矢はすべてユウィルが魔法で叩き落す。ただの強い風を起こすだけならば一瞬で使うことができた。
シティアは弓を捨てると、レイピアを引き抜いて駆け出した。正面から二人の男が現れ、弓を引いている。
「ユウィル、光線は!?」
「あれは10秒はかかります! 急には無理!」
飛んできた矢を、シティアはステップで躱し、ユウィルは風で落とした。ユウィルと少しでも離れるのは嫌だったが、シティアは思い切り地面を蹴ると、彼らとの差を一気に縮める。二人は弓から剣に持ち変える暇すらなくシティアに切り捨てられた。
「後16人!」
シティアは不敵に笑いながら城の入り口へ駆けた。もう城壁からの矢は届かない場所にいる。
必死に駆けて来たユウィルが、肩で息をしながら言った。
「シティア様、もうちょっとゆっくり……」
ユウィルは泣きそうな顔になっていたが、もちろん本気で泣きついているわけではなかった。とは言え、シティアの足が速いのは事実だったし、体力は無尽蔵だ。本気で走り回られたら、ユウィルについて行けるはずがない。
「しょうがないでしょ! 頑張りなさい!」
城の入り口には5人ほどの男が待ち構えており、皆抜き身の剣を手にしていた。さらに城壁の方から数人がやってくる。この対応の早さは、やはりシティアを待っていたとしか思えない。
(でも、それならフラウスの方は手薄のはず。ガルティスは私が殺したいけど、この際贅沢は言えないか?)
ユウィルは城壁から来る者たちが弓を手にしていないのを見て、目を閉じて魔力を集めた。もちろん、城の中から出てきた者たちはユウィルまで数メートルのところにいたが、それはシティアがなんとかしてくれる。ユウィルはウィサンの王女に絶大な信頼を置いていた。
もちろん、シティアも絶対にユウィルに敵を近付けるつもりはなかった。5人を相手にしてもシティアはまったくひるまずに戦った。相手は所詮平民上がりの盗賊だし、元々対集団戦は慣れているのだ。
数秒稼ぐとユウィルは目を開け、すでに数歩のところまで近付いていた3人に風の刃を叩き付けた。かつて、ガルティスが使っているのを見て習得したものである。
3人は胸や腹をずたずたに切り裂かれて崩れ落ちた。ユウィルはそれを見ながら、少し表情をゆがめた。
シティアも、今自分が使った魔法をガルティスに撃たれ、瀕死の重傷を負ったのだ。そして魔法を嫌い、人を遠ざけるようになった。けれど、使った方は別になんとも思わない。たったの5秒の出来事だった。
(シティア様が魔法を嫌いになるのもわかる気がする。魔法を使えない人には、これは脅威でしかない……)
ユウィルはシティアに同情したが、すぐにそれを打ち消した。その魔法でユウィルはシティアを助けていたし、自分も魔法で助けられたのだ。
(大切なのは使い方。あたしは間違っていない!)
シティアは5人と切り結んでいたが、いつの間にか7人に増えていた。けれど、足元には3体の死体が転がっている。
「ユウィル! これだけの数を足止めするのは無理! 気を付けて!」
シティアは大声でそう言いながら、ものすごい速度の突きで、さらに一人を屠った。
「シティア様、伏せて!」
ユウィルの声に、シティアは反射的に身を伏せた。
突如、強い風が音を吹き抜け、6人が弾き飛ばされる。ただ風を起こすだけならばすぐに使えるのだ。破壊力がなくても、敵をバラバラにする役には立つ。
シティアは素早く立ち上がると、さらに2人を切り捨てる。残る5人の内の2人はユウィルが焼き尽くし、もう3人もシティアが斬った。
「数が、多すぎるわね……。ユウィル、怪我はない?」
シティアが額の汗を拭いながら聞くと、ユウィルは大きく肩で息をしながら頷いた。
「大丈夫です。ただ、ものすごく疲れました」
「これでやっと15人くらい? 先が思いやられるわね……」
シティアはレイピアを握り直して正面から入ろうとしたが、それをユウィルが止めた。
「上から行きましょう」
返事も聞かず、ユウィルはシティアを抱きしめると、ふわりと空に浮かび上がった。シティアは少し恐怖に駆られたが、相方を信じて片腕でユウィルにしがみ付いた。
ユウィルは二階に上がると、どこかの部屋のバルコニーに降り立った。そして窓を破壊して中に侵入する。
