「この世界って不思議なんだね」
俺がレイスが冒険者になったばかりだと注釈を入れると、シルバーは納得したように頷いた。
作戦会議の前に、挨拶代わりにそれぞれの技能を話した。
俺は前にも言ったように戦士であり、若干だが盗賊としての技術も身に付けている。しかし一番長く学んだのは精霊語魔法であり、“トンネル”や“スリープ”が使えると言うと、シルバーが感心したように声を上げた。
シルバーは剣も使えないでもないが、基本的には盗賊としての修行しかしてこなかったらしい。その分、盗賊としての腕は一流で、実際部屋の鍵開けを見せてもらったが、本当に一瞬で開いてしまった。
レイスは元々冒険者ではなく、戦闘技能は有していない。しかし幼少の頃からマーファの神殿に住んでいたこともあり、“ピース”までは使えるそうだ。
「盗賊技能がないのは、実際足手まといになるかもしれないな」
「だが、回復魔法が使えるのは大きい。それに、こいつは屋敷の中を熟知している」
俺のフォローに、シルバーは納得したように頷いた。
ちなみにエリアは幼い頃から剣術を学び、同時に魔術師としての勉強もしていたらしい。剣の腕は俺と同じくらいで、魔法は使い魔を使役できるレベル。合流すれば貴重な戦力になるだろう。
そう思ったのだが、シルバーがやんわりと否定した。
「期待しない方がいい。俺の集めた情報だと、あの娘は今魔法を使えないらしい」
「使えない? どうして? あいつは発動体なしでも魔法を使う能力があるだろう」
「だからだ。そのせいでブレインが魔法を使えなくする腕輪をつけたと聞いた。状況から考えて、体力的に剣も無理だろう。戦力外で考えた方が無難だ」
「すごい腕輪だね」
レイスがどうでもいい感想を述べた。俺は余計なことは言うなと目で合図したが、確かにその腕輪は売れればいい金になるだろう。
互いに出来ることを確認した後、俺はここ数日の間にレイスに描かせた屋敷の見取り図を広げた。
大体エリアの背の倍ほどの高さの塀に囲まれた中には、4つの建物がある。一つが一番巨大なもので、ブレインやブレインに忠実な召使いが住んでいる。もちろん用心棒の類も含まれる。
二階建てで、部屋の数や廊下の造りなども詳しく描かれていた。ちなみにエリアが閉じ込められていると思われる地下室はここではない。
地下室があるのは平屋の離れで、ならず者たちの住処にもなっているそうだ。つまり、一番重要な場所に一番多く人が集まっていることになる。
他の二つは倉庫と集会所のようなもののため、あまり問題視しなかった。それよりも相手の具体的な戦力の方が重要である。
「僕は相手を見るだけで強さまではわからないけど、ウィーズより冒険者歴の長い人はたぶんいないと思うよ。でも剣が使える人が20人はいる」
「魔法使いは?」
「ブレインさんの用心棒の二人が、スタッフを持っていた。一人は精霊語魔法も使えるみたい」
思わずシルバーが唸り、俺も険しい顔になった。
「やはりここがブレインから離れているのは幸いだろう。俺は雑魚20人よりも“ファイアボール”や“ブリザード”一発の方が怖い」
離れを指差しながらシルバーが言い、俺も同意して頷いた。
「これだけ詳細な情報にシルバーの技能、それに俺の魔法があればなんとかなりそうな気もするが……」
決行は翌日の夜にした。その日はすでに遅かったが一度ブレインの屋敷へ行き、夜の見張りの数を調査した。
見取り図に従ってシルバーが中まで潜り込んだが、やはり優秀なのだろう。気付かれることなく戻ってきて、離れへの道順や隠れ場所などを話した。
こうしている間にもまたエリアが乱暴されているかと思うと、どうしても事を急ぎたくなるが、急いては事を仕損じる。
