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湖の街の王女様2 怨望の死闘
6年前、魔法使いの刺客に襲われてから、王女シティアは彼を殺すことだけを考えて生きてきた。そんなシティアのもとに、マグダレイナの剣術大会で出会った青年フラウスから手紙が届く。──『王女の恨む魔法使いガルティスの情報をお教えします』。手紙を読んだシティアは、積年の恨みを晴らすべく、魔法使いの少女ユウィルを伴ってウィサンの街を後にする。

 後ろにいた男たちは、メデルィンを殺されすっかり戦意を喪失していた。シティアがレイピアを抜いている間に、背中を向けて駆けていく。
 シティアは追いかけようか迷い、ちらりと背後を振り返った。期待通り、ユウィルは魔法を使おうとしていた。
 ユウィルは十分な魔力を集め切れていないと思ったが、人間相手なら十分だと判断し、魔法として形を取れるぎりぎりのところで目を開いた。もちろん、タクトに禁止されている光線の魔法である。これ以外に、数十メートル離れた相手を撃つ魔法を、ユウィルは知らない。
 光は真っ直ぐ迸り、男たちを飲み込んだ。それほど太いものではないので、一人は逃したがこの際構わないだろう。
「行こう、ユウィル! ウォードはこの先にいる!」
 シティアが元気に駆け出すと、ユウィルは大きく頷いて後に続いた。
 しばらくも行かない内に、通路の右手に一際立派な扉が現れた。シティアが油断なく構えながらそれを押し開けると、果たして中には見覚えのある金髪の青年が悠然と立って、二人を待ち構えていた。
「ようこそ、シティア王女」
 ウォードは手にした小剣を巧みに振り回しながら、余裕の表情を浮かべていた。なかなかの使い手のようだが、メデルィンの比ではない。
「今そこで、デックヴォルトの騎士さんを倒したわ。あんたでは、私には勝てない」
 ゆっくりと部屋に入りながら、シティアは鋭い眼差しで言い放った。
 シティアは目の前の男をすぐに殺す気はなかった。事の真相を聞き出さなければ、真実は永遠に失われてしまうかも知れない。
 もう一歩踏み出したとき、いきなり床が二つに割れ、シティアはバランスを崩した。
「きゃあぁっ!」
「シティア様!」
 ユウィルが慌てて手を伸ばしたが、間に合わない。
 シティアは小さな悲鳴を残して穴の中に落ちていき、床は何事もなかったかのように元に戻った。
「そう。別に俺が戦う必要はない。さて……」
 ウォードは小さく笑ってからゆっくりと顔を上げた。残された魔法使いは、一人では何もできない。まずは小娘の息の根を止めてから、ゆっくりとシティアをなぶろう。
 そう考えていたウォードだったが、顔を上げた瞬間、思わず驚きに眉を上げた。それから、楽しそうに声を立てて笑う。
「なかなか面白い娘だ」
 ユウィルは、シティアが穴に落ちた瞬間、一目散にその場から逃げ出していた。
 数日前、ユウィルはシティアに言われた。自分の能力を客観的に把握するのは大切だと。
 あの場に残っていたところで、ユウィルにできることは何もない。ならば、一旦退いて、シティアを助ける機会を窺った方がよいだろう。
 もしも落とし穴の下に剣山でもあれば、すでにシティアの命はないが、ウォードはあの時、シティアが生きていることに対して、「今はそれで良かったと思っている」と言っていた。
 何をするかは、ユウィルの知識ではわからなかったが、少なくともいきなり生命を奪われることはないはずだ。
 ユウィルは一度振り返り、誰も追ってこないことを確認すると、慎重に歩くことにした。城内は比較的静かになっている。もうあまり敵は残っていないのかも知れない。
 ユウィルは階段を使って一階のフロアに降り立つと、すぐに先ほどウォードがいた部屋の真下に行ってみようと考えた。その時だった、奥の方から聞き覚えのある声がして、ユウィルは咄嗟に柱に隠れた。
「くそぅ。リアはどこにいるんだ!」
 苦々しそうにそう言ったのはフラウスだった。ユウィルはちらりと覗き込み、そして心臓が止まりそうになるほどの衝撃を受けた。
 フラウスはヘリウスとウェルドの他に、もう一人、青髪の男を伴っていたのだ。そしてユウィルは、その男に見覚えがあった。間違いなく、夏にウィサンの森で襲いかかって来た魔法使いだった。
(あれは、ガルティス! どうして……)
 ユウィルが柱の陰で震えていると、四人はユウィルに気付かずに、どこかへ行ってしまった。
 ユウィルはその後ろ姿をもう一度確認したが、ガルティスは確かにフラウスと協力し合っていた。
(シティア様……)
 ユウィルは冷静になって考えようとしたが、シティアが近くにいない今、心を落ち着けるのは無理だった。ただ、フラウスがシティアをだましていたことはほぼ間違いなく、とにかくシティアを助け出して、このことを伝えなくてはいけないと思った。
 ユウィルは足音がしないのを確認すると、目的の場所に駆けた。ところが、ユウィルの計算ではウォードがいた部屋の真下と思われる場所には、壁しかなかったのだ。
(場所が違う? それとも、他のところから入るのかも……)
 ユウィルはそこの壁を魔法で崩してみようと思ったが、背後から凄まじい殺気を感じて、反射的に飛び退いた。
 カツッと鋭い音を立てて、一本のナイフが先ほどまでユウィルのいた壁に突き刺さった。
「ほう。魔法しか芸がないかと思ったが、よく避けたな」
 現れた男は30歳くらいだろうか、整った顔立ちをしているがあまり目つきは良くなく、口元は皮肉な形にゆがんでいた。服にはキラキラした飾りが多く、布も上質のものを使っているのがわかった。
