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魔法師ミラン2 黄昏の街角

 開かれた入り口から、強い日差しが陰鬱とした道場に入り込んできた。
 逆光の中に、ふわふわと髪の毛が揺れる。ほっそりとした身体は女性特有のもので、ウエストできつく締められた武道着の帯がよりそれを強調していた。
 魔法師の少女はニ歩ほど中に入ると、状況を理解したらしい。射るような鋭い瞳を子供たちに向けた。
 クレスが俺に背中を向けて、ゆっくりと彼女の方へ歩いていく。そして、彼にしては低い声で言った。
「僕は、お前たちを殺さないといけないかも知れない」
 彼は道場の中央付近まで歩いて、足を止めた。そして着ている服を動き易いように正す。
 ミランはさらに数歩中に歩を進めると、やがて足を止めてクレスを見据えた。
「エリアスを放して、お金を返しなさい」
 ようやく細かい表情までわかる位置まで来て、俺は思わず舌打ちをした。
 ミランが冷静さを失っていたことに対してではない。彼女が、本気で怒っていることに対してだ。
「ミラン。相手は子供だ!」
 俺は大声で怒鳴りつけた。突然だったからか、周りにいた子供たちが身をすくめる。
 けれど、ミランの答えは俺の望んでいたものではなかった。
「子供だったら何をしてもいいの?」
 真っ直ぐクレスを睨みつけるミランは、目の前の少年を殺すことをまるで厭わない顔をしていた。
 彼女は探検家だ。俺と旅をする中で、すでに何人もの人を殺めている。相手が悪人でありさえすれば、クレスやここの子供たちとて躊躇せずに殺すだろう。
 そんな、人殺しが半ば当たり前のように行われる世界などまるで知らないクレスが、あくまで強気に言い放った。
「僕たちにはお金が必要なんだ。もらえない限りあの人は放せないし、お前も帰すわけにはいかない」
 先にクレスが床を蹴った。
 俺は最悪の展開は免れたと、内心でほっと息を吐いた。
 ミランが用いる黒魔法は、正確に陣を描く必要があるため、発動までに時間がかかる。つまり、接近戦には使えないということだ。
 これでクレスが殺される心配はなくなった。
 別に彼がどうなろうと知ったことではないのだが、目の前で仲間が子供を殺す様を見るのは寝覚めが悪い。
 それに、ミランではクレスには勝てない。彼は、彼女が思っているよりも遥かに強い。
 二人とも捕まって金を出さなくてはならないというのは、探検家としてはあまりにも情けない姿だが、まあ旅の間にはそういうこともあるだろう。敗北は誰もが経験するものだ。俺だってこれまで勝ち続けてきたわけじゃない。
 クレスは小さな身体を利用して、彼女の足に鋭い蹴りを放った。
 ミランはそれを最小限の動きで後ろに躱すと、左足を軸にして回し蹴りを放つ。あまりに洗練されたその動きに、俺はいつの間にあんなものを覚え、練習したのかと不思議に思った。
 恐らく天性のものだろう。彼女は魔法師として有名だが、才能は体術の方にある。
 クレスの頭を彼女の靴の踵が襲いかかったが、少年はそれを屈んで避けると、さらに踏み込んでまだ体勢を立て直していない少女の腹部に拳を埋めた。
 一瞬後ろに身を逸らせてなかったらそれで決まっていただろう。
 ミランは5メートルほど吹っ飛び、床に転がった。けれど、すぐに立ち上がり身構える。
 ダメージは少なくないはずだ。事実、彼女の両足はわずかに震えていたし、先程よりも息が荒い。
 それでもミランは、決して弱気なところを見せなかった。
 前の冒険で、半年も森の中で暮らしてきたのだ。食うか食われるか。そんな中での生活は、彼女を一回りも二回りも大きくしたらしい。
