ロマールという国は中原では相当大きな国であるから、その分当然市民も多く、それに比例するように冒険者への依頼も多い。その窓口となる冒険者の店も場末に軒を連ねているが、それ以上に冒険者の数が多くて、それなりのパーティーでなければ依頼を受けられないのである。
それなりのパーティーとは、レベルの話ではない。依頼の大半は安くて容易なものであり、高レベルのパーティーなど欲していない。しかし、冒険者の方も9割以上のパーティーが初心者の寄せ集め集団で、残念ながらそれらの依頼に相応しい場合が多い。
では何かというと、要するに人数がいて能力のバランスが良く、パーティーとして機能していることである。依頼を受ける方としては人数が少ない方が分け前が増えて嬉しいが、依頼する方は払う額は基本的には同じだし、確実に依頼を遂行できそうなパーティーを選ぶ。
結果、少人数のパーティーは依頼を受けられずに堕ちていくか、失敗して命を落とし、多人数のパーティーはなかなか金が貯まらずに綱渡りになる。そうして冒険者の行き着く先が犯罪なのかも知れないと、エリアは思った。
ふた月ほど前に、エリアは家の事情で単身ファンドリアに向かう途中、山中で盗賊に身をやつした冒険者の男に襲われた。傷を負わされ金を奪われ、果ては乱暴までされて、エリアはその男に殺意を抱いたが、その後ファンドリアで幽閉されていた自分を、その男は命を懸けて助けてくれた。
恐らく、彼が言った通り、本当に止むを得なかったのだろう。もちろんそれだけで許す気にはなれないが、絶望的な状況から助けてくれたことには感謝しているし、彼とその仲間の少年と一緒に冒険者になれたらと考える自分もいる。殺したいほどの憎しみと、仲間に入れて欲しいという願望。この相対する二つの感情が、ずっと前から渦巻き続けている。
いや、渦巻いていた。それはもう終わりにしなくてはいけない。
「バカ……」
誰に対するものか自分でもよくわからない呟きを漏らしてから、エリアは大きな溜め息をついた。
ファンドリアからの帰路、とある酒場でその男ウィーズと、一緒にいたレイスという少年に手紙を残してからひと月以上が経過していた。もしもロマールに来たら寄って欲しいということを婉曲的に書いた内容だったが、とうとうウィーズは現れなかった。
ひょっとしたらファンドリアから北に行ってしまい、手紙を見ていないのかもしれない。手紙を見ながら、会わないという選択をしたのかもしれない。考えたくはないが、ファンドリアの一件で命を落としてしまったのかもしれない。
いずれにせよ、ウィーズが家を訪れることはなかったし、エリアもずっと待っているわけにはいかなくなった。
エリアの唯一の身寄りである祖父が、エリアがロマールに戻ってすぐに病のために帰らぬ人となった。元々病床にあったが、エリアはその死因を身内の陰謀だと考えている。
ロマールの貴族であるミザルフ家の財産をすべて手にしたエリアは、相続問題や親族のごたごたから逃れるべく、家と土地を手放した。そのことでまた親族が揉めているが、もはやエリアにはどうでもいいことだった。
残りの財産の内、いくらかは孤児院や教会、魔術師ギルドに寄付をした。完全なる慈善ではなく、本当にいざと言う時に帰る場所を作っておく打算もあったが、少なくとも今はまだ世話になるつもりはなかった。
さらにいくらかは宝石に変え、残りは冒険者に必要な装備に費やした。ウィーズに感化されたわけではないが、必要を感じて彼と同じように魔法の剣を入手し、メイジリングも持っている物の他にもう一つ、魔法の威力を高める魔力を帯びた物を購入した。
使用人に別れを告げ、満を持して家を飛び出したのが今朝のこと。それからいくつかの冒険者の店を巡り、今はとある宿屋の一室で、少しヤケになりながら一人で横になっている。
そもそもの計画はこうだった。ロマールには留まりたくないエリアは、冒険者の店で仲間を見つけ、どこか他の国を目指す。北のファンドリアにはもう一生足を踏み入れたくなかったので、西のレイドか東のザインということになるが、レイドはロマールに属しているし、傭兵の多い男むさい街である。まだ男に苦手意識を持っていなかった頃に何度か行ったことがあるが、ファンドリアでの一件以来、すっかり男嫌いになってしまった今、好んで行きたい街ではなかった。
