(ガルティスも逃がしたかも知れない……)
シティアは渋面になったが、ひょっとしてどこかに潜んで自分を狙っているかも知れないと考え直し、できる限り足音を忍ばせて先へ進んだ。
階段まで来ると、シティアは少し考えてから、下へ行くことにした。自分は落とし穴に落ちたのだ。だとしたら、ユウィルは上よりも下へ行った可能性が高い。
一階のフロアに降り立った時、広間の方から声がした。
「この穴、あの魔法使いが空けたのか?」
ウェルドだ。シティアが注意深く近付くと、壁のところにフラウスたちが集まっていた。壁には穴が空いており、どうやらその先にある何かを眺めているようである。
だが、そんなことはシティアにはどうでも良かった。フラウスの隣に、自分がこの6年間、一度として忘れることなく、恨み続けてきた男がいるのを見て、シティアはその顔から一切の表情を消した、
レイピアを握り直してゆっくりと近付くと、まずヘリウスが気が付き、それから三人も振り返った。
「シティアさん!」
フラウスが驚いたように声を上げて立ち上がる。ガルティスはなんとも言えない顔でシティアを睨み、ウェルドは緊迫した空気を和らげるように、乾いた笑いを浮かべながらシティアに近付いた。
「まあ、ちょっと待ってくれ、シティア。少し、話し合おうじゃないか」
「行くな、ウェルド!」
フラウスが大声を上げたが、遅かった。ウェルドがシティアまで数歩のところに近付いた瞬間、ふわっとシティアの身体が動き、ウィサン王家の紋章が彫られた美しいレイピアが、真っ直ぐウェルドの心臓を貫いていた。
「う、嘘だろ……」
ウェルドは愕然とした表情のまま崩れ落ち、最後に小さく息を吐いて事切れた。
「ウェルド!」
フラウスは青ざめて叫んだが、シティアは冷酷な瞳のまま、表情を崩さなかった。そして、その形の良い小さな唇を薄く開く。
「ガルティスを討つためなら、戦うことになってもいいって言ったの、フラウスだったよね?」
言い終えると同時に、シティアは床を蹴った。恐ろしいほどの瞬発力である。
一気に三人との差を縮めると、声を上げながらレイピアを突き出した。
フラウスは手にしていた剣でそれを弾き返すと、次の斬撃も受け止め、シティア以上の速度で斬り付けた。
それをわずかな動きで躱したシティアに、ヘリウスの剣が煌く。シティアはそれを頭上で受け止めると、ヘリウスの方を向いたままフラウスに剣を突き出した。
「くっ!」
フラウスは躱し切れずに、軽く腕を切られ、そこから血がしぶき上がった。けれど、ひるむことなくシティアに近付き、素手で服を掴もうとする。
ヘリウスがフラウスに加担するが、シティアは呆気なくそれを躱した。それどころか、ヘリウスのわずかな隙をついてレイピアを薙ぎ払い、太股を切り裂いた。
「つ、強い!」
ヘリウスは顔をしかめて一歩退いた。追撃しようとしたシティアの前にフラウスが立ちはだかり、数合打ち合う。
「シティアさん、これには理由があるんです! 聞いてほしい!」
「うるさい!」
フラウスの申し出は、余計にシティアを怒らせただけだった。そして、恐らく過去16年の中で、最も鋭い一撃がフラウスの肩に深々と突き刺さった。
「うがぁっ!」
フラウスは剣を落とし、床の上に崩れ落ちた。肩からは真っ赤な血が噴水のように溢れ、衣服が朱に染まる。
「フラウス!」
シティアが本気でとどめを差しに行こうとしたのを見て、ヘリウスが素早くその間に割って入った。
いかに相手に恵まれたとは言え、ヘリウスはマグダレイナの剣術大会で2回の優勝経験のある剣士である。エルクレンツではフラウスの他に右に出る者はない実力者だったが、それでもシティアの敵ではなかった。
額に突き出された、もはや目では追えない突きを辛うじて弾いて防いだのがヘリウスの限界で、次の一撃を腕に受け、バランスを崩したヘリウスの腹部を、シティアの剣が刺し貫いた。
「つ、強すぎる……」
ヘリウスは一度血を吐くと、気を失って倒れた。生命はあるようだが、このままでは時間の問題だろう。
「誰にも私の邪魔はさせない」
シティアは息一つ切らせてなかった。シティアの憎しみは、“剣聖”タウ・ユーゼンの弟子と剣術大会の優勝者の二人をもってしても止められるものではなかったのだ。
次元の違う強さ。そして、そこまで強くならざるを得ないほどシティアを精神的に追い詰めた魔法使いは、戦いの最中に20メートルほど離れた場所まで退いていた。
逃げたわけではない。そこからシティアがこの20メートルという距離を縮める間に、自分のすべての力を出し切って勝負しようと考えたのだ。
