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魔法師ミラン2 黄昏の街角

 借金取りだ。首を懸けても間違いない。
 商人はひょろっとした長身の男で、にやにやした笑みが顔に貼り付いていた。ねちねち系だ。
「私、ああいう人間、嫌い」
 露骨に嫌悪を剥き出しにして、ミランが隣で囁いた。
 俺は満足げに頷いて答えた。
「俺もだ。気が合うな」
 ミランが小さく笑った。
 周りのごついのは護衛と言ったところだろう。筋骨隆々というわけでもないが、無駄のない体つきをしている。ここの師範を倒すほどだからかなり強いのだろう。師範には会ったことはないが、クレスを見ればわかる。
 先程まですすり泣いていた子供たちが、皆反骨心を剥き出しにしていた。ミシルを守るように固まり、男たちを睨みつけている。まるで相手を威嚇する小動物のようだ。
「そんな怖い顔をしないでください。恨む相手は私じゃないでしょう」
 ねちねち男が手をひらひらさせてそう言った。
 確かに、ねちねちの人格に関わらず、作った借金は返さなければならない。恨むなら借金をこさえて蒸発したミシルの兄を恨むべきだ。
 ねちねちは数歩中に入ってから、初めて俺たちに気が付いたらしい。「おや?」とわざとらしく言って身体をこちらに向けた。
「そこにいる探検家風情はなんですか? 金を返せないから力で反抗しようと?」
 ミランが露骨に眉をひそめた。もちろん、むかついたからといって殴りかかるような娘ではない。そのくらいの分別はつく。
「探検家風情で悪かったな。俺たちは巻き込まれただけだ」
「ふん。なら黙っていてください」
 元々何も言ってないのだがと思ったが、黙っておいた。こういう輩は、人語では意思の疎通が図れない。
「元々何も言ってないのにね」
 ミランが沸き返る怒りを押さえられないように、俺の思った台詞を小声で吐いた。
「まったくだ。嫌なヤツだな」
 男たちはつかつかとミシルの許までやってくると、立ちはだかった子供たちをまるで蝿を払うように払い除けて、彼女の襟首をつかんだ。
「ミシル!」
 クレスが声を上げる。駆け寄りたいようだが、ミランから受けたダメージは想像以上に大きいらしく、走れないでいる。
 ミラン、恐るべしといったところか。
「金は集まったのか? ん?」
 男がぐいっと彼女の身体を持ち上げると、ミシルは苦しそうにもがいて、足をばたつかせた。両手で男の太い指を離そうとするが、力が違いすぎる。
 息ができないのか、やがて目を見開いて、口元から唾液が流れ落ちた。
「や、やめろ!」
 クレスが床を蹴った。ミランから受けたダメージはどこへやら、すさまじいスピードで男たちとの間合いを詰めると、素早く腰を落として一人の足を蹴りつけた。
「ぐおっ!」
 男が脛を押さえて倒れ込む。
 すぐに二人目に向かったクレスだったが、ねちねちの声に静止せざるを得なくなった。
「動くな。この女の首をへし折るぞ」
「くっ……」
 悔しそうな表情で動きを止めたクレスに、一人の男が近付いてコキコキと指を鳴らした。顔にはねっとりとした笑みが貼り付いている。
「俺よぉ、お前が嫌いなんだよな」
 言うが早いが、男がクレスの小さな身体を蹴り飛ばす。よほど楽しいのか、笑い声を上げながらだ。
 クレスは咄嗟に身を引いたが、吹っ飛ばされて床に落ちた。男はそんなクレスに近付き、紺色の髪をつかむと顔面を三度殴り、まるでボールにように蹴り上げた。
 ゴキッと鈍い音を立てて、クレスが床を転がり、俺の足に当たって止まった。鼻腔から溢れ出す鮮血が床を朱に染める。
「クレスっ!」
 仲間たちの声。少年は震える手を床につき、無理矢理身体を起こした。立ち上がった瞬間、足がガクッと崩れそうになったが、なんとか持ち応える。
 ちらりと隣を見ると、ミランが不思議そうな顔でクレスを見つめていた。なぜ彼がただやられるだけのために立ち上がるのかわからないらしい。
 けれど、俺にはわかった。これは男の意地とプライドだ。17の少女にはわかるまい。
 俺は、ただ殴られるだけのために再び駆け出そうとしたクレスの肩をグイッとつかんだ。
「もういい」
 怪訝そうに見上げたクレスを奥に引っ込め、俺はねちねちに言った。
「お前の目的は何だ? 金か? それともこの道場か?」
 ねちねちは眉を上げ、ふっと笑った。
「こんなボロ道場に興味はない。欲しいのは金だ。いや、欲しいってのも変な話だな。私は、貸した金を返して欲しいだけだが。手段はともかく、法に反することは一切するつもりはない」
 なるほど。典型的な悪人面だが、完全な悪人というわけでもないらしい。
 もっとも、その方がタチが悪いのだが。いっそ犯罪者であってくれれば、証拠をつかんで叩きのめすことができる。
「いくらだ?」
 淡々と聞くと、ねちねちは得意の嫌味な笑みを浮かべた。
「7万だ」
 何が楽しいのか、勝ち誇ったようにそう言って、偉そうにふんぞり返った。
 恐らく俺が「7万もかっ!」と驚くところを見たかったのだろう。
 生憎、俺は事前にどれくらいの額かを知っていたから驚かなかった。一般人の7万というと2年分くらいの給料だが、ミランの巾着に入っていた金貨で釣りが来る。
 俺は自分の袋を取ると、中を開いた。
「エリアス、何をする気なの?」
 ミランが咎めるような声を上げる。
 俺は構わずに中から金貨をきっちり70枚取り出すと、それを男たち目掛けて投げつけた。
 金貨がキラキラと輝き、床に当たって美しい音を立てる。
「きっちり7万だ。借用書を置いてとっとと消えろ」
「エリアス!」
 ミランが俺の腕をつかみ、冷酷な瞳で俺を見上げた。
 けれど、それ以上は言わせなかった。
「お前は黙っていろ」
「…………」
 ミランは表情から感情を一切消して俯いた。ねちねちは男たちに金を拾わせると、「いいだろう」と言って借用書を放った。
 ミシルが、クレスが、子供たちが、皆が唖然とした面持ちで俺を見つめている。
 やがて、男がすべて金を拾い終わると、ねちねちはくるりと踵を返した。
「興味があるのは金だけだ。もらえるもんさえもらえば、もうここには用はない」
 そう言って、彼らは去っていった。
 静寂が道場を包み込む。
「行くぞ」
 俺は、ミランの手を取って歩き出した。
 誰も何も言わなかった。