そこには数人の盗賊がいたが、彼らは武装すらする間もなくシティアに切り捨てられた。
「これで、少しは楽になりそうね」
ドアを開けると、通路にいた数人が剣を閃かせて駆けて来た。けれど、少人数ではシティアに勝てるはずがない。部屋の中に誘き寄せられると、彼らはあっさりとシティアの剣の錆になった。
シティアはいつかユウィルの言った言葉を思い出して、小さく微笑みを浮かべた。
「同じ100人を相手にするのでも、一人ずつの方がずっと楽ね。ここにいれば、一気に押し寄せられることはないから、かえって好都合かもしれない」
ユウィルはシティアの言葉に同じように笑った。
けれど、それで引っかかるのはせいぜいプラス10人ほどが限度で、それ以上は通路に潜んだまま挑発には乗ってこなくなった。
耳を澄ますと、城内は騒然としており、どこからともなく剣戟も聞こえてきた。フラウスたちも見つかったらしい。
「ここにいてもしょうがないか……」
シティアが呟くと、ユウィルは城に入るときに見た魔法陣を壁に描いていた。どうやら通路に出るのではなく、壁を貫いて隣の部屋に移ろうという算段らしい。
「私、ユウィルのそのさりげなく過激なとこ、大好きよ?」
「常套手段って言ってください。過激じゃありません」
ユウィルは反論してから、魔術で壁に穴を空けた。すると、驚くことに、隣の部屋には武器を持った男たちがひしめき合っており、いきなり壁を崩されて騒然となった。どうやら、シティアたちが通路に出た瞬間に、一気に襲いかかる算段だったらしい。
「残念だったわね」
その穴は、人が一人通るのがやっとだった。ユウィルが穴の反対側に駆けて行くのを見て、シティアはすぐに穴の前に立ち、そこで時間を稼ぐことにした。
男たちは気を取り直して穴から出てこようとしたが、数人を切り捨てられて、逆にシティアが入ってくるのを待つかのように大人しくなった。
「シティア様、こっちへ」
ユウィルに言われて振り返ると、魔法使いの少女は穴のちょうど反対側の壁に魔法陣を描いていた。そして、静かに魔法を唱える。
『ツァイト ツァイト ラオブ ラテルネ……
炎の海にたゆたいし者
その熱をもて焼き去り給え……』
いつか、やはり湖で使った魔法陣に火柱を立てる魔術だった。壁に描けば、当然火柱は床に水平に迸る。
ユウィルがあまり魔力を押さえずに作った火柱は正確に穴に突き刺さり、隣の部屋から男たちの凄まじい悲鳴が轟いた。恐らく地獄絵図のようになっているはずだ。
シティアがユウィルの隣でその破壊力に呆然となっていると、いきなりユウィルが体重を預けてきた。見ると、苦しそうな表情で喘いでいる。
「ど、どうしたの!? しっかりして」
ユウィルは何か言おうとしたが、声は出さなかった。力なく膝をつき、目から数滴の涙が零れ落ちる。
「ユウィル!」
シティアは真っ青になってユウィルの身体を抱きしめた。ユウィルはしばらくシティアの胸で泣いていたが、やがて顔を上げて弱々しく微笑んだ。
「大丈夫です。ちょっと……自分が怖くなって……」
「ユウィル……」
シティアは思い切りユウィルの身体を抱きしめると、安心させるように髪を撫でながら言った。
「大丈夫よ、ユウィル。大丈夫。私がついてるから。怖がらないで」
シティアは周囲に気を張り巡らせながら、優しい声音でそう言った。
ユウィルはシティアの肩で苦しそうに泣き続けていたが、その内呼吸を落ち着け、顔を上げずに震える声で言った。
「迷惑じゃないですか? シティア様、王女様なのに、あたしなんかの悩みや不安に付き合ってもらっていいんですか?」
「バカ……」
シティアは思わず泣きそうな顔になると、もう一度ぎゅっとユウィルの身体を抱きしめた。
「あなたもサリュートも、身分にこだわりすぎよ。ウィサンみたいな小さな国の王女が、どれだけ偉いって言うの? 私は約束したわ。あらゆる恐怖からあなたを護るって。もっともっと頼っていいのよ? 私はあなたのお姉さんだし、上官だし、それにお友達なんだから」
「……はい」
一言だけそう答えたユウィルの心境を、シティアは正しく理解していなかった。ただ、ユウィルが顔を上げて笑ったから、もう大丈夫だと思ったのだ。
