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湖の街の王女様2 怨望の死闘
6年前、魔法使いの刺客に襲われてから、王女シティアは彼を殺すことだけを考えて生きてきた。そんなシティアのもとに、マグダレイナの剣術大会で出会った青年フラウスから手紙が届く。──『王女の恨む魔法使いガルティスの情報をお教えします』。手紙を読んだシティアは、積年の恨みを晴らすべく、魔法使いの少女ユウィルを伴ってウィサンの街を後にする。

 エルクレンツまで後1日という、街道沿いの小さな町に着いたのは、ウィサンを出てから6日目の夕方だった。
「あ、シティア様! 町です、町!」
 前方に見えてきた民家の屋根を嬉しそうに指差しながらユウィルが言うと、シティアは疲れ切った様子で溜め息をついた。
「見ればわかるわよ」
「シティア様、もっと喜んでくださいよ」
 残念そうにユウィルが言ったが、シティアはそれに返事をしなかった。
 シティアは旅には不慣れだったが、もちろんこれくらいで音を上げるような娘ではない。にも関わらず、たかが6日の行程で返事をするのも億劫になるほど疲れているのは、今朝からほとんど何も口にしていないせいだった。
 一つ前の村を出たとき、食糧の調達をしなかったのだ。まさか次の町まで3日もかかるとは思ってなかった。
 もちろん、何も口にしていないのはユウィルも同じで、つい先ほどまでは、シティアより遥かに無口で、今にも倒れそうな表情で歩いていた。その反動だろう。
「ようやく食べ物にありつけますね。早く行きましょう!」
 ユウィルはそうはしゃぎながら、顔を綻ばせてシティアの手を取った。
 シティアはそんなユウィルを見ながら、まるで小さな子供のようだと思ったが、実際ユウィルはまだ13なので、歳より幼いわけではないと思い直した。魔法研究所で大人たちに囲まれているせいか、いつものユウィルが大人び過ぎているのだ。
 ユウィルに引っ張られるまま町に入ると、シティアは町の空気が冷たく張り詰めているのに気が付いた。時間の割に子供の姿が少なかったし、旅人でもないのに剣や棒を帯びている者が多い。シティアたちを見る目も警戒の色を帯びており、また何かに怯えているようにも見えた。
「なんだか怖い町ですね。早くお店を探して、宿を見つけましょう」
 ユウィルが気楽そうに言って、シティアは思わず苦笑した。小さなユウィルも、この異様な空気に気が付いたのだ。にも関わらず、別に大したことではないように言って退けるその度胸が心地良い。
「ユウィルは怖くないの?」
 可笑しそうにそう聞くと、ユウィルが驚いたように顔を上げた。
「シティア様は怖いんですか? あたしは、シティア様がいるから安心していたんですけど」
 シティアはとうとう声を出して笑った。いつかマグダレイナまで旅をしたとき、兄のエデラスに「頼りになる護衛」だと言われたが、ユウィルにとってもそうらしい。
「私も、ユウィルがいるから別に怖くないわ。いざとなったら護ってくれるんでしょ?」
「あ、あたしがですか!? 無理ですよ、そんな。あたしはシティア様に護ってもらうんです」
 ユウィルはそう言って自信満々に頷き、シティアはもう一度笑った。もちろん、ユウィルが本心から言っているわけではないことは承知の上だ。
 あまり流行っていなさそうな酒場を見つけると、二人はそこに入った。店を選んでいる余裕すらなかったのである。
 大量のパンとスープ、それから随分値段の張る肉料理をいくつかと果物のジュースを頼むと、二人は何も話さずにそれらを食べた。
 料理を運んできた主人が呆れながら言った。
「うちの飯をそんなに美味そうに食う客は初めて見たよ」
 ユウィルは一度手を休め、謙虚に「美味しいですよ」と言って微笑んだが、シティアは「お腹が空いてると、なんでも美味しく食べられるわね」と、手を休めずに答えた。
「その様子だと、ユルクの方から来たんだろ? しばらく町も村もなくて、食い物にありつけなかったってところか?」
 主人がからかい気味に尋ねると、ユウィルが恥ずかしそうに顔を赤らめて苦笑いした。
「ええ、まあ」
 食事を終えると、二人はパンと干し肉を調達し、水筒の水も補充した。
 一番初めに見つけた宿屋で部屋を取ると、シティアは荷物を置いて一度下に降りた。ユウィルは旅の疲れが出たのか、ベッドに横になるとすぐに眠ってしまった。
 食堂のカウンターに座り、果実酒を注文すると、シティアは宿屋の従業員を捕まえて、町の武装している人々について尋ねた。
 従業員の青年は一度店内を見渡し、仕事がなさそうなことを確認すると、シティアの隣の椅子に座った。それから声のトーンを絞って話し始めた。
「オーリという男をご存知ですか?」
「オーリ? 知らないわ」
 シティアが首を傾げると、青年は二度頷いてから言った。
「エルクレンツの北の森に居を構える盗賊団の親玉です。まだ若いらしいですけどね」
「ふ〜ん。それで、その盗賊たちが悪さしてるの?」
「そうです。近隣の町村はもちろん、エルクレンツでも被害が出ています」
「よくある話ね。エルクレンツの貴族たちは何もしてないの? あ、この人借りてます」