しかし、ザインはザインで、伝統的に魔法を毛嫌いする性質があり、剣も使えるが基本的には魔術師であるエリアには足を踏み入れにくい国だった。ただ、そのさらに先には、悪い話をほとんど聞かないエレミアと、冒険者の大国オランがある。金は十分あるのでザインで仕事をする必要はなく、ザインを素通りしてエレミアを目指す。
それがエリアのプランだったが、そもそも最初の段階で挫けた。冒険者の仲間が見つからなかったのだ。
見ず知らずの男と寝食をともにしたくはなかったので、人間の男のいるパーティーを切り捨てたら、母数が半分以下になってしまった。エリアと同じような理由でか、女性ばかりのパーティーもあったが、すでに結束が固く、入り込めるような雰囲気ではなかった。エルフやドワーフばかりのパーティーでは、向こうが人間を入れるつもりはなく、運良く人間の男のいない組み合わせでは、すでに人数がいっぱいだったり、雰囲気やレベルの問題で入ることができなかった。
エリアとしても命を預けて戦う仲間を安易に選ぶつもりはなかったが、まさかここまで苦戦するとは思わなかった。もちろん、少し引っ込み思案な自分の性格のせいも多分にあるだろうが、ただでさえ明るい気分ではない今、無理に社交的に振る舞うことなど出来そうにない。
エリアは仲間を探すとともに、そもそも冒険者とはどのような依頼を受け、どのように生きていくものなのかも調べた。思えば剣や魔法の修行は幼い頃からしてきたが、冒険者とは無縁の生活だったし、半ば勢いで家を飛び出したものの、冒険者の基本的なことすら知らなかった。話では職業として成り立っていると聞いていたから、剣と魔法が使えればなんとかなるだろうと気楽に考えていたが、現実はそうではなかった。それが、冒険者と依頼のバランスである。
「ウィーズさん、私、やっていけるかな……」
顔を隠すように腕を当て、エリアは小さく弱音を吐いた。何故そこでウィーズの名前が出てくるのか自分でもよくわからなかったが、とにかく誰でもいいから手を差し伸べて欲しい心境だった。
この小さな一人部屋の代金は50ガメル取られた。朝からの食事を含めると、今日一日で100ガメル近く使っている。
それはエリアの持っている金からすれば微々たるものだったが、やはりいつかはなくなるものである。一人ででも何か依頼を受けて、金を稼がなくてはならないが、一人で受けられる仕事などなく、仲間が見つかる気配もない。
まだたったの一日で弱気になりすぎている。頭ではそうわかっているが、まったくの未知の世界にたった一人で飛び込んで、収入の宛てもない状況では気落ちするのも無理はなかった。
「家に帰りたい……」
エリアは悲しそうに呟いて、静かに肩を震わせた。
帰れないことはわかっているし、本心で帰りたいと思っているわけではない。ただ、寂しくて、少し弱音を吐いただけだ。誰も見ていないのだから、少しくらい泣いても罰は当たらないだろう。明日には元気になる。元気になってたくさんの人に声をかけ、早くこの生活に慣れて、それが当たり前になって、冒険者としてやっていく。
素質はきっとある。自分には出来る。
だから、だけど、今は少しだけ泣かせて欲しい。
「誰か助けて……誰か、誰か私を助けて……」
蝋燭の明かりだけがうっすらと照らす薄暗い部屋で、夜が更けるまで、エリアは一人泣き続けていた。
翌日の昼、エリアは前の日と同じ宿屋の一階の酒場で、昼食を取っていた。
午前中は冒険者の店をはしごして、3組のパーティーに声をかけたが、いずれも「魔術師は必要としていない」「人間は不要」「メンバーを増やしたくない」という理由で断られた。断られるのにも慣れてきて、エリア自身これは無理かなと思うパーティーにもアタックしていたので、昨日ほど落ち込むことはなかったが、焦りがあるのは確かだった。
