「なんだか、ごみごみした街ですね。ウィサンとは大違いです」
ユウィルが縦横無尽に走る大小様々な道を眺めながら、呆れたように言うと、シティアも少しだけ笑った。
「ウィサンはまず区画ありきの計画都市だから。ここは、無秩序に大きくなっていった街なのよ」
「でも、街門もあったし、今は王様もいるんですよね?」
ユウィルが興味津々に瞳を輝かせていたので、シティアは適当な宿屋を探しながら少し歴史について語って聞かせた。
エルクレンツは人々が自由気ままに家を建て、少しずつその領域を広げていったが、今から50年前、西方の大金持ちアブル・ティッテリーという男とその一家が財力で街を統治し、3年の歳月をかけて街を区画整備した。また、5年後に街壁を作り、自衛団を組織して外敵に備えるようになった。現行の法律も、アブルが母国の専門家を呼び寄せて制定したものである。
「じゃあ、そのアブルさんが王様なんですか?」
「アブルは貴族よ。ここにはお城もないし、王様もいないわ。自由都市なのよ。一応、形式的にはティッテリー家が治めてるってことになってるけどね。だから、オーリみたいな盗賊団が出てきても、どうすることもできない。この街には自衛力しかないのよ」
昔は宿場町だったこともあり、宿屋はすぐに見つかった。シティアが何気なく入っていくと、ユウィルが怪訝な顔をした。
「“空の都”には行かないんですか? フラウスさんに会えば、そこで泊めてもらえるかも知れませんよ?」
シティアは中から出てきた店の人間に馬を預けながら答えた。
「どんなところかもわからない場所に飛び込むのは危険よ。罠の可能性も否定できないわ」
二人は部屋に荷物を置くと、すぐに下に降りて食事を摂った。その最中、シティアはさりげなく“空の都”についての情報を集めた。
2、3人から聞いたところ、“空の都”はシティアの考えていたとおり、酒場の名前らしい。もっとも、宿屋は兼ねていないらしく、そのせいかあまり流行っていないそうだ。
特別悪い噂もなく、怪しい人間が出入りしているという情報もなかった。シティアはフラウスの外見的特長を挙げ、“空の都”に出入りしていないか尋ねてみたが、そこまで詳しく知る者はなかった。
「中に入ったらいきなり殺されるってことはなさそうね」
その晩、シティアがそう言って笑うと、ユウィルは緊張した面持ちで言った。
「でも、これからここの自衛団でも歯が立たなかった盗賊たちと戦うかも知れないんですよ? シティア様は、まったく怖くないんですか?」
「そうね……」
シティアは相槌を打ちながらベッドに横になった。それから、ユウィルに明かりを消すよう言って、自分の布団の中に手招きをする。
ユウィルはベッドに入ると、昨晩と同じようにシティアの肩に顔を埋めた。家ではもちろん一人で寝ていたが、家族が近くにいない心細さからか、旅の最中は落ち着くからと言ってシティアの隣で寝ている。
シティアはそっとユウィルを抱きしめながら答えた。
「まったく怖くないわけじゃないけど、私は自分の力を信じてるし、それにユウィルにも期待してるわ。ほら、今日だって、私はユウィルを護るだけで、ユウィルがああして敵をやっつけてくれるから。あの戦い方が、一番効率がいいわね」
「あの魔法は……本当はタクトさんから、使っちゃいけないって言われてるんです」
「そうなの?」
シティアが不思議そうに尋ねると、ユウィルは小さく頷いた。
「あの魔法は強すぎるから。湖での戦いの後、タクトさんに使用を禁止されました。だから、森でも使わなかったんです。ほら、シティア様と初めて会った日」
その日、二人は森の中で狼に似た獣と戦っていて、ユウィルは瀕死の重傷を追い、シティアも剣を握る力すらなくしていた。ガルティスが現れたのもその時だった。
「そういえば、火と風みたいなのしか使ってなかったわね」
「強すぎる魔法は、いつか自分の身を滅ぼすって。それに、タクトさんはあたしが慢心するのを恐れていました。あたしは魔力が人より強いから、年を重ねるごとに集中力が出てきて魔法が上手になったら、間違いなく大陸で一、二を争う魔法使いになる。そうなった時に、今みたいに素直で謙虚なままいられるかって……」
「自信ないの?」
シティアが面白そうに聞くと、ユウィルは「わかりません」と答えてから、ぎゅっとシティアの服を握った。
ユウィルはもちろん自分を強いことを鼻にかけるような魔法使いになる気はなかったが、もしもタクトの言うとおり、大陸で一、二を争うような魔法使いになってなお、威張らずにいられるかは自信がなかった。
ユウィルが自分の才能に怯えていることがわかったから、シティアはそっとユウィルの額に口づけをして、優しい声で言った。
「ずっと私のそばにいなさい。私の専属の魔法使いになって。そうしたら、今日約束したとおり、生意気なこと言ったら引っ叩いてあげるわ。あなたを、私みたいにはさせない」
シティアは、力を込めてそう言った。
シティア自身が、自分以外の何者も信じることなく、ただその力だけを信じて、人を遠ざけ、時には王女の権力を振りかざして生きてきた。その結果、人民はおろか、城の兵士や従者にすら愛されも心配されもしない、孤独で寂しい人間になってしまったのだ。
ユウィルはシティアの身体にしがみつくと、一度大きく頷いて、ただ一言「はい」と答えた。
それからシティアは、しばらくユウィルの髪を撫でていたが、やがて何気なくユウィルに尋ねた。
「ユウィルは、研究所で教えられたわけでもないのに、どうしてそんな強い魔法を使えたの? タクトも使えるけど使わないだけ?」
ユウィルはシティアを抱きしめる手を緩めると、神妙な面持ちで顔を上げた。
「タクトさんは、あれを使えないらしいです。きっと、研究所ではあたししか使えません」
