到着したのは夕方で、俺は早速手近の酒場に入った。来たことのある街ならば、どの店が良いか大体知っていたが、ファンドリアの店は生憎一軒も知らなかった。
“赤鷲亭”と言うその店は、どうやらあまり感じの良い店ではなさそうだった。店に入っても誰か出てくるわけでもなく、店内は過度に酒の匂いが充満し、床は脂でベタベタしていた。
客の顔ぶれも冒険者というよりはゴロツキ風情が大半を占め、中には博打を打っているテーブルもあった。
俺がカウンターに座ると、額に傷のある大男がやってきて、無愛想に「何にするんだ?」と聞いてきた。
俺はワインと肉を注文しただけで、他には何も言わなかった。この店に泊まる気はなかったし、他の店の情報を聞くのはさすがに失礼だろう。この男がゴロツキ連中に肩入れしている可能性も否定できないので率直な感想を言うこともできなかったし、かと言ってお世辞を言う気にもなれなかった。
「お前さん、どこから来たんだ? ここは初めてだろう」
俺が何も言わないからか、ついに大男の方から口を開いてきた。俺はワインを一口飲んでから、眉を上げて聞き返した。
「ロマールからだ。確かに初めてだが、どうしてわかった?」
男は太い肩を大袈裟にすくめて見せた。
「簡単さ。知っていればこの店には来ない」
「ぼったくるのか?」
俺がさも他の客のことは気にしていないと言うふうにそう言うと、男は「まさか」と首を振った。
「ぼったくる店には、どんな質の客だって集まらんよ」
「そうだな。客層のことか? 確かに、あんまり良さそうじゃないが」
案外話しやすそうな男だとわかったから、俺は他には聞こえないように小声でそう言った。
男はふふんと笑って答えた。
「ブレイン坊やのゴロツキどもの溜まり場よ。まあ、俺としては儲かりゃそれでいいから、追い出すようなこともせんがな」
「ブレイン?」
「でっかい屋敷の持ち主さ。じいさんが死んで、息子夫婦は遠くの国。しょうがないから孫息子のブレインが継いだんだが、もう金を使ってやりたい放題ってわけさ」
「よくある話だな」
俺はあまりそれに関与したくなかったので、それ以上は話したくないと言葉を切った。男もその雰囲気を察して奥に戻っていった。
しばらくすると、数人のゴロツキどもが酒の入った赤い顔で外に出て行った。「今夜は期待できるぞ」などと笑っていたが、何か悪さでもするのだろうか。
「ブレイン坊や、ね……」
俺はそう呟いてから肉を口に放り込んだ。少々硬かったが、味は悪くなかった。
1時間ほどのんびりしてから店を出ると、辺りは随分薄暗くなっていた。
けれど、まだそれほど夜というわけでもない。にも関わらず、道にはあまり人影がなかった。やはりファンドリアなのだ。治安があまり良くないのだろう。
もちろん、いくら一人とは言え、俺は冒険者だしそれほど気にしてはいなかった。先程の店にいたゴロツキ風情なら、10人が束になってかかってきても勝つ自信がある。
どこか泊まれる店はないかと探して歩いていると、ふと向こうから二人組の男女が歩いてくるのが見えた。一人はまだ若い男で、少年といった方がいいかも知れない。紺の髪に、黒に近い瞳をした利口そうな少年で、もう一人の女性に笑顔を振り撒いていた。
けれどその表情にはどこか翳りがあり、女性は気にしてないようだったが、俺は少年が何か後ろめたいことを隠しているのだとすぐにわかった。
一方の女性の方は20歳くらいだろうか。短い金色の髪で、活発そうな格好をしているなかなかの美人だ。
姉弟という感じではなさそうだし、と言って恋人同士というには少々歳が離れている。けれど、二人は手を繋いでいたし、始終楽しそうに話しているところを見ると、後者で正解なのかも知れない。
二人とすれ違うと、俺は足を止めて振り返った。少年のことが気になったのだ。
俺はなるべく音を立てないようにして二人の後をつけた。こういう時、鎧を着ていないのは便利である。
盗賊としての修行も少なからず積んでいたので、彼らが建物に入っていくまで気付かれることなく尾行することに成功した。
その建物と言うのが、窓の少ない石造りの倉庫のようなところで、壁にはよくわからない絵が描かれ、どう考えても真っ当な人間が生活空間として使用しているものではなさそうだった。
周囲も明かりの灯っている家が少なく、全体として不吉な感じのする空間だ。
(逢瀬か?)