やはり人間の男がいるパーティーにも声をかけるべきではないか。選んでもらう立場にありながら、厳選しすぎてはいないか。自分から門戸を広げれば、すぐにでも冒険に出られるのではないか。
そんなことを考えながら、固いパンを野菜スープに浸していると、不意に背後から女性の声で呼びかけられた。
「エリア、さん?」
振り返ると、見たことのない女性が立っていた。背はエリアより少し高く、すらりとした四肢をしている。細い目と尖った耳はハーフエルフのそれで、人間側の血を色濃く受け継いだのか、焦げ茶色の髪をしていた。
「誰ですか?」
丁寧に尋ねると、女性はシェリーディと名乗り、エリアが冒険者に声をかけているのを見ていたと言った。
「冒険者を探してるって聞いて……私も一人だから、声をかけてみようと思って」
エリアが隣の椅子を勧めると、シェリーディはそこに座って話を始めた。
シェリーディはエリアの倍近く生きていて、人間である父親はすでに他界してしまったらしい。エルフの母親は、父親が死ぬと故郷の森に帰ってしまった。娘を愛していなかったわけではないが、深い悲しみに心を閉ざしてしまったのだ。シェリーディは3つ違いの姉と二人で人間の世界に取り残されてしまった。それが5年前。
それからシェリーディは姉と二人でプリシスの街で暮らしていたが、色々なことがあって生活が苦しくなり、冒険者になることにした。シェリーディは言葉を濁したが、恐らくハーフエルフに対する偏見によるものではないかと、エリアは思った。
二人は優秀な精霊使いだったので、冒険者生活はそれなりに順調だった。難易度の高い遺跡探索などは避け、堅実な依頼ばかりを受けて地道に金を稼いだ。時には意外なモンスターや罠のために仲間を失ったりもしたが、二人は無事に生き延びてきた。
ところが、1年前の冒険で、姉と離ればなれになってしまった。それは冒険というより、小さな戦争に巻き込まれた形で、二人が加勢した側が破れ、逃げる途中ではぐれてしまったのだ。
最後の敗戦の状況から姉が生きている確信はあったが、待ち合わせ場所など決めていなかったし、シェリーディもなるべく遠くに逃げる必要があったので、近くを探し回ったり、待ち続けることができなかった。
故郷の森やプリシスにも行ってみたが、姉が立ち寄った形跡はなかった。シェリーディは宛てもなく姉を探しながら、今こうしてロマールでエリアと会ったのだ。
「良かったら一緒にオランの方に行きません? エリアさん、冒険者になったばかりでしょ? 色々教えてあげられるわ」
そう言って、シェリーディは穏やかに笑った。
エリアが嬉しかったのは言うまでもない。相手は女性で、冒険者経験が豊富で、しかも精霊使いだから“ヒーリング”の魔法も期待できる。エリアが断る理由は何一つ無かった。
「ありがとう。嬉しいです。私も丁度エレミアやオランに行きたいと思っていたの」
エリアが差し出した手を、シェリーディが強く握った。エリアに初めて冒険者の仲間が出来た瞬間だった。
二人はもう少し仲間を集めるべきかどうかしばらく話し合ったが、シェリーディはすでにロマールに何日かいて次の街に行きたがり、エリアも少しでも早くロマールを離れたかった。元々相続争いから逃げるために冒険者になったのだ。
「エリアは、お金持ちのお嬢様なの?」
興味深そうに聞いたシェリーディに、エリアはこれまでのことをかいつまんで説明した。もっとも、ウィーズやファンドリアでのことは割愛したが。
話し終えた後、シェリーディはただ「大変だったね」と一言だけそう言った。冒険者になる者は、大抵何かしら普通の暮らしが出来なくなるような事情がある。エリアの場合は死者も出ていないし、エリア自身には人生の大きな転機だったが、数多くの冒険者を見てきたシェリーディには大した話ではなかったのかもしれない。
それに、彼女が大変だったと過去形を使ったように、もう過去のことなのである。シェリーディの様子を見て、エリアは自分が思い詰めていたことが、案外大したことではないような気がして、少しだけ心が軽くなった。
翌日、二人はロマールの城門をくぐった。エリアには久しぶりの街の外だった。