 街は夕暮れに包まれていた。赤い街がより赤く輝いている。
 喧騒は昨日と変わらないが、まるで心に響いてこない。
 俺は人の波を避け、ちらりと振り返った。
 魔法師の少女はあれからずっと俯いたまま、俺の3歩後ろを歩いている。
 表情からは何を考えているのか読み取れない。怒っているのか呆れているのか、それとも悲しんでいるのかもっと違うことを考えているのか。
 俺は足を止めて彼女の方を向き直った。
「パーティーの金を仲間に相談なく使ったことは悪かった」
 俺はリーダーだが、だからと言って何をしてもよいというわけではない。
 黙り続けるミランに言いたいことはあったが、まずは謝ることにした。それで彼女が何か言ってくれるならそれでいい。
 そう思ったのだが、彼女は何かを言うどころか、顔すら上げずに、そのまま俺の隣を通り過ぎていった。
「ミラン!」
 思わず少女の肩をつかむと、意外にもミランは素直に足を止めた。
「怒ってるのか?」
 俺はそう聞こうとした。当たり前だと思いながら。
 けれど、それよりも背中越しにミランが小声で囁く方が早かった。
「私、もうエリアスにはついていけないかも知れない……」
 それだけ言うと、少女は俺の手を振り払って駆け出した。
「ミラン!」
 俺はすぐに追いかけようとして、やめた。今の俺は、彼女を引きとめられる立場にない。
 道行く人の怪訝な視線を受けたまま路上に突っ立って、俺はふと、前にエルザーグラのギルドマスターに言われた言葉を思い出していた。
『いいか。お前が探検家になってから得た最高の宝は、金じゃない。仲間だ。この先も探検家としてやっていきたいなら、あの女は絶対に手放すな』
 顔を上げると、ギルドマスターに「最高の宝」と謳われた少女の背中はすでに見えなくなっていた。
 彼女はもう戻って来ないかも知れない。俺はそれだけのことをしてしまったのだ。
「金はなくなるわ、ミランはいなくなるわ。俺の選択は間違っていたのかもな……」
 俺は独白して空を見上げた。真っ赤に流れる雲と、色褪せていく空。その狭間に浮かぶ、光のない白い月。
 穏やかに吹き抜ける風と、それにざわめく街路樹。赤い石畳に響く喧騒。
 途方もない孤独が胸の奥から込み上げてきた。
「ミラン……」
 俺は一人呟いて、宿に戻った。
 ひょっとしたら彼女が帰ってきているかも知れないという淡い期待もあっけなく裏切られ、俺は疲れ切ったようにベッドに転がった。
 昼から何も食べてなかったが、あまり腹も空いていない。
「ミラン……。俺は、信じてるから……」
 それはひどく勝手な願い。
 それでもそう思わずにはいられなかった。
 ベッドから身体を起こすことなく、そのままぼーっとしていると、いつの間にか俺は眠りに落ちていた。
 結局、少女は帰ってこなかった。

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