くだらないとは思いながらも、その可能性が一番高かった。女性が何を言われてついてきたのかわからないが、あの少年はここであの女性とまぐわおうとしている。
俺はどうしようか迷ったが、別に二人が恋人同士ならば、少々のことは目をつむった方がいいだろうと思い、その場を立ち去ることにした。元々正義感の強い方でもない。
ところが、中から小さく女性の悲鳴が聞こえてきたから、俺はそのまま立ち去るわけにもいかなくなった。
「おいおい、無理矢理はよくないぞ?」
自分のことを棚に上げてそう呟きながら、ドアに耳を当て、それからほんのわずかに開けてみた。
完全に倉庫というわけではなく、中には通路と部屋があり、少年と女性の姿はここからでは見えなかった。
俺は“インビジビリティ”をかけて中に忍び込むと、集中を切れさせないようにして先へ進んだ。
少し歩くと、左手に地下への階段があり、女性の悲痛な叫びが轟いた。
「や、やめてよ! 何するのよ! レイス、助けてよ! レイス!」
俺は思わず立ち止まって首をひねった。どうやら俺の思い違いだったらしい。中には少年と女性を含めて、少なくとも3人はいる。
本当は“ウィンドボイス”で中の様子をうかがいたかったが、ここには風が通っていなかったのであきらめた。
ゆっくりと下に降りると、右手にドアがあって、わずかに開いた隙間から明かりと一緒に太い男の笑い声が漏れていた。あからさまにあの少年のものではなさそうだ。
ドアが音を立てないように“サイレンス”を使い、それから“インビジビリティ”をかけ直すと、俺はゆっくりとドアを開けた。
中を見ると、見覚えのある男たちが4人ほどいて、半裸になって先程の女性を押さえつけていた。女性はすでに一糸まとわぬ姿にされており、涙を零しながら顔を真っ赤にしてもがいている。
男たちは先程“赤鷲亭”から出て行った、ブレイン坊やとやらのゴロツキどもだった。数人がドアが開くのに気が付いてこちらを見たが、不審に思った者はないようで、再び女性に向き直った。
周囲を見ると、少年は部屋の隅の方で膝を抱えて座っていた。彼がレイスらしい。状況から察するに、あの少年がゴロツキどもに頼まれて女性を騙してここに連れてきたのだろう。
ゴロツキどもは「今夜は」と言っていた。こういうことは度々あるらしい。
俺はスラリと剣を抜き放つと、問答無用で斬りかかった。
「な、何だ!?」
ゴロツキはいきなりのことに驚いたように目を丸くしたが、その間に俺は四人を斬り殺していた。
ブレインという男が何者かわからない状況で少々軽率だったかも知れないが、下手に捕まえるよりこれが一番正体がバレない。
「大丈夫か?」
女性の前に屈むと、女性は俺の胸に飛び込んできて泣きじゃくった。
「もう大丈夫だからな」
優しく髪を撫でながら、俺は少年の方を向いた。
少年はビクッと身をすくめてから、後ろめたそうに俯いて頭を抱えた。
「どういうことなんだ? 返答次第では、俺はお前も許すわけにはいかないが」
俺は女性を放し、散らばった服を手渡してから、レイスの前に立った。
レイスは怯えたように俺を見上げると、今にも泣き出しそうな顔で頭を下げ、高い声で「ごめんなさい……」と謝った。
「謝るだけじゃわからんだろう!」
俺が大きな声で怒鳴りつけると、女性が「待って」とか細い声で俺を止めた。
振り返ると、女性は鼻をすすりながらレイスの手を取り、小さな声で言った。
「レイスは……そいつらに脅されてやったのよ。ね? そうでしょ?」
女性の優しい言葉に、とうとうレイスは泣き出した。女性の肩に顔を押し付けると、泣きながら何度も「ごめんなさい」と繰り返す。
俺は女性の眼差しを見ていたら、それ以上何も言えなくなってしまった。
仕方なく、俺はレイスが泣き止むまでゴロツキどもの後片付けでもすることにした。
レイスが落ち着くと、俺は先に女性を帰してレイスと二人で話をすることにした。もちろん、レイスには危害を加えないことは約束したし、そんなつもりもなかった。
「どういうことなんだ?」
部屋を変え、椅子に腰かけて穏やかな声で尋ねると、レイスは肩を落として話し始めた。
それによると、レイスは元々カギールという男の屋敷で、下働きをしていた。カギールとはブレインの祖父で、カギールが死んでから、レイスはブレインの下で働くようになった。
俺はカギールの名を聞いたとき、どこかで聞き覚えがあるような気がしたが思い出せなかった。首を傾げる俺に構わず、レイスは続けた。
レイスは容姿に恵まれ、カギールの下で働いていた時から女性に人気があった。それに目を付けたブレインの部下が、ある時レイスを使って女性を手込めにする計画を思い付いた。レイスは気の弱い少年で、逆らうこともできずに渋々従っていたらしい。
「僕は犯罪者だ……。もう真っ当な世界じゃ生きていけない……。僕はもう終わったんだ……」