「魔力の関係? ユウィルは魔力が強いから……」
「いえ、イメージできないんです」
シティアは魔法について詳しくなかったが、ウィルシャ系古代魔法というものが、想像力が非常に重要であることは知っていた。魔法は、効果をイメージし、それを魔力を使って実体化させるのだ。
「あたしが森で使った火の魔法も風の魔法も、元々人を傷付けるためにある魔法じゃないんです」
「攻撃にも使えるだけってことね?」
「はい」
それからユウィルは、魔法の基本的な話をシティアに聞かせた。
ウィルシャ系古代魔法というのは、基本的には人間が手と道具を使ってできることを魔力でしようというものである。もちろん、無から火や水を作ることは手ではできないが、木を擦って火を熾したり、川から汲めば水もできる。
他に、風を起こしたり、明るく照らす光を出したり、物を触れずに動かしたり、そう言った日常生活に密接に関連することを行うのが魔法だった。例外的に空を飛ぶ魔法があるが、その本質は物を放り上げるのと同じ原理を使っていた。
「でも、タクトさんの話だと、あたしの使った魔法は、本質的に違う性質のものらしいんです」
「攻撃にしか使えないってこと?」
「そうです」
これもタクトが禁止した理由の一つだったが、ユウィルの放った光線は、人を傷付けるか、物を壊す以外に何一つ効果のないものだった。現象として存在しないものは想像することができない。だから、魔法として存在しない。
「ユウィルは、どうしてそんな魔法を使えるの?」
シティアはやや慎重に尋ねた。使えることが心配なのではなく、誰にもできないことをできることから生じる偏見や差別に悩まされはしないかと、不安になったのだ。
実際、シティアの不安と同じ心配をタクトもしており、それも魔法を禁止した理由の一つだった。ユウィルの才能は、あまり世に知られない方がいいという配慮だった。
「あたしは、昔あの魔法を見たことがあるんです。見たことがあればイメージもできるから。ほら、森でも、ガルティスが使った魔法を、あたしも使いましたよね? それで、シティア様には怖い思いをさせてしまったけど……」
見たことがあれば使うことができるというのは、ユウィルの誤解だった。タクトはユウィルが使ったのを見てなお、その光線は使うことができなかったし、ユウィルが使うことができるのは、ひとえにその才能のためだった。
もっとも、ユウィルは自分に人並み以上の才能があるとは思っていなかったので、当分の間その誤解に気付くことはなかった。
シティアはユウィルの話を聞いて、その「昔」のことが気になった。思えば、もう出会ってから数ヶ月経つが、ユウィルの過去はあまり知らない。
そう思って話を促がすと、ユウィルはその時のことを話し始めた。
「あたしがまだ6歳の時です。あたしの家はどちらかと言うと裕福だったらしくて、あたしは悪い人たちに誘拐されたんです」
「悪い人たち……」
シティアはその言葉の響きに、少し表情を崩した。実際は笑うところではなかったのだが、ユウィルが時々子供っぽいところを見せるのが好きだったのだ。
「その時、偶然マグダレイナを訪れていた魔法使いが、あたしを助けてくれたんです。あたしはその人の名前も知らないし、顔も覚えてないんですけど、あの光線だけは今でも鮮明に覚えています。それに、あたしを助けるために他にもいっぱい魔法を使っていました。あたしは、それを見て魔法使いに憧れるようになったんです」
「そんなことがあったの……。でも、じゃあその魔法使いは、タクトよりもすごい魔法使いだったのかも知れないわね。そんな魔法を使えたんだし。自分で編み出したのかしら」
力のある魔法使いは、恐らく自分で魔法も作り出せるのだろうと、シティアは思っていた。実際それはそのとおりで、ユウィルも無意識の内に他人にはできないことをいくつか為していたのだが、やはり本人は気が付いてなかった。
「どうでしょうね……」
ユウィルはそう相槌を打ってから、話を元に戻した。
「だから、あの魔法は今回もなるべく使わずにいきたいんです。今日は、他に誰もいなかったから使ったけど……」
「敵にはバレたわ」
「逃がすつもりはなかったんです」
ユウィルが残念そうにそう言ったので、シティアも「私もよ」と言って笑った。
「フラウスや、他に仲間がいたらその人たちにも、なるべくユウィルが他の魔法使いより強いことは知られない方がいいわね。今回はいいけど、広まればいつか危険にさらされるわ」
シティアの言葉に、ユウィルは不安そうな顔になった。
「あたしは、自分がそんなにすごい人間だとはとても思えません」
「そう思っている間は慢心することはないわ。でも、自分の能力を客観的に把握するのは大切なことよ? 今日だって、私はあの連中は一人でも片付けられると思ったから抵抗したけど、無理な戦いは挑まないわ」
「あたしにはどれだけのことができるんでしょう……」
呟いたユウィルを抱きしめて、シティアはその髪に頬を寄せて目を閉じた。
「これから把握していこう。きっと、自分でも怖くなるくらいの力があると思うわ。でも、怖がらないで。怖くなったらいつでも私にそう言って。私は、ありとあらゆる恐怖からあなたを護ってあげるから」
ユウィルも同じように目を閉じると、少しだけ布団の中にもぐってシティアの胸に顔を埋めた。
「うん……ありがとう。あたしも、あたしもきっとシティア様をお護りしますから……。二人で助け合いましょう……」
それっきり、二人はもう何も話さなかった。
シティアは胸の中の少女を愛おしく抱きしめながら、やがて小さな寝息を立て始めるまで優しく髪を撫で続けていた。
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