北西に位置する小国、ユルクは北東にある大国である。もっとも、両国ともに同盟を結んでいるし、それにウィサンは三者の中で最も小国で、占領価値のまるでない街だった。
 サリュートは難しい顔で言った。
「一大事じゃないか、もしそうなら。そこまでわかっているのに、どうして君は行くんだ? 罠の可能性が高いんだろ?」
 シティアは無表情になって、真っ直ぐサリュートを見上げた。それから低い声で淡々と答えた。
「わからないの?」
「シティア……」
 思わず、サリュートはシティアの小さな身体を抱きしめていた。
 シティアはあの魔法使いを殺すことだけを糧に生きてきたのだ。それは、国の存亡よりも優先される。もちろん、国が大切でないわけではない。だからこうしてサリュートを頼ってきたのだ。
「絶対に、無事に戻って来てくれよ……。それから、もしその魔法使いを……殺せたら、もう昔の君に戻るんだ。昔の、誰にでも優しかった君に……」
 シティアはいきなり抱きしめられて少し驚いていたが、やがて身体の力を抜くと微笑しながらサリュートの背中を引き寄せた。
「わかったわ。剣はやめないけど……私だって、人に嫌われるのは嫌よ?」
「シティア……」
 サリュートはそっとシティアの身体を離すと、少し顔を赤らめながら笑った。
 シティアは、その恋人同士のような空気に居心地の悪さを覚えたので、意地の悪い顔をしてから軽くサリュートの腹を拳で叩いた。
「お父様に見つかったら、あなた、殺されるわよ?」
 シティアは楽しそうに笑ったけれど、サリュートはシティアの拳を両手で握り、真面目な顔をした。
「僕は……やっぱり身分違いだと思うかい?」
「サリュート……」
 シティアは思わず心臓が止まりそうになった。サリュートが自分のことを好きなのは知っていたが、今までそういうことを口にしたことはなかったのだ。
 きっと、この空気のせいだ。これからしばらく離れ離れになる寂しさと、死ぬかも知れないという恐怖がサリュートの気を急かしている。
 シティアはサリュートの手を振り解くと、俯いたまま答えた。
「別に思わないわ。でも、そういうことを考えるのは帰ってきてからにしよう。少なくとも、あの魔法使いを殺すまでは……」
「わかってるよ。だから、絶対に無事に戻って来てくれ。君は、あの魔法使いに……」
 サリュートは言いかけて、表情を暗くした。
 シティアは確かに強くなった。けれどサリュートは、どれだけ強くても剣士は魔法使いには勝てないように思えて仕方なかったのだ。シティアとて、それがわかっているからこそ、これほど怯え、そしてこれほどまでに強くなった。
 けれど、次のシティアの一言がサリュートの悩みを払拭した。
「大丈夫。私は、タクトとは行かないって言っただけよ」
「あ……」
 サリュートはすぐにシティアの言いたいことを理解して、表情を明るくした。シティアは複雑な顔で言った。
「本当は、できるなら一人でしたいし、私の復讐にあの子は巻き込みたくない……。でも、私が一人で行ったって知ったら、きっとあの子は悲しむわ。それにあの子は強いし、人を殺すことに躊躇しない。こんな薄汚れた復讐にも、きっと喜んで力を貸してくれる……」
「そうだね……。ユウィルが行くなら安心だ」
 サリュートはほっと安堵の息を漏らした。そして最後にもう一度シティアの手をぎゅっと握って、力強く言った。
「必ず帰って来てくれ。タクトさんには僕から間違いなく伝えるから。何があっても、ウィサンは守る」
「ええ。信じてるわ、サリュート」
 シティアはぐいっとサリュートの手を引っ張ると、素早く口づけをして踵を返した。
 サリュートは唇に触れた柔らかさに呆然となりながら、軽く手を振って歩いて行くシティアの背中を見つめていた。
 初秋の夜のことだった。

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