数ヶ月前、エリアはファンドリアに一人で行こうとしていた。使い魔の猫もいたし、腕には自信があった。だが、結果としてウィーズに襲われ、魔法も使えなければ剣も役に立たなかった。使い魔の猫は一撃で蹴り殺されたし、思えばあの猫がいたことで、自分が魔術師だと気付かれていたのだ。
だからエリアは、今度の旅では仲間が出来て許可を得るまで使い魔を作らないことにしたし、一人で外に出ることもしなかった。
そんなことを道すがら話すと、シェリーディが感心するように頷いた。
「慎重なのは大切なことよ」
「でも、時には大胆さも必要だって聞くわ」
「そういう冒険もあるけど、私は大胆さが必要な冒険は選ばない。私にとって冒険は、目的じゃなくて手段だから」
楽しくて冒険をしている人はいい。難しいクエストに挑み、古代の遺跡に目を輝かせ、万が一それで命を落としても本望だろう。
だがシェリーディは、冒険は仕事であって、お金を稼ぐための手段でしかなかった。だから、堅実に、危険がなるべく少ない依頼を受ける。
「エリアも、冒険者にはなりたくてなったわけじゃないんでしょ? この先どうしたいのか、お金を手に入れたら冒険者を辞めてどこかで暮らすのか、ずっと続けていくのか、考えておいて方がいい」
道中で、エリアは色々なことを教えてもらった。動物の捕まえ方や捌き方、火のおこし方、武器や道具の手入れ、ロープの使い方も聞いたし、錠前の原理なんかも教えてもらった。もっとも、鍵開けは簡単にはできそうになかったが。
“泣き叫ぶ山々”を北に望みながら旅をすること数日、エリアはシェリーディとも心が通じ合い、野宿にも慣れ、モンスターと二度ほど戦い、自分は一人前の冒険者になれた気がしていた。
それが油断を生んだとは思わない。確かにそれが初めて会った日に行われたのなら、エリアはすぐに気が付いたかもしれない。小さな物音でも目を覚ましたに違いない。相手の方が一枚上手だった。それだけのことだと思う。
朝起きたら、シェリーディがいなくなっていた。エリアの持っていた数万ガメルの魔法の剣と、小分けにしてあった巾着の内のいくつかと一緒に。
初め、エリアは何が起きたのかわからなかった。シェリーディが自分が寝ている間に何かの事件に巻き込まれたのだと思い青ざめたし、少ししたら帰ってくるとも考えた。30分もして、ようやく自分が今まで騙され、剣と有り金を盗まれたのだとわかると、ただ呆然として膝をついた。
彼女は初めから、エリアが持っていた剣に目を付けていたのだ。それに、冒険者になり立てということも、一人であることも、仲間を欲しがっていることも、ロマールから出たがっていることも知った上で近付いてきた。それらの情報はすべてエリアが事前に与えていた。
今となっては、シェリーディの話していたことが本当なのか、そもそもシェリーディという名が本名なのかもわからない。自分が彼女から教わった技術だけは確かに残っているが、それにしては高い勉強代になった。
「ねえ……。人って……信じちゃ、いけないの?」
途方に暮れた。
残っている金や宝石だけでもまだ数千ガメルはあるし、2つあるメイジリングの1つを売れば、万単位の現金が手に入る。だが、それだけだ。新しい武器も買わなくてはいけないし、こんな金は一瞬でなくなるだろう。
そして、それ以上に心に受けた傷が大きかった。人間の男だけでなく、もはや人そのものが信じられなかった。信じていいのかわからなかったし、信じるのが怖かった。こんな状態で冒険者の仲間などできるとは思えないし、もう冒険者を続けたいとも思わない。
だが、自分にはもはや冒険者としてやっていくしか道はないし、まだ生きていたい。
「大丈夫……きっと大丈夫よ、エリア。元々……お金は全部、置いてくるつもりだったんだから……。初めから無かったものがなくなっただけ。そう、大丈夫。行こう!」
エリアは努めて元気に顔を上げた。そして、涙を拭って歩き始める。
道は進む方にしか続いていない。
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