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魔法師ミラン1 新緑の抗争
ごく一部の限られた者だけがなれるという魔法師。
その魔法師になるための学院を若干16歳で卒業した少女ミランは、エリートの階段を自ら放棄して、とある探検家のパーティーに加わる。
頑なに魔法を使うことを拒み、武術に勤しむミラン。
この物語は、パーティのリーダーである青年エリアスが、そんな少女を見守り、共に幾多の冒険を乗り越えていく物語……になる予定。

 最初にミランが遠くから叫び声が聞こえたと言った時点で、何やら嫌な予感がしていた。
 深い深い森を真っ二つに裂くように走る細い街道、“静かなる道”。
 五街道都市エルザーグラと港町パルフィンを直接結ぶ唯一の街道なのだが、辺りに人影はない。
 理由は簡単だ。治安が悪い。
 この森はいずれの国にも属さないため、盗賊の温床となっている。
 また、深い森の中には獰猛な生物が無数に棲息しており、在って無きに等しいこの街道も決して安全な場所ではなかった。
 元々エルザーグラとパルフィンを結ぶために作られた道ではないのだ。仕方ないだろう。
 器用に森を走り抜ける軽快な足音が、まるで狙い済ましたかのようにこちらに近付いてくる。間違いなく二足歩行の動物の立てるものだ。
 同時に聞こえる声は若い女性のもので、人間の言葉で「助けて」と言っているが、ややなまりがある。
 俺が溜め息をついて立ち止まると、服の袖をミランがくいっと引っ張った。
「どうした?」
 注意は声の方に向けたままちらりと隣を見ると、ミランは深い茶褐色の瞳で真っ直ぐ俺を見上げていた。
 そして薄い唇を開いて、子供のような幼い声で囁くように言った。
「隠れてやり過ごそう」
「…………」
 声はすぐそこまで迫っていた。その声の向こうから、やはり二足歩行と思われる足音が無数に響き、野太い男のいびつな叫びが森全体を震わせる。
 どうやら盗賊に追われているらしい。数は把握できないが、5人や6人ではないようだ。
「よし、隠れよう」
 俺はしばらく考えてからそう答えた。
 追われている女性を見捨てるほど薄情ではないのだが、だからと言って見知らぬ者のために勝てない喧嘩に生命を落とすほど愚かでもない。
 ミランも同じなのだが、彼女の方が先にその結論に辿り着いたのは、ひとえに頭の回転速度の違いである。
 俺はミランの手を取って、素早く声のする反対側に駆け出そうとした。
 けれど、やはり迷っていた時間が長かったのか、森から女性が飛び出してくる方が一瞬早かった。
「あっ!」
 女性は綺麗な黄金色の髪を肩の辺りで切り揃え、実に簡素な衣服を着けていた。手足は剥き出しになっていて、白い太股には無数の切り傷があり、痛々しく腫れ上がっている。
「エルフ……」
 ミランの呟きに、俺は初めて彼女がエルフであることに気が付いた。
 エルフとは森に住む生き物で、限りなく人間に近い。けれど、人間より遥かに寿命が長く、また人間にはない様々な能力を有している。詳しくは知らないが、動物と話したりもできるらしい。
 外見的な特徴としては、耳の先がわずかに尖っていたり、肌が色白だったり、髪が黄金色だったりと、なるほど言われてみれば目の前に現れた少女はエルフそのものだ。
 少女は俺とミランを見て、細い目を大きく見開いた。そして見るだけで喜びが伝わってくるような微笑みを浮かべて走ってくる。
「た、助けて!」
 少女はミランの胸に抱き付こうとして、思い切りつんのめった。素早く身を躱したミランが、足払いを食らわせたのだ。
「きゃあっ!」
 ずっと森の中を走ってきて、元々足が限界だったのだろう。少女はあっけなく地面に倒れ込み、痛そうに顔をしかめた。
「お前はエルグレンドの生まれ変わりか?」
 俺はジト目で睨みつけた。
 エルグレンドとは、太古の昔に存在した悪名高い帝国の王子であり、悪魔の代名詞でもある。
 ミランは膨れっ面で俺を見上げた。
「だって、抱きつかれてる時間が一番無駄だから」
 確かに、少女にとっては感動的なシーンだったかも知れないが、抱きつかれては身動きが取れなくなるし、何一つ良いことはない。
 それにしてもどうかと思うが、今は口喧嘩などしている余裕はなかった。
 少女が飛び出してきてからほんの数秒後、盗賊然とした男たちが10人ほど現れて、あっと言う間に俺たちを取り囲んだ。
「こんなところに人が来るとは、珍しいな」
 ものすごい顎髭の男が、まるでそれを自慢するように手で触りながら言った。