翌日、俺が“コントロール・スピリット”でシルフを召喚している間に、レイスとシルバーが作戦をさらに具体的に練った。ちなみに支配する精霊をシルフにしたのは、レイスの話でノームは地下室付近にもいると考えたからである。地下階は土が剥き出しの壁になっているそうだ。
“コントロール・スピリット”が終わると、成功した後の話をした。俺は素直にエリアをシルバーに渡すことを提案し、二人が驚いた顔をした。
「そんなに驚くことか? あいつは俺を恨んでいるから、俺と来ることはない。しかもこうなった今、あいつはロマールに帰るしかない。だから俺は手を引く。その代わりシルバー、エリアに余計な危害は加えないでやってくれ」
帰りはバタバタして渡せないかもしれないと、俺はシルバーにエリアから奪った金を渡した。シルバーはそれを受け取ってから、お返しと言わんばかりに大きな魔晶石を3つよこした。
「何かの役に立てばと依頼人から持たされたが、俺には必要のないものだ。なるべくこのミッションで使うことを前提に、お前にくれてやる」
俺はありがたく頂戴し、一つをレイスに渡し、残りをポケットにしまった。
夕方から床に入って体力を温存した。俺は冒険前の空気に慣れているので、いつどんな状況でも寝られるのだが、レイスはほとんど眠れなかったようである。聖印を手に、ひたすらマーファに成功を祈り続けていた。
そして深夜、俺たちは宿屋を襲ったときのシルバーと同じような黒ずくめの格好で、ブレインの屋敷の近くに来た。レイスも神との対話の中で覚悟を決めたのか、今や堂々としている。開き直ったのかも知れないし、気分が昂揚しているのかも知れない。
「落ち着けよ、レイス。大丈夫だ。情報量は俺たちの方が上だ」
小声でそう言うと、レイスは神妙な面持ちで頷いた。
ちょうど離れの裏に当たる塀にへばりつくと、シルバーが簡単にロープをかけて塀を登った。“トンネル”を使えば容易いのだが、魔法はなるべく温存することにしている。
レイスが拙い動きながらもなんとか登り切ると、俺も素早く登ってロープを外した。
屋敷の中は木々などがほとんどなく、身を隠す場所は少なかった。だが塀の近くは膝ほどの高さの草が茂っており、身を伏せればどうにか誤魔化せそうだった。
俺たちは音を立てずに離れまで走った。塀側の壁にへばりつき、シルバーの合図で表に回る。
窓はなく、入り口は一つしかない。そして、入るとまず広間になっており、奥に10人ほどが寝られる寝室と台所、扉のない小さな部屋が二つあるらしい。廊下の類はなく、地下室にはその広間の床に階段があり、扉というには簡素すぎる蓋がしてあるそうだ。
「では、中に入った後、外からその蓋の上に棚でも置かれたら?」
事前にその話を聞いたとき、シルバーがそう言って眉をひそめた。俺は軽く手を振った。
「周囲が土壁なら問題ない。魔晶石もあるし、“トンネル”で出られるだろう」
それよりも問題は、広間や寝室の連中をどうするかだった。背後に気を付けながら扉に耳を当てると、どうやらまだ数人が起きているようだった。
だが数人である。
振り返ると、シルバーが虫の囁きのような小さな声で言った。
「丸腰の酔っ払いなど問題じゃない。気を付けるのは、中の人間が外に逃げないことだ」
俺たちは一度頷き合うと、獲物を抜いて身構えた。そしてレイスが勢い良く扉を開けると同時に、シルバーが颯爽と切り込む。
間髪入れずに俺は部屋の中に“サイレンス”の魔法を放ち、中に入ってレイスが扉を閉めた。
広間は雑然としていた。7人ほどが雑魚寝しており、4人が半裸に近い格好で酒を飲みながらカードをしていた。
驚いた顔で立ち上がりかけた一人の首筋に、シルバーがダガーを突き立てた。