けれどユウィルはその時、自分の一生をシティアに捧げる決心をした。いつか自分が嫌われるか、シティアが必要としなくなるまではそばにいようと。
同時に、これまで以上に甘えてみようとも思った。両親はあまりユウィルの環境を理解していないし、研究所ではいつも大人の態度でいなければならない。ユウィルが甘えたり、悩みを打ち明けられるのは、ただ一人、シティアだけなのだ。
「あたしはもう、自分の行動の善悪を、自分では判断しません。あたしが間違ったことをしそうになったら、シティア様が叱ってください。お願いできますか?」
シティアはにっこり笑って頷いた。
「ええ、引き受けたわ。私、ユウィルに頼られるのが好きなのよ。可愛い妹ができたみたいで。ここは暑いわ。行きましょう」
シティアが通路に出ると、そこに待ち構えていた男たちが一斉に襲いかかって来た。シティアは二本の剣を弾き返すと、あっと言う間に3人を屠り、残りの数人も数秒後には骸になった。
ユウィルを伴い、慎重に歩を進めると、向こうからあきらかにこれまでの連中とは違う、立派な体格をした男が数人を従えて現れた。目は猛禽の光を帯び、二の腕は手にした大剣に見合う太さだ。
「噂には聞いていたが、まさかこれほどまでに強いとはな。シティア姫」
「あんたがメデルィン? デックヴォルトの騎士だったって?」
シティアは油断なく構えたまま、宿屋で聞いた話を思い出しながらそう言った。ユウィルはその話をシティアから聞いていたが、名前までは覚えてなかったので、シティアと目の前の男は知り合いなのだと誤解した。
「昔の話だ。今は見ての通り、オーリの用心棒さ。お前みたいなのを倒すためのな」
「ゼラスよりは強いみたいだけど、あんたじゃフラウスも倒せないわ。ガルティスとウォードはどこ?」
「ウォードはこの奥だ。もっとも、お前はここで死ぬがな!」
自信満々にそう言ったメデルィンに、ユウィルは恐怖を覚えた。もしも本当にシティアが殺されたら、もちろん自分もここで死ぬことになるだろう。かと言って、一騎打ちをしている人間相手に使える魔法などない。援護は無理だ。
(勝って、シティア様……)
メデルィンは一歩踏み出すと、豪快に大剣を振り下ろした。シティアはそれを最小限の動きで躱すと、メデルィンの懐に飛び込もうとする。
ところがメデルィンは、凄まじい速度で振り下ろしたその剣をぴたりと止め、その状態から思い切り斜め上に薙ぎ上げた。
「ちっ!」
シティアは素早く身を屈めたが、その場に残った髪の毛がばっさりと切れて床に落ちた。
シティアは床を蹴って二歩下がった。
「よく躱したな。ジェイバン将軍は今のを剣で受け止めたが、お前には無理だと思っていた。まさか躱されるとは」
シティアはそれを聞いていなかった。ただ、剣を持っていない左手で自分の後ろの髪を触り、肩の下辺りからすっぱり切り落とされているのを確認して顔を険しくした。
元々父親にどうしてもと言われて伸ばしていただけで、長い髪の毛は好きではなかった。けれど、他人に切られると無性に腹が立つ。
「どうした? 怖くなったのか?」
無言で立ち尽くすシティアに、メデルィンはからかうように言葉を投げた。後ろの男たちも野次を飛ばしたが、ただ一人、ユウィルだけがシティアの気持ちを正しく理解していた。
(シティア様、ものすごく怒ってる……)
約2秒の出来事だった。
シティアはキッと顔を上げると、気を吐いて床を蹴った。そしてメデルィンの首元目がけて剣を突き出す。
だが、シティアのリーチはそれほ長くなく、メデルィンはそれを半歩後ろに下がって躱そうとした。
けれど、そうさせるのがシティアの作戦だったのだ。
シティアは一番長く腕を突き出した瞬間、レイピアを手放した。
「なっ……」
ドスッと言う音がしてから、ゆっくりとメデルィンの身体が床に崩れ落ちる。信じられない光景を見たように目を丸く見開いたまま、メデルィンは絶命していた。
シティアのレイピアが倒れたメデルィンの首に、まるで墓標のように突き刺さっていた。
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