 主人がカウンターから出した果実酒を差し出しながら、さぼっている青年を睨み付けたので、シティアは助け舟を出した。
 主人はあまりいい顔をしなかったが、シティアが銀貨をテーブルに置くと、何も言わずに奥に下がっていった。
「街の人間も、なんとかしようと頑張ってるみたいなんですけどね……。上手くいってないようです」
 青年の話では、森の奥には、ガリエの城という古城があり、オーリたちはそこをアジトにしているらしい。また、盗賊団というよりは半ば軍隊に近く、今では100人を越えるという。
「100人もいるの。どこからまた、そんなに」
「デックヴォルトです」
「ああ、なるほどね……」
 デックヴォルトというのは、ウィサンの遥か北東、フルースベルク半島の一番南に位置する国である。元々痩せた土地だったが、この夏に旱魃で作物に壊滅的な被害が出て大打撃を受けたという話だ。
「オーリの部下にはメデルィンという、元はデックヴォルトの騎士だった男もいて、こいつが滅法腕が立つそうです。統制もとれていて、軍隊で押し寄せてもことごとく返り討ちに遭っているとか……」
 シティアはしばらく考えてから、ふと思い付いて聞いてみた。
「そのオーリの部下に、魔法使いはいる?」
 もしかしたら、というシティアの考えは、少なからず当たっていた。
「ええ、いるそうです」
「名前は?」
「いえ、そこまでは。でも、そいつも相当の使い手らしいですよ。今のところはオーリは金や食べ物しか奪いませんが、ひょっとしたらいずれはエルクレンツを落とす気でいるかも知れません。そういう噂もあります」
 それは、シティアにはどうでもよいことだった。ただ、その盗賊団に魔法使いがいるという事実と、フラウスがシティアを呼び寄せた理由が一致した気がしたのだ。
(ガルティス……)
 フラウスの手紙で初めて知った憎き仇の名を心の中で呟くと、青年が不安げな眼差しを向けた。
「お客さんも、これからエルクレンツに向かうならくれぐれも気を付けてください。それから、余計なお世話かも知れませんが、相手の力を見くびらないことです。抵抗して命を落とした人もたくさんいますから」
「ええ、ありがとう」
 シティアは礼を言って立ち上がると、真っ直ぐ部屋に戻った。いつの間に起きたのか、ユウィルがふてくされた顔で座っていて、シティアを見ると食ってかかった。
「シティア様、どこへ行っていたんですか! 心配したんですよ?」
「心配してた割には、ずっとここにいたのね?」
 シティアは着替えるために旅装束を解いた。ユウィルは何か言い返そうとしたが、シティアの傷付いた身体を見たら、何も言う気がしなくなった。シティアは他の誰にも肌を見せないが、すでに一度見られているユウィルの前では平気で服を脱いだ。
 水で濡らした布で身体を拭きながら、シティアはユウィルにたった今食堂で聞いた話をした。
 話を聞いたユウィルは、大袈裟に腕を組んで考える素振りをしてから、自信のなさそうな声を出した。
「もしフラウスさんの目的が、その盗賊団を潰すためだとしたら、タクトさんを連れてきて欲しいって言ってきたことに、他意はなかったかも知れませんね」
「そうね。だけど、フラウスは何者かしら。オーリを個人的に恨んでいるのか、それとも、エルクレンツの回し者か」
 ユウィルの座っているベッドに横になって頭の後ろで手を組むと、シティアは静かに目を閉じた。
「シティア様、そんな格好で寝たら、風邪を引きますよ?」
「まだ寝ないわよ。まあ、フラウスについては、エルクレンツに行けばわかるから考えてもしょうがないわね。後は、今夜とか明日、そいつらに絡まれないことを願うだけね」
 大抵こういう場合、夜に襲撃を受けるものだ。物事はいつだって悪い方に進む。
 シティアがそんなことを考えていると、ユウィルが楽しそうに声を弾ませた。
「絡まれた方がいいんじゃないですか? 同じ100人を相手にするのでも、一人ずつの方がずっと楽ですよね? 少しずつ数を減らした方がいいと思いませんか?」
 シティアは思わず目を開けて、首だけ上げてユウィルを見た。
「ユウィルって、過激なこと言うのね」
「そうですか?」
 ユウィルは別に変なことを言ったという自覚がないらしく、怪訝そうな顔をしてからシティアの隣に寝転がった。それから母親にしがみつく子供のようにその身体を抱きしめると、シティアの肩に顔を埋めて目を閉じた。
「あたしは、早くシティア様に恨みを晴らして欲しいんです。そして、シティア様が本当は優しくて可愛い王女様なんだって、みんながちゃんとわかってくれる日が、早く来て欲しいんです」
 ユウィルは目を閉じたまま、そっとシティアの腹に触れて、傷跡を指でなぞった。でこぼこしたその感触は痛々しく、16歳の少女にはあまりにも重たいものに思えた。
「くすぐったいわ、ユウィル」
「うん……」
 ユウィルは気のない返事をすると、すぐに小さな寝息を立て始めた。
 シティアはもう片方のベッドから布団を引っ張り取ると、それを自分たちの上にかけ、そっとユウィルの身体を抱きしめた。
 シティアも疲れのせいか、目を閉じるとすぐに眠りに落ちていった。
 その夜は、シティアの予想を裏切り、静かに更けていった。

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