俺はそんな太陽を親の仇のように見上げてから、タオルで汗を拭った。今朝仕事に就いてから2枚目のタオルになるが、すでにぐっしょりと濡れている。
ここ数日好天が続いていたが、今日は特に暑い。
「あー、もうダメ!」
隣で紺色の髪の少年が、持っていたスコップを地面に突き立てて大きく首を横に振った。
彼の名はクレス。ひと月半ほど前に自由都市マゼレミンで出会った少年で、今は俺の仲間だ。
まだ13という若年の身だが、大の大人を軽くひねり倒してしまう拳法の使い手である。
なかなか根性の据わった子供だが、さすがに毎日続く単調な仕事に飽きが来たらしい。
彼は探検家になってまだ間もない。胸弾むような冒険を夢見て俺たちについてきたのに、人生で初めての仕事が穴掘りでは嫌にもなろう。
「少し休むか」
俺はそう声をかけて、同じようにスコップを突き立てた。
クレスを伴って作業用の仮設小屋に戻ると、武道着を着けた茶褐色の髪の少女が笑顔で近付いてきた。
ミランである。魔法師として全国的に有名な少女だが、今は武道家を目指している。
「お疲れさん」
彼女が差し出したお茶をすすりながら、俺はクレスと並んで窓から外を見た。
マゼレミンの南西に広がる広大な荒野の一角である。何もないだだっ広いこの土地を、俺たちは複数の探検家のパーティーとともに掘り続けていた。
それが、今から2週間ほど前に受けた仕事内容だった。
依頼主はアームダンという名の、40歳になる学者だった。彼はこの何もない荒野に、600年ほど前まで栄えていたトントーレ教の神殿が埋まっているというのだ。
俺はそのトントーレ教とやらをまったく知らないので半信半疑だったが、ミランがそれなりに信憑性のある説明をしてくれたので、ふた月限定で依頼を受けることにした。
彼女の話では、トントーレとは南の海に住んでいると言われる海神で、港町からマゼレミン辺りまで特に信仰が盛んだったという。
もっとも、今ではトントーレなど名前すら知られていない。彼女も、学院で学んでいた時に歴史書にちらっと名前を見かけただけだと言っていた。
「しっかし、本当にこんなところに神殿なんて埋まってるのか?」
クレスがまるでやる気のない声を洩らした。
外では15人ほどの人間が、懸命に穴を掘り続けている。パーティーの一つに魔法師をかかえているグループがあり、そいつのおかげで作業は順調だったが、2週間経った今なお何一つ出てこない。
俺たちはこういうことも慣れっこだったから、仕事だと割り切って働いているが、クレスのやる気ゲージは地まで落ちているようだった。
俺はしょうがなく彼に問いかけた。
「なあクレス。お前、『アミラスの怒り』って知ってるか?」
俺の質問に、クレスはきょとんとした顔をしてから、「聞いたことがない」と答えた。
「アミラスって、確か偉い神様だよな? 怒ったのか?」
彼の言う通り、アミラスとはこのアリスランダを作ったと言われる神である。
彼の答えが面白かったのか、ミランが可笑しそうに微笑みながら彼に話し始めた。
「500年前にね、この世界にものすごい天変地異があったのよ」
「天変地異?」
クレスが興味をそそられたように、瞳を輝かせて身を乗り出した。どうやら冒険の匂いを嗅ぎつけたようである。
ミランは大きく頷いてから外の景色に目を遣って続けた。
「そう。その天変地異のために、大地には亀裂が走り、海は山に、陸は川に、森は砂漠になって、街はことごとく滅んでそれはもう大変だったんだって」
ミランが言うといまいち「大変」に聞こえないのだが、実際それは凄まじいものだったと言われている。
今でも随所でその傷跡を見ることができる。道を歩いていると、時々底の見えない亀裂に出会ったりするのだ。
「当時、アリスランダは戦火に包まれていた。戦いは止むところを知らず、毎日のように各所で血が流れ、大地を朱に染めた。それで、アミラスが愚かな人間たちに罰を与えたんじゃないかって言うのが『アミラスの怒り』の語源だ。実際、その天変地異の後、人々は戦争どころじゃなくなり、争いは一切鎮まったという」
クレスは拳を握って興奮気味に俺たちを見上げていた。基礎教育で教えてもらえる有名な歴史の一つで、探検家には常識中の常識なのだが、クレスは初めて知ったらしい。
ミランがにっこり笑って言った。
「だから、今でもあっちこっちで遺跡が見つかるし、宝物が出てくる。当時は魔法も盛んだったから、遺跡にはマジックアイテムもたくさんあってね」
「それで俺たちみたいな探検家が食っていけるわけだ」
ミランの話を俺が締めくくった。
ちなみに余談だが、現在は当時に比べて魔法の技術は著しく衰退している。『アミラスの怒り』のせいで、人々は魔法に熱を入れる余裕がなかったからだ。
日々の生活や街の復興に役立つ魔法は残ったが、物に特別な力を吹き込む付加魔法は失われてしまった。マジックアイテムに価値があるのはそのためである。
ミランの話では、今でも一部の魔法師が付加魔法の復活のために研究を続けているらしいが、成果は出ていない。もちろん、そんなものが復活するとマジックアイテムの価値が暴落し、探検家が食っていけなくなってしまうので、個人的には是非挫折して欲しいと願っている。
クレスは先程とは一変、まるで宝物を前にしたような目で荒野を見た。その瞳にはまだ見ぬ神殿が映っているようだった。