しかしさすがは元冒険者である。二人目を斬り捨てた時にはもう、別の一人が寝ている連中を蹴り起こしていた。
俺は近くの一人を斬り付けながら、寝室へ続くドアへ走った。この中の人間を起こされたら随分戦いが厳しくなる。
シルバーが三人目を殺した時、残りの8人は全員獲物を手にしていた。だが、寝起きか酒酔いのため、動きは緩慢の上、服は着ていないも同然である。
外に出ようとした者には、俺が意図的に作った“サイレンス”の範囲外から、レイスが“フォース”を浴びせた。“フォース”は衝撃波である。一撃で殺せなくても、外への扉に近付けなければそれでいい。
それでも多勢に無勢だった。負傷は免れなかった。俺もシルバーも何箇所か斬り付けられ、腕も足も血まみれになったが、一時の痛みは我慢した。終わればレイスが治してくれる。
どうにか全員片付けると、俺は寝室の扉を開けて“サイレンス”を放った。そしてレイスが顔をしかめる行為を速やかに行い、広間に戻ると、傷を治されたシルバーが地下室への扉を開けていた。
俺はレイスの治療魔法を受けながら、一度外を確認するべくそっと扉を開けた。そして、初めて異常事態に気が付いた。
外で警鐘が鳴っていたのだ。
「気付かれていた!?」
俺は思わず叫んだが、もちろん声にはならなかった。扉を閉め、レイスを伴ってシルバーの後を追う。蓋を閉めた時に思いの他大きな音がして、“サイレンス”が切れたことを知った。
「シルバー、急いだ方がいい! 何故かわからんが、気付かれたようだ」
地下室と呼ばれていた場所は、部屋というより牢だった。短い通路を挟んで四つの牢があり、内の二つに多くの若い女たちが押し込められていた。
女たちは俺たちを見て助けを乞うかと思ったら、怯えたような眼差しで震え始めた。今度は何をされるのかと不安がっているようだった。
もう一つの牢には物資が詰め込んであり、残りの一つにエリアが閉じ込められていた。他の牢とは違い、綺麗なシーツのベッドがあり、扱いが異なるのは明白だった。シルバーの言った通り、エリアは女であると同時に金でもあるのだ。
シルバーが牢の鍵を開けている間、エリアは虚ろな目で俺たちを見ていた。
細身ながらも女性的な丸みのあった肢体はすっかり痩せて、愛らしい顔もやつれ果てていた。金髪はばっさりと短く切られ、ぼさぼさになって額や肩にかかっている。
袖のない白い貫頭衣は汚れに汚れてすえた匂いを放っていた。ところどころに痣のある細い腕には、なるほど如何にもマジックアイテムと思しき、何やら複雑な模様が施された腕輪が嵌められていた。
ようやく鍵が開くと、エリアがかすれる声で言った。
「変な組み合わせね。私を殺そうとした人と、私を犯した人が、一体何しに来たの?」
俺は何も答えなかった。シルバーも何も言わず、素早くエリアの足に嵌められていた鉄製の枷を外した。
俺の合図でレイスがエリアに回復魔法をかけ、俺はエリアの手を取って腕輪を見た。なるほど、肘から手首までは動くが、その先はどうにもならない。
「これは、どうやって嵌められたんだ?」
俺が腕輪を見たまま聞くと、レイスの魔法で少しは元気が出たのか、エリアが先程よりはましな声で答えた。
「最初はもっと大きかったけど、ブレインが何か言ったら縮んだの。どうやっても取れないし、魔法も使えないわ」
「ウィーズ、枷は外した。のんびりしている時間はない」
「待て」
急かすシルバーを制して、一度深く目を閉じた。
俺はこの腕輪を外す方法を一つだけ思い付いた。だがそれはあまりにも残酷な方法で、この薄幸な少女にそれをするのが果たして人として正しいことか悩んだ。
俺は静かに首を振った。第六感がエリアの魔法は必要だと警鐘を鳴らしている。そして俺はこれまでの冒険者生活で、致命的な選択ミスをしたことがなかった。5年間、生き延びてきたのだ。