 俺は油断なく構えたまま剣を抜いた。剣と言っても刃渡り50cmほどの短いものだ。これ以上長いと、森の中ではまったく武器として機能しない。
 足元で少女がミランの足にしがみつこうとして、また避けられた。少女は悲しそうにミランを見上げたが、ミランはまるで気にすることなく、盗賊たちを見つめていた。
「とりあえず、死にたくなかったらそのエルフを大人しく渡せ」
 額に十字の傷のある長身の男が、余裕の笑みを浮かべて俺を見下ろしてきた。まあ個々の能力はともかく、この人数なら強気にもなるだろう。
 そしてそれは決して間違っておらず、正直俺とミランでは、真正面から戦ってここを無事に切り抜ける自信はなかった。
 弱くはないが、森での戦いに慣れた盗賊10人相手ではちとつらい。
「渡せば、私たちは見逃してくれるの?」
 ミランが高い声でそう尋ね、足元の少女が面白いほどわかりやすく身をすくめた。
 もっとも、少女にしたら笑い話ではないだろう。助けてくれると思った者たちが、いともあっさり引き渡すと言うのだ。
「た、助けて……」
 少女が泣きそうな顔で俺を見上げた。どうやらミランではダメだと判断したらしい。
 俺はその瞳に飼い主に捨てられた猫を見出したが、何も見なかったことにして前を向いた。一時の情で生命を捨ててはいけない。
 とうとう足元で少女が泣き出した。
「お前ら、血も涙もないのか? そいつはお前らにすがってるんだぞ?」
 髪の毛のない男が、呆然とそう聞いてきた。
 まさか盗賊の口から『血も涙もない』などと言われようとは。俺は苦笑を禁じ得なかった。
「逆の立場なら、お前たちは助けるのか?」
 俺が聞くと、彼らは豪快な笑い声を上げた。
「なるほど。わかった。じゃあお前たちは行きな」
 ハゲ頭が道の先を親指で差して、そこに立っていた男が道を空けた。
「そらどうも」
 俺は足元に置いた荷物を拾い上げながら、冗談めかした口調で言った。もちろん剣は抜いたままだ。
 ミランも同じように身をかがめながら、盗賊たちに気付かれないように少女の耳元でそっと何かを呟いた。
 俺はそれを聞き取れなかったし、そもそもそれは俺たちの言語ではなかった。あまり賢くない俺にはさっぱりだ。
 唐突にミランがエルフの言葉を使ったからか、少女が驚いた顔で見上げる。
 ミランは盗賊たちに悟られないように、靴の先で地面を蹴って、まるで子供のいじめのように少女に砂を浴びせた。
「じゃあね」
 そして俺たちは歩き出したが、もちろん見逃してもらえるとは思ってなかった。
 エルフの少女はすでに動く気力もなく、放っておいても逃げはしないだろう。だとしたら、ここで俺たちを見逃すことは、彼らに何の利益ももたらさない。
 俺が先に彼らの横を通り過ぎ、次にミランが歩き去ろうとした時、
「待ちな」
 道の端にいた前歯のない男が、がしっとミランの腕をつかんだ。
 いや、つかもうとしたができなかった。ミランがその手をねじ上げて、軽く足払いをかけて男を転倒させたのだ。
 同時に俺たちは走り出した。
「お前たち、何故逃げるんだ!」
 それはギャグか?
 俺はそう思ったが、振り返って反応するほどの余裕はなかった。
 足音から察するに、半分くらいの数が追ってきている。残りはエルフを捕縛しているのだろう。
 数十メートル走ると、男たちが一列になっていた。足の速い者と遅い者との差ができたのだ。
 俺はわざと速度を遅らせると、一人目の男に追いつかせた。そして、振り向きざま男の喉元を斬りつける。
「なにっ!?」
 何がそうも意外だったのか、男は驚いた顔のまま絶命した。
 俺たちはまた同じように逃げ出した。彼らは顔を真っ赤にして追いかけてくる。
 実に単純だ。恐らく彼らは、自分たちが先程とは違い、絶対的に不利な状況になっていることに気が付いていない。
 状況は刻一刻と変化するというのに、愚かなことだ。
 俺は同じようにしてもう3人に死んでいただくと、残りの一人は殺さずに捕縛した。
「き、貴様っ!」
 紐で縛られて初めて状況に気が付いたのか、男が怒声を浴びせながら、青ざめた様子で辺りを見回した。もちろん、仲間はいない。
 俺は意地悪げな笑みを浮かべると、剣を男の首筋に当てて、のんびりとした口調で言った。
「さてと、それじゃあ、あのエルフについて教えてもらおうか」
 隣でミランがにっこり笑うと、男は先程の威勢はどこへやら、泣きそうな顔でガタガタと震え始めた。

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