 気を吐いて再びクレスが襲いかかる。
「せいっ!」
 鋭い突きが彼女の胴に繰り出された。
 ミランはそれを膝で受け止め、そのまま蹴りを放つ。
 クレスは身を逸らせてそれを避け、屈みこんで足払いをかけた。
 ミランはそれを後ろに跳んで躱した。
 けれど、着地した瞬間、彼女の身体がぐらりと揺らいだ。やはり先程のダメージが残っていたのだ。
 バランスを崩した彼女の隙を逃すクレスではない。少年はすり足で彼女との間合いを詰めると、俺に気を失わせたあの体重を乗せた突きを打った。
「ミラン!」
 思わず俺は声を上げた。体勢から見て、クレスの拳はミランの鳩尾よりだいぶ下にある。あそこを強打されると、女性として致命的なことになりかねない。
 俺は思わず青ざめたが、次の瞬間、宙に3メートルほど浮かび上がったのは少年の身体だった。
「な、なんだ……」
 俺だけじゃない。周りにいた子供たちも、信じられないものを見たように呆然としている。
 クレスはドサッと床に落ちて、そのまま動かなかった。生きてはいるようだが、気を失っているらしい。
 俺は一瞬魔法を使ったのだと思ったが、そうではなかった。
「カウンターだ……」
 呟いたのは、ミランから銀貨を盗んだケイだった。ちらりと見上げると、まさかクレスが負けるとは思ってなかったらしく、青ざめて震えている。
「強い……」
 ミランは軽く服の埃を払うと、再び子供たちの方を睨みつけた。
「その人を放しなさい」
 そう言いながら、ゆっくりと歩を進める。
 予想外の展開だった。仲間を信じてないわけではなかったが、まさか彼女があの少年に勝つとは思ってなかった。
 一体彼女は、どこまで可能性を秘めているのだろう。
 どんどん強くなっていく少女を見て、俺はそんな彼女が自分の仲間である喜びと同時に、果てしない恐怖を覚えた。
 その時、ふと何か冷たいものが首筋に当てられた。ナイフだ。
「う、動くな! 動くとこいつを殺す!」
 ケイかと思ってみたが、そうではなかった。別の少年だが、あからさまに怯えている。とてもではないが、本気で俺を殺せるとは思えない。
 だが、ミランを刺激するには十分だった。
 ミランはぴたりと足を止めると、ふっと手を上げて宙に円を描いた。子供たちは何事かと、ぽかんと口を開けている。
 俺だけが知っている。彼女は魔法を使う気だ。あれだけ使うのを嫌がっていた魔法を。
「ミラン、こいつらに俺を殺す度胸なんかない! 熱くなるな!」
 まるで画家が絵筆を走らせるように彼女が手や指をなめらかに動かすたびに、だんだんその軌跡が輝き始めた。
 恐らく魔法など見たことがないのだろう。少年たちが震え、ミシルが涙を滲ませながらそれを抱きしめた。
「ミランッ!」
 俺が叫ぶのと、彼女の魔法が完成したのはほぼ同時だった。
 魔法陣から雷撃のような光が迸る。
 子供たちの悲鳴。その後に続く爆発音。道場が大きく揺れた。
 ゆっくり目を開けると、周囲で子供たちが放心したように座り込んでいた。勝気なケイですら泣き出しそうな顔をしているし、ミシルに至っては卒倒して床に伏していた。
 それでも、みんな無事のようだった。ミランは脅しとして魔法を使ったのだ。天井か壁か、ここからではどこが崩れたのか見えないが、道場の被害は少なくないだろう。
 まあ、生命だけでも助かったことを感謝して欲しい。
 ふと見上げるとすぐそこにミランがいて、唇をかんで俺を見下ろしていた。子供たちには、もはや戦意のかけらもない。
 少女は俺の前で片膝をつくと、腰からダガーを抜いて縄を切った。同時に、俺の胸に飛び込み、ギュッと強く背中を引き付けるように抱きしめる。
「心配……させないで……」
 声が涙で震えていた。