「やはりあの時殺し損ねたのがいけなかったな」
ガルティスの言葉に、シティアは皮肉っぽく笑った。
「そうね。ウォードは死んだわ。殺されたくなければ、確実に相手を殺さなくちゃいけないのよ。私は、必ずお前を殺す」
シティアが軽く床を蹴った。
ガルティスはシティアの身体に無数の傷跡を残した風の刃を叩きつける。
もしもユウィルと出会う前ならば、シティアはその魔法の前に屈していたかもしれない。魔法というものが絶対的な力を持ち、まるで理解できない複雑な原理によって発動しているのだと思っていた頃ならば。
だが、今のシティアは違った。
(この風の刃は、ただ見えないというだけで、鋭利なブーメランと同じなのよ。幅も厚みもある)
シティアが軽く横に飛ぶと、そのすぐ脇を風が轟音を立てて擦り抜けていった。シティアに怪我はなかった。
ユウィルと出会ってから、シティアは魔法の知識を得た。そして、魔法がごく物理的なことしかできないことを知り、いくらイメージを具現化するとは言え、ある程度の種類があることも知った。
シティアがガルティスに襲われた後、シティアの父親である国王ヴォラードは、魔法使いに対抗するために魔法研究所を設立した。
けれどシティアは、そのことで家族を憎み、研究所も遠ざけた。魔法など知りたくもなかったのだ。
だが、ユウィルと出会って、それが間違いだったとはっきりわかった。シティアは両親に感謝し、魔法研究所で魔法を研究するべきだったのである。
ガルティスの二撃目を、シティアは鋭くレイピアを振ってかき消した。
「何っ!?」
ガルティスが驚愕の眼差しを向けたが、シティアは特別なことをしたつもりはなかった。刃が鋭い風の流れでしかないならば、同じだけの鋭さで空気を切り裂けば、刃はひずんで消えるのである。火の魔法は水をかければ消えるのだと、ユウィルが教えた。
三撃目を撃たせるほど、シティアの動きに無駄はなかった。
「くそぅ!」
ガルティスは剣を引き抜いたが、フラウスとヘリウスに止められなかった剣を、素人のガルティスに止められるはずがない。
強烈な一撃がガルティスの右手首を貫き、骨の砕ける音とともにガルティスは絶叫した。
膨大な量の血が流れ、ガルティスは手首を押さえてのた打ち回る。
それを、シティアは冷酷な目で見つめていた。
「ウォードは一瞬で殺したけど、お前はなぶり殺す!」
シティアは剣を振り上げると、それをガルティスの左足首に突き立てた。それから切っ先で両目を抉り、左腕の腱を断つ。
ガルティスはそこで気を失い、シティアは不愉快そうに表情をゆがめた。
「ユウィルがいれば、目を覚まさせることもできるんだけど……」
仕方ないかと思い、一度深く息をして、この6年を振り返った。
ひたすら剣を振り回し、森で獣や野盗と戦って鍛え、自分以外の何者も信じず、両親や兄や、幼なじみのサリュートさえ遠ざけてきた。王女でありながら国民には信頼されず、毎日のように陰口を叩かれ、誰からも愛されず、見捨てられ、孤独の日々を生きてきた。
何度も夢にうなされ、一人で恐怖に震えて泣いた夜もあった。
そんな絶望と苦しみの中で、シティアを支え続けたのがガルティスへの恨みと憎しみだった。自分を襲った魔法使いを殺すことだけを夢見て、ただひたすら生き続けて来たのだ。
その復讐が叶った後の日々を、不安になることもあった。もしもこの憎しみがなくなってしまったら、自分は何を拠り所にすればいいのかと。
一時は、魔法使いはこのまま二度と現れない方がいいと思ったことすらあった。だが、今は違う。
(私にはユウィルがいる。昔の私に戻るんだって、サリュートとも約束した。こいつを殺して、私は過去と決別する!)
シティアは切っ先をガルティスの胸の上に掲げると、これまでのありとあらゆる憎しみを込めて突き下ろした。
切っ先は正確にガルティスの胸板を突き破り、ガルティスは声もなくその生涯を終えた。
シティアはしばらくそのままガルティスの顔を見つめていたが、いきなり背後からした悲鳴に我に返った。
「お、お父さん!」
半ば無意識にレイピアを抜き、シティアは油断なく身構えて振り返った。
フラウスとヘリウスが倒れているそばに、二人の少女が立っていた。
「ユウィル……」
シティアが呟くと、小さな魔法使いの少女は何も言わずに、ただ悲しそうに笑って頷いた。
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