「レイス、お前の魔法で切断した腕を元に戻せるか?」
シルバーが息を飲み、エリアが哀れなほど蒼ざめて唇を震わせた。レイスは息をするのも忘れたように驚き、背筋を伸ばして上擦った声で答えた。
「切ってすぐなら……。切り口が腐ったり、新しい皮が張る前なら出来ると思う。ううん、絶対に出来る」
「わ、私は嫌! お願い、もうこれ以上痛い思いはしたくない!」
あの気の強い少女はどこへ行ってしまったのか、エリアは年相応の少女らしく涙を流して泣き始めた。
「すぐに済む」
俺が本気なのを悟り、エリアが腰を浮かせた。そのエリアをシルバーが押さえ付ける。
「わかった。お前の選択を信じよう」
「嫌っ! お願い、やめ……!」
叫ぶエリアの口に、シルバーがシーツを押し込んだ。目で合図し、レイスにエリアの腕を固定させる。レイスは全体重をかけてエリアの腕を押さえながら、固く目を閉じてひたすら祈りの言葉を呟いた。
心臓が張り裂けそうなほど速く打っていた。額にも手にも汗が滲み、思わず目眩がした。
だが、やるしかない。ブレインに気付かれた今、エリアの魔法なしで逃げ延びる自信が俺にはなかった。いや、逃げられないと第六感が叫んでいた。
腕輪をなるべく肘の方に寄せてから、思い切り剣を振り下ろした。手応えはあまりなかったが、エリアはくぐもった獣のような叫び声を上げ、腕から噴水のようにしぶき上がった血がベッドを真っ赤に染めた。
目を落とすと千切れ飛んだ手首が床の上に転がっていた。俺はエリアの腕から腕輪を抜き取り、手首を拾ってレイスに渡した。
シルバーはすでにエリアを解放しており、エリアは左腕で真っ赤に染まった右腕を押さえながら、顔中に汗を浮かべて喘いでいた。
レイスが手首を取り、“キュアー・ウーンズ”をかける。魔晶石が砕けるほどまでかけると、なんとか手首は繋がり、エリアの呼吸も落ち着いてきた。もっとも、精神的なダメージは癒せそうになかったが。
俺は血で真っ赤に染まった腕輪を袋の中に入れ、代わりにエリアから奪った発動体の指輪を取り出した。そしてそれをエリアの左手の指に嵌めてやりながら言った。
「俺のことならいくらでも恨めばいい。だが、とにかく今は立って走ってくれ」
レイスが機転を利かせて“サニティ”をかけると、エリアは多少落ち着いた瞳で俺を見上げた。そして、戸惑った声で言った。
「どうして私を助けるの?」
「ただの気まぐれだ」
「じゃあ、どうしてあんなことをしたの?」
「金がなかった。止むを得なかった」
「乱暴したのは? あれも止むを得なかったの?」
俺はイライラしながら首を振った。
「生物学的な理由だ。お前が男かババァかブスだったら犯していない。とにかく!」
語調を強めてエリアの手を引いた。
「今はのんびり話をしている場合じゃない。好きなだけ恨んでくれていいから、とにかく立って走ってくれ!」
状況は思わしくない。シルバーもレイスも焦りを隠せない表情をしている。上の様子が気になるが、別の牢の女たちの騒ぐ声で聞こえない。
「立ってくれ!」
その時俺は自分がどんな顔をしていたかわからない。しかし、よほど必死な顔をしていたのだろう。
どこかぼーっとしていたエリアも、ようやく事態が飲み込めてきたようで、いつかの俺に向かってきた戦士の瞳に戻った。
「わかったわ。私はどんなことがあってもあなたたちを許す気はないけど、ブレインといるよりはましだから」
エリアはゆっくり立ち上がり、一度右手を強く握った。切り離された後遺症はないようだ。
「逃げるぞ!」
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