 そっと抱きしめ返すと、ミランは嗚咽を洩らした。
 これが先程まで、まるですべてを滅ぼす悪魔のような冷たい目をしていた少女なのだろうか。俺はあまりにも弱々しいその肩を抱き、髪を撫でてやりながらそう思った。
「すまない、ミラン……」
 素直に詫びを言うと、ミランは涙に濡れた顔を上げて微笑んだ。悪魔から一変、天使と見まごう笑顔だった。
「それじゃあ、俺たちは帰らせてもらう。金は返してもらうぞ」
 俺は立ち上がると、辺りを一度見回した。縛られていた柱の向こうの壁に、大きな穴が開いていた。相変わらずすさまじい威力だ。
 いつかエルザーグラの森で、シドニスという武器商人を消滅させたときと同じ魔法らしい。魔法は壁に穴を空けた後空に上がっていったようで、向こう側の家屋は無事だった。
 そこから少しだけ視線を横にずらすと、4本の足のついた棚があり、空けられた開き戸の奥にたくさんの袋が見えた。
「あれか」
 俺はミランを伴ってそちらに歩き出した。もはや誰も引きとめようとしない。
 絶望的な表情で、ただ子供たちのすすり泣く声だけが聞こえてきた。
 ただ、一人を除いて。
「お願いだから、それを持っていかないで……」
 振り返ると、クレスが瞳を潤ませて立っていた。先程のミランの魔法の衝撃で目を覚ましたのだろう。
 もはやなりふり構わず俺たちの足元まで来ると、土下座して額を床に擦りつけた。
「お願いです。お願いですから、僕たちにお金をください! お願いします!」
「私たちが、あなたを助ける理由が、何一つとして見当たらない」
 ぴしゃりと言い放ったミランの声は、まるで氷のように冷たかった。
 内容に反対はしないが、もう少し言い方はないのだろうか。この刺は若さゆえかも知れないが、早めに取らなければ無駄に敵を増やすだろう。
 とうとう大声で泣き出したクレスに背を向け、ミランは自分が取られた二つの袋を手に取った。それから依頼主の指輪を探す。
 確かにリッジェルトの言った通りの青銀色の美しい指輪が、袋の一つに入れられていた。魔力で表面がうっすらと光っている。
 内側に何か細かい文字が彫られていたが、俺にはまったく読めなかった。そもそも文字かどうかすら疑わしい。
「読めるか?」
 俺が囁くように問いかけると、ミランはいつもの学者然とした真剣な瞳でそれを見つめた。
「『東に大河。豊かな恵みをもたらすだろう』ずっと昔の、まだファミアールが街として生きていた頃に使われていた文字ね」
 ファミアールとは、今から10年前にエルザーグラの森の中で見つかった遺跡である。800年ほど前に戦争で滅んだという記録を最後に、歴史から姿を消していた。
「魔法は、ちょっとよく調べてみないとわからない。ただ、これは元々指に填めるものじゃなくて、儀式か何かに使われるただのマジックアイテムね。形状は何でも良かったのよ」
 ミランは指輪の中に指を2本入れていたずらっぽく笑った。
「こんな大きな指輪、巨人の小指にでも填めるのかしら」
「ミラン……」
 あまりにもいつも通りの彼女の様子に、俺は思わず溜め息をついた。
 背後で子供たちが絶望的な嘆きを洩らしている中で、よくここまで普通にしていられるものだ。
「そろそろ行くぞ」
 別に悪いことはしていないのに、だんだん罪悪感が募ってきたので、俺は指輪をしまわせて彼女の手を取った。
 その時、
「おやおや。何やら賑やかですねぇ」
 節々から嫌味な人間性を見て取れる声が道場に響き渡り、俺とミランは足を止めた。
 入り口に、ごつい男3人を従えた商人風の男が立っていた。

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