 彼が盗賊団の頭領、オーリその人だったが、ユウィルは彼が誰であろうがどうでも良かった。
 素早く壁からナイフを引き抜くと、ユウィルは階段に向かって駆け出した。
「待て! お前たちは一人も逃がさん!」
 再び飛んできたナイフが肩をかすめた。
「痛っ!」
 よほど切れ味がいいのか、ナイフは服を切り裂き、じわりと血が滲む。けれど、それが外れたのはユウィルには幸運だった。
 階段まで来ると、ユウィルは素早く上に駆け出した。
「この小娘が!」
 オーリは憎しみを込めてそう吐き捨てると、再びナイフを投げつけた。けれどそれは階段の壁に突き刺さっただけで、ユウィルの姿はすでになくなっていた。
「逃がすか!」
 オーリは素早く階段を駆け上がった。いくら小さくても、相手は魔法使いである。もしもたったの10秒でも余裕を与えれば、自分の生命はないだろう。
 二階のフロアに辿り着くと、そこにはすでにユウィルの姿はなかった。注意深く辺りを窺ったが、足音は聞こえないし、通路の先にもいない。通路には隠れる場所はない。
「この辺りの部屋か……」
 階段のそばには3つほど部屋があったが、その内の2つはドアが開け放たれていた。オーリはまず一つ目の部屋に近付き、壁に張り付くと、慎重に中を覗き込んだ。けれど、部屋には人の気配はなく、素早く中に入ってみたが、少女の姿はどこにもなかった。
 同じように二つ目の部屋も見てみたが、やはり人影はなかった。隠れている様子もない。
(残るはここか……。正面から入ると危険かも知れないな……)
 オーリは残りの部屋のドアの前に立つと、蹴り開けると同時に床に伏せた。恐らく魔法使いはドアの正面に立ち、入ってきたところを狙い撃ちにしようとしているはずだ。
 ところが、オーリの予想は外れ、魔法は飛ばなかった。
(時間差か!?)
 だとするといつまでも寝ているのはまずいと思い、素早く立ち上がった。しかし、オーリの目に映ったのは、部屋の中の開け放たれた窓だけだった。
「小娘、外に逃げたのか!」
 考えてみれば単純なことだった。恐らく、初めはどの部屋のドアも開いていたのだ。そして、階段とは逆側にあったこの部屋だけが表に面していることを知り、少女はこの部屋に飛び込んだ。
「くそぅ。逃がすか!」
 オーリは部屋の中に駆け込むと、バルコニーの手すりから身を乗り出して庭を見下ろした。刹那、背中に焼けるような痛みを感じ、次の瞬間、肺から血が逆流してオーリは吐血しながら崩れ落ちた。
 ユウィルは外に逃げたように見せかけて、ドアのところに隠れていたのだ。事態はもっと単純だったのだと思いながら、オーリは意識を手放した。盗賊団の首領の、呆気ない最期だった。
 ユウィルはオーリが動かなくなったのを確認してから、ナイフを引き抜いた。途端に傷口から勢いよく血が噴き出し、それを避けようとして尻餅をつく。
 自分の手に残る感触に吐き気がしたが、大きく首を振ってそれを堪えた。そして、人を殺すのがどういうことなのか、少しだけ理解した。
(魔法は、人を簡単に殺せすぎる……。一人刺すたびにこんな不快な感触を味わっていたら、あたしはきっとすぐにおかしくなる……)
 ユウィルは手にべっとりとついたオーリの血をカーテンで拭いながら、シティアのことを考えていた。シティアは自分と同じように簡単に人を殺せるし、シティアもまた、ユウィルが人を殺すことに躊躇しないことを知っている。
 けれどそれは、まったく同じ強さではないことが、今はっきりとわかった。生まれて初めて人を刺して、ようやく気が付いたのだ。
(シティア様、私が人を殺せるのは、ただ魔法を使っているから、それだけなんです)
 カーテンから手を離すと、血は多少薄くなったが、完全には落ちていなかった。ふと床に目を遣ると、すでに事切れているオーリと目が合い、ユウィルは思わず口元を押さえた。そして、その手から血の匂いがすると、とうとう床に膝をつき、胃の中のものをすべて吐き出した。
「はぁ……はぁ……」
 しばらく焼けるような喉の痛みと戦っていたが、やがてふらりと立ち上がり、部屋を出た。
(あたしは、シティア様を助けなくちゃ……。そして、この苦しみから、助けてもらおう……)
 ユウィルは一度苦い味のする唾を吐くと、もう一度先ほどの場所に戻った。そして、チョークで魔法陣を描くと、そこに穴を空ける。
 いきなり交戦になる覚悟もしていたのだが、期待に反してそこに二人はいなかった。場所を間違えたのか、あるいは落とし穴の底は思いの外浅かったらしい。
 もしも後者であれば、すぐ上にシティアがいることになるが、ユウィルは眼前の光景に気を取られ、自分の真上にシティアがいることを考え付かなかった。
(階段?)
 ユウィルの壊した壁の向こうは小さな部屋になっており、左手に扉、そして奥に地下へと続く階段があったのだ。
(地下牢じゃない。見取り図にはこんな部屋はなかった……)
 真っ暗なその階段はひどく不気味に映ったが、ユウィルは勇気を出して部屋に足を踏み入れた。
 先に左の扉を引いてみたが、すぐそこに恐らく棚か何かの裏側だと思われる木製の壁があり、向こう側には行けなかった。恐らく、隠し扉になっているのだろう。この扉から来るのが正規のルートなのだ。
「行こう」
 ユウィルは魔法の光を飛ばすと、オーリから抜き取ったナイフをしっかりと握りしめて、ゆっくりとその階段を下りていった。

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