レイスは頭を抱えて涙を零した。俺は一度深く溜め息をつくと、そっとレイスの肩を叩いた。
「俺だって、犯罪くらい犯したことはある。だがな、それでも生きていかなくちゃいけないんだ。気を落とすな」
「でも……」
「でもじゃない。お前に必要なのは勇気だ」
力強く言うと、レイスは涙で濡れた顔を上げて、真っ直ぐ俺を見つめた。
俺はそんなレイスを見ながら、エリアのことを思い出した。
「俺だって、な。でも、生きていかなくちゃいけなんだ……」
もう一度言うと、先程とのニュアンスの違いに気が付いたらしい。レイスははっとなってから、急に大人びた顔付きになった。
「あなたも……」
「ウィーズだ。別に丁寧に話す価値のある男じゃない。お前と同じ犯罪者さ」
俺が言うと、レイスは悲しそうに微笑んだ。
「ウィーズさん、僕、冒険者になりたい」
唐突にレイスがそう言って、俺は驚いて目を見開いた。
「おいおい。冒険者ってのは、誰にでもなれるが、そう簡単に成功するもんじゃないぞ? ほとんどの冒険者は野垂れ死ぬか殺されるか、それこそ盗賊にでも身をやつすか……」
「わかってる。でも、もうブレインさんのところには帰りたくないし、僕にはそれしか道がないんだ……」
あまりにも暗い顔をするので、俺はレイスを冒険者にしてやりたくなった。同類の憐れみかも知れない。
何かできるのかと尋ねると、意外にもレイスはマーファの神官だと言った。
「神官? お前がか?」
「うん。元々両親がマーファの司祭だったんだ……」
レイスの話だと、今から3年前まで、レイスはマーファの神殿に住んでいたという。
その神殿は小さく、3年前にとうとう潰れてしまった。家をなくして両親は離婚し、母親は実家に帰ってしまった。父親の方は飲んだくれになり、ボロ家に住んでレイスの給金で暮らしているらしい。
「カギールさんはいい人だったんだ。でも、半年前に亡くなって……。僕、もう嫌なんだ。友達の女の子があいつらにひどい目に遭わされるのを見るのも、手伝うのも!」
「そうか……」
俺は深く頷いてから、真剣な眼差しをレイスに向けた。
「それで、お前は俺と来たいのか?」
「うん。ウィーズさんが良ければ……」
「いいかどうかはお前次第だ」
そこで言葉を切り、俺は一度天井を仰いだ。
もしもレイスを仲間にするならば……いや、もしも冒険者としてやり直すならば、あのことは知らせておく必要がある。隠し事は不和を生じさせるからだ。
「実はな、俺は冒険者として失敗して、金をなくしたんだ。それで、ここに来る最中に一人旅の女を襲って金を奪った挙げ句、その女を犯した。お前より立派な犯罪者さ。それでも来るか?」
自嘲気味に笑うと、レイスは驚いた顔で俺を見上げていた。
軽蔑しただろう。もしも逆の立場なら、斬り殺してやりたくなるかも知れない。
だが、意外なことにレイスは俺の手を取ると、にっこりと微笑んだのだ。
「話してくれてありがとう。じゃあ、僕たちは同じだね」
「おいおい。お前は奴らに利用されていただけだろ?」
レイスは小さく首を振った。それから溜め息混じりに深く息を吐くと、うっすらと笑いを浮かべた。
「僕も何度かあいつらに混ざって、女の子を犯したことがあるんだ。初めはあいつらに無理矢理やらされたんだけどね。いつか、僕の好きだった子がターゲットになって、それで僕は自分からやりたいって頼んだんだ」
俺は思わぬ告白に衝撃を受けたが、不意に可笑しくなって笑い声を上げた。
「そうか。じゃあ、同じだな。わかった、一緒にやり直そう!」
「うん!」
明るく頷いたレイスと固い握手を交わすと、俺たちは外に出た。すでに辺りは真っ暗で、家々の明かりも落ちている。
そう言えば、宿を探していたんだっけ。
ふとそのことを思い出すと、俺の脳裏をエリアの顔がかすめた。レムリアでの酒場の一件、もっと遡って森での出来事。
そして、俺ははっとなって立ち尽くした。
「どうしたの?」
怪訝そうに顔を上げたレイスに、しかし俺は何も答えられなかった。
代わりに、急に速く打ち出した鼓動を抑え、震える声を押し隠して尋ねる。
「なあ、レイス。カギールってのは……まさか、カギール・スミセインか?」
「え? うん、そうだけど。カギールさんを知ってるの?」
俺は思わず呻き声を上げて頭を抱えた。
カギール・スミセイン。どこかで聞き覚えがあると思ったが、それはエリアの祖父が、エリアを預けようとしていた友人の名前だった。
「最悪だ……」
喉から搾り出すようにそう言った俺を、レイスが心配そうに見上げていた。
俺はレイスに微笑みかけて見せたが、それは自分でもわかるほど引きつったものになった。
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