「本当に、出てくるのかな……?」
「信じて掘るしかないだろう」
俺は彼のやる気を落とさせないようにそう答えた。ふた月で何も出てこなければ、少なくとも俺たちはそこでこの仕事を終える。だから、それまではせいぜい信じて掘るしかない。
「行こう、エリアス!」
クレスがぐいっと俺の手を引いた。とても先程まで人生の終わりのような顔をしていた少年とは思えない。
俺はミランと顔を見合わせて苦笑した。
「あんまりはりきると、すぐにばてるぞ?」
「大丈夫だよ。やる気がなくなってただけで、別に身体が疲れてたわけじゃないし」
クレスがぐいぐい腕を引っ張るので、俺は仕方なく歩き出した。
「頑張ってね」
ミランが楽しそうに笑い、他のパーティーのメンバーに呼ばれて行ってしまった。
少女が向こうへ駆けていくのを見て、クレスがぼそっと呟いた。
「ミランが手伝ってくれれば、きっとすごく楽になるのにね」
「そうだな……」
俺は小さく頷いたが、それ以上は何も言わなかった。
今ここで作業をしている中で女性はミラン一人だった。そのため彼女は、直接穴掘りには参加せず、探検家たちの食事を作ったり、その他の雑務をこなしている。
彼女は喧嘩は強いが、力は普通の女性と大して変わりないので、誰も文句は言わないし、依頼主も食事などの雑務をこなすことで、彼女を「働いている探検家の一人」として見ており、給料も払ってくれた。
どちらにせよ、食事は誰かが作らなければならないのだ。
だが、俺たちは彼女が優秀な魔法師であることを知っている。
今俺たち全員の中心となっているのは30過ぎの魔法師の男だが、ミランを見慣れている俺から見ると頼りなく映ってしょうがない。
彼を見て、初めて俺は魔法が難しいものだと実感できた。良く失敗するし、威力も弱い。それに彼はすぐに疲れた。
少女はいつもいとも簡単に複雑な魔法陣を描き、失敗したところなど見たことがなかった。それでどうも魔法を簡単なものだと誤解していたようだ。
そのミランが魔法で手伝ってくれれば、作業が楽になるというレベルではなく、他の全員が必要なくなる。けれど、彼女は決して魔法を使おうとはしなかった。
「あいつの魔法は最終兵器だとでも思っておくのがいい。本当に状況が緊迫した時にしか使わないから、逆にあいつの魔法を見るときは、今自分たちはやばいんだって考えるのが妥当だな」
冗談めかしてそう言うと、クレスは困ったように笑って頷いた。
パーティーを組んでからひと月半で、彼もミランが魔法嫌いであることを十分理解している。そして、それは決して言ってはいけない暗黙の了解になっていることも心得ていた。
「女は難しいな」
クレスが自分を納得させるように言った。
俺はにやりと笑いながら、よくできた子供を誉めるように頭を撫でてやった。
外に出ると再び直射日光が俺たちを襲ってきた。小屋の中も十分暑かったが、やはり直接光を浴びるとつらい。
クレスを引き連れて先程スコップを置いた場所に戻ろうとすると、ふと何やら向こうが賑やかなのに気が付いた。
「なんだろう? ひょっとして神殿が見つかったとか!」
クレスが顔を綻ばせて、我慢できないように走り出した。
俺も同じように続くと、もう一人の仲間が他のメンバーに囲まれて立っていた。
大柄の男で、歳は30過ぎだが20代でも通じそうな若い顔立ちをしている。髪の毛はミランのそれと同じ色で、汗で光っていた。名はインタルという。
昔一緒に仕事をしたことがあり、それからずっと別れていたのだが、マゼレミンで再会したのを機に再びパーティーを組んでいる。探検家歴15年の大ベテランだ。
インタルは俺たちに気が付くと、大きな身体を仰け反らせて笑った。
「ぐはははっ! 遅かったな」
「何があったんだ?」
俺が尋ねると、彼は親指を立ててそれで自分の後ろを差した。
「出てきたんだよ。石ころが」
「石ころ?」
クレスが怪訝そうな顔をする。
俺はそんなクレスの背中を軽く押してからインタルとともに笑い声を立てた。
クレスは何のことかわからないようだったが、俺に背中を押されるままそちらの方へ歩み寄って、ようやく理解したらしい。
掘られた地面の下に、真っ白の大きな石がその表面を覗かせていた。ただの石でないのは明白だ。
恐らく神殿の天井だろう。どれくらいの大きさの建物だったかはわからないが、本当にこの下に埋まっていたのだ。
クレスは喜びよりも驚きの方が先に立ったらしく、もっと近付いてまじまじとその石を見つめていた。巨大な建物がこの大地に埋まっているという現実が不思議でしょうがないらしい。
もう一度大男を見上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。聞くと、彼が掘り当てたらしい。
依頼主の学者は、俺たちにやる気を起こさせるよう、いくつか有り難い条件をつけていたが、その内の一つに、最初に発見したパーティーには褒賞をはずむというのがあった。
「やったな」
俺が軽く手を出すと、インタルはとても30を過ぎているとは思えない少年の顔でその手を打った。
日差しは相変わらず強かったが、いつの間にか気にならなくなっていた。
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